問いかけ
マユは洋館の外に出た。
心なしか、体の重りが軽くなったような気がした。
それにこの方向で間違っていないという確信がマユにはあった。
「えっと、確か、シベリウス教だったっけ?」
マユは今日一日のできごとを整理しようと思った。
まず、公演に行き、悪魔に襲われ、ディックに助けられ、そして洋館で宗教の話を聞き、自分は宗教的人間だと言われた。
とまあ、こんなところだろう。
マユは自分のたましいを感じようと努めた。
たましいがあるとは思っているが、それを感じられるかはわからない。
しかし、自分のたましいは救済を求めている。
そう、マユは感じた。
「今日は少し、散歩してから帰ろうかな」
マユの顔に笑顔が戻りつつあった。
「フッフッフ、ここから見下ろす夜景は最高だな」
赤いマントを着た、黒い髪の、黒い服の男が答えた。
彼は夜、マンションの一室から、夜景の光を眺めていた。
「梅園市……この町は天使と悪魔の最前線だ。この町で我ら悪魔の集団『黒十字団』が活動すれば、天使側戦力を壊滅できる。それにしても、二年前はここまで光の勢力は大きくも数も多くはなかった。この二年でこれほど勢力を拡大するとは……ザドキエル……忌々しい相手よ。我らの悲願はこの町を悪魔の町に変えることだ。そのためにも、太母エキドナ様の復活を急がなくてはならぬ」
彼は遠くを見た。
それは彼の悲願。
彼の野望。
彼の目的。
彼の意思。
もはや彼は夜景など見ていなかった。
すべては闇と共に在る。
「エキドナ様を復活させるためには多くの魂が必要だ。それも宗教的な人間の魂であればなおいい。フフフ、幸か不幸か、この町の宗教的人間は自分の本質に気づいていないようだ。この国は宗教を否定的に見ている。
それもかつて『国家神道』を捨てて以来、この国でスタンダードな宗教はなくなった。日本人という民には歴史性がない。思想なり、伝統なり、過去とのつながりを持っていない。過去から断絶しているのだ。日本人が宗教から離れるのはむしろ我らにとって好都合だ。にほんじんはそれによって宗教的防波堤まで破壊してしまった。宗教による加護さえも消失させてしまったのだ。多くの日本人はそのことに気づいていない。闇はすべてを包含する。フフフ、大いなる闇が訪れる。闇の福音が梅園市を、そして日本全土を支配するのだ。ククク、ハーハハハハハハ!」
赤マントの男の声がマンションの一室に響き割ったった。
マユは再びディックのもとを訪れた。
ディックは言った。
おまえは宗教的人間だと。
マユは宗教についての知識はほとんどない。
したがって、マユに宗教的リテラシーはない。
ディックの手を初めてつかんだ時、道はこちらに通じているような気がした。
マユにはディックのもとに真実があると思った。
今のマユは真実が知りたかった。
こうして思えば、自分は真実や真理に対して、興味深くはなかった。
マユは洋館の門を抜けて、扉を開ける。
そしてディックの執務室がある二階に登った。
それからノックをする。
「どうぞ」
ドアの奥から声がした。
マユはドアを開けてから中に入る。
「こんにちは、ディック」
「こんにちは、マユ」
二人は笑いあった。
「お? 笑顔を見せるようになったな? 何かいいことでもあったのか?」
「うん。まだ体は重たいけれど、前より楽になったの。それで昨日は少し、散歩して帰ったの。何年ぶりかの散歩だったわ」
マユはほほえんだ。
「それはいい兆しだ。それはおまえが問いかけに答えているからだ。問いかけから逃げようとすればするほど、体調不良は悪化する。改善しつつあるということは正しい方向に向かっているあかしだ。ほかならぬおまえ自身が」
「うん、私もそう思う」
マユは軽くうなずいた。
「さてと、今日は少し外出したいと思っているんだが、おまえの体調は大丈夫か?」
「ええ、私もシベリウス教についてもっと知りたい」
「そうか、では出かけよう」
ディックとマユは道を歩いた。
四月の陽気が心地よかった。
ディックはマユを連れてある場所に連れて行った。
そこは教会だった。
「マユ、おまえに事前知識を授ける」
「何?」
「シベリウス教とはシベリウスの宗教という意味だ。シベリウスとは預言者シベリウスが起こした宗教だということだ。シベリウスとは人の名前なんだよ。ちなみに『預言者』とは神の言葉を預かる人という意味だ」
「言葉を預かる? そうだ。それで『預言者』。予言者じゃない。間違えるなよ?」
「預言者……」
「それと、シベリウス教には聖典がある。その名は『アヴェシュタ(Aweschta)』という。まずはそれを押さえておけ。そして、シベリウス教の聖なる施設は「教会」と呼んでいる。シベリウス教は聖と俗を明確に分離する宗教だ。聖と俗は二項対立でもあり、一つのペアでもある。宗教的、精神的な在り方を『聖』、その反対を『俗』呼んでいる。日本人の宗教性は分析ずると、清と濁ではないか? 俺はそう思う」
「ええ、と……」
マユは困惑するような顔で聞いていた。
これらの情報はマユの理解の外だった。
まだ事前知識もマユの内側にはない。
誰だって最初はそうだ。
「やはり、理解が難しいというような顔をしているな?」
「ごめんなさい」
「別に謝るようなことじゃない。シベリウス教はポピュラーな宗教ではないからな。では、この中に入ろう。ここは『聖ソフィア教会』。聖ソフィア修道会の教会でもある。ちなみに聖ソフィアは日本人で、日本名を持っている。本名は『遠藤 ミチル』という。さあ、中に入ろう」
ディックとマユは教会の扉を開けて中に入った。
中では歌が歌われていた。
讃美歌だ。
マユはこの讃美歌と伴奏のオルガンがすごく美しいと思った。
歌声も美しかったが、メロディーも美しかった。
マユには讃美歌の歌詞が理解できた。
それは日本語だった。
人々の視線が、マユに集中する。
マユは穴があったら入りたいほど恥ずかしかった。
それはそうだ。
マユは神社や寺は訪れたことはあるが、教会は初めてだった。
ここに来て、マユの心の何かがすとんと落ちた。
ディックとマユは長いすに腰かけた。
修道女たちは次々と讃美歌を歌っていった。
マユはうっとりしながら、讃美歌を聞いていた。
やがて讃美歌が終わる。




