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黒水晶は紅(くれない)の涙を流す 11

61


 城は空から見ると正四角形の形状をしている。中心が庭園になっており、ここに例の魔法陣が描かれていた。ただ、正四角形といっても中庭には小さな丘があったり、林のように樹々が生えていたりして、低階層からでは庭の全体像がわかりにくい構造になっていた。

 レトやメルルが泊っている部屋は中庭は見えるが魔法陣は見ることができない。窓は中庭側にあるが、ちょうど魔法陣が描かれているあたりは林にさえぎられていたのだ。

 メルルにとって、城の構造は独特だった。

 レトたちが泊っている部屋は中庭に面しており、向かいの兵舎棟も同様だ。

 しかし、両側に面する棟はそれぞれ外に面するように部屋が並んでおり、庭に面しているのは回廊の窓である。

 正四角形であるのだから、普通に歩けばその階層を一周できると考えられたが、実際は途中で壁にさえぎられ、わざわざ別の階に昇り降りしなければ先へ進めない。


 「万が一、敵に侵入されたとき、敵が領主のいる最上階へ容易くいけなくするためだね」

 レトが城の構造を説明してくれた。

 メルルは、この城が当時、戦争の最前線に建っていたことを改めて知った気持ちになった。


 「まぁ、おかげで向かいの兵舎棟に行くにも、階段の昇り降りが必要になるわけだけど」

 レトは肩にとまったアルキオネに話しかけるようにつけ加えた。メルルはアルキオネの肩越しであるレトの右側を歩いていたのだ。


 レトの足取りはかなりしっかりしている。さっき、部屋で椅子に座っている間にだいぶ休めたらしい。あるいは、例の左手の力か。ここは魔素の濃いところだ。魔族の左手が魔素を吸収して、レトの体力を回復させたのかもしれない。


 アルキオネはレトと仲直りをしたことで、完全にレトにべったりだ。メルルがレトの左側を歩いているとレトの左肩へ、右側を歩くと右肩へととまり、レトとまともに顔を合わせられないようにしている。

 これまでもアルキオネからこんな嫌がらせのような行動を見せられてきたので、ようやくアルキオネらしくなったと、メルルは心のなかでため息をついた。


 兵舎棟に入ると、廊下が思っていた以上に殺風景だと感じられた。華美な装飾はもちろん、単純な模様すら見られない。徹底的に機能面のみが表に現れている。


 兵たちが寝泊まりする部屋はどれも小さいらしく、小さな扉がずらりと並んでいた。部屋の間隔が狭いのだ。


 「兵士たちの休む部屋だが、ここにアッシュとペインの部屋はないよ」

 「どうしてです?」

 「彼らは門衛だからね。彼らが寝起きする部屋は正門の脇にある」

 メルルは記憶を巡らせて、門の脇に小屋らしいものがあったことを思い出した。彼らの部屋はそこにあるのだろう。


 「じゃあ、ここは主に騎馬隊の方がたがいるんですね?」

 「そうだよ」

 レトは一番手前の扉を叩いた。扉には銅製のプレートが鋲で留められており、『01』と部屋番号が書かれている。


 ひと呼吸する間もなく扉が開かれ、なかから若い男が顔を見せた。まるで訪れるのを待ち構えていたかのような早さだ。


 「えっと、誰?」


 男は驚いた表情でレトとメルルの顔を交互に見やった。どうやら、部屋を出ようとしたところに出くわしたらしい。


 「メリヴェール王立探偵事務所の者です」

 メルルが頭を下げながら言うと、男はそれですべてを理解したようだった。「ああ」と口のなかでつぶやくような声を出している。

 「伝達があった。聞いている」

 男はしっかりした口調だった。


 「恐れ入ります。僕はレト・カーペンターと申します。

 今回、ドニー・メンデス殺害事件の捜査でうかがいました。お話しを聞かせていただいても?」

 レトは部屋の奥にちらりと視線を送りながら尋ねた。

 男はうなずくと大きく扉を開いた。「ああ、いいよ。入ってくれ」


 レトに続いてメルルも部屋に入ったが、思っていた以上に狭かった。自分たちが泊っていた部屋の半分どころか3割程度の広さしかない。

 部屋の両側に高床式のベッドがあり、ベッドの下にクローゼットや机が設えてあった。どうも二人部屋のようだ。机にはお互い背を向けて座る形になるが、椅子を少し後ろにずらしただけで背中合わせの相手にぶつかりそうに思えた。そう思えるほど狭い。


 窓は入った部屋の正面にひとつあるだけだ。明かりが入ればいいというのか、それほど大きな窓ではなく、その大きさに似合わない頑丈そうな鎧戸が取り付けられていた。この部屋では鎧戸が半分以上開けられ、中庭から差し込む白い光が部屋を明るくしている。


 「今、あなたおひとりですか?」

 レトは部屋を見渡しながら尋ねた。ベッドはメルルの頭より高い位置にあるが、どちらのベッドにも誰かが寝ている気配が感じられない。


 「エドウィンは……、同室の同僚だが、彼は顔を洗いに行っている。ここは3階だが、同じ階に水道が通っているんだ。おかげで便所も水洗さ。すごいだろ?」


 メルルは「へー」とつぶやいた。はるか昔の話だが、この国が疫病に襲われたとき、衛生環境を整える動きが広がった。

 上下水道が整備され、都会では井戸から水を汲まなくても水を利用できるようになった。しかし、その動きが始まって数百年経った今でも井戸が不可欠な街や村は存在するし、水道がまるで整備されていないところも多い。

 この若い男が自慢するように、水道の整備された城は珍しいのではないか。しばらくこの城で過ごしているのにまるで気づいていなかった。

 メルルは自分の『おめでたさ』にあらためて気づかされた気持ちになった。


 「同室の方はエドウィンさんとおっしゃるのですね。では、あなたは?」

 レトは質問を続けている。


 「ああ、俺か。俺はエルメルだ。マイエスタ騎士団、騎馬隊所属だ」


 「日ごろ、領内を馬で巡回する仕事ですね?」

 メルルが尋ねた。


 「そうだ。ちなみにエドウィンも同じ騎馬隊だし、この階にいる仲間はみんな騎馬隊員だよ」

 エルメルがそう話しているうちにエドウィンが戻ってきた。エルメルと同じ年代と思われる若い男で、エルメルよりも背が高かった。


 エドウィンはレトたちに不思議そうな表情を見せたが、エルメルから説明を受けると、エルメルと同じように「ああ」とわかったような声を出した。


 「おふたりとも昨夜はずっとここに?」


 レトの問いに、ふたりは顔を見合わせたが、

 「まぁ、だいたいはそうだな」とエルメルが答えた。


 「便所で部屋を出ることはありますからね」エドウィンが補足するように続けた。


 「便所に行かれた時間を覚えてらっしゃいますか?」

 「時間って?」続けての問いに、エドウィンが聞き返す。

 「いつ、どのくらい、という意味です」


 エドウィンはふたたびエルメルに顔を向けると、「覚えてる?」と尋ねた。エルメルは首をかしげながら、「さぁ、寝る前ぐらいだとしか……」と自信のない声で答える。


 「俺たちは11時前に就寝します。用はそれまでにすませるので、おおよそ10時半から11時までの間だと思いますね。便所はこの廊下を奥へ進んだつきあたりにあるので、行って帰ってくるまで5分もしないと思います」

 エドウィンは考えながら答えた。

 「そのとき、誰かと出会ったりしましたか?」

 ふたりは無言で首を振った。


 「そうですか」

 レトはそう言いながら窓ぎわへ歩み寄った。窓ガラスは風にさらされ、あまりきれいとは言えなかったが、外を見るのを妨げるほどではなかった。

 レトはざっと中庭の景色を眺めてから振り返った。


 「お話しいただきありがとうございます。皆さんはこれから?」


 「朝食を摂って、2階の集会室へ。俺たちは今日、当番じゃないから……」

 エルメルが身体をもぞもぞさせながら答えた。いいかげん、尋問されるのに疲れてきたようだ。


 「当番?」


 「俺たち騎馬隊員は、交代で馬の面倒を見るんですよ。

 今朝はマイロとモートンが当番です。ふたりの部屋はすぐ隣です」

 エドウィンが代わるように答えた。


 「なるほど。わかりました。では僕たちはこれで失礼します」

 レトとメルルは頭を下げると部屋から出ていった。


 隣の扉をノックしたが反応はない。エドウィンによれば、この部屋はマイロとモートンの部屋だということだが、馬の世話からまだ戻っていないらしい。あるいは、そのまま食堂に行ってしまったかもしれない。


 「次へ行こう」

 レトはさらに隣へ進んだ。


 今度の部屋は誰かいるらしい話し声が聞こえていた。

 レトが『03』のプレートが打ち付けられた扉をノックすると、会話が途絶え、すぐに扉が開いた。


 「どちらさん?」

 扉から現れた青年は気さくそうな口調で尋ねてきた。顔つきが若々しいので濃い口ひげが顔になじんでいない。

 レトとメルルがひと通り自己紹介と事情を説明すると、その若者も理解したようにうなずいて室内に入れてくれた。


 「俺はエイモス。こいつはゲハン」

 エイモスと名乗った口ひげの若者は親指で背後の男を示した。ゲハンはかなり痩せた男で頬も落ちくぼんでいた。おかげで体調がいいのか、若いのかどうか、見た目で判断しかねた。


 ゲハンは椅子に座って何か書き物をしている様子だった。机にはランプが明るく輝いている。

 「どうも」

 ゲハンはそうあいさつすると書き物に戻ってしまった。


 「昨日の報告書をまとめ終わってないんですよ」

 エイモスが説明した。

 「まとめている途中で寝落ちしたとかで」


 「報告書とは、昨日巡回したところについてのものですか?」

 レトは『01』の部屋と同様に窓からの景色を眺めながら尋ねると、

 「そうだよ」

 と、これもエイモスが答えた。当のゲハンは黙々と書類にペンを走らせている。


 「エイモスさん。あなたが就寝したのは何時ころです?」

 「11時ころだな。当番があれば9時に寝るんだが、そうでなければたいていその時間だな」


 「ゲハンさんはその時間も報告書にかかっていたと?」

 レトはゲハンに話しかけた。ゲハンは書類から目を離さず、「そうだ」とだけ答えた。

 「11時以降、この部屋から出たりしませんでしたか?」


 ゲハンは首を振った。

 「出ていない。気がつかないうちに眠っていた。ただ、1時までは起きていたかな。時計を見た記憶がある」


 「この部屋の前を誰かが通った気配などありませんでしたか?」


 この質問にはふたりとも首を振った。「いいや、まったく」

 しかし、すぐに、「気づかなかったが正確かな」とエイモスが言い直した。

 「なにせ、俺はベッドに潜ったらすぐ寝入ってしまうタチだし……」

 エイモスはそう言いながらゲハンに視線を向けた。「あいつも寝落ちしていたぐらいだからな」


 「ゲハンさんは夜に仕事をすることはよくあるんですか?」

 今度は、メルルがゲハンに尋ねた。「その、仕事中に寝落ちすることって、よくあることなのかなって……」


 「さぁな」ゲハンは短く答えた。「そもそも、夜に書類仕事することが、めったにないからな」


 「昨日は何かあったんですか? 夜になっても仕事が終わらないようなことが……」


 「犬っころのせいだ」

 ゲハンは忌々しそうな口調になった。「あの犬どもが……」


 「犬?」

 メルルは首をかしげた。


 「犬と言っても野良犬じゃあない。ライラプスだよ。

 昨日は魔犬が5頭も現れやがったんだ」


 メルルは目を丸くした。

 「5頭も?」


 「それは珍しいことなんですか?」

 レトはエイモスに尋ねた。


 「珍しいどころか、俺がこの城で勤めるようになって初めてだよ。

 一日に1頭出くわすだけでもあまりないんだ。

 それが、まるで当たり前のように毎日姿を見るようになった」


 メルルはクルトが説明していたことを思い出した。ライラプスはこの森を徘徊する魔獣だが、人里にはめったにやってこない。遭遇するのは数日に一回程度で、一日に3度も遭遇するのは異例だと。

 それが5頭に増えたのだから、異例中の異例と言わざるを得ないだろう。


――それに、


 ドニーがメルルに話していたことが不気味な現実感を帯びてきた。

 ドニーは、呪いの影響で魔犬が呼び寄せられているのではないかと考えていたのだ。


 「……おかげで一日中、魔犬狩りをする羽目になったし、報告書にあげることもたくさんだ。疲れ切っている身体に残業はきついぜ……」

 ゲハンは疲れたような声で愚痴をこぼした。



62


 レトが次の扉をノックしている間、メルルは先ほどのやりとりを心のなかで繰り返し考えていた。


 この地域で魔犬の出現数が増えた理由がフロレッタにかけられた呪いとわかれば、城の者たちはどうするだろう? いや、村人たちは?


 フロレッタをライラプスへのいけにえに捧げてしまったりはしないだろうか?

 少なくとも、誰もフロレッタを守ろうと考えなくなるのではないのか。


 いけない。それだけは。

 フロレッタひとりの犠牲で、魔犬からの脅威は領内から去るかもしれない。城の者も、村の者も、多くの者が助かるかもしれない。しかし、たとえ、それが魔犬たちから身を守る方法だとしても、その選択だけはさせてはならない。

 メルルは、ただ多数のためだけに少数が犠牲になることは認めたくなかった。


――より多くの者のために――。


 この言葉、いや、この考えを言い訳にしてしまえば、人間は常に少数を切り捨てることが正しいことにしてしまうだろう。そう考えるのが簡単で楽だからだ。あの夜、ドニーが放った言葉がメルルの頭に蘇る。


――楽になりたかったからだろ?――


 メルルはその言葉を肯定したくなかった。あのとき、確信を持っていなかったが、ドニーのあの言葉は、メルルにとってもっとも危険なものだ。今はそう確信できる。


……フロレッタさんにかけられた呪いと魔犬さんのことが無関係だと信じてもらえたら……。

 メルルはそんなことまで考えるようになった。そして、頭のなかで首を振る。


……できるの? 私にそんなことを……。


 難しい。フロレッタを守りたいために、自分でも確信していないことを周りに信じさせようとしているのだから。

 いや、ドニーも言っていたではないか。魔犬の出現増加と呪いの関係については確証がないと……。あれは、あくまでドニーの仮説にすぎないのだ。


 「この部屋も留守らしい」

 レトの言葉でメルルは我に返った。「あ、はい。そうみたいですね……」

 慌ててあいづちをうつ。


 レトはメルルの上の空な様子も気づかなかったのか、何も言わずに隣りへと移動する。メルルは動揺を悟られまいと平静の表情で後に続いた。


 隣の扉を叩くと今度は反応があり、栗色の目をした若い男が扉の陰から顔をのぞかせた。

 ふたりが自己紹介をすますと、若者も「ヒギンスです。よろしく」と名乗った。

 メルルが部屋をのぞくと真っ暗といっていいほど部屋が暗い。鎧戸が閉まったままなのだ。

 「鎧戸を開けないんですか?」

 メルルが聞くと、ヒギンスは頭をかいた。「鎧戸の掛金が壊れたみたいで開かないんですよ」


 「そうですか?」

 レトはそう言いながら部屋に入っていく。どうも鎧戸に近づくつもりらしい。


 「あ、そこ!」

ヒギンスはひと声叫ぶとレトの足もとへ駆け寄った。身をかがめてレトの足もとから何かを拾い上げた。

 メルルが目をこらすと、それは黒ぶちのメガネだった。

 「同僚のものです」

 ヒギンスが説明した。「もう少しで踏み壊されるところでしたよ」


 「気がつきませんでした。どうもすみません」

 レトは小声で詫びながら窓にたどり着いた。鎧戸に手をかけてガタガタ音をさせたが、やがて「ダメですね」と諦めて手を止めた。


 「鎧戸には格子をずらしてすき間を開けることができます」

 ヒギンスはレトの隣に並ぶと、鎧戸のどこかを触った。すぐにカチリと金属音が聞こえると、鎧戸は横縞の格子状にすき間が開いて部屋が少し明るくなった。


 「うーん、何だ?」

 3人の頭上から声が聞こえて見上げると、ボサボサ髪をさせた若者が目をこすりながら見下ろしている。

 「やぁ、おはよう。オーガスタス」

 ヒギンスも目をこすりながら同僚にあいさつした。「紹介します。同室の同僚、オーガスタスです」


 オーガスタスは事情を飲み込めていない様子だったが、「おはようございます」とレトとメルルにあいさつした。


 「ところで、このひとたちは一体?」

 オーガスタスは同僚に不思議そうな表情で尋ねている。

 「今朝、伝達があったんだよ。どうも、城内で非常事態が起きたようなんだが、その捜査でこのひとたちが事情を尋ねるから協力するようにって。

 君には僕から伝えるって起こさずにおいたんだよ」

 「そうか……。いつも悪いね」

 オーガスタスは同僚に詫びると、「私は寝起きが悪くって、いつも彼に起こしてもらってるんです……」恥ずかしそうに頭をかいた。


 「ところで君、メガネ、床に落としていたよ」

 ヒギンスはメガネを見せると、オーガスタスに差し出した。

 「あれ? また、メガネをかけたまま眠ってしまったらしい。かさねがさね悪いね……」

 オーガスタスはメガネを受け取ると、そのまま自分の顔にかけた。あいかわらずのボサボサ頭だが、さっきより少ししっかりしたように見えた。

 「ああ、これで辺りがよく見える。あれ? 部屋がいつもより暗いようだ……」


 「鎧戸が開かなくなったんだ。昨夜、鎧戸を閉めたのは君だろ? 思い当たることはないかい?」

 ヒギンスの問いにオーガスタスはふたたび頭をかいた。

 「嘘だろ? 私が閉めたときにおかしくなったのか?」

 「それを君に聞いたんじゃないか」ヒギンスは苦笑を浮かべた。


 「鎧戸を閉めたのはいつですか?」

 レトは鎧戸のすき間から外の景色をうかがいながら尋ねた。レトの質問に若い兵士たちは顔を見合わせる。

 「晩の6時ころだったか?」

 「たぶん。夕食前にここで着替えていたときだから、その時間だと思うよ」

 オーガスタスとヒギンスは互いに確認すると、レトにそろって顔を向けた。「18時です」

 声もそろえて答えた。


 「それ以来、今朝までこの鎧戸には?」

 「ええ。触っていません」これはヒギンスが答えた。


 「この寒い時期に鎧戸を開けたりしませんよ。部屋が冷えてしまいます」

 オーガスタスが当然でしょと言いたげな表情で続ける。メルルもそうかもしれないと思った。


 「ところで、昨夜11時ころ、ふたりはどうされていましたか? この部屋におられましたか?」

 この質問にも、ふたりの兵士は互いの顔を見合わせた。

 「その時間にはふたりとも就寝していたと思います。たぶんとしか言えませんけど……」

 ヒギンスの答えは自信がなさそうだった。

 「彼の言うとおりです。私がベッドに昇ったとき、彼はすでにベッドの中でした。私はベッドに昇る前に机の置時計を見たのですが、針は11時を指していましたよ」

 ヒギンスと違い、オーガスタスは自信たっぷりだった。

 「彼も私もすぐ眠りに落ちるんです。そして、朝までぐっすりですよ」

 「朝までぐっすり、ですか」

 「ぐっすりです」

 オーガスタスは請け合った。


 「では、その時間以降に、この部屋の前を誰かが通ったとしても気がつきませんでしたか?」


 この質問に、ふたりの表情が変わった。


 「あの……、質問の意図がわかりかねますが……。たぶん、気づいてないだろうと思います……」

 ヒギンスの表情は明らかに曇っていた。


 「ところで、非常事態って何が起こったんですか? 私たちに事情を聞かせてもらえませんか?」

 オーガスタスも困惑の表情を浮かべて尋ねた。


 レトはすでに部屋の外まで歩いていたところだったが、扉口で立ち止まり、振り返った。


 「昨夜11時以降に、この棟の1階で呪術師ドニー・メンデス氏が殺害されたのです」


 レトの答えに、ふたりの表情がますます強張るのがメルルにもわかった。


 「殺された?」

 「あの呪術師が……」

 ふたりはそれぞれ呆然とした様子でつぶやいている。


 「今後も何かお尋ねすることがあるかもしれません。そのときもご協力のほどよろしくお願いします」

 レトはそう言い置くと、頭を下げながら扉を閉めた。



63


 レトの後ろをついて歩きながら、メルルはそっと、「さっきのふたりは違うと考えました?」とささやくように尋ねた。


 レトは立ち止まった。「僕がそんな態度を見せていたか?」


 「昨夜、あの鎧戸はたまたま掛金が壊れて開かなくなっていました。

 窓から私たちの様子をうかがうには格子部分からのぞくしかありません」

 メルルはレトの行動を思い返しながら言った。レトは格子のすき間から、自分たちの部屋が見えるか確かめていたのだとメルルにはすぐわかった。

 「そして、そこから私たちの部屋をのぞくことができなかったのでは? 斜め下ぐらいしか視界を確保できなかったんですよね?」


 「たしかに下の階にある僕の部屋を見ることはできた。でも、ここと同じ階、つまり君たちの部屋は見ることができなかった」レトは短く答えた。


 「それに……、角度が確保できてもどこまで見えていたか。僕の部屋の真上にあったドニーの部屋はともかく、君の部屋ともなると……。

 正面に中庭の樹がそびえたっていた。

 実は、さっき尋問したエイモスとゲハンの部屋で、すでに樹木の一部が向こうをさえぎるようになっていたんだ。ドニーの部屋は良く見えたが、君の部屋を半分近く隠すぐらいだった。

 兵士たちの部屋からこちらを監視するのは難しかったかもしれない」


 「最初の部屋もですか?」


 「エルメルとエドウィンの部屋かい?

 いや、あの部屋の窓からは僕たちの部屋はよく見えた。しかし、1階の廊下はどうだろう。

 そこまでになると角度が急すぎて、窓を開けて下をのぞきこまないかぎり見えないようだった。つまり、僕たちの監視はできてもドニーが1階に現れたところを目撃できたとは思えないんだ」


 レトは目の前の扉を叩きながら言った。その扉は最後の部屋のものだった。


 扉を開けた男はこれまでの者たちより年長に見えた。口ひげだけでなく、顎のまわりも豊かなひげに覆われていたのだ。エイモスに抱いたような違和感はなかった。

 「タンドリだ」

 ひげ面の男は名乗った。


 部屋に通されると、タンドリ以上に強面の男が椅子に座っていた。年齢も近そうだ。

 「タイラーだ」

 強面男はそう名乗った。メルルは見た目が同じ方向性のひとが同室だと思っていたが、話し方まで同じだと思った。


 昨夜11時ころの行動についてレトから尋ねられると、ふたりとも「寝た」と、これも異口同音に答えた。ここまで方向性が同じだと気持ちいいぐらいだ。


 「横になったころ、何か物音など聞いていませんか?

 たとえば、部屋の前の廊下を誰か通っているような」

 続いての質問にも「まぁな」。

 徹底的に1語で会話をすますつもりらしい。


 「『まぁな』とは、誰か通っていたと?」


 「この廊下のつきあたりに共用便所があるんだ。

 俺たちの部屋が一番便所に近いんだ。用を足すやつは、みんな俺たちの部屋を通らなきゃいけない。

 誰が通ろうが、そりゃ当たり前って話だろ?」

 タンドリが呆れたような口調で答える。いかにも当然だろ、と言わんばかりだが、たしかにそのとおりだ。


 「誰かが通る足音は聞こえた、ということですね?

 ちなみに、それが誰であるか、わかったりします?」


 この問いにはタイラーが首を横に振りながら答えた。

 「わかるわけがない。

 たしか、犬は足音で飼い主かそうでないか聞き分けられるらしいが、俺たちは人間だからな」

 これも、もっともな答えだ。


 それから、レトが少しタイラーとやりとりをしたあと、レトとメルルは礼を言って部屋を出た。扉の閉めぎわに、「けっきょく、何の話だ?」とタンドリらしい声が漏れ聞こえた。


 「……なんか……、全部、空振りだった感じですね」

 メルルが小声でつぶやいた。うなだれているので帽子が前にずれ落ちかかっている。


 「そうがっかりするものでもないさ。僕たちは、ひとまずこの階にいる兵士のほとんどと顔を合わせられたのだから。何も収穫がなかったわけじゃない」

 レトからは、いかにも彼らしい慰めにもならない言葉が返ってきた。


 メルルが顔をあげると、レトは元来た廊下を戻り始めている。

 「どこへ行くんですか?」


 レトは少しだけ振り向いて答えた。「確かめることがあるんだ」


 メルルはレトの近くまで追うと、「確かめること、ですか?」レトの背中に問うた。


 「さっき、何も収穫がなかったわけじゃない、と言ったけど、あれは嘘じゃない。

 兵士たちの部屋は個室ではなく共用のものだった。同室者が共犯でないかぎり、犯人はこちらを監視しづらかったはずだ。窓からこっちを監視していたら不審に思われるか、そうでなくても自分の行動を覚えられてしまう。

 つまり、犯人は自室からこちらを監視していたわけでないかもしれない」


 レトが窓から外をのぞきこんでいる姿を思い出して、メルルは納得した。「ああ、なるほどです」


 「それに、向かいの棟と1階の廊下両方が見える場所というのは、どの部屋にもなかった。1階の廊下は監視対象じゃなかったと思うけど、犯人は1階の廊下を歩くドニーに気づいた。あるいは見つけた。それは、僕たちの部屋だけでなく、1階の廊下も見える場所に犯人がいたことを示している」


 レトは回廊を曲がるとそのまま進み続けた。途中、上下階に通じる階段があったが、彼はその前を素通りする。この廊下はこのまま進めば行き止まりで、先へは進めないはずである。


 「ここだ」レトは足を止めた。行き止まりの手前だ。

 「ここって……」メルルはあたりを見回す。


 ふたりが立っているのは廊下の突き当りで、目の前には白い壁が立ちふさがっていた。右手には大きい窓があり、中庭の景色がよく見える。反対側には大きな扉があり、『教練室』と書かれた札が扉の上に掲げられていた。


 「どうだい? ここからなら僕たちの部屋を監視できるし、1階の廊下も見える。こちらを監視し、また、1階を歩くドニーを目撃することもありうる」

 レトはそう言いながら、窓枠の隣に立っている太い柱を叩いた。「それに、この柱は人ひとり隠れられるほど太い。この陰であれば、階段を行き来する者たちには死角になる。隠れて監視するには都合がいいじゃないか?」

 「たしかにそうですね……」

 窓に近寄りながらメルルはつぶやいた。ここからであれば、兵舎棟では林にさえぎられて見ることのできなかった1階の廊下まで見通すことができる。


 「でも、レトさんはどうしてこちら側だと? 反対側も同じじゃないんですか?」


 「まず、角度的に僕たちの部屋が見えにくいこと。それに、向こう側には共用便所がある。こちらと違い、ひとの通りがあるんだ。誰かに目撃される危険は、こちらよりずっと高い。犯人だって、それは避けたかっただろう」

 ああ、なるほど。メルルはふたたび納得した。


 「あ、それじゃあ……」

 メルルは廊下の床をぐるりと見回した。もしかしたら犯人がここにいたことを示す痕跡が残っていないかと思ったのだ。

 しかし、あたりには誰かが潜んでいたことをうかがわせるものは何も見つからなかった。

 「……ダメですね……。何も手がかりは残っていません……」

 「僕もそこまでは期待していなかったさ」

 レトの反応は、本当に気にしていない様子だった。


 「でも、それじゃあ、何も進展していないってことになりませんか?」

 メルルは不安の声を出した。今わかったのは、犯人がどこからこちらを監視していたかということだけで、しかも、その事実は犯人の正体に迫る手がかりにならないのだ。


 「たしかに。これは小さな、本当に小さな前進にすぎないのかもしれない。進展していると言えないほどの。

 でも、僕たちは多くの情報を仕入れることができた。もしかしたら、僕たちが気づいていないだけで重要な手がかりがあったかもしれない。

 大事なのは、情報をそのままにしないで、きちんと分析して、そこから真実を拾い上げることだ。探偵がしなければならないのはそこだよ」

 ふと、メルルはレトの顔を見つめてしまった。そこには、今朝見た、動揺や哀しみを押し殺した、苦悩に満ちたレトの姿はない。事件を追うことで、レトはいつもの自分を取り戻しつつあるようだ。


 本当なら、それは望ましいことに違いない。しかし、メルルはなぜか、そこに寂しさを覚えていた。


……私は、レトさんにドニーさんをもっと悼んでほしいと思っている……?


 そうだとしたら、それはきっと傲慢な願いだ。メルルは自分が本当にそう思ったのか、自分の心がわからなかった。


 「どうしたの?」

 メルルの顔を見つめながらレトが尋ねた。


 「い、いいえ……」

 メルルは首を振るしかできなかった。



64


 監視場所の調査を終えると、レトはふたたび階段まで戻った。今回は素通りせずに階段を昇る。


 「今度はどこへ向かうのですか?」メルルは帽子の位置を直しながら尋ねた。


 「さっき、タイラーに確認したが、上の階にレイ・ブルースとクレイトンの部屋があるそうだ。ちなみに、さっき階下の部屋で不在だったのはマイロ、モートンのほかに、ドノヴァンとディエゴのふたり。レイ・ブルースとドノヴァンはさっき、現場で顔を合わせてるから、部屋に不在で当然だけど、同室のディエゴには会えずじまいだね。

 名前だけ把握しているけど話ができていないのは、クレイトン、マイロ、モートンと、ランスという人物だ」

 ランスは、ドノヴァンがライラプスとの遭遇について報告していたときに名前が挙がっていたので覚えていた。


 メルルはこの城に訪れた最初の日に、食堂で見かけた兵士たちの顔を思い返してみた。

 大部分は今回の訪問で会った人物と紐づけができたが、1、2名紐づけできない顔がある。おそらく、彼らがそれにあたるのだろう。


 「まずはクレイトンさんに会ってみるつもりなんですね?」

 「そういうこと」


 階上の部屋は下よりも広いようだ。扉の間隔が下よりも広くなっている。階級が上の者が使う部屋だということなのだろう。


 レトはそのひとつをノックした。反応はない。


 「もう業務に就いてしまったのかな。そうか、じゃあさっきのは……」

 レトはひとりごちた。


 「この階の部屋は個室でしょうか?」

 メルルは感じたことを口にした。


 「いや、少なくともこの部屋は違う。さっき聞いた話では、ここがレイ・ブルースとクレイトンの部屋だそうだ。隣は隊長の部屋だったそうだが今は空き部屋だ。

 ヒューズ隊長は村の女性と結婚し、現在はふもとの村に家がある。この城へは通いで勤めているそうだ。ただ、昨夜は帰っていないそうだけどね」

 「さっき、タイラーさんと話していたのはそのことですか?」

 「そう」

 レトはうなずいた。


 レトは念のためもう一度扉を叩いてみたが反応がなかった。

 「仕方がないね。出直そう」

 引き返そうと身体の向きを変えると、

 「ああ、ここにいたのか」

 野太い声が飛んできた。


 見ると、大柄で体格のがっしりした男が大股で近づいてくるところだ。軍服に身を包んでいるがパンパンの状態で明らかに服が小さい。息を大きく吸い込んだりしたら留めているボタンがはじけ飛ぶのではとメルルは心配した。


 「俺はクレイトンだ。

 あんたたちを探していた」

 クレイトンと名乗る男はふたりの前に立ちはだかると、野太い声を廊下に響かせた。


 「僕たちを探していたのですか?」

 レトが尋ねると、クレイトンは眉をひそませた。当たり前だろ、と言いたそうな表情だ。


 「あんたたち、ブルースさんから許可を取ったようだが、あくまで仮のもんだ。

 隊長はもちろん、オブライエン候にも話を通さずに何でも許されるってもんでもない。

 わかるだろ?」

 クレイトンの説明はわかるが、さすがに面倒くさい話だ。メルルは心のなかでため息をついた。


 レトはクレイトンの言葉に静かにうなずいている。表情からは同じことを感じたように見えない。

 「わかりました。オブライエン候にお会いして、捜査の許可を改めていただくことにしましょう。

 ところで、オブライエン候は今どちらに?」


 「応接間におられる。隊長もご一緒だ」

 クレイトンはそう言うと先に立って歩き出した。どうも、応接間まで同行してくれるらしい。


 応接間があるのは、現在レトたちがいる兵舎棟とは違う棟だ。そのため、ふたりは階段を昇り降りしながら向かい側の棟まで移動するしかなかった。単純にもと来た道を戻るわけでもなく、少し面倒なルートを辿らなければならなかった。


……決して複雑じゃない。でも、初見で目的の部屋まで行くのは大変だ……。

 メルルは大きく息を吐きながら思った。もう息が切れかかっているのだ。同時に、やはり、ここは城なのだとも思った。こうも移動に不便であれば、城内を攻めるのは敵方にとって難しいだろう。


 応接間に入ると、そこにはアーネストとクルトのほかにフロレッタの姿もあった。

 彼女は全身をローブで覆い、さらに顔を包帯で覆っている。完全に明かりを遮断した格好だ。

 「フロレッタさん……」

 つい先日、メルルは彼女の顔を見たばかりなので、この異様な姿に衝撃を受けた。

 アーネストとフロレッタはソファに腰かけ、クルトはそのかたわらに直立不動の姿勢で控えていた。


 「呪術師が殺されたと聞いた」

 話を切り出したのはアーネストだ。レトとメルルは3人のそばへ歩いているところだったが、その場で足を止めた。


 「いったい、君は何をしていた?

 君の役目は呪術師の妨害をしていた人物を探し出すことだったはずだ。

 それなのに、村の子どもを助けようと大ケガをし、寝込んでいたというじゃないか。

 村の子どもなんかに関わっているヒマなんかあったのかね?

 この失態、どう責任を取るつもりだ?」


 アーネストの声はとげとげしい響きがあった。

 メルルは思わず『違います!』と進み出て抗議しそうになった。しかし、メルルが動くより先に、レトの手がメルルの肩をつかんだ。

 メルルが振り返ると、レトの静かな表情が見えた。まるで動じる様子もない。メルルは驚いて両目を見開いた。


 「たしかに、メンデス氏のことは僕の失態です。弁解の言葉もございません。

 このことでは取返しはつきませんが、一刻も早くメンデス氏を殺害した犯人を見つけ出そうと思います。さきほども、その捜査を進めていたのですが、改めて捜査の許可と協力をお願いします」


 「許可! 協力?」

 アーネストは大声をあげた。「君は何か勘違いしていないかね?」


 「勘違い、ですか」


 「たしかに、犯罪捜査について、君たちは一定の捜査特権が与えられている。そのことは私だって承知している。

 だがね、君は失敗しているのだ。この件で! そんな者に引き続き捜査を任せられると思うかね?

 ありえない。ありえないよ、君。そんなこと私は認められない!」


 アーネストはぶんぶんと両腕を振り回した。貴族は感情を表現するのに身振り手振りが芝居がかって大げさであるとメルルは聞いたことがあった。メルルが今、目の当たりにしているのは、まさにそれだ。


……ドニーさんの件は、レトさんではどうすることもできなかった。

 もし、この事件で責任があるなら、それは私なんだ。レトさんじゃない!

 メルルはそう思いながら、同時に胸の奥から怒りの感情が湧き上がるのを感じていた。目の前の人物は、いかにも正論を吐いているつもりらしいが、焦点が合っていない。今、ここで議論するのは、誰が悪いかなど責めることではなく、今、何をすべきか、どう行動すべきか、なのだ。

 それは、すみやかに犯人を特定し、さらにフロレッタの呪いを解くことだ。たしかに犯人の特定が呪いを解くことにつながらないが、これ以上犯人に妨害されるわけにいかない。解呪の儀式ができるようにするには、犯人の捜査は避けられない行動なのだ。


 「僕たちに捜査を任せられないのであれば、どなたに任せられるのですか?」

 レトは静かに質問した。表情に変化はない。


 「もちろん、マイエスタ騎士団で行なう。当たり前だろ?」

 アーネストは当然というように胸をそらす。同時にメルルの表情が変わった。

――それはダメだ! 犯人がいるかもしれないのに!


 レトの制止などかまってはいられない。メルルはレトの手を振り払って前へ進み出た。


 「それは正しいのですか?」


 思わぬところから声が聞こえてメルルの足が止まった。声の主はフロレッタだった。包帯で表情はうかがえないが、フロレッタもまた、レトと同じように感情の見られない静かな声だ。

 フロレッタの顔はクルトに向けられていた。声をかけられてクルトは狼狽した表情を見せた。

 「な、何が正しい、のですか……?」


 「騎士団の皆さんにメンデスさんを殺した犯人を捜してもらうことです」


 「そ、それが、どう、正しいのかというご質問に……」


 「カーペンターさん、メルルさん」

 フロレッタはレトたちに顔を向けた。「おふたりは騎士団のなかに犯人はいないと思っていますか?」


 「な……!」今度はクルトの表情が険しいものに変わった。「ひ、姫様は我らをお疑いか?」


 「そ、そうだ。フロレッタ、何を言いだすんだ!」

 アーネストも色をなして大声をあげた。


 「私はメリヴェール王立探偵事務所のおふたりにお聞きしているのです」

 フロレッタに動じる様子はない。いや、膝の上に置かれたフロレッタの両手――これらも包帯で覆われていた――がわずかだが震えているのをメルルの目は捉えていた。おそらく、フロレッタはさまざまな思いをこらえながら声を出しているのだ。メルルはそう思った。


 「メンデス氏殺害の容疑者は騎士団の皆さんに限りません。

 昨夜、この城内にいた者すべてが容疑者です。その意味では、昨夜、この城にいなかったクルト隊長は容疑者から外れるでしょう。隊長だけ、村にある自宅に帰られていますから。夜間、門は固く閉まり、ひとりでは城内に入ることができません。ただひとり、犯人ではありえないのです。

 もし、騎士団で捜査をされるのであれば、クルト隊長おひとりに委ねられるのが良いでしょう」


 「そうですか……」フロレッタは小さくうなずいた。

 「お聞きの通りです、叔父さま。

 この件はクルト・ヒューズ隊長に」


 「い、いや、姫様……」クルトは大きな身体を小さくかがめると、

 「実は、私は、昨夜、家に帰っておりません。城に詰めておりました……」

 と、小声で白状した。


 「何だと?」アーネストは呆れ声をあげる。「なぜだ?」


 「レイとともに、巡回の段取り、城内の警戒態勢の見直しを検討していたのです。

 深夜までかかりましたので、昨夜はかつての部屋で仮眠を取ることにしたのです……」


……正直なひとだ。

 メルルは意外だと思いながらクルトを見つめた。

 クルトの発言は、自分も容疑者のひとりだと認めるようなものだ。ついさっきはフロレッタに疑いをもたれたことに激昂していたのに。

 ただ、レトの発言を根拠に捜査責任者になってしまうと、もし、実は自分も容疑者のひとりだったとわかれば、クルトの立場は一転して誰よりも苦しいものになる。彼はそれがわかって先に白状したのかもしれない。


 「レイ・ブルースさんと打ち合わせしていたのは何時から何時までのことですか?」

 レトはクルトに尋ねた。

 クルトはびくっと身体を震わせたが、背筋を伸ばすと「おそらく10時から翌1時あたりまでだ」と、しっかりした声で答えた。


 「そうですか。あとでレイ・ブルースさんにもお聞きしてみます」

 レトはそう言いながら、「あ、僕がお尋ねしてもよろしいのですかね?」

 なんとも抜け抜けとした発言をした。


 「ぐ、ぐうう……」

 アーネストは顔を真っ赤にさせたまま両手で握りこぶしを作っていた。


 一方、メルルはレトの顔を見上げながら、

――読んでたんだ……。

 と考えていた。


――ヒューズ隊長が昨夜は家に帰っていないことは、さっきまでの聞き込みで知っていた。

 でも、レトさんは、ヒューズ隊長『だけ』が容疑者から外れるから捜査を担当できるなどと主張することでヒューズ隊長自身から否定させ、ヒューズ隊長も容疑者から外せないことを印象付けた。

 この流れだと、けっきょく捜査はレトさんに委ねるしかない。

 レトさんはこういう流れになることを読んで、あえてあんな発言をしたんだ……。


 とんでもない策士だ。メルルは本当に呆れてしまった。


 ただ、レトのこの態度は、どんな手を使ってもこの捜査から降りるつもりはない、という意思表明だ。


――レトさんは本気だ。


 メルルはそう思った。


 大きなケガを負い、その回復で体力は大きく削られている。普通に歩けるようになったのはついさっきのことで今朝は起き上がるのさえつらい様子だった。

 それでも、レトはつらそうな様子はもちろん、弱気な部分は何ひとつ見せたりはしない。むしろ、抜け抜けとした『黒い』部分をひけらかしている。


 いや、レトの『黒い』部分はすべて演技――嘘だ。

 捜査で犯人にたどり着くため、犯人を出し抜くため、突き詰めればレトの信念のため、あえて『悪』をまとって行動する。

 まるで真犯人であるかのようにメルルを脅しつけたことも、けっきょくはメルルの無警戒ぶりを忠告するためだった。行動、態度に問題があっても、その裏にあるのは『思いやり』と『優しさ』だ。


 それがわかったからこそ、メルルはレトと『和解』することにしたのだ。そして、そうしなければならないと思った。

 レトの行動は自分の評価、安全を省みないものだ。あんな態度を見せられれば、表面上でしか判断できない者はレトを嫌い、憎むことだろう。

 理解できる自分がレトを信じなければ、誰がレトの味方になるのだろう。

 レトにはそんな危うさも感じられるのだ。


 レトは今、ここでも自分を油断ならない悪党のように見せている。アーネストのように政治的な力を持つ者を敵にするのは得なことではない。レトもそのことはわかっているはずだ。それでも、レトは一歩も引かない姿勢を見せた。それは、レトが『本気』だから。そのことで自分の立場がまずいものになってもかまわないのだ。


……私はレトさんを支える!

 メルルは思いを新たにした。このひとは放っておけない。自分よりも強く、賢い。それでも、自分が支えなければいけないのだ。


 「いかがしましたか、叔父さま」

 状況に窮した様子のアーネストに、フロレッタは声をかけた。


 フロレッタの声にアーネストは我に返ったようだった。不機嫌そうにこぶしを下ろすと、

 「お、お前に任せる……。す、好きにしろ……」

 いかにも悔しそうな声でつぶやいた。


――では、そのようにします――


 おそらく、レトはそう言いかけたのだが、突然の扉を叩く音でレトは口をつぐんだ。


 「なんだ、騒々しい」

 アーネストは顔をしかめた。


 扉が開くと、甲冑に身を包んだ兵士が飛び込んできた。門番を任されているアッシュだ。


 「ほ、報告いたします!」

 アッシュの顔は蒼ざめていた。


 「村の者たちが城に詰めかけています!」

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