Q 婚約破棄? A 委細承知!
なんで婚約破棄するの? を突き詰めてこね回して出来上がったお話です。
あと、登場人物等の名称に、ん? となった方は、後書きをお読みください。
ロワゾブルゥ国の王太子が卒業する、その儀式を大勢の参加者が見守る中、それは起こった。
「侯爵令嬢グレテール=マーキ=カサペイストリー、貴女との婚約を破棄する!」
儀式はつつがなく進み、あとは生徒代表のチルティール=メテルリンク=テュム=フェクラク王太子が無礼講を宣言するのを待つだけの時だった。
名残を惜しむという言い訳で、学園が食べ放題の場を提供してくれるのだ。
学園で学ぶ生徒は言うに及ばず、卒業式に出席したその家族も豪華料理を目の前に、食べて良し、の合図を今か今かと待ち構えていたのだ。
「繰り返す、侯爵令嬢グレテール=マーキ=カサペイストリー、貴女との婚約を破棄する!」
繰り返すのか、とか、大事なことだから二度言ったのか、とか、静まり返った会場に、ざわめきが戻ってくる。
ついでに、どうせなら食べ終わった後にしてくれたらというささやきも、スープから立ち上っては消えていく湯気のようにざわめきの中に解けていく。
波紋のようにささやき声が広がっていく中、顔色を蒼白にさせた少女が震える声で口を開いた。
「殿下、恐れながら、婚約破棄とは国王陛下ならびに王妃陛下の両陛下、そして妹君のミーティル姫殿下も、ご承知のことでありましょうか」
とろりとした蜜色の髪にチョコレートブラウンの瞳をした少女、グレテールは、突然の婚約破棄の宣言にも泣き崩れることなく、不審を声に滲ませる。
つい三日前、グレテールは王妃の茶会に招かれ、婚約者として良く務めているとねぎらわれたばかりだったのだ。
「そんなわけがないだろう」
チルティール王太子が鍛錬によって引き絞られた体で、堂々と胸を張る。
深い藍の瞳を愛し気に煌めかせ、悪びれもなく隣に立つ少女の肩を抱いた。
鬣を思わせる赤い髪を後ろに払い、更に言い放つ。
「俺は、真実の愛を見つけたのだ」
今度こそ、会場は耳に痛いほどの沈黙に包まれ、次の瞬間、絶叫と悲鳴が響き渡った。
「お、お待ちください、殿下、殿下、お考え直し下さいませ!」
優雅な淑女の仮面をかなぐり捨て、グレテールは取り縋った。
膝をつき、手を祈るように組み合わせ、懇願する。
「わ、わたくしが至らぬせいで、もうし、申し訳ありませんっ。至らぬ所は即刻直します、如何様にもお申し付け下さいませ!
ですので、何卒、何卒、婚約破棄だけはお止め下さいまし!!!」
ついで、チルティールが抱く小柄な少女に目を向ける。
「お可愛らしいその方は、わたくし達が結婚した後、寵姫、いえ筆頭公妾に迎え入れれば良いではありませんか。
それならば公的にも身分が付いてきます」
必死に言い募るグレテールに反し、小柄な少女はチルティールに庇われたまま、俯いて一向に顔を上げる気配がない。
グレテールが言い募るたびに肩をびくつかせ、ますますチルティールにしがみつく。
グレテールとは視線も合わないが、その口元は見えた。
歪んだ、口元が。
「グレテール、そこまでだ!
マージが怯えているではないか。
それに、俺が愛するのはただ一人、結婚するのはマージだけだ!」
チルティール王太子は片腕に抱く少女を、より一層抱きしめた。
羽織っていたマントを大きく翻して包み込み、皆の目から隠す。
マントの端からこぼれる緩くウェーブがかった長い髪ぐらいしか、少女の姿はうかがい知ることはできない。
「衛兵、王太子である俺が命じる、グレテール=マーキ=カサペイストリー侯爵令嬢を屋敷まで送り届けよ、丁重にな。
仮にも、王太子の元婚約者である」
会場を警備する衛兵たちに顎でしゃくって命じると、次は騒ぎに集まる群衆を睥睨し、幾人かに目を止める。
「カサペイストリー侯爵家の寄子ども、何をしている。
寄親の娘が任を解かれて帰るのだ、付き従うが道理だろう」
ただ愛する少女と結婚するためだけに、高度な政治が絡んだ婚約を破棄するという王太子に、誰も何も言えなかった。
何の瑕疵もない侯爵令嬢のグレテールが取り縋ってさえ、一顧だにしなかったのだ。
そこに約定や政局を持ち出したところで、だからどうした、と言われるのが目に見えている。
「結婚を、その方と、なさるのですね」
衛兵も、生徒たちも、爵位持ちの貴族たちでさえあまりの暴挙に動けない中、ただ一人、当のグレテールだけが動いた。
「委細承知いたしました。カサペイストリーが第二子、長女グレテール。
チルティール=メテルリンク=テュム=フェクラク王太子殿下との婚約破棄、謹んで承ります」
王族への最敬礼を教本通りに披露して頭を上げたグレテールに、先ほどまでの動揺はない。
蒼白だった顔色に血の気が戻り、今やバラ色にさえ見える頬に淑女の笑みを浮かべた。
「王家に忠誠を。
わたくしはまだ二学年生ですので、卒業式に出席する資格はございません。
式のパートナーはその腕に抱かれたお方にお任せして、この場を辞させていただきましょう」
戸惑いながらも人垣を割って現れた衛兵に、グレテールは軽く会釈する。
「殿下のお申しつけに従い、屋敷へ戻ります。
供をお願いできますか」
衛兵と慌てて出てきた寄子である貴族の数名を連れ、グレテールは背筋を伸ばして会場を去る。
始まりとは逆に静かな退出である。
侯爵令嬢の姿が会場からなくなると、チルティール王太子は再度、声を張り上げた。
「皆、騒がせたな。俺からはもう何も言うことはない」
一仕事を終えた、満足げな声が響き渡る。
「とは言っても、騒がせた俺がいると皆も気まずいだろう。俺も、今日はこの場を辞そうと思う」
穏やかな声はいつも通りで。
傍らにいるのがグレテール侯爵令嬢ではないことだけが、異常だった。
「今、この時より、この会場は無礼講だ。思う存分、楽しんでいってくれ!」
チルティール王太子は腕の中の少女と共に、会場を後にした。
◇ ◇ ◇ ◇
グレテールはタウンハウスに馬車がつくと、転がり落ちるように飛び出した。
その足で、取次も無しに父親であり、現当主でもある、カサペイストリー侯爵の書斎へと駆け込む。
淑女にあるまじき無作法だが、燦然と輝く婚約破棄の言葉が、侯爵の叱責を彼方へ蹴飛ばす。
婚約破棄なのだ、礼儀作法なぞにこだわっている場合ではない。
「お父様、わたくしの婚約破棄の件と、王太子殿下の真実の愛のお方、マージョア=ベルラン様の件で、お話がございます」
グレテールは、侯爵にとって自慢の娘だった。
文に才を現し、当代一の賢女として名高く、時には侯爵自身もその意見に耳を傾けるほどのもので。
侯爵令嬢として、社交界、政界、法界等、あらゆる分野でチルティール王太子を補佐するよう、申し付けられた婚約者だった。
だから安心して、婚約者である王太子の卒業パーティーへ、そのパートナーとして送り出したのだ。
だが結果は。
「殿下はマージ様と呼んでおられましたが、あの方はベルラン男爵家の御令嬢でございます。
殿下は、マージョア=ベルラン様を真実の愛の方とされました。
そして、わたくしとの婚約は破棄し、真実の愛の方と結婚なさると、卒業パーティーにて、皆の前で宣言致しました」
「なんと」
絶句する父たる侯爵に、深く深く頷いた後、まだ続きがあるのだと、グレテールは口を開く。
「殿下は元婚約者になったわたくしを、丁重に送り返すよう、衛兵に申し付けられました。
マージョア様は男爵家の御令嬢、王妃と定めるには身分が足りません。
しかし、殿下は、マージョア様と結婚するとおっしゃいます。
それも、証人となるよう、皆の前で」
ひたり、とグレテールはチョコレートブラウンの瞳で侯爵を見つめた。
侯爵も、真剣な視線を娘へ返す。
「我が家が後見人と、いや、我が家の養女へ迎えるべきであるな」
「はい、わたくしも、そう愚考いたします」
得たり、と頷く娘へ、しかし侯爵はすぐに頷きを返せなかった。
気難し気に、親しい者であるならばそれが悲しい時にみせるのだと知っている癖で、眉を寄せる。
「いやしかし、お前はその娘のせいで殿下から、婚約破棄を」
「いいえ、お父様。
殿下のお心……信を、わたくしはしかと受け取りましてございます。
殿下は元婚約者になったわたくしを、丁重に送り返すよう、衛兵に申し付けられたのですから」
侯爵の懸念に、グレテールは晴れやかな笑顔を返す。
「いくら殿下や我が家が後見についたとしても、マージョア様は元々が男爵令嬢。
宮中の舵取りなど、そうそうできるものではありません」
「なるほど、そういうことか」
今度は侯爵が、得たり、と頷く番だった。
「はい、お父様。幸運にも、わたくしはマージョア様とは同じ二年生。
今から親交を深め、そのお心を掴み、信を得たいと思います。
そしてマージョア様が王城へ上がると同時に、わたくしも王城へ出仕し、女官となりますわ。
マージョア様の、王太子妃様の腹心の部下となり、将来的にはマージョア妃殿下に仕える女官長に。
なにも、わたくし自身が王妃ならずとも、王妃の信を得た女官長の地位と権力は王妃と同等でございましょう。
同じ家の姉妹が王妃と女官長となれば、城内にも、国内にも、無用な争いは起こりますまい」
「殿下の御了解は……ああ、『丁重に』送り返された、か」
「はい。皆の前での婚約破棄で周知を、
わたくしを丁重に扱うことでわたくしには瑕疵がないことを、
屋敷へ返すことで速やかなる報告を、
とのご配慮だと存じます。
ですので、殿下のお心に添うよう、その場で、『委細承知』とお答えしてまいりました」
「よくぞ申した、わが娘、グレテールよ!」
侯爵は、手放しで愛娘を称賛した。
今、この場で、この世で最も素晴らしい令嬢は、このグレテールに違いない、異論は認めない、と侯爵は思った。
事前の通告も無しに婚約破棄など言い出した王太子は、このグレテールのどこが不満なのかと、侯爵にはまったく理解できない。
「お父様、取り急ぎ、王宮へ向かいとうございます。
事態は一刻を争いますわ。
殿下のお声がけで、卒業パーティーを我が一門だけは抜けることを許されましたが、他の派閥の方々も、何がしかの理由をつけて、すぐにこの情報を持ち帰ることでしょう」
「うむ。マージョア=ベルラン嬢の後見の座、決して逃してはならん」
執事に命じて用意を整える間にも、公爵は矢継ぎ早に問い正し、グレテールは打てば響くように応えを返す。
「して、マージョア=ベルラン嬢とは、どのようなお方なのだ?」
「はい、錬金術科の才媛でございます。
その道の学識は高く、すでに一線級の活躍ができるところを、学園にて基礎を省みたいとおっしゃって、通っておられるとの噂です」
錬金術、と公爵は思わず呟く。
学問とは言っても政や芸術とは異なる。
偶然にも侯爵の妻も錬金術の大家だ。小麦と砂糖の生産地である領地運営を任せているが、その傍ら、領主館で日々、錬金釜をかき混ぜている。
錬金術に偏見はない。
偏見はないが。
あれで何故、薬品だけでなく菓子や食品まで出来るのか、侯爵には謎だった。
「マージョア様謹製のポーションは市販のワンランク上をいくと、教授方も目の色を変えるほどのものだとか。
それを聞きつけた殿下が会いに行かれまして。
たしか、三か月ぐらい前、だったと思います」
「……三か月」
侯爵は、額に手をやり、もう片方の手を机につき、よろけそうになる頭と体を支えた。
「お、お父様!」
「何故、婚約を……一年、待てば……いや三か月……」
深い悔悟の滲む声が、怨嗟のように侯爵の口から漏れ出る。
続けてくれとの声は、まさに絞り出すようだった。
「マージョア様は人前に立つのは苦手のようでしたわ。
先ほどの会場でも、おかわいそうに、泣き出す寸前に見受けられました。
殿下がマントで皆の前から隠し、事なきを得ておりましたが」
グレテールが語り終え、父の侯爵の判断を待つ。
侯爵は軽く頭を振り、先ほどのよろめきは無かったかのごとく、努めて平静な声で告げた。
「やはり、お前が女官長として支えるが最善であるな。
チルティール殿下には絶対に結婚してもらい、王位を継いでいただかねば困るのだ。
――決して、五年前の出来事を繰り返してはならん」
「はい、重々承知しております。
王宮には、ぜひハンスお兄様も。
宰相府にてお務めですが、次代としてお呼びいただければと存じます」
グレテールは胸に手を当て、軽く目を伏せて兄の同席を願った。
同じ蜜色の髪をした、瞳の色がブラウンシュガーの兄は、宰相府の文官として勤めている。
華々しい活躍は聞かないが、面倒見が良く、さりげなく人を回して着実に人望を集めていると、グレテールは学園の友人や義姉から聞いている。
小さい頃から、迷った時には手を引いてもらっていた。
グレテールにとって、兄はお守りみたいな存在である。
王宮での話し合いで、同席してくれるならば心強い。
「そうだな。ハンスはいずれ、カサペイストリー家を継ぐ。陛下も同席をお許しくださるだろう」
グレテールと侯爵が方針を決めたあたりで、執事が馬車の用意が整ったことを伝えに来た。
急ぎ、王宮へ。
新たな王太子妃、あるいは未来の王妃への布石のために。
カサペイストリー家の当主と、王を補佐する娘は、決意も顕わに向かった。
そして。
「……は? チルティール王太子殿下が、駆け落ち???」
王太子チルティール(チルチル)、姫殿下ミーティル(ミチル)
ハンス(兄)、グレテール(妹)
テュム=フェクラク? カサペイストリー? 何なの? フランスなの、スペインなの、ドイツ、イギリス???
ここは「なろう」!
さぁ、みなさん、ご一緒に、さんっ、はいっ!
ここは「なろう」!
……キャラクター名や国の名前、決めるのは難しいですね?
同意していただける方は、作者とエア握手!
愛をこめたキャラ名なんてスラスラ~って方は……(脱兎)