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黒水晶は紅(くれない)の涙を流す 12

65


 城の正門では格子扉が降ろされ、固く閉ざされていた。

 格子扉の向こう側には何人もの村人が扉にとりつき、なかには口々に喚き声をあげながら格子に腕をつっこんでいる者の姿もある。


 「何なのだ、一体!」

 様子を見たクルトの第一声はそれだった。


 「あ、隊長」

 槍を手にしたペインが困惑の表情のままクルトに顔を向けた。

 「村人たちがオブライエン候を出せと騒いでおりまして……」


 クルトは背後に控えているアッシュに目を向けた。「それは彼から聞いた」


 クルトは格子扉に近づくと、押し寄せた村人の顔を順に眺めた。彼にとっては馴染みの顔ぶれだ。彼は顔をしかめた。

 「誰か説明してくれないか?

 いったい、なぜ、こんなことをしている?」


 「こんなこと?」

 ひとりが大声をあげた。「説明してほしいのはこっちのほうだ!」


 「だから、何をだ。なぜ、オブライエン候を呼び出そうとする?」


 「教えておくれよ、ヒューズ隊長」

 クルトに声をかけたのは食堂のおかみ、マッタだ。


 「姫様は呪われているのかい? 城で良くないことが起こったのはそのせいなのかい?」


 マッタの問いに、クルトの顔色が変わった。「いったい、誰からそんなことを聞いた!」


 「教えろ、隊長。本当はどうなんだ?」

 かぶせるように声をあげたのはレギストだ。彼は大きな斧を手にしている。まるで、この格子扉を叩き割るつもりのようだ。


 「レギスト、お前まで!」

 クルトは苦々しそうな表情だ。

 クルト、アッシュに続いて正門にやってきたレトとメルルは門のやりとりを見守るしかできなかった。アルキオネはレトの肩にとまっていたが、こちらは関心がなさそうにそっぽを向いている。


 「隠したって無駄だぞ。俺たちは城勤めの女から聞いたんだ!」

 別のひとりが大声で叫ぶ。


――城勤めの女?


 メルルはレトの顔を見上げた。レトはこの言葉に眉をひそめていた。「シャーリーだ」


 「シャーリーさん?」

 メルルはシャーリーの顔を思い出した。いつも何か不平不満を抱えているような不機嫌な様子で、表情が冷たい印象だった。勤務態度もどこかそっけなく、仕事に対する誠意があまり感じられなかった。

 たしか、ドニーの遺体の第一発見者だった。


 「おい、シャーリーは今どこだ?」

 クルトはアッシュに怒りの表情を向けて尋ねた。アッシュは少し縮こまって、「さぁ……」と返すのがやっとの様子だ。


 しかし、まるでこのときを計っていたようにロッタが姿を現した。ロッタは慌てた表情でレトたちのかたわらを駆け抜けると、アッシュの腕にすがりついた。

 「あ、あの、シャーリーを見かけませんでしたでしょうか?」


 「い、いや、ここには来ていないが……」

 アッシュはクルトとロッタを交互に見やりながら答えた。


 「シャーリーがどうしたと言うんだ!

 こっちは、そのシャーリーのせいでとんだ迷惑を被っているところだ!」

 クルトがイライラした様子でロッタを怒鳴りつけた。クルトも『城勤めの女』がシャーリーだとわかったようだ。


 クルトの剣幕にロッタは怯えた表情を見せたが、その表情のまま「実は、あの子が出奔したようなのです」と答えた。


 「出奔?」

 これにはメルルも驚いて声をあげてしまった。


 「今朝の『あのできごと』があって、部屋にこもったきり出てくる様子がなかったんです。今日の勤めが無理なのか確認しようと部屋をのぞいたら姿がなかったんです。

 それどころか、あの子の身の回りの物もなくなっていて……」

 それが事実なら、シャーリーが城から逃げ出したのは確かなようだ。


 「皆さんは、今朝、城から離れるシャーリーさんに出会ったんですね?」

 レトは格子扉に近づいて村人たちに尋ねた。レトの問いに、何人かの頭がうなずいた。

 「荷物を背負って走っていたよ。わけを聞いたら姫様にかけられた呪いのせいで人殺しがあった、て。

 巻き添えに遭いたくないから城勤めを辞めるってよ」

 ひとりの男が代表するように答えた。


 「シャーリーさんは今どこへ?

 どこへ行くか話してましたか?」


 「さぁな。でも、今朝の駅馬車に乗って、行ってしまったよ。

 ここの駅馬車はアルデミオンまでしか通っていないから、たぶんそこだろうな」


 村のはずれに駅馬車の停留所がある。レトとメルルも駅馬車で村までやってきたときに降りた場所だ。アルデミオン行きは朝と昼の2便しかない。シャーリーは朝の便に乗って、城はおろか、このマイエスタそのものから去ってしまったのだ。


 「裏門から逃げやがったな!」

 クルトが吠えた。「おい、誰かシャーリーをひっ捕らえろ。今すぐにだ!」

 アッシュはまるで自分が叱られたような顔で「き、騎馬隊に話してみます」と言うが早いか、一目散に逃げるように走り出した。


 「おい、逃げたメイドのことなんかどうでもいい。

 いったい、どうなっているんだ!」


 「どうでもいいことあるか!

 それに、あんたたちもあんたたちだ。

 なぜ、メイドのたわ言にみんな、こうも騒いでいるんだ!」


 「今朝、魔犬が村に現れたんだよ! 村に入り込んできたんだ!」

 マッタが格子を両手でつかみながら訴えた。「何十年も暮らしてきて、こんなこと初めてだよ!」


 「ライラプスが村に出たのか?」

 マッタの言葉に、クルトが険しい表情を浮かべた。「村のどこにだ?」


 「中央の井戸のそばだよ。

 水を汲みに行った者が出くわしたんだ。

 そいつの叫び声で驚いたのか、魔犬は逃げ去ってしまったんだけどね……」


 「魔犬どもはめったに人里までやってこない。

 あいつらは人間を獲物と思っちゃいないんだ。人間の肉が旨くないことを知っているから。

 この村には運搬用の牛が数頭、馬が数頭いるだけで、やつらの狩り場としては不足の場所だ。だから、これまで安全だった。

 それなのに、やつらはまるでここを襲うつもりかのようにうろつき出している。

 それは、姫様にかけられた呪いと関係があるんだろ?」


 「姫様にかけられた呪いは魔犬を呼び寄せるものではない!」

 クルトは否定したが、その言葉は逆効果だった。


 「やっぱり姫様は呪われているんだ」

 「シャーリーの言ったことは本当だった……」

 村人たちは口々に言い合ってうなずきあっている。その様子を見て、クルトは自分の失言に気がついた。クルトの表情が苦しそうに歪む。


 「現れた魔犬は、その一頭だけですか?」

 レトはさらに質問を続けた。それを耳にすると、クルトは「おいこら」と言いながらレトの肩に手をかけようとした。


 「見たよ、ほかにも」

 集団の奥から声が聞こえ、がっしりした体格の男が現れた。メルルはその男に見覚えがあった。

 ポッチを探しに出かけた朝、伐採所へ向かうために仲間と待ち合わせていた木こりのひとりだ。

 「伐採所に向かうための荷台に乗っていやがった。おかげで今朝は作業に出られなかったんだ」

 「私は家の裏手さ」

 ひとりの女性の声も飛んできた。

 「外を歩いているのを窓から見たんだ。ほんと、肝を冷やしたよ」


 それからは「こっちでも見た」「あそこで見た」の大合唱だ。村人たちは口々に騒ぎ立てる。

 クルトはうるさそうに顔を歪ませていた。メルルも耳をふさぎたいと思うほどのやかましさだ。


 「侯爵は姫様の後見人で、ここの責任を負ってるんだろ?

 はやくここに来て、この状況を何とかしてくれ!」


……それは無理だろう……。


 メルルは暗い気持ちで思った。

 アッシュがこの状況を報告したとき、アーネストは「早く村人どもを追い返せ」と命じるのみだった。村人たちが何を訴えに来ているのか知ろうとすらしない。事態を知ったところで具体的に何か指示をすることもないだろう。


 それはやはり……、


 先日、メルルが盗み聞きしてしまったアーネストとフロレッタのやりとりも無関係ではないはずだ。

 アーネストはすでにこの土地を見限り、領民を見捨てている。遠くない未来、彼はレドメイン・ノーズ家の全財産を自分の領地に移し、ここから立ち去るだろう。


 メルルは息が苦しくなった。自分はどう行動すればいいのだろう?

 無関係を決め込んで目と耳をふさげばいいのか? そんなことしたくない。しかし、メルルはこの土地の者ではない。事件を除けば、彼女は部外者でしかないのだ。

 アーネストに掛け合ってみる? 部外者でしかないメルルの話など、あのアーネストが耳を傾けるはずがない。

 この城から飛び出して村人たちとともに抗議活動に参加する? このことで見て見ぬふりのできない気持ちは満たされるだろう。しかし、問題の解決にはまるで結びつかない。


 自分の無力感に打ちひしがれ、メルルがうなだれたときだった。

 メルルのかたわらをひとつの影がすっと通り過ぎた。

 驚いて顔をあげると、黒いローブに全身を隠した人物が正門に向かって歩いているところだった。そのローブはさっき応接間で目にしている。


――まさか、フロレッタさん?――


 その人物はまさにフロレッタだった。

 フロレッタは正門に立つと、「皆さん」と村人に呼びかけた。



66


 フロレッタの登場に、誰もが沈黙してしまった。

 村人たちも、さきほどまでいきり立っていたクルトさえも。

 村人のある者は振り上げたこぶしをあげたまま硬直している。


 実際、フロレッタの登場は唐突で異様だった。

 ローブの陰からのぞくのが包帯しかないことも、その異様さを際立たせた。


 「皆さん」

 ふたたびフロレッタは村人たちに声をかけた。

 「私はフロレッタです」


 「ひ、姫様!」村人のひとりが驚愕した声をあげた。

 さすがに、目の前に立つローブ姿の人物がフロレッタだとは思えなかったのだ。

 ほんのひととき静かになっていた正門は、この声をきっかけにふたたび騒然となった。誰もが格子扉にとりついてフロレッタの姿を見ようと押し合いへし合いを始めている。


 「あ、あれが姫様?」

 「何なんだ、あの恰好は!」


 村人たちは動揺の表情をあらわに、口々に騒ぎだした。

 クルトはこの騒々しさに顔をしかめながら、「こら、騒ぐな! おい、こら!」と、大声で叫んだが、その声は周囲の喧騒にかき消されてしまった。


 「皆さん、聞いていただけますか?」

 フロレッタは頭を覆うローブを下ろしながら声をあげた。クルトよりもはるかに小さい声だったが、奇跡のように村人たちは静まった。誰もがかたずをのんでフロレッタを見つめている。


 フロレッタは自分の左腕を水平に伸ばすと、右手で包帯をほどき始めた。その様子を見て、メルルの顔色が変わる。


――そんなことをしたら!


 冬の空は厚い雲に覆われ、太陽の姿は見えない。しかし、夜のように闇ではない。ここで肌をさらすことは、晴れでなくとも陽の光を浴びることになるのだ。


 フロレッタはすっかり包帯をはずすと、さらに高く左手を持ち上げた。


 「ご覧ください」


 フロレッタの肌はもともとは雪のように白いものだっただろう。しかし、今は腕の大部分が赤く焼けただれたような色に変わってしまっている。わずかに白い部分が見えていたが、この曇り空の下でも雲を透かして注がれる陽の光を浴びてみるみる赤く変色を始めていた。

 村人たちの常識では理解できない現象を目の当たりにして、彼らは一様に息をのんだ。


 「私を苛む呪いの姿です。私の肌は陽の光を浴びると、このように焼けただれたようになってしまうのです」

 フロレッタの声はわずかだが震えていた。


 「……呪いの話は本当だったんだ……」

 村人のひとりがつぶやいた。


 「ええ、本当です」

 フロレッタはうなずいた。

 「そして、私にかけられた呪いが魔犬たちを呼び寄せているかもしれません」


 村人たちからどよめきがあがった。


 「皆さんにご迷惑をおかけして申し訳ありません。

 ですが、皆さん。落ち着いて聞いてください。

 私は今、この呪いと戦っています。

 必ず、この呪いに打ち勝つつもりです。

 そうなれば、魔犬たちも人里から離れていくでしょう。

 あとしばらくお時間をください」


 「時間をくれって、どのくらいだよ」

 村人たちから低い声が飛んできた。不信感の感情がたっぷりと含まれた声だ。


 「そ、それに、呪いが解けなかったらどうなるんだ?

 けっきょく、俺たちは魔犬に喰われてしまうんじゃないのか?」

 さらに不安な声も聞こえてくる。

 村人たちはふたたび騒ぎ出し始めた。


 「そうなれば私が死ぬだけです!」


 フロレッタは声を張り上げた。フロレッタにこんな大きな声が出るのかと思えるほどの大きな声だ。これには村人たちも沈黙してしまった。


 「そう、私が死ぬだけなのです。この呪いに殺されて」

 今度の声はいつもの大きさに戻っていた。落ち着いた、静かな声だ。


 「私が死ねば呪いの力も消え去るでしょう。

 皆さんの脅威も心配もなくなります。

 もし、時間をいただけないのであれば、皆さんで私を殺してください。

 私はそのためにこの門を開けましょう」


 「な、何を……!」クルトは蒼ざめた。

 ひとり門を守っているペインが緊張した面持ちで槍を持ち換える。威嚇ではなく、戦闘に備えようとしているのだ。


 格子扉をはさんで緊張した時間が流れる。


 フロレッタの問いに、すぐ答える者はいなかった。

 村人たちは気まずそうな顔で互いを見やるばかりだ。

 殺気立って正門へ迫っていたのに、フロレッタの気迫に圧倒されてしまったようだ。


 「フロレッタさん、もういいです!」

 メルルは我慢できなくなってフロレッタへ駆け寄った。

 フロレッタの手から包帯を取ると、フロレッタの左腕に巻き始める。彼女の左腕はこのわずかな時間に、さらに赤く腫れあがっていた。ところどころ皮膚が破れ、血の滲みだしたところも見える。


 すっかり包帯を巻き直すと、メルルは深い息をはいた。「痛みますか?」


 「いいえ、ありがとうございます……」

 フロレッタの震える声に、メルルは思わず彼女の顔を見上げた。

 フロレッタの顔は包帯で見えないままだったが、少し滲んだものが見える。


――泣いている……!


 涙が包帯から滲んでいたのだ。


 皮膚が焼けるような痛み。

 心を引き裂く理不尽な非難。


 フロレッタはこれらを一身に受け、ここに立っているのだ。

 誰も想像しえないような苦しみに耐えながら。

 それでも、醜くただれた肌を衆目にさらし、さらに恥辱を味わうことになっても、この状況を収めようとしている。


 フロレッタは『覚悟のひと』だ。

 メルルはそう思って泣きそうになった。

 そもそもフロレッタに何か罪があったわけでもない。彼女が呪われたのは、ただ彼女がレドメイン・ノーズ家の者だからにすぎない。


 「でもよう……。あの女中は呪術師が殺されたって言ってたぜ。

 それじゃ、姫様の呪いを解く者はいないってことじゃねぇか?

 誰か、代わりの者がすぐ来るって話はあるのかよ……?」

 村人の男が弱々しい声を出した。

 それは、今のフロレッタでは呪いに打ち勝てないという疑念を意味していた。

 さらに、彼の言葉はこう続いているも同じだった。


――だったら、フロレッタにはすぐ死んでもらうしかない……。

 フロレッタにかけられた呪いが村に災いを招かないように。

 もうこれ以上、村人から不幸にまみれる者を出さないように。


 フロレッタひとりを犠牲にして……。


 だめだ、だめだ、だめだ、だめだ。そんなことさせたりしない!


 メルルは正門に顔を向けた。彼女の目には怒りの光が宿っていた。その目を見て、一番近い場所にいた村人たちはたじろいだ。

 メルルは口を開きかけたが、ぐっと閉じた。視線をフロレッタの腕に移すと、右手をかざす。

 「回復魔法ヒーリング

 メルルの右手がぼうっと光り、包帯で巻かれたフロレッタの左腕を優しく照らした。

 「太陽の光じゃないですから肌に害はないと思います」

 メルルは魔法をかけながら説明した。フロレッタは黙って小さくうなずく。

 フロレッタの肌を傷つけているのは病気ではなく呪いによるものだ。メルルの回復魔法にどこまで効果があるのかわからない。

 それでも、フロレッタはメルルに「ありがとうございます。楽になってきました」と礼を言った。


 「こんなことで役に立てるのであれば……」

 メルルは悔しい気持ちを押し殺しながらつぶやいた。今の自分にはこんなことしかできないのか!


 メルルがフロレッタに魔法をかけているあいだ、レトは黙って立ち続けていた。表情は険しく、レトもまた何らかの感情を押し殺しているようだった。

 やがて、ふたたび正門の正面に立って村人たちと対峙した。


 「皆さん。フロレッタさんのお考えはお聞きした通りです。

 今度は皆さんのお考えをお聞かせいただけますか?

 今から門を開きます。

 そのとき、皆さんがどう行動するか示してください」


 レトの言葉にクルトは顔を真っ赤にさせた。

 「ふざけたことを言うな!

 この門は絶対開けさせぬぞ。無理やり開けようとするならお前を斬る!」

 クルトは剣を抜き放って大声をあげた。それを見て、村人たちがどよめきながら後ずさる。

 「僕は彼女の覚悟に報いたいだけです」

 レトは静かな声で言った。


 「ば、バカ野郎!

 お前の仕事は呪術師を殺したやつを探し出すことだろう!

 こんなもめ事に首を突っ込む道理はないだろうが!」


 「そのとおりですね。おっしゃる通りです」

 レトはクルトに視線を移した。

 「僕は一刻も早く犯人を捕まえて、フロレッタさんの解呪の儀式を安全に行えるようにしたいです。フロレッタさんの死を願ってなどいません。

 ですが、こうもフロレッタさんを責める人間が多くては仕事も進められません。

 それならいっそ、早くて簡潔な解決を選んでもいいじゃないですか。

 どうです、皆さん?」

 レトの最後の言葉は村人たちに向けられていた。レトの厳しい視線と目が合った者は、一様にうつむいてしまった。やがて、ひとり、またひとりと門の前から村人の姿が消えはじめた。どうもレトに気圧されて、門に詰め寄ったときの熱が引いてしまったようだ。


 いつしか、門の前には誰の姿もなくなってしまった。


 「メルル、フロレッタさんの容体はどうだい?」

 レトはメルルに話しかけた。さきほどまでの険しさは消え失せ、声も優しいものになっている。


 「正直わかりません。ですが、この包帯をほどくわけにいかないので……」

 メルルの声は自信なさげだ。


 さっきまで顔を赤くしてレトに怒鳴りつけていたクルトだったが、今はその怒りも鎮まったようで、レトへ向けている目に怒りの感情は浮かんでいなかった。抜いていた剣もいつの間にか鞘に納めている。


 「お前、わざと村人に答えを迫ったのか?」


 クルトの声は静かだった。声にも怒りの感情は見られない。「いくら場を収めるためでも、あんな方法しかなかったのか?」


 どうやらクルトにはレトの意図がわかったようだ。ただ、釈然としていないようでもある。


 「さっき言った通りです」

 逆にレトの声は低く、かすかに怒りを感じさせるものだった。

 「さっきの発言は、フロレッタさんの覚悟に報いるためです。

 それに、早く、簡潔な方法だったでしょ?

 収拾のつかなかったあの混沌を収めるには」


 クルトは顔をしかめた。「むちゃくちゃだ、お前」



67


 「さっき、ほんと何言ってるんだと思いました」

 中庭を歩きながらメルルはレトに話しかけた。


 あれから、レトとメルルはフロレッタたちと別れて捜査に戻ることにした。

 フロレッタはロッタに連れられて城へ戻っていった。正門では気丈なふるまいを見せていたが、実際はかなり苦しかったらしく、村人たちがすべて立ち去ったことを知ると、フロレッタはその場にへたりこんでしまった。ロッタは苦労して彼女を助け起こし、クルトとともに城内へ帰っていったのである。


 「何言ってるって?」

 レトはとぼけた様子で聞き返す。

 「門を開けるって言ったことです。

 話の流れでは、それってフロレッタさんを殺すことになるんですよ」


 「それこそ『何を言ってる』だ。君だって僕が本気でそう考えてないってわかっていただろ?

 だからこそ、あの場で君は何も言わなかった」

 「ようやくレトさんの腹黒さがわかってきたからです」

 「わかったにもかかわらず非難するんだ」

 「あの場を争いもなく収めるのに、レトさんのあの発言が効果的だったことは認めます。

 それでも、やはり適切な態度とか言葉ってあると思うんです」

 「正直、あのときの僕はどうかしていた」

 レトは告白するように言った。

 「あのとき、僕は本気で腹を立てていた。

 誰も彼も自分の都合の話ばかりする。オブライエン候も村人も。

 誰もフロレッタさんの苦しみを理解しようともしていない。今、一番過酷な状況にあるのは彼女なんだよ。

 それなのに、彼女は自分の呪われた身体を衆目にさらしてでも混乱した場を収めようとした。こういうときこそ後見人のオブライエン候が前に出て行動するべきだったのに。

 村人は村人で彼女の覚悟の告白に、まるで何も感じていないようだった」


 「それは少し違うと思います」メルルは反論した。


 「村人の皆さんは今とっても不安な状態です。

 いつ、魔犬に襲われるかわからないんですから。

 とてもフロレッタさんの事情まで心を巡らせる余裕なんてなかったんです」


 「そうかもしれない。いや、そうなんだろう。

 でも、それだからこそ気づいてあげて欲しかった。

 同じ苦しみでないにせよ、つらい状況にいる者同士がわかりあい、共感することができれば、多少なりとも苦しい思いは互いに和らぐはずだから。

 少なくとも、フロレッタさんは村人たちに思いを砕いていた。だからこそのあの行動だったんだから」


 「レトさんはそんなフロレッタさんの真意を計ろうとしない、すべてのひとに腹が立ったんですね」


 「彼女が背負っているのは僕たちでは計り知れない規模の苦痛だ。

 そして、自分が呪われているという事実は心にも大きな苦しみをもたらしただろう。

 僕にできるのは、彼女が苦しんでいることを理解する程度だ。苦痛そのものをわかってあげることは難しい。

 そういう意味では、その程度でしかない僕自身にも腹を立てていたのかもしれない」


 珍しく見せたレトの怒りは自分にも向けられたものだったか……。


 メルルはレトの顔を見上げながら思った。村人に向けて放たれた、やや侮蔑的で挑戦的な発言は自分自身にも向けられた言葉でもあったのだ。


 「だからかもしれない」

 レトは歩きながら続けた。「今、僕は捜査を急がなければと焦っている」


 「え? それはどういう……」

 メルルは思わず聞き返した。


 「根拠としては弱い。でも、ドニーを殺した犯人を早く見つけ出さなければ、フロレッタさんにかけられた呪いを解くところまで時間が割けなくなるのはたしかだ。

 ライラプスの動きも気になる。もし、村人たちが心配しているとおり、魔犬たちが呪いの魔力に魅かれて集まってきているのであれば、近いうちに村人から犠牲者を出すかもしれない。

 門では事態を収めるためにあんな態度をとったが、実のところ放っておけない話だと思っていた」

 レトの額には汗の粒が浮かんでいる。メルルはそれを見てレトが焦燥感に駆られていることを理解した。

 同時に、


……ああ、このことだったんだ……。


 ドニーが言ったことを思い出した。

 ドニーは、呪いの影響を知ったレトが無理を押してでも捜査を急ぐだろうと口にしていたのだ。

 見た目ではレトのケガの状況はわからない。早足で歩く姿は完全に回復したようにさえ思える。しかし、今朝は起き上がるのもつらそうな様子だったのだ。今、レトが元気に見えるのは、単なる強がりか、あるいは気が張って自分の体調まで気が回らなくなっているせいかもしれない。

 どちらにせよ、今のレトは自分の命を削って動いているのだ。

 ドニーの心配したことが現実になっている。


……だから、あのとき私たちはレトさんに呪いがライラプスに影響している可能性のことは話さなかったんだ。レトさんに無理をさせないように。


 少し休むよう話してみる? レトは受け入れないだろう。レトはすでに呪いと魔犬の関係に疑いをもっている。休んでなどいられないと答えるに違いない。

 それに、しなければならないのはドニーを殺した犯人を捜すだけではない。


 行方の知れない黒水晶を探すこと。

 これも急務のものだ。


 魔犬たちがいつ、城や村を襲うかわからない。だが、これはのんびり構えられるものではない。

 いつ来るかわからない『そのとき』までに、2つもの難問を解決しなければならないのだ。それが自分ひとりでできることか自信がもてない。


……私は卑怯だ。レトさんの心配をしておきながら、レトさんに頼りたいと考えている……。

 思わず涙がこぼれそうになる。


 「どうした?」

 気づけばレトが立ち止まってメルルを見つめていた。自分の感情が顔に出ていたらしい。メルルは慌ててこぶしで涙をぬぐった。


 「い、いえ何でもありません!

 と、とにかく急ぎましょう!」


 メルルは先に立つように歩き出した。レトはメルルの背中を静かに見つめていたが、口を固く結ぶとメルルの後を追うように歩き始めた。

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