思想の自由
面白みのあるものが描けないとき、「自由」について描いてみます。
あたしには思想の自由が必要だ
そりゃ 言っちゃいけないことは
わきまえてるつもりだけど
思うだけで じっさいにやったりしないなら
悪だくみだって 楽しかったりする
胸に秘めたままなら 禁断の恋にだって憧れるし
世の中に こんないけない考えがあるんだって
わかってたほうが その誘惑にも
いざというとき耐えられるんぢゃないかとも思う
あたしには紫蘇の自由も必要だ
青紫蘇でマグロのお刺身を巻いたり
紅紫蘇をまぶしておむすびを
こしらえたりするときもあれば
あるいは紫蘇なしで
マグロの真っ赤を愛でながら
白いお米をお刺身だまりで染めつつ
いただいたりするときもあるよね
あたしにはシーソーの自由も必要だ
あなたと気のすむまで乗ってたいときもあるし
すべり台やブランコの気分のときだってある
廊下を走っちゃいけないけど
グラウンドを駆けまわる疾走の自由や
どこかに消えてしまいたくなるときは
置き手紙もなくてごめんねだけど 失踪の自由
霊感の強いおばあちゃんに
「死相が出ておるぞ」って言われちゃう自由だって
ひょっとしてしたら必要かもしれない
でも なによりもまず
こんなくだらないことを考えてもゆるされる
思想の自由がいちばん大事ぢゃないかって
そんな気がするよ
くだらなくって でたらめなことを考えるのって
なんて楽しいんだろう
思想の自由 ばんざい!!
あたしが自由に思うゆえに あたしがあり
あたしが生きてりゃ 自由は死せず
もっと、自由なものを描きたい!