浮気者
山下公園でおじさんと別れてから数ヶ月、SNSであのおじさんの話を見かける事も無くなっていた。SNSの主流は今日の出来事、数日も過ぎれば誰の記憶からも忘れ去られてしまう。
あのおじさんに名前を尋ねられて、咄嗟に竹取の翁と答えたのだけれど……考えると翁と言う年ではなかったよね。
私は、おじさんがVtuberの柿本one麻呂と動画サイトで共演したのを知ってからずっとブクマしてチェックしていた。当然、柿本one麻呂のSNSもフォローしている。
少し前には、高名な大学教授とも話をしていたし。昨日は三崎まで行って宿から配信しているのも見た。
正直言って、あの時おじさんを助けたのは私の気まぐれだ。これ迄にも似たような事をしてきたけれど、その殆どは別れて直ぐに忘れてしまった。
それなのに、あのおじさんの事は何かある度に思い出してしまう。本当なら二度と絡むつもりは無かったのに、カメラマンだと思ったプロデューサーには名刺を渡してしまったし。あの時、咄嗟に出た竹取の翁と言う名前を使って、柿本one麻呂の配信では投げ銭も行っていた。
「あーあ」
ポスッとベッドの上にスマホを投げ置き、自分もベッドに横になる。
天井を眺めながら、先日取引きした不動産屋からの売買契約書を見直す。中華街近くにある雑居ビル、一階と二階が店舗と事務所、三階以上が住居になっている建物だ。オーナーが高齢で売り先を探していたのを、言い値で買い取って貰った。
一階の店舗はそのまま、二階の事務所のテナントからは半分だけ出て貰い。三階の住居スペースの住人には、上に移動して貰うか転居をお願いして、三階全部のフルリフォームを超特急でお願いしている所だ。
先日の配信を見た後。あのVtuberのマネージャーに連絡を取り、資金提供とバックアップを条件に事務所の移動を約束させた。勿論おじさんが一緒だと言うのが絶対条件だった。
◆◆◆◇◇◇ ◆◆◆◇◇◇ ◆◆◆
「あの人、この頃見ないな……」
私は、仕事が休みの日の午前中に子供を連れて山下公園へやってくるようになっていた。もちろん、子供と船を見たり遊ばせる事が目的なのだけれど。けれど本心では、あのドクダミ茶を譲って貰えないか、いや! 売って欲しいとさえ思っていた。
あの時貰ったドクダミ茶は既に無くなっていて、私のお肌も素の年齢相応に戻ってしまっている。市販のドクダミ茶も試してはみたものの……。新人ちゃんも禁断症状かの如く「ドクダミ茶、あのドクダミ茶を私にください」と毎日呟いている。
子供を上手く誘導して。あの時、あの人が住んでいた物陰まで行ってみたが。その場所は綺麗に撤去されていた。さすがに公園内に住まれたら困るものね。ウロウロしている内に冷えてしまったのか、子供がトイレと言うので公園内の公衆トイレへ向かっていると。
「今日はありがとう!」
ちょうど公園横の駐車場から出て来た人がいて、思わず目で追ってしまった。
「あっ、あの人!」
そこに現れたのはあの人だった! 思わず子供の手を引いてあの人の方へと動こうとする。
「まま、おしっこー」
あああーっ! なんて間の悪い! 恨めしくあの人が向かっていく方向を見ながら、子供をトイレへと連れてゆく。出てきた後ではもう居ないんだろな……。
「ままもおしっこでたー?」
子供の何気ない一言に強烈なダメージを負いながら、トイレを済ませて外に出る。子供の手をハンカチで拭いていると、フッと人の姿が手元を影にした。
何だろう? と頭を上げると。
「やはり、あの時の親子じゃったか」
そこには、あの人が和かな笑顔で立っていた。
「まま?」
私がその人の顔に見惚れてボーッとしていると。
「あれから見かけなかったので、元気になったのか心配しておったのですが。お元気そうじゃな」
そう言って、また笑顔を向けられ赤面してしまう。
「おかげさまで……あっ、でも。あの、何故私だと分かったのですか?」
その人は、ふと頭を捻ってから。
「何故じゃろうな? 儂は、此処では知り合いが少ないから、僅かでも知っている者がいると気になってしまうのじゃろな」
気になると言われて、ドキッとしてしまったが。私は一番気になる事を思い出した。
「あの、今はどちらに住まわれているのですか? 以前お見かけした場所は片付けられていたので心配していたのですが」
まさか自分の事を心配されているとは思っていなかったのか、ちょっと間を空けて。
「心配してくれてありがとう。優しいお人じゃな、今はある人に世話になって、ちゃんと屋根のある所に泊まっておるよ。今日も一緒に住まないかと聞かれた所じゃ」
「えっ!? まさか女の人ですか?」
男の人は一瞬不思議そうな顔をした後、フッと笑ってから。
「いやいや、男の人じゃよ。Vtuberのワン麻呂殿なのだが名は知らぬかな?」
私は、あの動画の件から見た事のある人だとすぐに気が付いて少しホッとした。
「はい、それと寒くなっていたので屋根のある所に住まわれると聞いてホッとしました」
「ありがとう、やはり優しいお人じゃ。そうじゃ、ドクダミ茶はいらんか? 最近は作れてなくて量は少ないのじゃが、女の人には評判なのじゃよ」
ドクダミ茶と聞いて、私は真のミッションを思い出した!
「あっ、ぜひお願いします。あと、お代もお支払いしますので友達の分も譲って貰えますか?」
◆◆◆◇◇◇ ◆◆◆◇◇◇ ◆◆◆
「何あの女!」
おじさんが三崎から帰って来るのを見届けようと山下公園に来てみれば、おじさんが見知らぬ子連れ女と仲良さそうに話しているシーンを目撃してしまった。
ちょっと! おじさんを最初に助けたのは私なのよ! おじさんも何そんな年増女にキラキラした笑顔を向けてるの! ホラ! その女、赤くなってるじゃない!
暫く見ていると、おじさんと子連れ女が歩き出したので後をつけて行ったら。
「ここって……」
たどり着いたのは。ワン麻呂のディレクターに聞いていた、おじさんの泊まっているウィークリーマンションだった。二人は何か話をしながらエントランスに入っていく。まさか部屋まで行くのかと思ったら、さすがに女の方が断ったようで、おじさんだけエレベーターに乗って行った。
女はエントランスで子供と話しながら時間を過ごしていると、少ししておじさんが現れ、紙袋に入った何かを渡していた。女がサイフを取り出してお金を払おうとしていたが、おじさんは受け取らず。女は何度も頭を下げて帰って行った。
何?! あの女もおじさんも! やっぱり物件の工事は年内にも終わらせて、早く引っ越しさせなければ!




