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リエとミサ

作者: 井上靜

 この小説は、かつて紙製冊子の同人誌に発表したものです。

 それを読みたいという人たちがいるので、ここに再掲載しました。

 内容は、女性と女性の友情と生き方の物語で、設定などは特異かもしれませんが、普遍性のある設定にしているので、誰でも容易に理解はできるかと存じます。


 あと、数字が漢字であるなど縦書きが前提になっているので、なるべくなら縦書きに表示して読んで頂きたく存じます。

 また、書かれた当時の反映で、インターネットも携帯電話も劇中で使われていませんが、時代とは関係なく、使う場面が描かれていないだけで、物語の筋にとって必要が無かったということです。


 一


 その時また彼女は泣いていたので、誰が来ても無視のつもりだったが、しかし戸の叩き方に配達や勧誘などとは違う配慮がある感じがしたので、玄関の方に意識を向けた。

 すると、外にいる人が中に気配を感じたのか、叩く代わりに声をかけてきた。

 「里英子、いるんでしょう」

 穏やかな聞き覚えのある声。彼女の母親だった。それで彼女は、抱きしめていたクッションから手を放し、顔を上げると頭を軽く横に振り、顔にかかっていたセミロングのストレートヘアを払い除けた。黒い髪と強いコントラストの白い顔は、やや面長な彼女の少し尖った鼻先だけ皮膚がうっすらと赤みがかっている。彼女は涙で濡れた目の周りを手で拭くと、畳の上から立ち上がった。そして何歩か歩いてアパートの玄関に行き、戸を開いた。そこに彼女の両親が立っていた。二人とも身内のところへ赴くから普段着で出たという様子である。

 「お話がしたいの。入っていいかしら」

 そう母親が言うので、彼女は頷くとキッチンの向こうに一つある部屋を視線で示すことで両親を迎え入れた。二人が靴を脱いで上がると、彼女は戸を閉めてから後に続き、二つのクッションを並べて置いた。一つは涙で濡れていない側を下にした。そこに座るよう両親に勧めると、彼女は向き合い畳の上に座った。もともとクッションは二つしかない。来客を予定していない部屋だった。親子三人は正座して、これから大事な相談でもするような形になった。

 「目が赤いわね」母親が、彼女の大きな目を見て気づいたように言った。さらに部屋着姿の全身を眺め、それについて心配そうにする。「もともと華奢(きゃしゃ)な里英子の身体つきが、増々ほっそりした感じ。何か食べられるようになったのかしら」

 「それなら、もう大丈夫だから」里英子は、少し幼さを感じさせるふっくらした顔の下半分で、やや小ぶりな唇を、やっと声が出る程度に開いて言った。

 「それならいいのだが」父親が言った。「しかし、今の精神状態では、身の回りのことをするのも大変なはずだ。そうだろう。だから、うちに帰ってきなさい。それなら、食事でも何でもお母さんがやってくれる」

 「心配かけてごめんなさい。でも、もう自分で何でもできるから」

 「謝らなくていい」父親が言うと、母親も頷く。父親が続けて、今こそ言いにくいことを語る時が来たと思っているように言葉を続けた。「十九歳で未亡人になるなんて、いくらなんでも悲劇的すぎる。動揺したり悲しんだりして当たり前なんだから。でも逆に考えれば、やり直しができる。経過した時間は受験浪人したのと同じくらいじゃないか。なんなら、うちから予備校に通って大学に入るという道もある。お前は高校まで成績がとても良かったんだから」

 「だめよ」彼女はきっぱりと言った。「それでは、今までしてきたことを否定することになってしまう。私は、ここまで進んだの。後戻りできない」

 「でも、あなた独りになっちゃったのよ」焦るような母親の言葉には、咎めるような響きもあった。

 「独りでは勿体ないという広さのアパートじゃないでしょう」彼女はさっきよりもう少し大きく口を開けて言い、唇の間から白い歯を覗かせた。かすかだが、それでも彼女にとっては久しぶりの微笑みだった。

 「そういう意味じゃないのに」母親が困ったように言うので、もうはっきり言ってしまうべきだと娘は思ったようだった。

 「今は安い家賃ということになるし、もとは所謂ラブラブ状態だったので、むしろ狭いほうが良かったのよ」

 この表現に、彼女の父親は一瞬だが不愉快そうにした。それを娘は見逃さなかった。結婚すると言った時と同じだ。それだけ大事に思ってくれているということだから、あのとき彼女は父親の反応が嬉しくはあった。

 「外にお父さんがクルマを停めているのよ」母親は言った。「一緒に来たのは、お前を連れて帰るつもりだったからなの」

 「今の私が帰る家はここ」と言って里英子は右手の親指を下に向け、その場を示した。「彼が勤めていた会社からもらった見舞金があるし、しばらくしたら仕事を探して働きます。そして、ここの契約期間が終わったら引っ越すつもりだけど、そうしたら、そこが次に私が帰る家になるの」

 これを否定したそうな母親を夫が制止して言った。「お前は最高の娘だ。お父さんは嬉しい」そして立ち上がり妻の肩に手を置いて言った。「さあ、帰ろう。反対を押し切っておいて困ったら親に泣きつく情けない娘じゃなくて良かったじゃないか」

 まだ何か言いたそうな母親を、その夫が引きずるように連れだした。その後、また部屋で独りになった里英子の耳に、自動車の発進する音が聞こえた。彼女の父親は、娘が小さい頃から高校生の時まで、学校の用でも稽古事でも自分の運転で送り迎えしたがった。その父の方が、連れて帰りたがる母親より娘を解ってくれているのだ。そう里英子は感じた。


 自宅に帰った夫妻は、居間の長椅子に並んで座った。妻は寂しそうに夫へ寄りかかった。それを夫は慰めるように片手で撫でた。

 二人が座っている向かい側には、テーブルをはさんで壁際にアップライトピアノが置いてある。それを見ながら妻は夫に言った。

 「あの子、上手だったわね」

 「ああ」

 「また聴けると思ったのに」

 「そんなふうに考えてしまうと、娘の不幸を悦ぶことになってしまうじゃないか」

 「そうね」

 そして二人は沈黙し、そのまま放心したように動かなかった。気を取り直すまで暫くかかった。


 二


 「ミネラルウォーターがあるから、これにしましょう。コーヒー・紅茶は歯が汚らしくなるでしょう」

 「そうね」里英子は同意して、連れの女性で髪をハーフアップにした同年齢らしい人と一緒に、ペットボトル入りのミネラルウォーターと紙コップを受け取って料金を支払い、空いているテーブルを見つけ向かい合って椅子に座った。二人とも、平均的な女性よりやや長身で、白いブラウスを着ている。襟の形状などは異なっているが。あと、里英子はロングスカートで、連れの女性はスキニーパンツ、という違いだ。そうした服装は今日の気候と合っている。上着は無用だった。この屋外にある店にとって実に良い日だった。パラソルが直射日光を防いでいて、今日は暑くも寒くもないうえ風で埃が舞ったり髪が乱されたりもしない。並んでいるテーブルの殆どが客で埋まっており、この賑わいと喧噪の中に埋没しての隔絶が、落ち着いて語り合える雰囲気を作っている。

 「ごめんね、呼び出して」と連れの女性はペットボトルの蓋を捻って開けながら言った。

 「謝るのは私のほうじゃないの」語尾を上げて里英子は問うた。「私の母が頼んだんでしょう」

 「それは、まあ、そうだけどね」電話をかけてきたということを仕草で示して「もう心配いらないって里英子は言うけれど、ほんとうかしらって。それで、娘が心を開く人は鷹野くんが居ない今となっては多奈部さんだけだから、って」

 「ありがとう、ミサ」里英子は感謝すると共に母親のお節介が恥ずかしかった。

 「でも、私だってリエの顔を見れて良かったよ」ミサは里英子をリエと略して呼ぶが、里英子がミサと呼ぶのは省略ではない。彼女の名は美早で、これをそのままミサと言っているだけなのに外来語っぽい響きがしている。

 「あれ以来リエは泣き暮らしていると聞いてね。それは当然のことだと思ったけど。涙を流し続けると目の周りが腫れぼったく醜くなることがあるらしいから。大丈夫なのを見て安心したよ。学校一の美少女だったのが早くも台無しなんて、他人事とはいえ私にも耐えられない」

 そう言って美早は笑い、飲み物にも注意している純白の歯を見せた。

 「御冗談を。学園祭の女王は貴方、ミサだったでしょう」

 「あれは私が目立っていたので投票した人が多かったの。唄っていたから」

 「ほんとうにミサは歌が上手かったけど、それだけじゃなかった。私なんかと違って華やかだった。あちこちに客演して唄っていたから、ちょっとした有名人。レコード会社の人から声もかかった。でも親が許さなかった」

 「それはちょっと違うよ」美早は鋭い調子で否定した。「あれは私が断ったの。私が作った歌がいくつもあるのに駄目。もちろん未熟者の作品かもしれない。だから熟練した作者の手によるものに、というのは解る。でも三文アイドルの歌みたいなのを強要されそうだった。冗談じゃないわよって」

 「それで、大学のバンド活動は、調子どうなの」

 「絶好調とまで言えるかはともかく、高校の時に比べたら、演奏技術のレベルが高い仲間を集められたからね」

 「入った甲斐があった、と。そのために行く、だめならやめる、って高三の三学期に言っていたでしょう」

 「だって、ほんとうにそうだったんだもん。推薦入学の口があって、それなりに高い偏差値、それ以上に学費がね。なんでもいいから親は行けと言ったの。その程度の金なら出せる程度に()()()()の親だから」

 「まあまあ、なんてもんじゃないでしょう、ミサのうちは」

 「そうかな。だとしたら、それに甘えているのが私。リエは自立したのね」

 「そんなしっかりした私じゃない。ただ、彼と一緒にいたかっただけよ」と言いながら里英子は軽い興奮を催し、その気持ちを落ち着かせようとして、コップに注いだミネラルウォーターをゆっくりと飲んだ。

 「でも、リエが進学も就職もしないと言ったら、学校の担任は言ったそうね。家事手伝いになって花嫁修業して、二十歳の山を一つか二つ超えたところで見合い結婚、なんて人が今もいるけれど、それなのかって。まあ、そんなもんです、とリエは言ったそうね」

 これに里英子が頷くと、美早は話を続けた。

 「あっさり信じてもらえた。そんな雰囲気をリエは持っているんでしょうね。でも、在学中ほんとうのことを知られたら驚かれたり揶揄(からか)われたりするはず。だから卒業するまでリエは言葉を濁した。私だって後から話を聞いて驚いた。二人の親密さが高じてどうしようもないのは知っていたけど、それなら卒業しても付き合い続ければいい。なぜ、そんなに生き急ぐようにするのかしら。不治の病で余命が一年になってしまい、せめて生きている間に結婚というものをしてみたいようだった。彼は就職で健康診断がある。深刻な病気だったら弾かれているはず。そうでないということはリエの方かしら。まるでメロドラマみたいに。リエ、死んじゃ嫌だよ。私は頭の中で何度も叫んだ。そうしたら、彼の方だった。不慮の事故だった。今思うと、これをリエは予知していたような感じがしたよ」

 語るにつれ身を乗り出すようにして口調に感情がこもってきた美早は、そこで一息ついてミネラルウォーターで喉を潤すことにした。その間に里英子が語り出した。

 「後から考えると、そんな感じがするのよ。なんとかして辻褄を合わせようとするからね。そうじゃなく、二人とも間違ったことしていたから、少しでも取り戻そうと思ったの」

 「それって、前に言っていたことかな。一緒に退学すればよかったって話かしら」

 「そうよ。彼は言っていたわ。川の魚が水槽に入れられたら、綺麗な水のようだけど実は塩素やトリハロメタンがたっぷりの水道水だった。それで少しずつ苦しくなった」

 「なんて的確な喩え。そうね。あの高校は、ミッション系だけど受験指導が売り。それで入ると受験勉強なんかより宗教のドグマがよっぽどストレスだった。でも、他の学校だって似たようなものでしょう。『聖書』の授業と空々しさでは引けを取らない『道徳』の授業があるし、意思に反して唄わされる讃美歌だって『君が代』と同じでしょう。こんなこと言うと右曲がりの人たちに憎まれちゃうから怖いけれど」

 この時、皮肉を言って微笑んだ美早だったが、その大きな両目は笑っていなかった。その目を凝視して里英子は言った。

 「ミサ、私たち、高校の時から、顔が似ていて姉妹みたいだと言われたわね」

 「そうね」美早は、にこやかに軽く何度か首を縦に振った。

 「髪形と髪の色が違うから区別できると言う人もいた。私は髪の毛を染めたことがないけれど、ミサは何度も染めて、その度に違う色にするから、生まれつきの色は親もわからなくなったんじゃないかっていう冗談もあった」

 美早は、小さくだけれど声を出して軽やかに笑った。

 「でも面と向かえば、ぜんぜん印象が違うみたいで、それは目つきが違うからね。みんな言うようにミサは眼光が鋭くて他人を射竦める力がある。その歌声に聞き惚れていたところへ目が合おうものなら鼻血を流して失神しそうだと言った男子もいた。その一方で、可愛いけれど性格がきつそうと一部の男子から言われてもいた。容姿端麗かつ頭脳明晰おまけに美声の持主。それなのに怖そうな目が玉に(きず)だ、と」

 「なんで、そんなふうに感じるんだろうね」美早は首を傾げた。

 「それについて彼は言っていたのよ。ミサの眼が怖いなんていう男は、もともと何か疚しさを心に抱えていて、それを見抜かれたと感じているんだ、って」

 「そうかしら。鷹野くん、そんなこと言っていたのね」

 「私も同感よ。私が思っていることで、最も解って欲しいことを、彼だけが解っていた。だから嬉しかった。そんな彼が、通信制高校で残る単位を取得したら大学受験っていう手もあると言ったさい、私が直ぐに賛成して、一緒にそうしようと言わなかったことが失敗だったわ」

 「そういうのとは違う事情だけど、私も退学届を出そうと思ったことはあったわね。夜の酒場みたいな店のステージに立つのは止せってだけなら、まあ、こっちは未成年者だから、教師の立場もあるだろうけど、唄うなら文化祭や体育館だけにしておきなさいと学芸会呼ばわりされて、見下したようにニタニタしながら言われた時は、さすがにブチキレたね。こんな学校やめてやるわ、と啖呵(たんか)きって、制服から校章のバッヂを外して床に叩ききつけた。そのうえで退学届は後から内容証明か配達証明で送ると言って校長室を出て行った」

 今また思い出しただけでも腹が立って来たという様子の美早であった。しかし冷静さを直ぐに取り戻して話を続けた。

 「そうしたら、私の父は、校長と話し合って勝手に和解しちゃったのよ。私は従いたくなかった。けど、父は私に言ったの。退学するのではなく、退学させられるまで好きにしなさい、と。十代の時は、抑圧を受けていると感じてはいても、それが何なのか具体的には解らないものだから、反抗期だったと言って片づける人も少なくない。ところが、ずっと後になれば解かるようになる。二十代・三十代までは、十代なんて子供だから誤って当たり前と思うものだけれど、それが四十代・五十代でふと気づく。十代の時こそ正しかったって。父もそうだったらしい。それで、父は私に言ったわ。今の自分を信じなさいって。私の父にしては珍しいことを言うから、それで、後はみんなが知ってのとおり。このまま行き着くところまで行ってやろうじゃん、という気持ちになって、それで、とりあえず此処まで来たわけ」

 里英子は、片手を頬にあてて考える仕草をしながら、美早に負けないほど大きな両目を見開いて、その話を聞いていた。そして改めて何かを悟ったように頷いた。その肯定的な反応に、この方向で話をし続けて問題ないと美早は判断した。

 「それでも、私より、貴方より、彼の方が、心の壊れ方が酷かったようだけど、それを充分に解ってあげられなかったのはリエだけじゃないでしょう。まだリエは良き理解者だった。教師たちなんか、変に疑っていたね。彼は別の宗教の信者だったから相容れず苦痛がひどかったんじゃないかって。異端な教義に執心のエホバの証人とかの。それは結局どうだったのかしら」

 「それは無かったわ。彼も彼の両親も、宗教に殆ど無関心だった」と明言したうえで「結婚式も無宗教だった」

 そして里英子は目をつぶった。その意識は、あの時空へと飛んだ。「家族も友達も招待しなかった。立会人も居なくていい。背景にしたら良さそうな場所のある海岸に行って、借りてきたウエディングドレスを着て、スタジオじゃないから二人だけで、一緒に写真をたくさん撮ったのよ。自撮りだから、すましたものだけじゃなく、身を寄せ合ったり頬ずりしたりしながら撮った」

 そう言いながら幸福だった時を回想していた里英子が、この場に意識を戻して目を開けると、里英子を見ていた美早は、浮かべていた柔らかな微笑みとともに言った。

 「すごい財産よね。その写真」

 「ええ」この時、里英子は決意した。そして言った。「このことでは、私もう泣かない」


 三


 里英子は制服から私服に着替えると、従業員の更衣室から出て、廊下を進み事務所に顔を出した。事務用品ばかりの殺風景な室内には、ここの店長をしている男性と事務員の女性の二人がいた。

 「では、私も帰ります」

 「お疲れ様」店長が言った。「君だけ残業させてしまったね。気を付けて帰って」

 「旦那様によろしくね」女性の方が、やや、にやけた顔して言った。

 「はい」と返事をした里英子は「お先に失礼します」と告げて事務所の前から去ると、自転車置き場に向かった。そして独り言ちた。「これだから、ね。本当のことを言わなくて良かった」

 その時、事務所では女性が里英子の噂を話し始めていた。

 「なんて可愛い子かしら。鷹野さんを最初に見た時、彼女は大学生か、もしかすると高校生かしら、と思ったけど、他のパートタイムで来ている女の人たちと同じ主婦なのよね」

 「その印象と感想には俺も同感だ。よく働いてくれているけど、実は彼女の希望で短期間の約束だ。それで詳しいことは聞いてない。ただ、夫は年上の男かと思ったら同い年だって言うんで驚いたね。それで思ったよ。亭主は駆け出しで給料が安いから、彼女も働くことにしたんだな、と」

 「私たちの慎重さとは、大違いね」

 二人は室内を点検して、一緒に出た。そして警備員の詰め所に安全確認の票を出し、後は宜しくと言う。これにシルバー人材センターから来たような制服の男が、どうもご苦労様ですと言い返した。そして駐車場に向かい、そこで彼が鍵を取り出すと、それに反応する光と音が、停めてある自動車から発せられた。これに二人は乗り込み、その、それなりに高価な国産車は店長の運転で発進して、大型スーパーマーケット大手のロゴが付いた建物から出て一般道路へと車体を滑り込ませた。しばらく進むと信号機に停止させられ、そこに並ぶ自動車のブレーキランプが夜の道を赤く染めた。ハンドルを握る男性は、隣の席の女性に語りかけた。

 「さっきの話だけど、その慎重さが、このクルマもあれば帰る家もあるようにさせて、もうじき君に寿退社させることにもなるんだ」

 「おかげさまで私、あの子より十歳も歳をとってしまったわ」

 「それでも君はまだ綺麗だからいい。俺なんか、まだ三十代とは思えない老け込みようだ。頬はコケるし、眼は窪むし、頭には白髪がちらほら。店長になった代償だ」

 「頑張りすぎかもね、そこまでしなくても店長になれたかもよ」

 「いや、ファミレスの店長みたいにバカでも直ぐになれるものとは違う」

 「それって差別発言じゃないの」

 「事実だよ。あんなのは、学生と主婦とフリーターのバイトに無能な正社員が支えられている業界だ。それで落ちこぼれ中途採用者がうじゃうじゃ。それと、うちのような大手の流通と小売りの業界とでは、雲泥の差だよ」

 「まあ、女性としても、外食産業の正社員と結婚していいって人は、そういないでしょうね。バカでも務まるかは別として、体力的にキツイ仕事にしては給料が安すぎるわよ。そういえば、あの子の夫って、どんな仕事をしているのかしら」

 「さあね。雇った女性の私生活を詮索する下衆な趣味なんて俺には無いさ。それに、もちろん給料は安いだろうけれど、職種より年齢のためだろう」

 そこで信号機で点灯する色が変わった。二人の乗った自動車は、また走り出した。


 すでに里英子は帰宅していた。

 職場とアパートまで自転車に乗って十分もかからない。それが、とりあえずの職場を定める決め手だった。彼女は室内に入ると、いつものように、額に入れて壁に掛けてある夫の写真に面と向かって「ただいま」と言った。これは、かつて彼女の撮ったスナップショットだった。

 「今日も勤めを終えて無事に帰ったわ。私も、普通に働くことができるのね。少し自信がついたかも」

 独り言ではなく、相手がいる場合の話し方で、しかし返答などの反応は一切ない。自分自身が解っていれば良いことを、また今日も確認するために口に出しただけだった。


 四


 「見舞金は、補償金じゃないでしょう」

 洗えるスーツを着た男が、一緒にいる年齢が倍以上らしい外見の男に言った。この男もスーツを着ていて、どちらも職場に着ていくような服装だった。二人はコンビニ店から出てきたところで、若い方は缶飲料の蓋を開けながら言った。

 「それなりにまとまった金額ではあっても、責任を認めたわけじゃない。補償金に比べたら微々たるものだし」

 そして出入口から横に逸れて店の前に立ち止まり、缶飲料を飲み始めた。そこで年配の男が言った。

 「鷹野のことは、誰だって引っかかっているさ」話しながら、彼は買ったタバコの封を開けて中身を取り出す。「危険物を扱うとか怖い場所に行くとかの職場じゃないのに、なんであんな事故が起きて死人がでるのか。みんな不可解だと感じている。だけど何も解らない。会社は埋葬にかかる手続きやら何やらの諸経費を負担するからと好意的に見せて、あとの葬儀は親族だけで済ませる、ということに仕向けて社員の誰も質問したりできなくしてしまった。労働組合は御用だから、なーんにもしない。給与から天引きされる組合費が、税金の源泉徴収と同じくらい腹立たしいよ、明細書を見る度に、な」

 そして苛立ちを紛らわすためであるかのようにタバコに火をつけて口に持って行き、有害な煙を、そうだと承知して破滅願望でも持っているかのように吸い込んだ。そのうえで一緒にいる男に「君、二十歳になったっけ」と質問した。相手が頷き「()()()の一つ先輩」と言うと「出直しができる者はいい」と言った。これに対して意味が解らないという顔をする相手に、続いて言った。「俺なんか家族もローンもあるから、辞めるわけにいかない。みんな大体そうさ。せいぜい、自分には災難が降りかかりませんようにと願いながら惰性で勤めるだけだ。でも、君はそうじゃない。こんな職場、さっさと見切りをつけて転職先を探すことだ。できるだけ早く、な」続けて付け加えた。「あ、ここだけの話だぞ」

 若い方の男は腕時計を見た。彼としては奮発して買った値の張るもので「一点豪華主義」と自分で言っているものだった。昼休みも終わりに近づき、また憂鬱なオフィスに帰る時だ。それでも屋内に入りたかった。今日の気候は日の照りつけ方が執拗とでもいうべきか不快だったから。それで缶飲料の残りを一気に飲み干した。年配の方は、吸い込んだ煙によって気持ちを満たされたようだが、いつもタバコを捨てている吸殻入れが無いことに気づき「そうか、灰皿を撤去しやがったんだ。受動喫煙の防止とか美観とか余計なことを言って。まったく、どこもかしこも」

 そして吸い殻を地面に捨てて足で踏み潰した。

 「なんで、そんなお行儀の悪いことするんですか。マナー悪すぎですよ」

 「うるさい。悪いのはタバコ売っておいて灰皿がない店だ」

 会社へ戻る道を歩きながら、若い方の男は相方と距離をおき口の中で小さく呟いた。

 「なんで、このくらいの世代のおっさんには自己中心的な人が目立つんだろう。こうはならないぞ。十年経っても二十年経っても」


 五


 「あら」里英子は声をかける意味も込めて言った。仕事から帰ったら、アパートのドア前に知り合いが立って腕時計を見ていたからだ。この腕時計を、この男性は「一点豪華主義」と言っていたことを里英子は思い出した。彼が気づいてこちらを見たので「こんにちは。どうしたのかしら」と彼女は言った。

 今日は残業なく帰宅したので、まだ明るい。廊下で互いの姿がはっきり見える。里英子は職場に行き来するためだけの無造作な普段着だったのに対し、その男性はネクタイ締めてはいても仕事のスーツとは違い大学生の正装という感じである。いわゆるカジュアルということに加えて彼の若さがある。

 「今日は勤めが半ドンだったので、帰宅して着替えてから来たんです。ちょっと、会って話したくなったので」

 「そう。なら、お入りください。ただ、お茶が出せないの。買ってなくて」

 「いや、お構いなく」

 それではと、里英子は開錠して彼を迎え入れ、室内に入ると薄暗いので照明を点灯させ、部屋のクッションに座るよう勧めた。自分も向かい側のクッションに正座した。

 「足を崩してもいいですよ」

 「そんな無礼なことできません」

 「かしこまった話かしら」

 「そう言ったら大げさになるけど、いちおう真面目な、うちの職場についての件です」

 「夫が世話になったそうですね。あの人よく言っていました」

 「それはいいんです。それより、その、これは嫌な話でしょうけれど、あの事故の件です」

 この言葉を聞いて、里英子は怪訝そうに首を傾けた。

 「僕は、どうしても気になってしまい、職場で訊いて回ったんです。結構な人数になります。でも、誰も解らないと言う。嘘で口をつぐんでいるんじゃなく、ほんとに皆が知らないみたいなんです。なにがあったのでしょう」

 「それは私こそ訊きたい」

 それで彼は意外そうに里英子の顔を見つめて、暫く黙ってしまった。そして次の言葉が、やっと出たというように言葉を発した。

 「そうだったんですね。これについては、職場で、こう言っている人がいるんです。社会の中で在ったことだと思うから、真相だの責任だの対策だのという話になる。そして苦悩する。そうではなく、自然の中で生きていて野生動物に襲われたとか天変地異に遭ったとかの不運と同じだと考えるしかない」

 「どうでしょうね」里英子は自嘲するように、色々な意味を含ませた微笑をして見せた。

 「若いから他の仕事を見つけて転職すべきだと言う先輩もいますよ。ただ、他の職場でも、別の職種でも、同じことがあるかもしれない。少なくとも、大丈夫だという保証は全くない。それでも検討はしています」

 「私と彼が、高校の同級生だった時、彼は本気で言ったの。退学したらどうだろうかと。それに同意して一緒に辞めたら良かったと今でも思っている。この学校は良くないと何かにつけて感じていたから。でも、それでは具体性が無いから親を説得できなかったはず。それに、辞めて別の道に行って上手くいくか、大丈夫なのか、全然、保証はない。会社だって同じことでしょう」

 「そうですよね。それで、どうなんでしょうか、鷹野さんは。あ、鷹野さんのままでしたか」

 「そうよ。これからも、ずっと、この姓でいます」

 「気に入っているんですか。再婚したら、どうしますか」

 「いいえ、姻族関係終了届は出していないし、再婚も考えていません」

 「それでいいんですか」

 「もちろん」

 きっぱり言った里英子に、それならば他に仕方ないと決意したようで、彼は言った。

 「では、今だから告白しますが、最初に貴女と会った時、彼に騙されたと思いましたよ」

 「騙されたって何を」

 「彼が結婚して、税金や手当のことで職場に知れて、やけに早いなと話題になった時、相手は幼馴染(おさななじみ)許嫁(いいなずけ)のようなものだと彼は言ったんです。そう言っておけば無難だとか僻まれないだろうとか、そう彼は考えたんでしょう。でも僕は彼と特に仲良くしていたから、貴女にも会った」

 そうね、というように里英子は同意の頷きをして、それで彼は喋り続ける。

 「最初は、鷹野とライブハウスに行った時でしたね。あいつは言いました。妻の親友で高校の同級生だった人が中心のロックバンドが出る、と。それが多奈部美早さんと言う女性で、僕なんかには成績と家庭の両方からして縁が無い、偏差値と学費の高い私立大学の一年生だと聞いて、どうせ道楽でやっているんだろうなと思った」

 「思うかもしれませんね」

 「そして彼女を見たら華やかな人だった。服装も、もちろんモノが良いのだろうけれど、着こなしとか出で立ちとか見事に決まっていて、しかも歌を聴いたら、これが凄く上手い。上手すぎるんじゃないかと思った」

 「よく言われることですよ」

 「男だけじゃなく、高校生や中学生の女の子も詰めかけて喚声を上げていた」

 「高校の時から彼女は人気者だったのよ」

 「その時、鷹野が妻だと紹介した貴女を見て、多奈部美早さんと親友というのは僕の聞き違いで、親戚と言ったのかと思った。従姉妹(いとこ)かなと」

 「似ていると、よく言われます。姉妹みたいに仲良しだけど血縁関係じゃないの。気が合うのね。豪放な彼女を姉のように見えると言う人と、私が落ち着いて見えるから姉のようだと言う人とがいて、つまり姉妹じゃない。あと、私もピアノ弾くけど、彼女は歌だけじゃなくピアノも上手よ。バイオリンもできる。小さい頃から習っていたから。男性については、自分に従う人でないと気に入らないみたいなところがあって、バンドのメンバーを選ぶさいも同じ技量なら自分に忠誠の人を彼女は選ぶ。ただの我が儘じゃなく、彼女は音楽の理論に詳しくて、彼女の作曲と編曲にみんなが合わせてくれないと困るから。この影響なのか、他のことでも男性には同じ態度になる。それで、できれば付き合いたいみたいなこと言って彼女を紹介してと頼まれても、いま言ったことを説明すれば男性は退いていきますよ」

 「違いますよ。彼女を紹介して欲しいんじゃありません。僕は貴女の話をしてるんです。あの美人と似ているんだから、幼馴染とか許嫁とかいう話は嘘で、ほんとうは彼が貴女に一目惚れしたんだ、と一目で解ったという意味です」

 「なかなか、お世辞がお上手ですね」

 「お世辞じゃありません。それに鷹野だって、職場の女性それも若い人からおばちゃんまで、みんなから可愛いと言われていた。美少年と美少女のお似合いという言葉は、この二人のためにある言葉だと言って過言ではない。だから一目惚れはお互い様だったんじゃないか」

 「やっぱり貴方は、お世辞が上手ですよ、とても」

 「かわされてしまいましたね」彼は立ち上がった「今後、貴女はどうするのかと訊きたかったけれど、今日のところは失礼します」

 「そうですか。こちらこそ、お茶もださずに」里英子も立ち上がった。すると彼は、出口へ先導しようとする里英子の両肩を後方から両手で掴み自分へ引き寄せた。

 「あいつが死んで最も悲しんでいるのは貴方だけど、次は彼の親じゃなく僕だと思う。僕にとって弟も同然だったから。そして貴女を僕に置いて行ったような気がしてならない」言いながら自分の顔を里英子の頭へ上から近づけた。そして里英子の髪へ頬を押し付けて愛おしそうに擦った。

 「私、いま職場から帰ったところなのよ。肉体労働して汗をかいていたから、そんなことして欲しくない」

 「汗臭いとは思わない。この感触を、彼はいつも味わっていたんだな」

 「ちょうど悦びを知ったところで夫を亡くした妻はさぞ欲求不満だろうから、そこへ自分がーなんて発想をするには、貴方まだまだ若すぎますよ」

 言われて彼の腕は力が緩んだ。「たしかに、そういう嫌らしい考えをするのは、もっと歳を食ってからでないとできないことですね。そんなスケベオヤジになるのは嫌だけど」

 「貴方の、その若い純粋さを、よく知っています。だから部屋に入れたんです。私、そんなにバカじゃありませんよ」

 彼の両腕は、さらに脱力した。

 「もちろん、よく、自分で、しているけど。性欲は普通にあるし」

 里英子は大真面目に言い、これを聞いて彼は動揺を顔に表した。

 「それに、なにより寂しいからよ。私は彼の愛撫を知っているから、身体が憶えているから、それを自分の手で再現できる。これは他の誰にもできない。だから、貴方が私を抱いたら、虚しさで傷つくはず。貴方のほうが」

 彼の方へ向き直ると里英子は言った。「私が好みなら、誰か私によく似た人を探して。似てなくてもいいなら、もっと選択の幅は広がるでしょうね。少なくとも私よりは相応しい人を、あなたは見つけられるはずよ」

 そう言われた男は、もう居ない同僚が写っている壁に掛かった額縁入り写真を一瞥してから、黙って出て行った。それを見送った里英子は夫の写真に見入った。しばらく凝視してから、ふと気づいたように風呂場へ向かう。きょうも頑張って働いて汗をかいたから、帰ったら先ずシャワーを浴びようとしていたことを思い出したのだ。そしてタオルを用意し、服を脱ぎ始めた。


 六


 大学生の男が二人連れで、楽器の練習をするため貸しスタジオに来ていた。

 「前にミサが先に来ていて、みんなが集まるのを、彼女、そのピアノを暗譜で弾きながら待っていたんだ」と片方が言い、備品のドラムセットと一緒に置いてあるアップライトピアノの方へ顎をしゃくった。「それで一曲弾き終わったら、安物のピアノだから誤魔化しが効くと言った」

 「コンサート用と違って細かい音が忠実に出ないってことだろう」と相方が、手にしたドラムスティックの使い込んだ傷の状態を見ながら、応じた。「俺はピアノに詳しくないけど、聴き比べれば解るんじゃないかな。彼女が弾いていたのは、お前の知っている曲だったか」

 「彼女に題名を聴いたらベルガマスク組曲と言っていた。それで、よく聴く曲だけどドビュッシーだったのか、って俺は言ったんだ。で、何をどう誤魔化せるのか解らないけれど、彼女は上手だったな。俺、自分のキーボード演奏に自信を無くしちまったぜ」

 「彼女は中学生の時に地区優勝したことがあるそうだ」

 「だから演奏が見事なのも当たり前なんだろうけど、その時の姿がね。我々はいつも後方で伴奏するから後姿ばかり拝んでいるけど、あの時は、気持ち集中して一心不乱に弾いているミサの顔を見た。うっとりしてしまうほど美しくて、うっかりよだれを垂らしそうなほど口を開けて凝視してしまったんだ」

 「それで、この密室でミサと二人、お前、劣情を来したりはしなかっただろうな」

 「バカぬかせ。すぐに他のメンバーが来るし、防犯カメラだってあるんだ。襲う暇はもちろん口説く暇もないだろ」

 「そうだな。下手すれば皆に袋叩きにされる。もともと抜け駆けで食事なんかに誘うだけでもアウトだし、僕らが結束できないよう互いに緊張する関係に仕向けられてもいる。そういう状態を彼女は意識して作ってるんだな。それで自分の求心力と身の安全を保つ。政治力のある女性だよ」

 「親の影響だろう。門前の小僧習わぬ経を読む、ってことよ」

 「それはいいけど、ただ彼女の横柄な態度には正直いって辟易させられる時があるのも事実だ。先だっても僕が付けた曲に、こんな唐突な転調があるか、木と竹を繋いでいる、なんて言ってくれてよ」

 「そりゃ、お前が悪い。少しは理論を勉強しろ」

 「そうかなあ」

 「それだけじゃない。お前、アレンジでもミサに言われていただろう。装飾音じゃない、基本は和音だ、って。お前の編曲なんてガラクタバンドの演奏みたいな音になっちゃうじゃないか。彼女の編曲みたいに上手く響かない」

 「それを言われると、なんとも...ん~」

 さらに二人の大学生が来た。それぞれ自分のギターとベースを持参している。「よお」とか「やあ」とか軽い挨拶をすると「なんの相談してたんだ」

 「美早姫様のことさ」

 「なんだ、その皮肉めいた言い方は。実際に彼女は俺たちの姫様じゃないか」

 「今は姫様だけど、いずれ女帝になる、って話よ」

 後から来たもう一人が言った。「まあ、何より我々が忘れちゃいけないのは、我々だけが演奏したところで誰が聴きに来るもんか、ってことだ。この多奈部美早ひきいるプラグマティック=ミサ=バンドはPMBが略称だけどミサ=バンドと呼ばれているように、みんな、彼女の歌が聴きたい、彼女の唄う姿が見たい、ってことで来るんだからな。しょうがないだろう。我々は彼女にとって実用的という意味だ」

 「それに、彼女のおかげで俺たちの演奏が実力以上に思われている。僕は前に他のバンドに客演したら、あまりうまくいかなかった。それで、もっと上手だと思っていたのにガッカリみたいな態度をとられてしまったよ。それで気づいた。いつもミサに力を引き出してもらっていたのだと、ね」

 「それは彼女が先導してアンサンブルの効果を発揮させているからだ。いつも歌いながら観客たちにアピールするような振り付けをして見せるけれど、それと同時に彼女は我々に向けて調和するよう合図している。これが絶妙だから本当にやりやすい。おかげで乗りに乗って楽しくてしょうがないほどだ」

 この話の途中に、もう一人、サックスを持参した男が入って来て、黙って話を聞いていた。そして聞き終わると言った。

 「彼女のお陰様で、俺たちは演奏を聴いてもらえて楽しいって他にも恩恵があるだろ。彼女の作る歌詞は女の子の共感を呼ぶ。よく高校生が聴きに来る」

 「粋がっていても育ちの良さが表れている歌詞さ」

 「そうだけど、話の腰を折るな。それで、女子高生たちはミサ姉さんと言って慕うんだから可愛いな。この可愛い子たちから、一緒に演奏している我々もカッコイイお兄さんという好印象を得られている」

 「そうだな」

 「まあな」

 「でもなあ」

 「なんだ」

 「未成年者には慎重でないと」

 「わかってるさ」

 などと話し合っていると、そこへ美早が到着した。既に集まっている仲間というか郎党というかの男たちと同様にラフな服装で、スニーカーとジーパンを履きTシャツの上から薄手のジャケットを羽織っている。

 「やあ、今日はみんな時間前に来てくれて感心ね」彼女の気さくな声と笑みが、元の調と後の調との間に挟まるべき音のような作用をして、雰囲気が転調したようになった。そして、これまでぶつくさとボヤいていた二人も含めて皆が、彼女に媚びるような態度を示した。それを見定めた美早は、鞄から持参した楽譜を取り出す。

 「じゃあ、今回の打ち合わせとセッションは、これね。次のライブまでにシッカリ仕上げましょう」


 七


 「みんな、ありがとう」美早はアンコール曲を歌い終えると聴衆に謝辞を述べた。「今夜は、このまま流れ解散よ。特に女の子、気を付けて帰ってね」

 それぞれ思い思いの服装で決めている伴奏の男たちは、一人ずつステージ上から退場し、そのさい客にお辞儀してから美早とハイタッチした。薄化粧の美早は、髪をいつものハーフアップより凝った複雑な編み方で束ねていて、動きやすいシャツとパンツにパンプス、これに加えて自らデザインして仕立てたジャケットを羽織る、という出で立ち。また、マイクを持つ手には装飾品の金属が反射で光っていた。

 そして最後に美早が観客たちに向けて手を振って退場する。男性の客たちが少し興奮した声で、ミサ、ミサ、と連呼して見送った。


 ライブハウスの裏口へ向かう美早は、薄暗い廊下で見覚えのある男と出くわした。五歳前後年上そうの、その顔つきといい服などの装いといい、いかにもいわゆるヤンキー兄ちゃんという感じで、彼は愛想笑いを浮かべて「いやあ、素晴らしかったよ」と話しかけてきた。

 「ここによく出演しているから勝手が解かるので先回り、ということね」美早は少し緊張し、やや強めに警戒もしながら言った。「それにしてもアンブッシュとは気味が悪いわ」

 「なんだって、アン…」

 「アクション映画のセリフによく出て来るでしょう。待ち伏せって意味」

 「嫌だなあ、そんな言い方。熱心なファンとして追っかけてきただけだよ。ここで最初にうちのバンドが君と鉢合わせして、ウケは君の圧勝。うちは完全に前座になっちまった。それからというもの観客動員数でも圧倒されっぱなし。とうとう今夜は君たちが単独で。満員御礼。曲目も充実。こうなったらファンとして拝聴させていただくしかないだろ」

 「それはどうも。だけど、ご挨拶は無用だから。さっき私が流れ解散と言ったのを聞き逃したみたいだけど、そういうことだから」

 「それで、ご帰宅はどうしますね。お父様のお抱え運転手が送迎ですか」

 「歩いて来たの。うちは近いのよ。だから歩いて帰るわ」

 「なら、送らせてくださいな。夜道ですから」

 「結構よ。暗いとか危ないとかの道じゃない」

 「でも、用心するに越したことはないでしょ」

 「時代劇映画の古典に、こんなセリフがあったわ。雇ったほうで用心しなきゃならない用心棒もいる、って」

 「よくも言ってくれましたね」彼は出口の方向を塞ぐようにしながら足早に急接近してきた。「でも、そういうウイットに富んだ喋繰りをする知性的な女性であることも、貴女の魅力でしてね。なにせ貴女が率いるバックバンドの男たちも貴女と同様に偏差値が高いのに対して、こちとら揃いも揃って劣等生ばっかなもんで、自分に無いものに憧れるんすよ」

 いきなり近づいてきた男が薄ら笑いを浮かべながら片手を美早の頬に触れさせてきたから、美早は嫌悪感とともに顔を反らしてから睨み返した。今は化粧のため彼女のただでさえ大きな両目は強調されているが、その瞳から怒りの閃光が発せられた。

 「勝手に他人の身体に触ったら、まして男性が女性に対してやったら、軽くても暴力を振るったことになるのよ。先に手を出したのはアンタだからね」

 「だからどうする」男は口を曲げて笑った。

 ステージに立つための装飾として、彼女は手にリストバンドやグローブを付けていて、それには刺々しい金具が並んでいる。それを利用して美早は裏拳で男の顔面を全力で叩いた。拳を握って振り遠心力が最大になるところで当るようにした。不意打ちされて男はよろけた。顔から血が流れる。手に何も付けていない女性の力では、こうはならない。美早は指輪もはめていて、これは奇抜なデザインだった。それには宝石の代わりに複雑な紋様が刻まれた金属があしらわれている。これを付けた部分に力を集中させて、裏拳を食らった男が怯んでいるところへ、すかさず正拳突きを見舞った。彼女の体重および加速の衝撃が、指輪の金属を介して男の顔の中心部に伝わる。これは幸運なまぐれ当たりとはいえ見事な間合いと踏み込みでもあった。

 強烈な痛みが顔に炸裂した男は鼻血を流しながらうずくまり、かなり大きく、うめき声を何度か出してから沈黙した。

 「正当防衛よ」美早が見下ろして息荒く言い放つと、そこへ、このライブハウスのロゴがついたトレーナーを着たオーナー店長が何事かという顔をしてやってきた。

 「どうしました。変な、悲鳴ともなんとも言えない、異常な声が聴こえたけど」

 「貧血だか立ち眩みだかで転倒したみたいです」美早が、血の付いた手の装飾品を隠すようにして言うと、これを聞いて店長は、うずくまっている男に大丈夫ですか、などと声をかけた。そして血まみれの顔を見て知り合いだと解り、横になって休みましょうとか、ゆっくり立ちましょうとか、そう言って介抱しはじめた。これを見て美早は「後は任せたから」と丸投げして言い「じゃあ、お約束したとおり、お預けした私たちの荷物、明日ちゃんと受け取ります。宜しく」と言って出た。


 美早は夜の街の雑踏に混ざって歩きだした。店長が、ちょうどよいところへ来てくれた。あんなふうに看られていては暫く動けまい、と考えたが、それにしても、だ。

 「あいつのせいで、後味が悪い」美早は呟く。「サッパリもしたけど。私の性格きつそうって言った男子がいたそうだけど、そうかもね」美早は涙声で言った。しかし涙は流していなかった。心の中では泣きだしていたが、化粧が崩れてはいけないと思ったら、涙は堪えられた。さらに色々な意味で言った。

 「女って、損よね」

 そして彼女は、今はなにより休息が必要だと冷静に判断し、帰宅の道を急いだ。


 八


 「リエ」美早は里英子の姿を見ると、まるで迷子が母親を見つけたように安堵の微笑みを浮かべて呼んだ。

 「ミサ」里英子も、美早の声で気づき、同じ微笑みと共に、美早と同じように歩みを早めた。

 都心部の日中、人が大勢行き交う喧騒の街中で、待ち合わせていた二人は互いを視認し、目的の位置にあるモニュメントの前まで同時に駆け寄ると、二人ともバッグを持った左手は下に降ろしたまま右手で相手に抱きついて、軽く、短く、しかし友愛を込めて抱擁し合った。

 「初めてよね、こんなことするの」里英子が言った。「会ったらハグなんて。似たようなこと、と言っていいのかしら。お互いに、あんなことがあったからね」

 「それで、安直な漫画かテレビだったら、私たち男性から嫌な目にあって慰め合っているうちに女と女で愛し合う百合の関係になるけどね」美早は笑った。「そんなこと実際にあるわけないよね」

 「絶対に無いとまでは断定できないけど、そんな単純な動機で簡単にそうなるってのが、何ともいい加減な展開」と里英子も同意した。「それというのも、何も知らない男が、女もかしら、貧弱な想像力を発揮するからでしょう」

 「だから漫画やテレビは大体がつまらないのよね。ところで、電話で話した時は驚いたけど。その、彼の同僚は諦めたかしら」

 「ええ、人は良いからね。彼が信頼していた人だし」

 「なら、いいけど。真面目な人が本気になると、むしろ危ないのよ。私も、なにより気をつけていること。それに比べれば不良は簡単」

 そういう美早の手を里英子は見て、話に聞いていた指の傷跡を実際に目で認めた。「傷は表面だけで済んだのかしら」

 「ええ、力をこめて緊張していたからでしょうね。ただ、別の指輪で隠そうとしたけど、押すと痛くて。だから治るまで待つわ」

 「その不良は逆恨みで報復してこないかしら」

 「気を付けてはいるよ。ただ、あいつとしても、人に話したりできないのかも。彼を知る人たちにそれとなく訊いてみたけど、誰も知らなかったから。まあ、年下の女にチョッカイ出したら殴られて怪我したなんて、恥ずかしくて言えないんでしょう」

 なるほど、というように里英子は頷いた。

 「あと、リエに頼みがあるの。今日は、その話もしたくてね」

 なんなのかと、里英子は顔の表情で美早に促す。

 「バンドのキーボード奏者が怪我でライブに出られなくなっちゃってね。その訳を聞いたら可笑しいというか呆れたというか、彼のお母さんが可愛がっているネコを捕まえて鼻と口を押えて窒息させて、もがいているのを見て面白がっていたら、ネコが反撃して、爪で引っかかれて手を放したら指に嚙みつかれた、っていうことだったの」

 「それ、ほんとうの話なのかしら。笑い話じゃなく」

 「可笑しいけど実話ね」

 「なら怪我は自業自得でしょう」里英子は苦笑して言った。

 「まあね。そこでお願い。代わりにキーボード弾いてくれないかな」

 「嫌じゃないけれど、ご無沙汰しているから。『動物の謝肉祭』しないと」

 「それは何時でも私の家に来ていいから」

 「久々のスタインウェイね」

 「スタジオを借りて練習するのも、リエの都合がいい時間にする」

 「わかったわ」

 「ありがとう。なら、立ち話はここまでにして、詳しいことはランチしながら、ね。この先に、落ち着いた店があるのよ」

 それで、二人は一緒に歩きだした。


 九


 「今日の伴奏者は、一人、いつものメンバーと違う人が参加しています」

 バンドマスターでもあるギタリストがマイクを持って観客に言った。

 「キーボードが女性に代わっているので、今日のライブが始まってからずっと、彼女は誰なのかと皆さん思われているはずです。それは鷹野里英子と申しまして、多奈部美早の従姉妹で、また同じ高校の同級生なのです。里英子さん、ちょっとこちらへ」

 里英子はキーボードから離れて前に来て美早の隣に来た。控え目だが気を使っている服装である。背丈が同じくらい美早と申し合わせ、ブラウスの上から丈の短いワンピースを着て、踵のある靴を履き、足を出して見せる長さを揃えていた。そして客席に軽く会釈した。その横に立つバンマスの男が、薄ら笑いを浮かべて話を続ける。

 「こうすると客席の反応をひしひしと感じます。もちろん僕も同じ想いです。それで後悔しています。こんな素敵な女性と知り合えるなんて、もっと前から解っていたら良かったのに。そうしたらミサと結婚の約束なんかしないで、この出逢いを待っていたのに」

 「こら」美早がきつい調子で、しかし笑いながら叱る。「いつ私がアンタと結婚の約束した」

 この場にいる皆が笑った。

 「その怒りは、僕なんか眼中にないという意味ですか。それとも比較されて負けた悔しさからですか」

 また笑いが起き、釣られて美早も笑ったが、また叱った。

 「漫才やってんじゃないの。ちゃんと司会しなさい」

 「はい、はい、かしこまりました。ということで、今日は少し趣を変えて、合いの手を入れたりハモったりするのではなく、この二人でデュエットします。よくありますよね。姉妹や従姉妹の二重唱。と言いましても巨大な蛾の映画で歌われるものでなければ、アイドルの歌でもなく、この二人が作詞作曲したオリジナルです。それでは参りましょう」

 そしてキーボード抜きの伴奏で、ミサがリードヴォーカルとなって、二人は唄い出した。


 こうして総ての曲目が演奏し終わり、大いに盛り上がった。その帰りの夜道、まだ自動車の往来が盛んな車道に沿う繫華街の歩道で、やや減少した数の歩行者たちに混ざり、里英子は美早と一緒に歩いていた。

 「お化粧なんて結婚式以来よ」薄化粧の里英子は言った。

 「たまにはいいもんでしょ」同じように化粧している美早は言い、そのうえで里英子に尋ねた。「あいつ、冗談めかして言っていたけど、リエに関心を持っているよ。他の連中も同じだね、あの様子だと。それで、この話が出たら、前に言われた通り話せばいいんだね」

 「ええ。勤め先でも、それで通しているから。それが最も納得してもらえる話なのよ」

 「そうかもしれないけど、それで気持ち的にはどうなのさ」

 「嘘ついている気がしない。いつも夫と一緒にいるようなの。部屋で独りの時、彼の写真に向かって話しかけたりもしている。それで、ちょっと心配になったりもする。私、夫を亡くしたショックで精神に異常を来したかな、もしかして統合失調症じゃないかしらって」

 「やめてよね、怖い映画の、シャワーカーテン開けて包丁を振りかざす主人公みたいになるのだけは」

 美早は笑いながら言うものの、やはり眼は笑っていなかった。それでも里英子は可笑しそうに言った。

 「あの人たちが私に言い寄ってきたら私の夫が怒って殺した、と思ったけれど夫はもう死んでいて、夫の仕業だと思い込んでいて実は私が殺していた、なんてね」

 「勘弁してよ」

 「それは大丈夫だから。短い間だったけれど一生分に近いくらい愛し合った。それを糧にして生きていける自信がある。それで、いつも夫が一緒にいると思っている。そういうことだから」

 「それならいいね。私のように…きっと父親に似たのね…誰も愛せなくて、なるべく多くの人たちから愛されたい、なんていうのより、よほど情が深い。だからなのかな。今日、初めて披露した歌で、リエの詩に私が曲を付けたもの、もともとバンドのメンバーが感心していてね、私の作詩より良いなんて言われたりもしていたけど、さっきも好評だったでしょう」

 「それは、光栄というべきか、恐縮というべきか」

 「とにかく、これからも一緒にやろうね。前からの延長で従姉妹だと言ったら真に受けられちゃって、だから息も合っていると言われたよね。けれど、ほんとうに楽しかったよ」

 「たしかに私も楽しかった」

 「良かった。じゃあ、うちのクルマで送るから、うちまで来てね」

 「悪いわね」

 「ご遠慮なく。それに、まだ要警戒だから。後をつけられるとかを気をつけないと」

 この時、美早は、ふと思い出したようにした。

 「新居、もう見つかったかしら」

 「まだよ。物色はしているけれど、収入とか審査が意外に厳しくて。会社に勤めている夫がいるのといないのとで、こんなに違うなんて知らなかった。これじゃDVから逃げたくても住む所が無いという女性がいるのも当然のことね」

 「そうね、やっぱり女は損。女が得なのは表面的なことばかり」

 美早は憂鬱な表情を顔に浮かべながら、そんな気持ちを維持したところで何も解決しないというように気持ちを振り払った。そして里英子に提案することにした。

 「それだったら、うちに来たらどう。私と一緒に住もうよ」

 意外な提案を受けて面食らったような里英子に、美早は続けて説明する。

 「うちの親はリエのことを前からよく知っているから大丈夫。事情も解っているし。持て余している部屋が複数あるからね。居候みたいなのが嫌ならロジャーということで、間借り料を家賃よりも格安で支払う、ってことでいいでしょう」

 「そうねえ。友達の実家に居候していると、うちの母親のことだから、自分の実家に帰って来なさいと言うはずだけど、間借りして部屋代を払っているなら違うわね」

 「いつも独りでいると、記憶の中の夫と話してばかりだからね。ほんとうに統合失調症になっちゃうかもしれないよ」

 「それは、うん、そうかもね」里英子は苦笑した。

 「あと」美早は改まって誰にも話せないことを頼んだ。「孤独な私の話し相手になってよ、また高校の時みたいに」

 里英子は一瞬の沈黙。すると美早は続けて言った。「これは前からのことだけど、今だってワイワイとやっていても、私を取り巻いている郎党たちとは、しょせん主従関係か利害関係だからね」

 「ミサがトゥーランドットで、彼らはピン・ポン・パンね」

 「さすがリエ、実に的確な喩え」

 「でも、ミサのような人が孤独だと言って信じる人は少ないでしょうね」

 「だから、お願い。それで他人に話すときには従姉妹ということで通して、リエの両親にも義理の従姉妹になる盃を交わしたと言えば冗談と思い笑うだろうけれど、うちなら安心してくれるはずよ。少なくとも一人暮らしよりは」

 「じゃあ、ミサの親御さんが許して下さったら、そうするわ」

 「決まりね」

 「ありがとう」

 二人は歩きながら、どちらともなく手を出してハイタッチした。


 十


 「多奈部さんの御親戚ですか」

 オフィスビルの一室で面接した男は、職場だから仕方ないというような洒落っ気のない背広姿で、テーブルを挟み向かい合い椅子に座っていて、テーブルの上にある履歴書から目を上げると堅苦しい面持ちで言った。

 「それで間借りを」

 「はい」スーツ姿で椅子に座る里英子は言い「事情あって、こちらに来たもので、それなら、ということに」と差し障りのない程度に説明をした。

 「通勤は至極便利だから、もしも早出や残業があっても大丈夫とはいえ、あの邸宅にお住まいの方が、うちのような小さい会社で働いたら、その、給与とか、ご満足いただけるかどうか」

 「いえ、そのようなことは」彼女は両手を前に少し出して軽く振り、言葉とともに仕草で否定した。「親戚を頼って出てきたという、よくある話なので」

 「そうですか」彼は少し安堵したようになり、ようやくという感じで笑みを浮かべた。「でしたら、他は今まで話したとおりで、条件は合うわけですから、採用とさせていただきます」

 「ありがとうございます。どうぞよろしくお願いいたします」

 言いながら里英子は軽く会釈をした。


 多奈部邸に戻った里英子は、既に大学から帰っていた美早の出迎えをうけた。吹き抜けで採光する構造の明るい玄関ホールに来た美早は早速に「面接、どうなった」と訊ねた。

 「採用だって。それで明日と明後日は休業日なので、来週の月曜日から」

 「良かったね」

 お互いに微笑み合った。里英子が靴を脱ぎ上がると、美早は改まって言った。

 「明日は出勤しないなら、今から少し時間をもらっていいかな。聞いて欲しい話があるんだけど」

 「その様子だと、いつもより深刻そうね」

 「実は、そうなの。着替えたらリビングに来てくれないかな。うちの両親は、何だったかの用事で一緒に出掛けているから、ちょうどよかった。まだ親に知られたくない」

 美早の、心が曇ったような様子から、里英子としても気になった。

 「わかったわ。すぐ行くから」

 そして里英子は自室に行き、クローゼットの扉を開いた。ここに大体の持ち物が入る便利な作りだから、室内で目立つ家具はベッドくらいで、サイドテーブルには額縁が立てて置いてあり夫の写真が入っている。思い出の一枚だった。里英子は、今の美早と同じようなゆったりした部屋着に着替え、居間に赴いた。

 そこで美早は、ガラステーブルの前にある長いソファーの端に座って、里英子が来るのを待っていた。日が傾いていても大きな窓からは光が存分に入っているので、まだ明るくて照明は無用だった。二人だけで居るには広すぎる部屋だが、里英子は、ここに越して来てから美早と語らう時にしているのと同じように、向かい側ではなく隣に座って肩を寄せ合うようにした。すると美早は語り始めた。

 「ネコを虐めて噛みつかれた奴のことなんだ」

 「あれは笑って済ませられるけど、そうじゃないことがあるのね」

 美早は頷いて、ため息をついた。「もっと困ったことをしでかしてね。あいつ、オートバイでコケたんだ」

 「まあ」里英子は軽く驚いて言った。「それでケガを」

 「腕と足と肋骨が一本ずつ折れた」

 「うわーっ」里英子は顔をしかめた。

 「それで手術して、やっと面会できるようになって、大学の同級生で特に中の良かった人が、入院している病院に見舞いに行った。それで呆れていた。あいつは自分の両親にワガママばかり言って、退屈しているから漫画を買ってこいとか、腹減ったから食べ物を買ってこいとか、それで親が買ってくると、この雑誌じゃない、こんなの美味しくない、等々とにかく無茶苦茶なこと言うそうなの」

 「甘えているんでしょう」

 「それだけならいいけれど、頭ぶつけてバカになっちゃったんじゃないかと言われていた」

 「その表現は可笑しいけど、脳の検査はしたのかしら、CTやMRIで」

 「さあね」そんなこと知るか、という負傷者を突き放す口調で美早は言う。「それで親が来たら、来るのが遅いと文句を言って、なにしてたんだよーと喚くから、彼の両親が激怒してしまって、お父さんが怒りとともに涙を流しながら言ったそうなの。おまえのせいで土下座さらしてたんだ、って」

 「じゃあ、一緒に乗っていた人がいたのね」

 「あいつの両親は、後ろに乗っていた女の子の御両親に謝りに行ったそうよ。封筒を持って。水引が付いた、モノクロの」

 里英子は息を飲んだ。「で、その女の子って、彼女かしら」

 「一六歳の高校生よ。うちのバンドの常連客」

 「それ、不味いわね」里英子は直ぐに美早の危惧を理解した。

 「だから、大急ぎでバンドの仲間たちに電話で連絡したのよ。まだ誰も見舞いに行ってなかった。不幸中の幸いね。人づてに知って病院に行こうとしていたと言うので、止せって厳命したの」

 「そうか。私が代わりにキーボード担当になって、その人はネコに噛まれてから出てないわね」

 「そうよ。だから、あいつは既に脱退していたことにしようと申し合わせた。幸いバカになってくれたようだから、っていうか記憶障害らしくて、なんで親が怒っているのかも解かってないみたいね。これなら、こっちは勝手なこと言える」

 「ちょっと卑怯かもしれないけれど、そうでもするしかないよね。でも、どういう経緯で二人乗りしたのかしら」

 「一人は脳に打撃、もう一人は死人に口なし、ということで不明だけどね。ただ、運転免許を取って一年。いちおう二人乗りは合法だけど、練習が足りなすぎ。これだけでも、あいつの方に非があるでしょう」

 「彼だけの問題で済めばいいけれど」

 「それよ、心配なのは。あの可哀想な子は、私の歌が好きだと言って何度もライブに来てくれた。それを利用して誘いだしたんじゃないか、なんて言われたとしたら」

 「もし言う人がいたとしても、あくまで()()()()の非難よ」

 「そうよ。だけど、起こってしまったことを最大限に利用したがる人だったら、何を言い出すことか。私はもちろん私の父親まで誹りを受けかねない」

 「そうね」

 つぶやくように里英子が同意すると、美早は怒気を含んだ口調で言った。

 「そうまでして折るなら、首の骨にすればよかったのに」

 「その気持ちはもっともだけど」なだめるようにして里英子は、続けて思案しながら「現実的には、これから、どうしたらいいのかしら」

 「女だけのバンドにしておけば、こんなことは無かった。でも、女が中心なら周りは男のほうが従わせやすい。それが裏目に出たようね。せっかくここまで来たPMBだけど、解散して出直すことになるかも。それでも私は、今はリエがいるから大丈夫。編成を変えれば演奏できる。補充に女性の奏者を招聘(しょうへい)してもいい。だけど、あとの仲間たちが納得してくれるかどうかね」

 「きっと、あいつ一人だけが悪いのだから、他は関係ないって言うでしょうね」

 「実際にも、そうだけどね。それを皆が、世間一般が、同じように思ってくれるならいいけれど、そうなるかどうか。その時になってみないと解らないでしょう。とりあえず、またライブを催して反応を見ましょう」

 これに里英子は頷いた。そしてサイドボードの上に目をやった。なんとなくだが、これまでの話から何か連想して、それにより意識が惹きつけられたのかもしれない。額縁が置いてあった。そこには今より数年前、十五歳くらいの美早が別珍のドレス姿でピアノを演奏している写真が飾ってある。里英子の視線に気づいた美早は、自分の視線も里英子と同じベクトルに合わせた。

 「これは私の両親にとってお気に入りの写真だけど、私としては気に入ってない。現実の私じゃなく、どこのお嬢さまというように写っているでしょう。その御期待に応えられない私。リエがうちの娘だったら、うちの親たちも、さぞ良かったでしょうに」

 「そうかしら」里英子は首を横に振る。「高校をやめたい、大学に行かない、結婚する、夫が死んでも実家に帰らない、というのが期待に沿うかしら。私に比べたらミサのほうが、まだ親孝行じゃないのかな」

 「そうかもね」美早が言うと里英子は軽やかに笑い、釣られて美早も笑い出した。


 十一


 「まず、入り口で客を入念にチェックします」

 例のライブハウスのロゴマークが付いたトレーナーを着たオーナー店長が説明する。「それで客席には腕っぷしに自信がある男を三人ばかり紛れ込むようにさせて、妙な言動をする者がいたら摘まみ出して、事故の話をされないよう徹底的に排除しましょう」

 それを美早と仲間たち、後から加わった里英子が、一緒に聴いていた。店の営業時間外で、客がいない。そこのステージ上で、次のライブについて打ち合わせである。

 「まるでプロの警戒ね」美早は「やれやれ」と言いたげだ。「学生のアマチュアがすることじゃないよ」

 ごもっとも、というのが今ここに居合わせた全員で一致した様子である。

 「それにしても、彼はどうしてオートバイの二人乗りなんかを。その女の子も何のつもりだったのか」オーナー店長はぼさぼさの髪の上から頭を掻いた。

 「それが幾ら調べてもサッパリ解らない」サックスを吹くのが担当で、いつも冷静に話す男が、いつもの調子で言った。「こうなったら、ほとぼり冷めるとか過去に過ぎ去ってもらうとか、そうなるまで、ひたすら、やり過ごすしかないよな」

 この間、里英子だけ複雑な気持ちを顔の表に出していた。ほんの僅かだが。これに美早だけが気づいていた。


 「やっていることは同じかもね」

 美早は済まなそうに言った。里英子が傷ついたのではないかと気にして。

 「いいえ。連想はさせられたけど」

 里英子は努めて明るく否定して言った。そのうえで達観または諦観を示した。

 「夫のことを会社が有耶無耶にしたのとは違うでしょう。こちらは責任ある組織じゃないのだから。ただ、同じなのは、いちばん知りたくてモヤモヤしている部分がどうしても解らないっていうことだけ。世の中は不条理なことばかり。そこから眼を逸らして一応の決着をするしかないのね」

 二人は、既に何度か歩いて往復している道を辿って、一緒に帰宅の途中だった。また少し日が長くなっていた。

 「前に私がぶちのめした野郎なんかの方が、よほどタチが悪いことを普段からやっているらしいのに」

 「そうなの」

 「ええ」

 「嫌ね」

 「ただ、こっちは普段が真面目ということになっているから、ちょっと何かあると直ぐに変なことを言われる恐れがある。もっとも、彼のような人たちからすると、私たちのことは妬ましいのよ。彼らが肉体労働で忙殺されている間に、私たちは練習しているんだから。学費は親が出しているし、使っているクレジットカードだって親が持っているのと連動している。私たちが当たり前のように持っているカードを彼らが持とうとしても審査で落とされるでしょう。それに楽器だって、学校と同じことだからね。私たちは要領がいい。上手で当たり前」

 「でも、バンドの人気は殆ど完全にミサ一人の才能に拠っているじゃない」

 「ほんとうに才能と呼べるものかな」

 「ミサのお母さんは、この間、私に言ったの。娘の困ったところは天才だってこと」

 「なにそれ」

 「凄い集中力で、学校の授業だけでみんな解かる。だからうちで勉強を全然しなくても、試験は殆ど満点に近い。その延長線上に音楽もある。ちょっと嗜み程度で習わせたら、そこから暴走したようになっちゃった。それも装甲車が壁や塀を破って突進するみたいに」

 「装甲車ね」美早は軽やかに笑った。「さすが母上、的確な喩えね。まあ、学校でも言われてきたけれど。ミサはミサイルのミサとかね」そして真面目な調子になり「話したというのだから、また何か手伝ったのね、食事の支度とか」

 「ええ、そのくらいはしないと」

 「しなくていいよ。あれは、家政婦を雇っているけど、たまには妻として夫に食事を作るくらいしないと、ってことだから。そこで夫婦の会話が想像つくわ。里英子さんは本当に良くできた娘だ。それに比べてうちの美早は…って。だから、するとしたら自分の部屋の掃除だけ。ちゃんと部屋代も払っていることだし」

 「でも、形式的でしょう」

 「それでも高すぎるほど。私がリエに居てもらっているのだからね。それにリエは偉いよ。私も大学やめて働いてみようかと、よく考える」

 「なら、手始めに夏休みの間バイトしてみてもいいでしょう」

 「そうか。それもいいね」


 同じ時間に別方向へ向かう二人も、話しながら歩いていた。皆で打ち合わせを終えてライブハウスを出ると、それぞれの道へと散ったが、この、ギターとベースを担当する二人は帰路が同じだった。

 「さっき了解し合ったように上手くいけばいいけど」

 「そうなってくれないと困るよ」

 「実はミサから電話があった時、あいつの見舞いに病院へ行ったかと訊かれて、未だだけど、これから行こうかと思っていると、俺は言ったんだ」

 「俺も、さ。みんな、そうだろう」

 「そうしたらミサは、止せ、行くな、って」

 「まあ、最初は何でそんなこと言うのかと思ったけど、ミサの言う通りだ。下手すればバンド解散、最悪の場合、我々の将来にも響きかねない」

 「後から冷静に考えると理解できるけれどなあ、話を聞いた時は驚くばかりでいたから思いつかなかった。よく咄嗟に対応策が閃いたよな、ミサは」

 「そこが彼女らしいところよ」

 一瞬の沈黙に続いて二人の会話は、関連はするが別の話題へと改まった調子で移った。

 「変な意味じゃなくて、率直に、どう思うかな」

 「変じゃない、っていうのは具体的には何だ」

 「つまり、嫌らしいとか下品とかじゃない真面目な質問さ」

 「わかった。真面目に聴くよ」

 「つまり、その、ミサは処女かな」

 「当たり前だろう」

 「やっぱり、そう思っているよな、みんな」

 「ああ、我々は、な。彼女と真剣に付き合っている特定の男がいるとか、逆に彼女が大勢の男と浮名を流しているとか、どちらにせよ、そんな想像は彼女の上辺しか見てない人たちのすることだろ。しかし我々はミサを良く知っている。将来もしもミサが結婚するとしたら、それは夫ではなく子種が欲しいからだ。もっと可能性が高いのは、家系に健康の問題がない男の精子を買って人工授精で子供を作ることだな」

 「そうだろうね。ミサは、女として愛する男の子供を産みたい、なんて絶対に思わない。これは男が嫌いで女が好きなんてことじゃない。自分の遺伝子を引き継ぐ子供を作ろうとするはずだよ」

 「それを無意識にするんだろう。彼女のような天才型の女性に、よくあることさ」

 「天才型どころか、彼女は『ニュータイプ』だな」

 「そりゃ、最も的確な譬えだ」

 「だから男性にとって理想的な女性なら、従姉妹の里英子さんだよ。残念ながら既婚者だけど」

 「そうだな、彼女の方こそ清純そうで処女という感じがするのは、それはリエさんが夫に一途で、その純粋さによって、そう感じさせるんだろう。ミサは予め釘を刺して言っていたな。リエの夫は愛妻家だから、彼女にチョッカイ出したら、そいつを殺しかねない。その前に、そいつは私が殺すよ、って」

 「あの時のミサの眼、怖かったな」

 「眼光で石にされそうな感じだった」

 二人は苦笑にしては明るく笑い合った。


 十二


 「あの子が前売り券を」

 美早は、オーナー店長の話に、大きな目を更に見開いた。

 「もちろん死人が買うわけありません。怪談じゃあるまいし。実際はオートバイ事故で死んだ女の子の母親でした」

 そして店長は無人の客席を見渡しながら説明を続ける。今また打ち合わせで営業時間外の集まりだった。

 「このとおり、大した広さではないけれど、いつも満員に出来るのは貴女たちだけです。それで、危なそうな人が来たら満席と言って断るつもりでした。それを見越したのかもしれません。こっそり来るなら偽名で予約できるのに、わざわざ名乗るなんて何かの意思表示だと思いますよ」

 美早の郎党たちが口々に言った。

 「嫌がらせかな」

 「何でさ。オートバイでコケた奴は既に脱退していて、あいつの親が遺族に謝罪して見舞金も渡しているんだぞ。我々は関係ない」

 「とは言え、興味を持って鑑賞に来た、なんていうのも空々しいぜ」

 「でも、死んだ家族の遺品で感傷に耽るのは、よくある。それで故人の愛読書を読んだり好きだった音楽を聴いたり」

 そこで美早が、不安げに指摘をした。

 「死んだ娘に聴かせたいと言って遺影の写真を額縁に入れて持って来たりして」

 「ああ、あり得るね。何か嫌な感じ」

 「やりにくくなるよ。スポーツの試合であるよな。黒いリボンを付けた額縁に入れた写真を抱えて観客席に陣取り、死んだ家族が応援していると言って実は相手方にプレッシャーを与えるという汚い手が」

 「裁判所に入る遺族とかも、な。ニュースで見るだろう。報道のカメラの前で。それで庁舎の中に入ってから、よく、裁判所の職員と揉めるらしい」

 「入店を断ることもできますし、写真は照明で見えなくもできます。ただ…」店長は心配げに言った。「どうするにせよ、やましいからだと言われる恐れがありますね」

 これに美早も同意して言った。

 「そういうことを何かしら意図してないと、前売り券を親の名で買うなんて、普通は無いわね。死んだ娘がファンだったと言われたら、そんなの空々しいと思ってはいても、口には出しにくい」

 「そこから、元メンバーが起こした事故の話につながる」

 「やっばり、何か意図していそう」

 「リエさんなら、なんて言うか」

 一人が言って他の者たちも同じ気持ちが顔の表情に現れた。それで、美早は今の話題を締め括るように言った。

 「彼女、今日は仕事だからね。後で話すわ」


 その夜、里英子と美早は、リビングで肩を並べて座り、身を寄せ合うようにして、その問題を語っていた。

 「郎党どもは口をそろえて言うんだ。我々のパースピレーションよりも、ミサのインスピレーションだ、って」

 「それは、ミサはジーニアスだから名案が湧いて出るだろうって意味かしら」

 「買い被りというか責任転嫁というか。まあ、こっちには解散っていうジョーカーもあるけどね。もともと選択肢の一つだったし。ただ、こんな形でのことだったら、悔しいよね」

 「そうね。八つ当たりしたくなる親の気持ちも解らないではないけれど、陰険ね。そうだと断定はできないけれど」

 「だから対応策も決められない。せめて相手方の意図が判れば何とかできるかもしれないけど」

 そこで美早は思い出したように言った。「そうだ、明日もリエは仕事だったね。私より先に出るんだから、もう寝ないと」

 「ご配慮ありがとう」

 「私も、寝て休めば良い考えが浮かぶことだってあるし。それが寝ている間に夢に出ることもあるし」

 「それがミサのパースピレーションよりインスピレーションのジーニアスさよね」

 そう言って里英子は微笑み、二人は寝支度に入るため一緒に立ち上がった。


 翌朝、里英子は出勤のためスーツを着て多奈部邸を出た。玄関の外には陶器製のディスプレードッグが置いてあり、門扉をくぐるとインターホンの隣に「猛犬注意」の表示がある。これが陶器製の猛犬ということで、これは美早の冗談だった。こけ脅しで、餌やらなくてよいし散歩も無用だと、彼女の父親が笑っていたものだ。

 敷地外に来ると、そこは石壁や鉄柵で厳重に囲われた大きな住宅が何軒か居並ぶ閑静な場所で、ここから少し進むとすぐに騒々しいほどの商業地域になる。今朝はなぜか十歳未満らしい小柄な女の子がいた。小さい子らしい丸い顔に作りの小さい目鼻口で、髪を長く伸ばし、子供服のワンピースを着ている。ランドセルを背負い、片手には手提げかばん。登校前の寄り道という様子だった。敷地を取り囲む壁の支柱に「多奈部」の表札が掲げられている前で、誰か出て来るのを待っていたように立っている。インターホンの高さに手が届かないので困っていたのかもしれない。そして里英子を見ると、その子は緊張した様子で声をかけてきた。

 「ミサ姉さま」

 一瞬は怪訝な顔をした里英子だったが、この小さい子は自分を美早だと思ったのだろうと察した。立ち止まって何かしらというように小柄な女の子を見た里英子に、その子は相変わらず緊張した様子のまま幼い声でたどたどしく言葉を紡ぐ。

 「私、お姉ちゃんと一緒にミサ姉さまの歌を聴きに行ったことがあるの」

 それを里英子は知らないので、自分がバンドに参加するより前のことだと、すぐに判断できた。小さい子だし、少し時間が経過しているうえ場所の雰囲気も異なるので、外見が似た感じの里英子を美早と間違えたのだろう。しかも多奈部の表札の前で待っていたら、その家から出てきた、というのでは当然のことだ。

 「お姉ちゃんが死んじゃったのに、お母さん、ミサ姉さまのチケットを買うって言うの」

 そういうことか、と里英子は大体が理解できた。あとは、なぜ母親がチケットを購入するのかという事情だ。それで里英子はしゃがんで女の子の目線と高さを合わせ、柔らかく微笑んで話の先を促した。

 「お母さん、お姉ちゃんに買ってあげるんだって。お姉ちゃん、もう居ないのよって言ったら、そんなことあるわけないでしょう、変なこと言う子ね、って」

 この子の母親は、夫を亡くした自分がそうではないかと心配した精神状態になってしまったのだろうか。それなら悪意ではないから、自分らとしては良かったということになるけれど、家族としては大変なことになってしまったはずだ、などと里英子は思案した。

 「他には、お母さん、お姉ちゃんのために何かしているかしら」

 「お弁当を作ってる」

 「お仏壇に、お供えしているの」

 「ううん、学校に持っていくように。テーブルの上に置いたままになっているのを見て、せっかく作ってあげたのに持って行くのを忘れたのねって言うの。だから、お父さんが会社に持って行って食べて、空になったお弁当箱をテーブルの上に置くの。それを、お母さんはお姉ちゃんが食べたと思って洗っているの。このままなら、お母さんを病院に連れて行かないと、って、お父さんは言うの」

 「お母さん、お姉ちゃんが亡くなった事実を受容れられないのね。現実と向き合えないでいるのよ」と言って里英子は、その子の困惑した表情を見て、小さい子には難しいかなと、思うと同時に何と言えば良いかと悩やましかった。それで思いついたことを提案した。

 「じゃあ、お弁当をお父さんが持って出て食べているのと同じように、あなたがチケットを持って行くのはどうかしら。お姉ちゃんが行ったことにして。帰りは送ってあげるから」

 「ほんとうに」その子の表情が明るく輝くように変わった。

 「ええ。約束するわ。さあ、学校に戻らないと」

 「ありがとう。近いから大丈夫よ」

 その子はチョコンとお辞儀をして駆けて行った。見送りながら里英子は、後で美早に伝えようと思うと同時に、腕時計を見て自分も職場が近いとはいえ遅刻しそうだと足早に歩きだした。


 二人とも帰宅すると、またリビングで二人だけになって語らうさい、今朝の件を早速、里英子は美早に話した。

 「死んだ子の歳を数える、っていうけれどね」美早は沈痛な面持ちで言った。「悪意じゃなくて良かったと手放しで言っていられないね。あいつめ罪なことしやがって」一瞬、美早は怒りで歯を食いしばると続けて言った。「首の骨を折ってでも、頭蓋骨陥没でも、内臓破裂でも、出血性ショックでも、何でもいいからあいつが死んでいれば良かったわ、マジで」

 「まあ、まあ」里英子は美早を宥め「そう言いたくなりそうな気持は、私も同じだから」

 「リエより私の方が怒っているよ。リエが、家族を亡くした哀しみを見せつけられたんだから。ごめんよ、リエ」

 ほんとうに済まない、という顔をする美早に、里英子は思いやりに感謝しながら恐縮して否定して見せた。

 「いいえ」里英子は両手を前に出して振り、彼女のよくやる否定の仕草をした。「大丈夫よ」

 「それならいいけれど、とにかく、その子が私と間違えてリエに話してくれたのは良かったよ。私だったら、小さい子にとっては取っつきにくくて、そこまで話してもらえなかったはず。なんたって私は装甲車だから」美早は母親による比喩表現を言って笑ったうえで「リエのような柔らかさがないのね」

 「うーん、そうかしら」里英子は何とも言えなそうにした。そして「可愛らしい子だったのよ。お母さん思いで健気。いいわね。私も、こうなる前に子供を作っておいたら良かったと思うことがあるけれど、でも、それだと今頃は生活苦だったはずだし」

 そして里英子が(うつむ)いたので、この様子を美早は深刻なことと受取り焦りを見せた。

 「やっぱり思い出させちゃったね、ごめんよ」

 これに、むしろ里英子のほうが焦った。

 「大丈夫よ、ちょっと思いを(めぐ)らせただけだから」

 「ほんとに」

 「うん、いいのよ」努めて明るく言った里英子は、続けて少しだけ哀しそうに、自分に言い聞かせるように繰り返した。「いいのよ」

 そして肩を寄せ合っていた二人は、互いに相手に寄りかかり頭をもたれ合った。会話の内容から疲れて微睡(まどろ)むと、さらに一日の活動の疲れも合わさり、そのまま寝入ってしまった。

 そうしたからと風邪をひく気候ではなくなっている。また少し時間が経過していた。それでも、色々なことがあったにしては短い時間の経過であった。逆に言うと、短い時間の間に個人の事としては随分と激しい変化に遭ってしまった。だから、たまにはこうしてお行儀が良くなく眠ってもいいのではないか。そうすれば鋭気を養えるはずだ。そのように同じことを二人で考えているみたいにして、朝まで熟睡した。


 十三


 PMBのライブは、警戒した甲斐あってか、もともと取り越し苦労だったのか、どちらなのかは誰にも判らなかったが、とにかく邪魔は入らずに済みそうである。

 その客席には、あの小学生の女の子もいた。この詰めかけた聴衆に向かって、赤い肩出しワンピースを着た美早は、その白い肌にネックレスを揺らし光らせながら、これまで作り唄ってきた楽曲を仲間たちと一緒に次々と演奏した。そして場の雰囲気が盛り上がったところで新曲を披露した。里英子の作詞に美早が作曲と編曲をしたものだった。

 その開始は、詩の語呂から曲は同じ旋律を反復したが、二回目までは聴いている者たちに憶えさせるための繰り返しで、三回目からは歌詞の内容を後押しするよう伴奏とくにベースが強い調子で律動を奏で、さらにギターは途中から歌唱と同じ旋律で一致するから強調と賛同の意味が加わる、という心理的な効果を発生させた。

 これを作った美早は、自ら要点がよく解っているので唄いながら軍楽隊の指揮者のように後方へマイクを持った手の反対側の片手で合図をし、タイミングを合わせながら仲間たちを乗せて高揚させた。ドラムに合わせて足でステップを踏みながらも、特に感情を込める部分では立ち止まり目をつぶって、転調すると目を見開いて観客たちに視線を送り、再びステップを踏みながら腰を振り、歌詞の「♪赤い糸の言い伝えのように」という部分ではマイクを持っているのとは反対側の手を自分の視線と同じ高さに挙げて指輪をはめている小指を立てて見せる。さらにサックスが加わり副旋律を絡め、めくるめくような転調の連続で音程が跳躍していくと、それでも美早の喉は限界など無いかのように甘い美声を発し続け、何度かアクセントとして極端な高音をファルセットで挿入して響かせた。

 美早が歌い終わり伴奏が締めくくると喚声と拍手、二人連れの女子高生が悲鳴のように「ミサ、カッコイイ」と声援を送る。ある男性客など興奮して訳が分からなくなった様子で「ミサーっ、ミサーっ」と叫んでいる。それを無視して美早は観客全員に向けて感謝のお辞儀をし、そのバックバンドとしても乗りに乗って演奏できたうえ大いにウケたことに満足そうで、特に作詞した里英子は弾いているキーボードの前で充足感を味わっていた。

 また、美早は「前は従姉妹のリエとデュエットしたけど、今夜はもうちょっと違ったことをするから」と言ってバイオリンを持ち出し、観客たちが意外そうにする前で自ら作曲した一楽章形式で短いセミクラッシクふうバイオリンソナタを演奏しはじめた。伴奏は、美早と色違いの肩出しワンピースを身に着けた里英子が務め、キーボードの音をピアノモードにして和音を奏でた。このために、今日この衣装をしていた二人だった。これに対する驚嘆の拍手と歓声を聴きながら、里英子は美早と視線を合わせて互いに微笑んだ。


 終了後に、里英子は美早と一緒に、女の子を送ることにしていた。他のメンバーたちは既に事情を知らされていた。誰もが同じ気持ちだった。恨みを買ってなかったのは良かったけれど、とても気の毒な話であるということで一致していたから、みんなでその子に来てくれた礼を言い見送った。

 その帰路は、小さい子供が独りで歩くには暗くなっていたが、道は街灯が照らし、空は月が大きかった。しかも小学生が登校の途中で多奈部邸に寄り道したくらいだから、そこから近いライブハウスからも直ぐだった。それで、この子の姉は何度も通っていたのだろう。それを想うと、また、その母と妹おそらく父親も不憫ふびんで、里英子と美早は切なかった。その時、女の子が、衣装も化粧もそのままで付添う二人に訊ねた。

 「従姉妹って似ているものなの」

 「似ている人たちもいるし、似てない人たちもいるのよ」と里英子が説明した。

 「私とお姉ちゃんは似てなかったけど」

 「姉妹だって、似ている人たちと、似ていない人たちがいるのよ」と美早が言って「兄弟姉妹や従姉妹でもないのに似ている人たちだっているでしょう」

 「そうか」と言う幼い子は、あのとき自分が里英子を美早と間違えたことに気づいているのか気づいてないのか、その態度からは判らなかった。

 商業地域から住宅街に入り、そこにある女の子の自宅はオートロックのマンションだったので、送るのは関所のところまでだった。オートロック操作盤を慣れた手つきで開錠とした小学生は、二人に「ありがとうございました」と丁寧な口調で言い深々と頭を下げた。

 「じゃあね」と二人は言って手を振り、入って行くのを見送ると、自分たちの寓居に向けて方向転換した。

 「あの子のお母さん、現実を受容れられるようになるといいわね」里英子が歩きながら言うと、並んで歩く美早は同意して頷き、こう指摘して言った。

 「きっと時が経てば。時間が解決してくれるはず。そう期待するしかないよ」

 「そうね。あの子も健気なだけに可哀想。私が言ったとおり可愛らしいでしょう」

 「ほんと」そこで美早は疑問があるという顔をして里英子に問うた。

 「可愛いから子供が欲しいのと、愛する男の子供が欲しいのとは、違うよね」

 「そうかもしれないけど、なんでそんなこと訊くの」怪訝な顔をする里英子。

 「夫の忘れ形見じゃなくても、子供が可愛いなら、他の男の子供でも、養子でも、いいことにならないかな」

 「そこまでは考えていなかったわ。ただ夫の遺児が居れば生き甲斐になったかもしれないけれど、生活に追われていたら子供なんか作らなければ良かったと思うかもしれない。そう考えてみただけだから。そのきっかけが、あの子を見て可愛いと思ったことなの」

 「なら、連想であって、直接の関係は無いのね」

 「そうね。でも、どうしてなの。ミサにしては珍しい話題じゃない。子供を持つ意味について、なんて」

 「実はね、これまでは、私のような人間が一人くらい居たっていいじゃないか、と思ってきたのだけど、二人でもいいじゃないかと思うことが最近は時々あるのよ」

 「もしかしてミサ、自分の後継者になる子供が産みたいとか」

 「こんな面倒くさい思いをしているんだから、子供を産まないと面倒が無駄になるんじゃないかって、つい考えてしまうのさ、毎月一度ね」

 「それは解かる。子供が欲しいから結婚する人も多いし」

 「結婚しなくても人工授精で作れるでしょう。家系に難がない男の精液を買って。私のことを天才と言ってくれる人がよくいるけれど、その遺伝子を受け継げば優秀な子供ができるでしょう。そういう言い方はナチズムみたいなら、言い方を変えるわ。私は処女のまま素晴らしい子供を産んで聖母になるのよ。私が退学届を出し損なったミッション系の教師たちも満足してくれるんじゃないかな」

 相変わらず美早の皮肉がこもった話に、里英子は少し首を傾げてから、ある決意をした。しかし遠回しに言った。

 「でも、せっかくなら、楽しむこともしたらどうかしら」

 それでも美早は直ぐに理解した。

 「そう言われてみれば、リエはすでに一生分愛し合ってしまったと言っていたけど、そっちの意味もあったのかな」

 「そうよ。だって相手は十八の男よ」

 「よく、若い新婚は()()()()()()、と聞くけれどね」

 「ほとんど毎日、二度や三度じゃすまなかった。休みの日なんか一日中、食事しては、また」

 「よく摩耗しなかったね」と言って美早は苦笑した。

 「私だって十八だったのよ。潤滑のための分泌は潤沢だったわ」

 「なるほどね。なら、当分お腹一杯かな。でも、寂しくなったら自分の手で、夫の愛撫を記憶に基づいて再現して、自分を慰めているって言っていたでしょう。それはどんな感じなのか気になるわ」

 「言葉で説明しただけでは解らないと思う」

 「なら、それを私にやってくれないかな」

 「でも、そういう関係にはならない約束でしょう」

 「それとは別よ。リエが夫から愛されて、どんな感じだったのかに興味があるの」

 「どんな興味なの」

 「今思うと、リエの夫なら、私、抱かれていいと思う。彼がいなくなってから、そう思う。いる時は全く思わなかったのにね。それでリエはどんなふうに抱かれていたのかという強い関心を持ったわけ。自分が抱かれるのではなく、抱かれたリエから教わるほうが、むしろ嬉しいくらい。つまり、私は現実を生きてないってことね。これが私の欠陥よ。リエの欠陥は過去の現実を引きずっていること」

 「そうよね」

 「だから私の非現実を、リエの過去になった現実と融合すれば、何らかの反応があるはずでしょう」

 そこで里英子は、街灯と月光だけで仄暗ほのぐらい住所地の夜道を見回し、誰も居ないことを確認すると立ち止まり、合わせて立ち止まった美早の腰に左手を廻した。

 「夫は、いつも最初、こうして私を抱き寄せるの。ミサの腰は細いわね。私の身体は全体に華奢だけど、それとは違う。この服装で私は鎖骨が目立ちすぎね」

 「次はどうするの」

 「それでね、もう片方の手は、こうやって胸に。ミサって胸が有るわね。私は細い身体にしては有るから目立つけだけ」

 「でも私、お尻も大きめよ」

 「だから尚更に(くび)れが強まるのね。それで唄いながらちょっと腰を振ると、すごい視覚効果なのよ。見ている方はたまらないでしょうに。さっきだって、ね」

 「ああ、そうかもね。やけに興奮して叫んでいた男がいたりしたど。それで続きは何するの」

 「そしてね、こう顔を近づけて、軽く唇を合わせる。そうしてから夫は舌で私の唇を()じ開けるようにして舌を口の中に入れるの、こんなふうに…」

 「…次は」

 「入れられた私は応えて夫の舌に私の舌を絡めるのよ。もう一度やるから、あなたも応えてね」

 「わかったわ」

 誰か通行人が歩いて来る気配を感じるまで続けると、里英子は美早の腰と胸を握りしめている手の力を抜いた。そして二人は顔を離し、目を開けて、再び並列になって歩きだした。

 「唾液が糸引いたね」

 美早が笑って言うと、里英子も微笑む。

 「今まで、ベルガマスク組曲の『月の光』が頭の中で響いていた。ちょうど月夜だし。私、リエとレズったんじゃなく、リエの夫と不倫した気持ち」

 「実は私も。私が夫の真似をしたのではなく、夫がミサと浮気しているみたいに感じた。やっぱり、未だ現実を受け容れられていないのね。あの子のお母さんと同じで」

 「悲しいね。この続きを帰ってからやっても、そうでしょう」

 「そうね、きっと。やっぱり帰ってから続きをするつもりなのね」

 「もちろん。まず、リエが夫にされていたように私にして、これで私は興味を満たせる。この御礼に私はそっくりリエにして返すから、リエは目をつむって夫にされていると思って。自分ではできないこともあるでしょう」

 「わかったわ。私たち、お互いに、私の夫になるのね。それで私の相手をする。あなたも私になる。お互いの顔を見て自分だと思うの。私たちの顔が似ているのは、このためだったのよ」

 「それで総て合点ね。私たちが出逢ってから、やっと辿り着いた」

 「早かったのか、遅かったのか」

 二人は、よく似た顔を見合わせて一緒に微笑む。

 「じゃあ」里英子はもう一歩踏み込むように言う。「後は帰ってから、お風呂に入ってからの方がいいね」

 「そういうことになるね」と、美早は同意のうえで「たまには一緒に入ろうよ」

 「ええ。でも、裸になったら私、ミサに負けるはず」

 「似ていてもリエの顔は私より端正だから、ほんのちょっとの差だけど悔しい。でも脱いだら私の勝ちかもね。それでリエの夫は、私を抱きたくなって浮気する。そういう設定にしましょう。たまには私もリエに対して優越感を抱きたい」

 「そして私の夫は、それでも妻が良いと思いなおして私を抱く。そういうことにして、寂しい私を慰めて欲しいな」

 「なら、まずリエが私の部屋に来てね、夫になったつもりで。そのあとリエは自分の部屋に戻って、そこへ私がリエの夫のつもりで行くのよ」

 「ありがとう。でも、私ばっかりで悪いわね」

 「そんなことない。今、寂しいのはリエだけだから。私はいいの。私なんて、私に一方的な好意を抱く男ならいくらでもいるけれど、双方向になる男はいないし」

 「でも、めぐり逢いがあるかもよ」

 「それを言ったら、死んだ夫じゃないと駄目と言っている人だって同じことよ。邂逅かいこうがあるかもよ」

 「今は考えたくないこと。最も考えたくないことね」

 「それだったら私も同じよ」

 「そうか」

 「つまり私たちは、この先、どのくらいの人生があるか、という不安はあるけれど、ソコソコ時間だけはあって、あとはどうするべきか、ってことね。それは道中にというか道々というか進みながら考えるしかないわね」

 ここで美早は一区切りすると、話題を元に戻すことにした。

 「でも、そもそもの問題は子供を作ることについて。きっと私に似た子供は孤独で可哀想。ただ、私にはリエがいる。だから、リエも子供を作って私の子供の友達にしてくれるなら大丈夫だよ」

 「そうね。でも異性だったら」

 「あっ、そうだ。そうなったら私たちの子供を結婚させようよ。私たち本当に親戚になるし」

 「できてもいない子供を許婚にするのね」

 「とにかく、同性で友達でも、異性で許婚でも、どちらにせよ現実となるように、この先いつになるかわからないけれど、子供を産むなら一緒にタイミングを合わせようね」

 「そうしましょうか。うまくいくといいね」

 二人は微笑みながらハイタッチした。


 劇中に登場するPMBことプラグマティック=ミサ=バンドとは、ジョンレノンがやっていたプラスチック=オノ=バンドと、その影響かサディスティック=ミカ=バンドというのがあったことを念頭に置いたネーミングで、これを率いるミサこと多奈部美早とは、ガールロックの先駆けと言われる歌手の渡辺美里から取って付ました。「わたなべみさと」の最初と最後を取ると「たなべみさ」になるという訳で、しかしモデルではありません。目が大きいという描写があるので、その程度の共通点くらいです。また、渡辺美里なら絶対に言わないセリフばかりです。例えば作曲で「唐突な転調」「木と竹を繋いでいる」というのは、よく小室哲哉が言われていることだから、その小室哲哉の歌を最もよく歌いヒットさせている渡辺美里が言うわけありません。それに、あくまで美早のキャラを表すセリフであるから、そういうメロディがダメだということではありません。


 もともとアニメ映画の原作にしたかったので、劇中でミサが作って歌う楽曲を作ってもいたのですが、今となっては通用するか疑問なので、もしも映画化できたら作り直す必要がありそうです。

 使い道がなかったから、知人がやっているバンドのレパートリーに貸して、ヴォーカルの女子高生が自分で作詞作曲編曲したことにして歌い、その当時は褒められていました。


 一方、主人公のリエについて、最初の紙誌掲載で、読んだ人は「女性にとって男性は一過性の存在ということか」と言ったものでした。そしてリエとミサという二人の女性の関係は同性愛ではなく現実逃避と異常心理によるものであると読解した人も少なくありませんでした。あとは読者の解釈次第です。

 リエとミサの出会いを描いた話もあって、そこではミサの生い立ちが語られています。読んでお判りのとおり彼女の親は相当に富裕で地位がある人らしいけれど、実はミサは養女で、10歳の時に両親を亡くしたため貰われてきたのでした。

 これは後に、また、ここへ転載しようかと考えています。(追記。転載しました。読んでください)

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