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黒水晶は紅(くれない)の涙を流す 2

5


 「ようこそ、マイエスタへ。私は領主代行を務めるアーネスト・オブライエンと申します」

 そう言ってレトの手を握ったのは、かなり背の高い、がっちりした体格の男だった。輝くような金髪の下には透明感のある青い眼がのぞいており、典型的な北方民族の特徴を表していた。貴族らしい優雅な立ち振る舞いで、レトの肩にカラスがとまっていることに動揺はもちろん、奇異の目を向けることもない。


 「メリヴェール王立探偵事務所のレト・カーペンターと申します。こちらは……」

 レトはメルルに視線を向ける。

 「探偵助手見習いのメルルです」

 紹介されたメルルはうやうやしく頭を下げる。こうした公的な場でのあいさつなど、まるで知らなかったメルルだが、仕事をしていくうちに身に着けられてきた。この仕事は貴族と接する機会は珍しくないのだ。


 ふたりはドニーの案内でアーネストの待つ居間へ連れてこられた。貴族の住まう城らしく、やたらと天井の高い、非常に広い部屋だった。壁には大きな暖炉から薪がパチパチと音を立てて燃えている。


 食堂で暖を取れたものの、城に着いたころには身体がすっかり冷えてしまっていた。暖炉の温もりはメルルにとって非常にありがたかった。アーネストには気づかれないよう、ほっと安堵の息をもらす。


 「ここへ来る途中、中庭の惨状は目にしましたかな?

 本当に、ひどいことをする者がこの世にはいるものです。おふたりには、ぜひ、犯人をひっとらえてほしい」

 「もちろんです」

 レトは頭を下げた。が、すぐに顔を上げると、「ところで、こちらにフロレッタ様はおられないのですか?」と尋ねた。


 レトの質問にアーネストの表情が曇った。いかにも不快そうな表情だ。

 「もちろん、この城からは出ていない。しかし、君も聞いているだろう? 彼女は呪いをかけられて体調が思わしくないのだ。今日も自室で休んでいる。彼女に会うことはできないな」

 「いいえ。私はここにおります」

 メルルの背後から女性の涼しい声が聞こえた。3人が振り返ると、3人が入った扉口に、ひとりの女性が立っていた。さらに、その後ろにはメイド服に身を包んだ若い女性が控えるように立っている。

 扉口の女性はアーネストと同じ金髪と碧眼で、白いドレスに身を包んでいた。いかにも貴族の娘が着そうな上等なドレスだ。メルルは『この人がフロレッタさん』と心のなかでつぶやいた。


 「ようこそ。私はフロレッタ・レドメイン・ノーズと申します。このたびは私たちの問題のために、よくここまでお越しくださいました。感謝申し上げます」

 フロレッタは丁寧な口調で言いながら頭を下げた。レトとメルルは慌てて頭を下げる。


 「フロレッタ。身体の調子は……」

 アーネストは心配そうな顔つきでフロレッタへ少し歩み寄ろうとする。フロレッタは片手をあげて叔父を制するしぐさを見せた。

 「平気です、叔父さま。今朝から休んでいたおかげで、こうして歩くことができます。あまり過剰な心配をなさらないでください」

 「しかし、フロレッタ……」

 アーネストはまだ何か言いたげな様子だったが、フロレッタの「どうか、叔父さま」のひと言で口を閉じた。


 「私に『呪い』をかけた人物を探す探偵の方がたですね?」

 フロレッタは部屋に入りながらレトとメルルに話しかけた。念を押す口調だ。


 「そうです。かいつまんだ話ですが、こちらの……」

 レトはドニーに目を向けた。

 「メンデス氏より状況を聞きました」


 「そうですか。では、詳しい話をいたしましょう。どうぞ、こちらへ」


 フロレッタは部屋の中央へレトたちをいざなった。そこには応接用のテーブルとソファが据えられている。

 レトたちはフロレッタにうながされるままソファに座った。レトが真ん中で、両側にドニーとメルルだ。フロレッタはアーネストと並んで向かいに座る。ソファは柔らかいレザー張りで、メルルには経験したことのない座り心地だった。

 フロレッタについて部屋に入ったメイドは、扉を閉めるとその場で立ったまま控えていた。


 「さっそくですが、今回の経緯をお聞かせいただいてもよろしいでしょうか?」


 フロレッタは暗い表情でうなずくと口を開いた。

 「ええ。まず、私の身体に異変が起きたのは今月の初めごろです。

 私はある夜、寝室で休んでいた私は突然、全身を針に刺されるような痛みに襲われて目を覚ましました。これまで経験したこともない痛みです。私はうめき声をあげるぐらいしかできませんでした。異変に気づいて侍女が寝室に飛び込んできましたが、どうすることもできません。私は夜通し苦痛に襲われ続けました。その痛みは夜明けとともに和らいだのですが、夜が明けると今度は……」


 ここまで話したフロレッタは急に立ち上がった。


 「これは実際お見せしたほうが早いでしょう」

 そう言うと、窓に向かって歩き出す。それを見てアーネストが腰を上げた。「お、おい、フロレッタ!」


 「大丈夫です、叔父さま。加減はわかっています」

 フロレッタは立ち止まることなく窓際まで進んだ。窓からは明るい陽の光が入り、窓ぎわの絨毯に柔らかい陽だまりを作っている。しかし、この日は曇りがちな天気のため、その陽だまりはかなり弱々しい。


 「どうぞ、ご覧ください」


 フロレッタは自分の左腕をたくしあげると、白くて長い腕をその陽だまりのなかへ差し入れた。

 すると、白い肌がみるみる赤くなり、ところどころ水泡のようなぶつぶつが生じだした。フロレッタは苦しそうな表情を浮かべながら、すぐ左腕を引っ込めた。


 「ご覧のとおり……」フロレッタの声は少し喘ぎ気味だった。「陽の光を浴びると、私の皮膚は焼きただれるようになっていたのです……」


 「夜は全身を針で刺されるような苦痛、昼は陽の光を浴びると皮膚が焼ける呪いですか……」

 レトはフロレッタの左腕を見つめながらつぶやいた。「相手は複数の呪いを同時にかけたのでしょうか」

 「そうだろうな」アーネストは苦々しそうな表情で声を出した。「なんて忌々しい」


 「あの、『呪い』って同時に複数をかけられるものなのですか?」

 メルルは部屋にいる者たちの顔を順に見ながら尋ねた。『呪い』について知識はまるでないが、『呪い』はひとりにつきひとつだと、どこかで聞いた覚えがあった。


 「君の考えは基本的に正しいよ」

 答えてくれたのはドニーだ。非常に丁寧な口調でメルルは目を丸くした。これまでかなりくだけた、どこか軽薄そうな雰囲気で話していたからだ。

……このひと、ずいぶんとよそいきじゃない。


 「呪いの正体が状態異常魔法であることはもう知っているよね? つまり、ひとつの術式が誰かの身体にりついている場合、ほかの術式が憑りつくことはできない。もし、その術式がより強力なものであれば、それは最初の術式を上書きしてしまって効果を消してしまう。だから、呪い系の魔法の場合、その効果はひとりにつきひとつ。それが一般的なんだ」


 「今回はその例外になるのですか?」

 「ひょっとするとね」

 「どうして、そんなことが可能になるのですか?」


 メルルの疑問は尽きない。それに憤る気持ちも湧いてくる。どうして、こんな悪意に満ちたことを考えつくのだろう?


 「その本質が呪い系の魔法じゃない場合なら可能になる」

 レトは簡単に答えてしまった。メルルはレトの横顔を見上げた。「呪い系の魔法じゃない?」


 「そうだろうね、私もその可能性は考えている」ドニーも腕を組んでうなずいた。


 「え? え? どういうことです?」


 フロレッタがソファへ戻ってきた。彼女がソファに腰を下ろすと、レトはふたたび口を開いた。


 「呪い系魔法は、相手に命に関わるほどの苦痛を与えるものだ。目的がその一点に定まっているので、逆にほかの魔法が混ざる余地がない。魔法は違う目的のものを複合させることはできても、同じ目的を重複させられない。ドニーがさっき説明した呪い魔法はひとりにつきひとつというのはそれが理由だ。

 でも、状態異常を引き起こすだけの魔法であれば、それが直接苦痛をもたらすのか死をもたらすのか、目的がぼやけてしまう。それだけ、ほかの魔法が混ざる余地もできるわけさ。それに、強力な状態異常魔法は呪い系以上に効果が出るものもある。そもそも、状態異常魔法を突き詰めたものが呪い系魔法だから、方向性は同じなんだ。

 同じ、という意味では、状態異常魔法のリスクも同じだね。

 強力な状態異常魔法を発動させるためには、自身の生命が触媒になる場合がある。呪い系は例外なくそれになるんだけど。だから、現在、使われている状態異常魔法はあまり強力なものは見られない。君が使う『脱力の陣』は、対象者の体力を十分の一まで下げる状態異常魔法だけど、その程度であれば術者の生命力を奪ったりしない。魔力の消費だけですむんだ」

 レトはそこで一息入れた。 

 「……話が少しそれたね。フロレッタさんを苦しめている呪いの正体が強力な状態異常魔法であれば、説明できることがある。

 日光に皮膚をさらせば爛れてしまうということは、陽の光を浴びなければ防げるという点。消極的で、対策の取れる呪いは相手を苦しめられる絶対性がない。

 呪いをかけた人物は呪い系をまったく習得できなかったか、あるいは、別の意図があってそうしたのか。そこは、まるで見当もつかないけどね。

 その人物が仕掛けたのは特異なものではあるけど、この世の事象のひとつを再現させたにすぎないと考えている。

 少なくとも日中にフロレッタさんが受けている『呪い』は、一般でも存在するものなんだ」

 「存在する……?」

 メルルにはすぐ理解ができない。


 「人間は陽の光を浴びることで体調を整えたり、生活のリズムをつかんだり、生きるうえで大切な恩恵を受けることができる。でも、実は日光は恵みだけを与えているわけではない。日光には『毒』も混じっているんだ」

 メルルは驚いた。「お日さまの光に毒?」

 「日光には何種類もの光で構成されているんだけど、そのなかに『紫外線』と呼ばれる光がある。その光を強く浴びると、人間の皮膚は焼き爛れてしまうんだ。ちなみに温もりを感じるのは『赤外線』と呼ばれる光のおかげ。ひと言で日光と言っても、その構造は複雑なんだ」

 「その……よくわからないんですが、私たちはふだん、毒の混じった陽の光を浴びて生活しているということなんですね? でも、私に異常なんて起きていません。どうして平気なんです?」


 「人間の皮膚には、紫外線の毒にある程度の耐性があるんだよ。まぁ、毒を防ぐ魔法障壁バリアみたいなもので守られていると考えていい。もちろん、日光を浴びすぎると、僕たちでも日焼けで皮膚が真っ赤になったり、火傷したようになったりするだろ?」

 「そうですね。夏場だと特に」メルルはうなずいた。

 「極端に浴びさえしなければ、太陽の光は恵みの光だよ。ただし、紫外線に対する耐性の範囲内でね。実は、その耐性を失った状態で生まれてくるひとがこの世には存在する。その原因は不明だ」

 「え? それじゃあ……」

 「そのひとも、フロレッタさんが見せてくれたように、陽の光を少し浴びただけで皮膚が腫れあがってしまう。日中は外を出歩くことができないんだ。それに、本来受けるはずの日光の恩恵が得られないので、体調の維持にも苦労することになる」

 「フロレッタさんの今の状況は現実にも存在するもの……」

 「おそらく、身体のバリア機能に何らかの干渉をする術式なんだろうね。ひょっとすると、フロレッタさんにかけられた『呪い』はその一種類だけで、夜間に起きたのは、この『呪い』による影響のひとつにすぎないのかもしれない。そうであれば、『呪い系の魔法の効果はひとりにつきひとつ』の原則は破られていないことにもなるけど」

 「レトさんのさっきの言い方だと、『呪い系』でなければ、複数の術式をフロレッタさんにかけるのは可能、ということなのですか?」


 「可能というより、それが術式魔法の真髄なんだよ」

 ドニーがレトに代わるように答えた。

 「私たち人間は魔の世界とは対極に位置する存在だ。だから、通常では魔の力、つまり、魔法は使えない。でも、魔の世界にアクセスする媒介を使うことで魔法の使用を可能にしている。それが、呪文だ」

 メルルは無言でうなずく。多少であるが知っている話だ。

 「魔法の効果、威力は呪文の長さに影響される。まぁ、呪文が長ければ長いほど効果はあがる。そのため、強力な魔法を行使するには長い呪文を詠唱しなければならなくなる。でも、それじゃあ時間がかかって不便だし、第一、戦闘に使うとなったら、呪文の詠唱を終える前に攻撃されてしまう。

 呪文は一種の文法であり、媒介だ。文法さえ成立していれば、別に呪文を唱えなくても魔法は行使できる。極端な話、文字の羅列だけでも魔法は行使できるんだ。ただ、それだけじゃ媒介としては不十分なんだけどね。

 そこで、人間と魔の世界をつなぐ媒介として、呪文とは異なる媒介が生み出された。それが……」

 「魔法陣。いわゆる術式、ですね」メルルが先に答えた。ドニーは不快な表情も見せずにうなずく。「そのとおり」


 ドニーはメルルに視線を向ける。落ち着いた目だ。


 「魔法陣の利点は、複雑な構文も一度に表現できるところにある。文法さえあっていれば、事実上どんなに複雑な魔法も同時に行使できるんだ。ただし、苦痛や死を与えるためだけの呪い系魔法の術式は、その性質上、どうしてもほかの干渉を受け付けない文法にしなければならない。効果が変わったり、失われたりするからね。でも、単に事象を起こさせるだけのものであれば、複数の術式をかけることは可能になるわけだ。たとえば、強い冷気の術式に、水蒸気をぶつける術式を加えることで『細氷結晶ダイヤモンドダスト』という魔法ができるようにね」


 「あ、なるほど」メルルは納得した。その一方で新しい疑問も湧いてくる。


 「それじゃあ、フロレッタさんの呪いを解くのは簡単なのでは?

 だって、フロレッタさんにかけられたのが事象を起こさせるだけの魔法であれば、それに干渉する魔法をフロレッタさんにかけるだけで中和できるじゃないですか」


 「その点は私も考えた」

 ドニーは腕を組んだままうなずいた。

 「フロレッタ様に異変が起きて3日後、私が呼ばれた。ここに着いてすぐ、彼女に仕掛けられた術式を検めたんだが、どんな術式なのか読み解くことはできなかった。術式の正体が見当つかないと下手な魔法をかけられない。

 もし、誤った魔法をかけた場合、良くて悪化、最悪ではフロレッタ様を死なせかねない」


 「でも……」

 メルルは食い下がった。「フロレッタさんの身体のどこかに『呪いの魔法陣』があったんですよね? まったく解析できなかったんですか? 何の手がかりさえも?」


 メルルの言葉にフロレッタは自分の首の後ろに手をやった。

 「たしかに、私の首の後ろに黒い魔法陣が浮かび上がっています。それが『呪いの魔法陣』であることは間違いありません。異変があった翌日に隣村の教会におられる神父様をお呼びして診ていただいたんですが、神父様は解明できませんでした。そこでメンデス様をお呼びしたのですが、解読できないものだと言われました」


 「呪い系の魔法は、誰もが当然、解呪しようとするだろう。

 でも、呪う相手からすれば簡単に解呪されない工夫はするものさ。たいていの場合、術式を暗号化して解読できない魔法陣を構築する。さっき話したように、文法さえ正しければ、魔法陣に使われている言語なんて何でもいいんだ」


 「落ち着いて、メルル」

 レトが口を挟んだ。

 「『呪い』の正体がわからなくてもそれを解く方法は存在する。メンデス氏がここに来ているのが何のためか忘れたのかい?」

……あ……。

 メルルは口が大きく開いた。

 「術式を解読しての解呪でなく、『呪い』を強制的に引きはがす方法もある。それが『解呪の儀式』だ。私は呪術師だからね。『解呪の儀式』でフロレッタ様の呪いを解くためにここへ来たんだ」

 そうだった。メルルは自分の役割をすっかり忘れていたことに気づいた。ドニーの術式を妨害する者を探し出すのだった。


 「ドニーさん、いじわるです。どうして、それを先に話してくれないんですか?」

 メルルは少しむくれて抗議した。


 ドニーは組んでいた腕をほどきながら笑った。

 「まぁ、話の順番、流れでなんとなく、かな。でも、おかげで状況の整理がついたんじゃないかな?」

 気がつけば口調が最初のようなくだけたものになっていた。

 「たしかにそうですけど……」


 一方で、レトの表情は深刻そうな顔つきに変わっている。


 「どうかしたんですか、レトさん」

 レトの変化に気づいたメルルが尋ねた。レトは「いや……」と口ごもるだけだ。


 「問題は、その『解呪の儀式』を邪魔しようとする者がいることだ」

 これまで黙って話を聞いていたアーネストが声をあげた。いかにも腹立たしい口調だ。


 「私がここに到着して解呪の魔法陣を張り始めたのが先々週。先週にはもう完成というところまでできたのですが、完成直前に何者かに破壊されてしまいました。直せばいいのですが、次も妨害される恐れがあります。実は妨害されることを想定して、この城に常駐する騎士の皆さんに見張りをお願いしていたのですが」

 引き続きドニーが説明したが、こちらは腹立たしいというより少し呆れているようだ。一方で、口調は改まったものに戻っている。


 「魔法陣が破壊されたのは、どの時間帯ですか?」

 レトが尋ねた。

 「夜間です。おそらく真夜中ですね。魔法陣は広大なので、夜間では魔法陣のすべてが見張れるものでもありません。犯人は見張りの隙をついて魔法陣を台無しにしたんです」

 ドニーは丁寧な口調のまま答えたが、呆れている態度がにじみ出ていた。大がかりな魔法陣を構築するのは時間がかかる。せっかくの魔法陣を台無しにされて面白いはずがない。ドニーの態度は当然と言える。


 「予断は禁物とは言いますが……」

 メルルはレトの横顔をうかがいながらつぶやいた。「これって内部の犯行じゃ……」

 「決めつけるのは早い」

 レトはすぐに返した。少し強めの口調だ。

 「す、すみません……」

 メルルは少し小さくなってうなだれた。確信の持てないことをむやみに口にすることをレトは嫌うのだ。


 「そう言いいますが……」

 ドニーはメルルをかばうように口を挟んだ。


 「現場は城内の庭園です。城は外敵を防ぐ高い壁で守られています。夜間、城門は閉ざされますから、外部の人間は簡単に出入りできません。外部の可能性は低いと思うのですが」

 「それは、今後の調査で確認します」

 レトの態度はブレない。ドニーは苦笑を浮かべた。


 「実際、内部の犯行だとすれば、非常に由々しき事態だ」

 アーネストはちらりと扉を見やりながら小声で話した。アーネストは扉口で控えているメイドが気になったらしい。メイドは両手を前で重ねた姿勢で両目を閉じている。


 「フロレッタに呪いがかけられたとき、私は自領にいたので詳細は知らないが、彼女は城から外へ出ていなかったそうだ。つまり、彼女にこんな凶悪な呪いをかけられるのは内部の者ではないか……。私もその疑いを拭い去ることはできない」


 「その点については異論がありますね」

 ドニーはゆっくりとした口調で返した。


 「呪いをかける場合、対象者に直接呪いの呪文をかけるのが一般的。狙いを外す危険が減って確実性が高まりますので。でも、相手が特定の場所にいることがわかっている場合、その場所に狙いを定めて呪いを仕掛けるという手もあります。フロレッタ様の場合、たいていが城内におられることがわかっています。呪う相手からすれば、どんなに離れていても、いや、直接目にしていなくても呪うことは可能でしょうね」


 レトもそれを知っているから内部の犯行だと断定しないのか。メルルはレトの横顔を見ながら考えた。


 「それじゃあ、何もわかっていないのと同じではないか!」

 アーネストは苛立った声をあげた。フロレッタが慌てたように「落ち着いて、叔父さま」とアーネストの肩に手をかけた。


 「だからこそ、僕たちが来ました」

 レトはあくまで冷静な表情だ。「この何もわからない状況を打破するために」


 レトは別に強面ではなく、むしろ優しい顔立ちの若者だ。しかし、アーネストはそんなレトに気圧されたようにたじろいだ表情を見せた。


 「まずは、何からお調べになりますか?」

 フロレッタが話を切り出した。「私に協力できることがあれば何でも言ってください」


 「フロレッタ様。まず首の後ろにある魔法陣を見せていただけますか?」

 レトの要求に、フロレッタの顔が少し赤くなった。「私の……首を……ですか?」

 男性と接する機会が少ない深窓の令嬢に、首とはいえ、自分の肌を見せろと言われればためらうのも無理はない。しかし、レトはそんな反応があることをわかっていたようだ。

 「もちろん、僕は直接見たりしません。メルル、君が首の後ろにある魔法陣を確認するんだ。そして、正確に描き写してほしい」

 まるで応答文句の用意をしていたかのようにメルルへ指示を出した。


 メルルはぴょんとソファから立ち上がった。「りょ、了解です!」


 「では、この会見はお開きですね」

 ドニーも立ち上がり、「私は自室に戻り、解呪の儀式ができる手立てを考えます」と言った。同時に隣のレトに視線を向ける。


 『さて、お手並み拝見といきましょうか、レトの旦那』と、心のなかでつぶやきながら。



6


 フロレッタたちとの会見から少し経って、レトとメルルはドニーが泊っている部屋に集まっていた。少し落ち着いたらここで話し合おうと、ドニーから声をかけられていたのだ。

 ドニーにあてがわれているのはレトたちが泊ることになっているのと同じ構造の客室だった。やたらと広く、ベッドなどの家具も豪華だ。メルルは自分用の部屋に通されたとき、本当にこれが自分ひとりだけ泊る部屋なのかと驚いたものだ。


 「まずは、お嬢ちゃんが描き写した魔法陣を見せてくれないかな?」

 ドニーは右手をひらひらさせながら差し出した。メルルは言われるままに描き写した紙を取り出したが、「ドニーさんはあの呪いの魔法陣を覚えていないんですか?」と尋ねた。


 「最初に一度、確認したきりさ。オレのような下賤の者が、魔法陣を検めたり描き写したりするために貴族女性の肌をさらさせて、いつまでも見るわけにもいかないだろ?」


 ドニーはメルルから紙を受け取りながら答えた。ドニーは客間の中央に置かれた丸テーブルの上に紙を開いて検める。レトもドニーの隣に並んで紙を眺めた。


 「……改めて見て思い出したが、あのとき見たものと同じだな。まったくわからん」

 ドニーは諦めた口調でつぶやくと近くの椅子に腰を下ろした。レトとメルルも同じように椅子に腰かけた。

 「この魔法陣に描かれている術式は完全に暗号化されている。わずかでも読み取れるところが見つからない」

 レトの反応も似たようなものだった。少し悔しそうな表情がのぞいている。


 「ドニーさんのような『呪い』の専門家でも全くわからないほどなのですか?」

 メルルは魔法陣を描き写した紙を見つめながらつぶやいた。

 「それほどの術者がフロレッタさんに呪いをかけたと……」


 「お嬢ちゃん。最初に会ったときも言ったが、オレは魔法使いとしては三流でね。むしろ、レトの旦那のほうが上なんだぜ。オレはなけなしの知識とハッタリでこれまでやってきた男なんだ」


 「それで、よく、こんな商売が続けられますね……」メルルは呆れ顔でツッコむ。

 「まぁ、これまで大きなドジは踏まなかったし、それに、ほかにやれることもないんでね」


 ドニーは手をひらひらと振る。レトはドニーの顔を静かな表情で見つめていた。


 「どうした、レトの旦那?」


 「君の態度には余裕が見られる。それほど困っていないようだ。

 君は、彼女の呪いを解く『あて』が残っているんじゃないか?」


 それを聞いて、ドニーが『にやり』と笑みを浮かべた。

 「さすがだね、レトの旦那」


 「え? 何か手があるんですか?」

 メルルは驚いてドニーとレトの顔を交互に見やった。会見では打つ手なしの雰囲気で話していたのに……。


 「まぁね。オレにはこれが残っているのさ」

 ドニーは自分の懐をまさぐると、そこから光るものを取り出した。

 六角柱の結晶体で、先端が時計塔のように尖っている。水晶のように見えるが、それは完全な透明ではなく、黒い光を放っていた。


 「オレには『解呪の黒水晶』があるのさ」



7


 メルルはまじまじとドニーが手にする結晶体を見つめた。

 黒い水晶は向こう側が見えるほどの透明であるのに、深い黒色という、不思議なものだった。魔法の水晶自体を見たことはなかったが、これまで目にしたもの以上に珍しいものだと思った。


 「君はこれをどこで手に入れた?」

 レトは鋭い声で尋ねた。どこか緊張感が漂っている。


 ドニーは苦笑しながら、もう片方の手をひらひら振った。

 「待った、待った。オレはこれを盗んだりしてないぜ。ただ、訳ありのところから内密で譲り受けたのさ。だから、どうやって手に入れたのか詳しくは教えられない。だが、事実さ」


 「待ってください。これって、そんなに珍しいものなんですか? 簡単には手に入らないものなんですか?」

 メルルが尋ねると、レトはゆっくりとうなずいた。「そうだよ」


 「たしかに安いシロモノじゃない。お嬢ちゃんじゃ一生手に入れられないんじゃないかな」

 「一生って……。それ、いったいいくらになるんです?」


 「そうだねぇ……。実際、市場に出回ってるわけじゃないから、おおよそになるけど、お嬢ちゃんの年収の百倍より安くはならないな」


 ドニーの答えにメルルは自分の指を折りながら計算を始めた。やがて、メルルの口もとが震えてくる。

 「2億リューを下らないんですか!」

 「それが最低価格だね。卸値おろしねと言っていいかもね。

 市場に出たら、もっと高い値になると思う」


 「君はそれを扱うことができるのか?」

 レトの口調は厳しいままだ。ドニーは黒水晶をそっとテーブルに載せた。


 「こいつは普通の水晶に解呪の術式を長い年月をかけて吸収させたものだ。おかげで水晶はこんなに黒く変色した。こいつが黒いのはそれだけ魔力が込められているってわけさ。

 つまり、こいつを発動させれば、どんなヘボ呪術師でも解呪の儀式が行えるわけなんだ。ただし、発動にいくらか制約や条件はあるんだがね」


 「君は初めからこれを使うつもりだったのか」


 「初めから、ではない。でも、状況がどうにもならないようなら使うつもりだった。確実で、安全な方法だからね」


 メルルはまだ動揺が収まっていなかった。「でも、でも、いえ、それじゃ、フロレッタさんは2億以上のお金をかけて解呪の儀式を依頼したのですか?」


 「いいや」

 ドニーはあっさり否定した。

 「そりゃあ、呪いを解くためなら金に糸目は付けない者はいるだろうがね。だが、今回の依頼料は、こいつの10分の1程度のものさ」

 ドニーの言うとおりなら、実際の依頼料は2千万リューあたりということか。決して安い額ではないが……。


 「それじゃあ、大赤字になりますよ」

 メルルの表情が心配顔に変わる。解呪の儀式を商売と言いながら、利益がまったくないではないか。


 「それは誤解だ。オレはこれを金で仕入れたわけじゃない。さっきも言ったとおり譲ってもらったものなんだ。

 たしかに、これをどこかに売っちまえば、2億リューぐらいの金が手に入るだろう。でも、それだけさ。それっきりほかには何も得られない。一瞬だけの高額収入ってわけさ。そもそも、これを簡単に売りさばいたりしないことを条件に譲ってもらった物だ。決して売ったりはしないよ。まぁ、こんな珍品、市場に出したら相手にすぐバレてしまうしね。

 それに、これを使ってお貴族様に恩を売ることができればどうなる?

 今回の案件をオレが鮮やかに片づけたら、『呪術師ドニー・メンデス』の名声はどんどん高まる。呪いに悩まされているのは多いからな。知名度があがれば、あちこちから依頼が舞い込むようになるぜ。そうなれば2億リューどころか、もっと高額の収入が得られるようになる。こうして得られる報酬は数億、いや、何十億にもなるな。そうなりゃ、2億リューなんて『はした金』だと思えるようになるさ」

 とんでもないことを言う。メルルは目を白黒させた。商売人には『損して得取れ』の考え方をする者がいると聞いたことがある。ドニーの思考は完全にそれだ。


 「ドニーさんは呪術師より、商人のほうが向いてると思います」

 ……それにそっちのほうが健全だろうし。


 メルルは苦い表情で言った。


 レトは黒水晶を手に取ると透かして見たり、いろいろな角度から観察したりしている。レトの肩にのっているアルキオネも興味深げにのぞいていた。


 「ドニー。たしかに、これはとてつもない魔力を秘めているようだ。これをどう使って儀式を行なうんだ? 魔法陣の修復はすぐできるのか?」


 「レトの旦那も興味津々だねぇ。

 中庭の魔法陣は修復しない。いや、修復する『ふり』はするさ。敵の目をそちらに向けさせて、こちらは本命の魔法陣を構築するつもりさ」

 「本命の魔法陣? どこに造るんだ?」

 「ま、本当であれば内緒にするものだが、少しぐらいなら教えてもいいか。この城全体を魔法陣に変えちまうつもりさ」

 「この城を魔法陣に?」

 レトだけでなく、メルルも声をあげた。


 「お嬢ちゃん。術式の象徴効果ってのを知っているかい?」


 メルルはうなずいた。

 「知っています。魔法陣を構築する言語の代わりに、身近にある物を流用することで術式の効果を発現させることです」

 このことは別の事件で覚えている。


 「正解」ドニーは嬉しそうな笑顔を見せた。

 「もともと文字というのは、身の回りの物をかたどったものなんだ。

 たとえば『アー』は『牛』の顔をさかさまにした形が文字になっている。

 同じように『ドー』は『扉』、『イーシュ』は『塀』、『カプル』は『手』をもとに文字となった。

 術式はこれらの文字を使って構成されるから、扉や牛の頭を魔法陣に置いて、『D』や『A』として扱うことが可能になるのさ。まぁ、『オー』の『洞穴、坑道』みたいに身の回りに無いものもあるから、文字を使わないで新しい術式の構文を造るのは手間なんだけどね。

 オレは魔法陣の材料を城のあちこちにばらまいて、文字や円陣のない魔法陣を造るつもりだ」


 「……たしかに、窓ぎわに何か物が置かれていても、魔法陣を構成する一部だとわからなければ魔法陣を構築しているなんてバレない……か」

 レトは黒水晶をテーブルに戻しながらつぶやいた。

 「基礎となる魔法陣は、それで造ることができそうだ。でも、核となる部分はどうしても円陣を描いた魔法陣が必要になるよ。それが大皿一枚分の大きさですむとしても。象徴効果だけじゃ正確な魔法陣は構築しきれないからね。それに、妨害者に見つからないで準備するのは難しいんじゃないか?」


 「それな」

 ドニーはレトに人差し指を向けた。

 「そいつが最後の難関なんだ、実のところ。

 それを思いつかないかぎり、儀式の準備は完成しない」


 「核となる魔法陣を完成させたら、この水晶で儀式が行えるんですか?」

 メルルはテーブルの黒水晶を指さした。黒水晶は澄んだ輝きをたたえている。


 「魔法陣の核の部分にフロレッタお嬢さんをお連れして、核の中心にこいつを据える。

 そして、『解呪魔法ブルカーズ』とひと言唱えるだけで完了だ。あとは黒水晶に込められた魔力と魔法陣の術式が、対象者にとりついた呪いを引き剝がす」

 「引き剥がされた呪いは?」レトが質問した。


 「引き剥がされた呪いは本来、別の人間に憑りつくものだが、黒水晶は引き剥がした呪いを自分のなかに吸収する。そして、無害な存在に結晶化させて、自ら粉々に砕け散る」


 メルルは息をのんだ。「え? それじゃあ……」


 「そ。このアイテムは1度きりしか使えない」

 ドニーは、なぜか面白そうな顔で答えた。


 「1度きりしか使えないアイテムだから、自分の名声をあげられる案件に使うってことか」

 レトはやれやれというように首を振った。「たくましい考え方をする」


 「そんなに褒めるなよ、レトの旦那」

 「褒めてない」

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