不思議な電話
「おばあちゃん、この箱はどこに片付ければいいの?」
結城ユイは祖母の遺品整理に追われていた。一人暮らしの小さなアパートに、祖母の思い出の品々が詰まった段ボール箱が何箱も積まれている。大学受験を控えた高校2年生の彼女にとって、残された唯一の肉親だった祖母の死は、あまりにも突然だった。
外は雨。窓を叩く雨音を聞きながら、ユイは箱から古いアルバムを取り出した。幼い頃の写真。両親と三人で写っている最後の一枚は、あの事故の一週間前に撮影されたものだった。
「もう十年か...」
ユイは溜息をつき、アルバムを閉じた。十歳の誕生日を迎える直前、両親は交通事故で命を落とした。それからはずっと祖母と二人で暮らしてきた。そして今、祖母もいない。
「もう無理…休憩しよう」
段ボールを押しのけて床に座り込んだユイの目に、棚の隙間から覗く真っ赤な箱が飛び込んできた。
「この箱、見たことないな…」
手に取ると、予想以上に軽い。蓋を開けると中には古風な赤い受話器と一枚の手紙が入っていた。
「あなたの運命の相手と繋がっています」
一行だけの不思議なメッセージ。ユイは笑った。
「なに、これ?おばあちゃんのいたずら?」
しかし受話器を手に取った瞬間、冷たいはずの赤いプラスチックが温かく感じた。そして突然、受話器が鳴り始めた。
「え!?」
驚きのあまり受話器を取り落としそうになりながらも、ユイは恐る恐る受話器を耳に当てた。
「もしもし?」
「もしもし、聞こえますか?」
若い男性の声。落ち着いた声音だが、どこか焦りを感じさせる。
「聞こえます。あの、どなたですか?」
「僕は星野…」
突然、激しい電子音が耳を突き、相手の声が一部聞こえなくなった。
「すみません、お名前が…」
「星野テルです。あなたは?」
「結城…」
再び電子音。どうやら名字を言おうとすると通信が妨害されるようだ。
「ユイです。結城ユイ」
「ユイさん…やっと繋がった」
テルの声には深い安堵感が混じっていた。
「あの、これはどういう…」
「僕にもよくわかりません。ただ、赤い受話器を手に入れて、使い方の説明書に『運命の相手と繋がる』と書いてあったので…」
ユイは箱を確認したが、使い方の説明など見当たらない。いたずら電話かと思ったが、相手の声には切実さがあった。
「ねえ、今日は何日ですか?」テルが突然尋ねた。
「え?2025年3月14日ですけど」
電話の向こうで、息を呑む音が聞こえた。
「どうしたんですか?」
「ユイさん、信じられないかもしれないけど…僕がいるのは2030年、3月14日なんです」
ユイは思わず受話器を遠ざけた。何かの冗談?でも、相手の声には真実味がある。
「証明してください」ユイは冷静を装って言った。「2030年のことを教えて」
「今、国際宇宙ステーションの後継機が完成して話題になってる。新型のAIアシスタントは思考能力が人間レベルになって倫理問題が…」
テルは次々と未来の出来事を語った。信じがたい話だが、彼の話す内容はあまりにも具体的で、即興で作り出せるものとは思えなかった。
「もしそれが本当なら…私たちは5年の時差があるってこと?」
「そうみたいですね。不思議なことに、僕が過去のことを話すのは問題ないようです。でも…」
テルが自分の住所を言おうとした瞬間、再び通信が途切れた。
「おかしいな…あ、わかった。未来のことや個人情報は話せないみたいです」
二人は実験的に様々な話題を試してみた。その結果、いくつかのルールが見えてきた。
1. 過去の出来事は自由に話せる
2. 現在の感情も共有できる
3. 未来のことや、個人を特定する情報を話そうとすると通信が途切れる
4. 写真や映像の送信はできない
「まるでSFの世界ね…」
「僕は天文物理学を研究しているけど、こんな現象は説明できないよ」
「天文物理…私、星空の写真を撮るのが好きなんです」
ユイは窓際に置いてある一眼レフカメラを見た。祖母からの高校入学祝いだった。
「そうなんだ!それは何かの縁かもしれないね」
テルの声は明るく弾んでいた。
「でも、なぜ私たちが繋がったんだろう?」
「わからない。でも、この不思議な電話のおかげで君と話せることに感謝してる」
窓の外では雨が上がり、月明かりが部屋を照らし始めていた。
「テルさん、窓から見える月がとても綺麗です」
「こっちも同じだよ。同じ月を、5年の時を超えて二人で見ているなんて…不思議だね」
その夜、二人は星について、音楽について、そして人生について語り合った。見知らぬ相手なのに、まるで古くからの友人のように会話が弾んだ。
「もう遅いね。明日も仕事だから、そろそろ失礼するよ」
テルが言ったとき、時計は午前2時を指していた。
「また、電話してくれますか?」
ユイは思わず尋ねていた。
「もちろん。明日の同じ時間に」
電話を切った後も、ユイの心は高鳴り続けていた。不思議な出会いだったが、どこか運命的なものを感じずにはいられなかった。
窓から見える星空に向かって、ユイは小さくつぶやいた。
「おばあちゃん、これも何かの縁なのかな」
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それからというもの、テルとの電話は毎晩の習慣となった。最初は信じられなかった「5年の時差」も、テルの話す未来の出来事の具体性から、次第に現実として受け入れるようになっていた。
「ユイ、今日は学校どうだった?」
気づけば、互いを名前で呼び合うようになっていた。
「うん、普通。でも放課後、天文部の顧問の先生に呼び出されたんだ」
「天文部?」テルの声が明るくなった。「君、天文部に入ってるの?」
「ううん、カメラ部。でも星景写真を撮ってるから、先生が注目してくれたみたい」
ユイはその日の出来事を説明した。天文部の顧問である村山先生が、特別なプロジェクトへの参加を持ちかけてきたのだ。
「結城さん、実は特別なプロジェクトを始めるんだ。5年後に『百年流星』という特別な流星群が観測されるんだよ。今から準備を始めて、データを収集したいんだ」
「5年後…ですか?」
「具体的には2030年3月15日。君に流星研究会の立ち上げを手伝ってほしいんだ」
その話をテルに伝えると、電話の向こうで衝撃を受けた様子の息遣いが聞こえた。
「百年流星…」
「知ってるの?」
「ああ、それは僕が研究している天体現象だよ。実は明日、その観測のために星見山という場所に行く予定なんだ」
「星見山?」
「君の住む町から車で2時間くらいの…」
テルの言葉が途切れた。未来の具体的な情報を言おうとして、通信が妨害されたのだ。
ユイは地図アプリで検索した。確かに自分の町から車で約2時間の距離に「星見山」という山があった。
「これって…偶然じゃないよね」
「ああ、偶然とは思えない」テルの声は真剣さを増していた。「僕たちは何かの理由で繋がった。この5年の時差も、百年流星も、すべてが関係しているはずだ」
その夜、二人は今まで以上に長く話した。テルは自分の研究について、ユイは写真への情熱について語った。時差を超えた会話は、二人の心を急速に近づけていった。
「ねえテル、あなたは今、誰かと付き合ってるの?」
思い切って尋ねると、電話の向こうで小さなため息が聞こえた。
「いないよ。大切な人を失ってから、誰とも真剣に向き合えなくなった」
「失ってから…?」
「ごめん、それ以上は言えない。ただ…君と話していると、何かを取り戻せる気がするんだ」
ユイは胸が締め付けられる感覚を覚えた。テルの言葉に隠された意味。「大切な人」とは誰なのか。そして、なぜ彼はそれを話せないのか。
「私も、大切な人たちを失ったことがある」
ユイは静かに言った。両親のこと、そして最近亡くなった祖母のことを話した。
「君は強いね」テルの声は優しかった。「そんな経験をしても、前向きでいられるなんて」
「強くなんかないよ。ただ…生きていくしかないって思ってる」
窓の外は満天の星空だった。遠い星々の光は、何億年もの時を超えて地球に届いている。そう思うと、たった5年の時差など取るに足らないもののように思えた。
「テル、明日も電話してくれる?」
「もちろん。僕から電話するよ」
受話器を置いた後も、ユイの耳にはテルの声が残っていた。まだ見ぬ彼の姿を想像しながら、ユイは静かに目を閉じた。
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「ユイ、今日は夜空がとてもきれいだよ」
「こっちもだよ。今、窓から見える月が本当に美しい」
「君も同じ月を見ているんだね。5年の時を超えて」
電話を始めてから2週間が過ぎていた。学校から帰ると、ユイはまず赤い受話器が置いてある棚を見るようになっていた。テルからの電話を待つのが、日課になっていたのだ。
この日は特別だった。村山先生の発案で始まった流星研究会の初会合の日。放課後、天文部の部室に集まった生徒たちに、村山先生は百年流星の資料を配布した。
「百年流星は、その名の通り約100年に一度しか観測できない特別な天体現象です。次回の観測予定日は2030年3月15日。私たちはこれから5年かけて、観測の準備とデータ収集を行います」
ユイは資料に目を通しながら、不思議な縁を感じていた。テルとの出会い、そして百年流星。すべてが5年後の2030年3月に繋がっている。
会合の後、研究会のメンバーの一人、佐藤という男子が古い本を持ってきた。
「星見山の伝説を知ってる?」
彼は埃まみれの古本を開いた。
「百年前、その山で恋人同士が別れを告げたとき、流星が二人を包み込み、時空を超えて結ばれたという伝説があるんだ」
ユイは震える手でページをめくった。そこには赤い糸で結ばれた男女の絵が描かれていた。その女性の手には、見覚えのある赤い受話器があった。