人が虫のようだ
「ふーっ」
横浜みなとみらい。櫛切りにしたリンゴを縦に突き刺したような形のホテル。そこのロイヤルスイートが私の常宿。
バスルームを出た私は、冷蔵庫から飲み物を出しソファでくつろぐ。
テーブルに置いてあるタブレットを手に取り、大手情報サイトを開くとTOPページには、やっぱりと言うか〈山下公園で浦島太郎の目撃情報〉の文字が。他にも、SNSには山下公園のあの映像がいくつも流れていた。
「あのおじさん、本当に浦島太郎だったのかしら?」
山下公園でヤバそうなおじさんを見つけて連れ出し、中華街で適当に着替えさせて肉まんあげて、一万円だけ渡してサヨウナラ。
子供の時から裕福な家に育ち、特に不自由なく育った私は。金だけに寄ってくる同級生や大人達が大嫌いだった。大人になり私の事業が大成功してからも、私を取り巻く人達は変わらない。そんな日常の憂さ晴らしに始めた私の気紛れ。
いつも適当におじさんを見つけてそうやって遊んでた。その後は、生きていようがどうなっても私は関係ない。ちょっとだけ人の人生を摘んでみたいだけ……。
一瞬だけ。今日のおじさんの事を思い出したけど、SNSの記事と一緒であっという間に何処かへ流れて消えちゃった。
◆◆◆◇◇◇ ◆◆◆◇◇◇ ◆◆◆
あの娘さんは何じゃったのだろう?
格好は男であったが、躓いて掴まった時の感触。手を引かれた時の感じは女子であった。何やら理由があるのじゃろう、儂は何も言わんでおった。
娘と別れた儂は、余りの人の多さに気持ちが悪くなり、人が居ない方、居ない方へと歩いてゆき。海の側へと戻って来ていた。
少し海から離れた木の影の壁際を見つけ、今日の寝ぐらにしようと場を整える。
「今日は此処で寝るとしようか」
木々の隙間から見える星とは違う光。キラキラと煌めき夜空よりも主張する、まるで昼間のように明るい町も、この世から夜を無くしてしまったかのように思えた。
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「おっさんとは、此処までだ。あとは自分でどうにかしな」
「此処まで、とは?」
男は腕をあげて、服から何かを取り出すと、一枚の薄くて精細な絵が描かれた物を渡して来た。確かこれは「古着屋」と書かれた所で店主に渡していた物と似ておる。
「一万円あげる。もう俺と会う事は無いと思うから、今日の事はサッサと忘れて好きに生きるといいさ」
今日の出来事はこの男の気まぐれだったと言う事じゃろうか、もう会う事は無いと言うが、儂はこれだけは聞いておきたかった。
「名を、名を教えてくれんか? 儂は、相模の国三浦の里、水江の浦島太夫の子、太郎と申す」
男は、少し躊躇った後に「竹取の翁とでも思っておいてくれ」と言って去って行った。
「翁と言う年でもあるまいに……」
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眠っていた儂は突然の痛みで跳ね起きた。
「おいおっさん! 何こんな所で寝てんだ、迷惑なんだよ!」
数人の若者が儂を取り囲んで怒鳴り、蹴り飛ばされたのじゃ!
「な、なんじゃ?!」
若者どもは儂の言葉に一瞬首を傾げ、笑い出した。
「ぎゃはははは『なんじゃ』だってよ、うけるー」
周りの若者も同じように笑う。後ろの方では、コチラを見ないようにして通り過ぎる人影も見えた。
「ほらおっさん、もういっぺん言ってみろよ!」
ガッ! ドスッ!
それから、何度か足蹴にされて。儂が持っていたあの一万円?を見つけると「ラッキー」と言って持ち去って行った。
儂は、痛みに耐えながら日が昇るまで、人気のない木の影に隠れて朝まで眠れない夜を過ごしたのじゃ……。
この国はどうなったのじゃ? 昼間、海から上がった儂を見た若者達は、手に手に薄い箱を持って儂の事を見て騒いでおった。
町を歩いている時にも、薄い箱を見ながら歩く若者が大勢いたが。その者達は誰も儂など見ていなかった。
さっきの若者達も、薄い箱を持って儂の方に向けていたがあれは何をしておったのだ?
言葉使いもそうじゃ、聞き取れはするが時折り訳の分からん言葉を使う。
「マジ、ヤバイ、うける」さっぱり分からぬ。
その夜は、痛みと心細さに、儂はなかなか眠る事ができなかった。助かったのは、隠しておいた玉手箱には気付かれなかった事じゃな。玉手箱を抱え、乙姫との約束を思い出す「絶対に箱を開けてはなりませぬよ」。意味は分からぬが、乙姫との約束じゃ。そう乙姫の事を思い出していると、何となく痛みも和らぐ気がした。
「独り居て 思ふ心は 霧のごと 立ち込めゆきて 道も見えぬ」(風ノ歌)
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「いつつつつっ」
昨晩は酷い目にあった。儂は痛みに耐えながら日陰になっている場所である草木を探し歩いていた。朝になって思っていたより痛みが引いていたのは助かったのじゃが、やはり痛いのう。
「あったあった」
湿気のある日陰に生える、独特の臭いのする野草。ドクダミ、この葉を洗って腫れた患部に貼っておくと、痛みと腫れが引くはずじゃ。
と、オトギリソウも向こうに生えとったな。あれの葉も使えるし、日干しにして煎じて飲めば痛み止めにもなる。どこでも生える野草は昔と変わらんの。
「あしひきの 山鳥の尾の しだり尾の 長々し夜を ひとりかも寝む」
「敷島の 大和の国は 言霊の 助くる国ぞ まさきくありこそ」
儂は、痛みを誤魔化すために石に腰掛け、和歌を誦じていた。竜宮でも、乙姫と共に和歌を詠み合ったものじゃ。竜宮には和歌の木簡が沢山あったからの、いろいろな歌を詠んだり語り合ったものじゃ。
チャリン。
音に気がつくと、離れて儂の事を見ていた男が近寄り。腰掛けていた石の脇に何やら置いて行った。
音の正体を手に取る、これも精巧に絵と紋様が描かれた丸い……これは無文銀銭のようなものか? もしかすると昨日のアレも? あの薄い物は、乙姫の所で見た紙にも似ておったが、もっと手触りが良くしっかりしていたので分からんかった。
そうか、コレで物の売り買いをしておったのか! そして儂に渡したのも、儂が売り買い出来るようにとの事だったのじゃな。
それからも、儂の知っておる詩や物語を語っておったら、ポツポツと金子を置いて行く者が現れていった。