モリガン
次の日の朝、ディックはヒロコを連れて、聖ソフィア教会を訪れた。
「……」
ヒロコは不安だった。
ヒロコはディックに言われた通り、シャツにロングスカートという服装でやって来た。
教会は祈りの場でありラフな格好は避けるべきだったからだ。
「ヒロコ、教会に入るのは不安か?」
「え? ええ……だって人生で初めて入るんだもの……緊張するわ」
「では、中に入ろうか」
ディックがヒロコを教会の中に招き入れる。
教会の内部は花や絵で飾られていた。
あまり装飾過剰にならないように気をつけられている。
教会の中ではまさに今、祈りが行われていた。
オルガンの演奏が特に印象的だった。
ヒロコは息をのんだ。
その場は神聖――そういう第一印象だった。
ヒロコは胸の穴がふさがるような感じを受けた。
ヒロコの心が感じたのは歓喜だった。
まるでたましいが満たされていくような感覚……。
そう、言葉にできない、たましいの歓喜だった。
「私、ここに来てよかったと思うわ。私の心がこんなに震えるなんて……」
「なっ、言った通りだっただろ? おまえは宗教的なんだよ。おまえの心が感じたのはただ歓喜だ」
ディックはヒロコを長いすに招いた。
ヒロコは腰かけた。
聖ソフィア修道会の修道女たちが祈りを捧げていた。
「教会はこんなにも神聖な場所だったのね……私は初めて聖なるものに触れた気がする」
祈っている女性たちの中にはマユの姿もあった。
マユはディックに気づくと、手を振ってきた。
ディックは手を振り返した。
「今のは?」
ヒロコがささやいた。
「彼女は俺が救った女性の一人だ。今体験入会中なんだ。どうするヒロコ? おまえはシベリウス教に属する信徒になりたいか?」
「私は聖職者や修道女にはなれないわ。私は今の自分の仕事を大切にしたいもの」
「それは大丈夫だ。あくまで一般信徒として入るか、どうかさ。まあ、今すぐ、答えを出す必要はない。おまえは神聖なものを求めていた。それがシベリウス教かもしれない。おまえが信仰を持つかどうかは別の話さ」
祈りが終わった。続いてカリナ牧師がアヴェシュタの朗読をする。
ヒロコは司牧の間、カリナ牧師を見つめていた。
ディックとヒロコの帰り。
「今日は教会に来てよかったか?」
「ええ。私はこの世に聖なるものがあると実感できたの……ねえ、ディック? 私はまた教会に来てもいいかしら?」
「もちろんだ。ん?」
ディックは前を見た。
そこには午後すぎであるのに、コウモリがたくさん集まってくるのを見た。
コウモリは集まると、女性の形を取り始める。
「ウフフフフ……」
官能的な肉体を持つ女性が現れた。
「おまえ……あのカラスの悪魔の主だな? ということはおまえの目的はヒロコのたましいか?」
「フフフ、その通り。初めまして、私はモリガン(Morrigan)。悪魔モリガンよ」
ディックは黒ワシのレイピアを出した。
ヒロコのたましいは渡さない。俺は彼女を守る!」
ディックがレイピアを構える。
「ウッフフフフ! それでは戦いと行こうじゃありませんか!」
モリガンは両手をディックに向けてきた。
「フレーダー・マウス・クーゲル(Fledermauskugel)!」
モリガンが手からコウモリの弾を放った。
コウモリの弾は飛翔してディックを襲う。
常人ではとらえきれないスピードだった。
ディックはそれに反応する。
ディックは黒い光の剣でそれを斬った。
その瞬間、モリガンが動いた。
モリガンはハイヒールでディックを蹴りつけた。
まるで女王様だ。
ディックはモリガンの蹴りをレイピアでガードする。
「くっ!?」
「ウフフフフ!」
モリガンは連続でディックを蹴りつけた。
ディックはモリガンの蹴りで吹き飛ばされた。
ディックの体が地面でバウンドする。
「ディック!」
ヒロコが叫んだ。
モリガンがヒロコに近づく。
「ウフフフフフ、あなたってとても宗教的なのね。そのたましい、さぞおいしいでしょうね! いただきますわ!」
モリガンが舌なめずる。
「来ないで!」
ヒロコは恐怖を感じた。
モリガンがヒロコの前に手をかざす。
その時。
モリガンはいったん後退した。
ディックの突きが空を切った。
「あら? あなたダウンしていたんじゃなかったの?」
「フン! あの程度の攻撃でやられると思うなよ?」
ディックがヒロコの前に立ちはだかった。
「ヒロコ……下がってろ」
「え、ええ」
モリガンは両手に闇の魔力を収束した。
モリガンの爪が赤く伸びる。
それはまるで血の女王を思わせた。
「ウッフフフフ! この爪で引き裂いてあげる!」
「フン! 引き裂かれるのはそっちだ! 行くぞ!」
ディックとモリガンが斬り結んだ。
ディックの攻撃とモリガンの攻撃が交差する。
当初はモリガンが優勢だった。
しかし、ディックはモリガンの攻撃を見切り、モリガンに反撃を加えていく。
「くうっ!?」
モリガンが顔を歪めた。
モリガンはディックのレイピアを爪で防ぐものの、一方的にディックから攻撃される。
モリガンの劣勢は誰の目にも明らかだ。
「くっ、この! 近づくな!」
モリガンがフレーダー・マウス・クーゲルを放ってディックを追い払う。
ディックはヒロコを守るように後退した。
しかし、ただ後退したわけではない。
モリガンの顔には一筋の血が流れていた。
モリガンが怒りの表情を向ける。
ディックがレイピアをかすらせたのだ。
「ウフフフフフ! よくもやってくれましたね! この私の顔に血を流させるとは……あなたは許しません! ここで果てなさい! はああああああ!」
モリガンは闇を集め形にした。
螺旋の闇はモリガンの前で打ち震える。
「これで死になさい! 螺旋の闇!」
螺旋の闇が渦巻いてディックに近づいてくる。
ディックは黒い光の剣「黒光剣」を出した。
ディックは横にレイピアを構える。
ディックは高速でレイピアを真横に振るった。
黒い光が螺旋の闇を消し去った。
「なっ!? この私の闇が!?」
「フッ、どうする? まだやるか?」
ディックは余裕を見せる。
モリガンは逆に追い詰められる。
二人の間に緊張が走った。
モリガンが口元を吊り上げる。
「フフフフ! いいでしょう! この私の最強の攻撃をあなたに見せてあげましょう! 闇よ!」
モリガンが莫大な闇を手の前に集める。
ディックは剣を上にかかげた。
あくまで斬撃で戦うつもりだ。
「フフフフフ! これで死になさい! フレーダー・マウス・フリューゲル(Fledermausflügel)!」
闇がコウモリの翼となって現れた。
モリガンはその膨大な魔力をディックに向けて放った。
ディックは黒い光の斬撃を繰り出した。
ディックの斬撃とコウモリの翼が衝突した。
光と闇がスパークを巻き起こす。
それは永遠に続くかに思えた。
しかし、一方が他方を制する。
勝ったのはディックの斬撃だった。
ディックの技「黒曜斬」である。
黒い光はコウモリの翼を両断した。
「あああ!? そ、そんな!?」
モリガンは力なく倒れた。
ディックはモリガンに近づいてその首にレイピアを突き付ける。
「さて、勝敗は決した。どうする? まだやるか?」
ディックはニヤリと笑った。
モリガンは屈辱の表情を浮かべた。
「くっ! 覚えておきなさい! 今度は私が勝ってみせますわ!」
モリガンは闇の渦の中に消えた。
ヒロコはシベリウス教徒になった。
今では信仰を持っている。
ヒロコは救われた。
これはヒロコの救済だった。
今ではヒロコは銀のアンクの首飾りをしている。
これはシベリウス教徒の証だった。
胸の穴――虚無感は消えた。
自然と仕事にも力が入る。
ヒロコはディックとの出会いを神に感謝した。




