白い家
ディックはマユを白い洋館に連れてきた。
マユは門を通って、中に入った。
「お邪魔します……」
マユは家の中を見た。
それは黒の世界だった。
家の外は白一色だったのに、家の中の調度品は黒一色だった。
「家の中は黒なのね……家の外は白なのに……それにアンティークの家具が多いわ……」
マユはきょろきょろと見わたした。
マユは階段を上がって二階にやって来た。
二階にはディックの執務室があった。
「ようこそ、我が家『ホワイトハウス』へ」
「『ホワイトハウス』? クスクス、何それ?」
マユは笑った。
「あ?」
そして、気が付いた。
こうして普通に笑ったのはいつ以来だろうと。
体調不良はマユから笑顔も奪っていたのだ。
「入ってくれ」
「入ります」
ディックはドアを開けて、黒で統一された執務室にマユを招き入れた。
机、ソファー、テレビ、ラジオ、コーヒーマシン、いずれも「黒」だ。
マユは気になって尋ねてみた。
「どうしてこの家は黒ばかりなの?」
「それは俺が黒を『高貴な』色と考えるからだ。俺は黒が好きなんでね。それにしても何か聞きたそうな顔だな?」
「ええ、あなたが倒したもの……私を襲ったものは何なの?」
「それか……」
ディックはニヤリとした。
「あれは『悪魔』だ」
「悪魔? 確かに悪魔みたいだったけど……」
「違う。本当に『悪魔』だ」
「え? ウソ……だって……」
マユは目を見開き、呆然とした。
マユは力なくソファーに腰かけた。
「あれが悪魔という奴だ。まあ、あれは中級程度の強さだったかな。悪魔には下級、中級、上級というランクがある。そして俺は『天使』だ」
「あなたが天使? むしろ悪魔に見えるわ」
「ははは、そう言ったのは『二人目』だな。おまえ以外にもそう言った奴がいたよ。だが俺は天使だ。実はこの梅園市は天使と悪魔の勢力争いの渦中にある。だから悪魔に狙われる奴も出てくる。おまえみたいにな」
「……」
「どうした?」
「あまりのできごとに理解が追い付かないわ」
「ははは、まあ、そうだな。俺がおまえを助けたのは、天使の仕事の一つが、人間を守ることだからだ」
「人間を守る?」
「そうだ」
ディックはドリップコーヒーを用意した。
お湯がカップに注がれていく。
「天使は光の存在で、悪魔は闇の存在だ。光と闇は相反し、対立し、敵対し合う。それがこの二つの原理だ。おまえが見たのは天使と悪魔の戦いというだけじゃない。光と闇の戦いでもあるんだ」
「光と闇……」
ドリップコーヒーが抽出を終えた。
「最高級の豆を使っているんだぜ? 残すなよ?」
「いただきます」
「ああ、じっくりと味わってくれ」
マユはコーヒーに口をつけた。
コーヒーの苦みが口に広がった。
「ところで、どうして私が狙われたの?」
「おまえが宗教的だからだ」
「私が、宗教的?」
多くの日本人と同じくマユも宗教には疑念を持っていた。
不信感と言ってもいい。
「ああ、そうだ。おまえが気づいていないだけでな。おまえの本性は宗教的だ。だからグレートデーモンはおまえを狙ったんだよ。宗教的な人間の魂ほど、悪魔にとって魅力的なものはないからな」
「そう、なんだ……」
マユは下を向いた。
それは困惑だった。
「おまえは何らかの宗教を持たねばならない。おまえにとって宗教とは不可欠なものなんだ。だから、おまえは宗教について知らねばならない。知識がないようであってはお話にならないからな」
「ねえ、ディックはシベリウス教の天使なの?」
「ああ、そうだ。俺はシベリウス教に属している。シベリウス教の宣言がある。通称『シベリウス教宣言』と呼ばれている。それはこうだ。『私はこんにち、天地万物の創造神、主にして、唯一で、父なる方により、シベリウス教を建立した。これはユダヤ教、キリスト教、イスラームに続く第四の宗教であり、セム的一神教の系譜を受け継ぐ。そして、シベリウス教はアブラハムの宗教となるであろう』とな」
マユはディックの顔をじっと見つめた。
マユにはディックの言っていることが半分も理解できなかった。
セム的などその最たるものだ。
神が世界を創造したという観念、主などの観念が理解の外だった。
「まだ、理解が追い付かないって顔だな?」
「え、ええ……だって初めて聞くことですもの……」
「まあ、シベリウス教について初めて語られると理解が不十分という人が多い。これはシベリウス教が難しいからじゃない。既存の世界観を超えるものだからだ。既存の価値観の中には納まりきらない。それどころか、それをぶち破ってしまう。それがシベリウス教なんだ。だから、まずは慣れることだ。知識や文化は徐々に慣れて行けばいい。そんなものはおいおいついてくる。まずはおまえ自身がおまえの宗教を見つけることだな。やっぱり宗教は怖いって印象があるか?」
ディックはなにもかも見通すような目でマユを見た。
「そうね。あまり近づかない方がいいって教えられたから……」
「マユ、人間の文化なんて相対的なものだ。もし、マユがアメリカ人に生まれていたら、アメリカ人になって、英語をしゃべっていただろう。そして、アメリカ文化を身につけただろう。結局環境で決まってくるんだよ。日本人が宗教を信じないのは自由だが、それによって失われるものもある。宗教がないということは方向性がないということ。目的、目標、到達地点を示すことができないということ。それに宗教には自我意識を確立するという効果もある。結局、今まで日本は外国のマネばかりやって来た。マネするのなら、指導者もビジョンも、戦略も、グランドデザインも必要なかった。日本は明治にナポレオン法典を参考にして、新しい民法を作った。模倣するだけなら、方向性という原理は必要ない。いかに how の世界だ。これまでは日本はそれだけでやってこれた。日本に住んでいてつくづく思うのはこの国には指導者が不在だということだ。つまり、船長不在……」
「船長?」
「ああ、船の行き先を決めるんだ。船がどこに行くか、どこを通っていくか、それを決めるのが船長……すなわちリーダーだ。長々と話をしたが、歴史における衰退期とは自分たちの得意なやり方が通じなくなったということだ。衰退とはシステムの逆機能だ。ある時を境にして、システムがマイナスに働きはじける。そういう意味では日本は明らかに衰退している。日本に必要なのは自己革新だ。つまり『新秩序の樹立』ということだ。『日本丸』という船はもはや使えず、廃棄するしかない。歴史の話をここで持ち込むのは宗教はその時代の影響をもろに受けるということだ。まあ、頭にかかわることはここまでにしておこう。今日は気持ちの整理でもするんだな」
「ええ、帰ってそうするわ」
「マユ」
「何?」
「ここに来たかったらいつでも来てかまわない。一つ確認しておく。おまえは自分の病気の正体が知りたいか?」
マユはしばらく黙ってディックを見つめていた。
マユは決意して話し出した。
「うん、私はこの病気を治したい。宗教にかかわるのは怖いけど、ディックなら信じられる」
「まあ、まずは宗教的リテラシーを身につける必要があるな。明日にまたここに来てくれ。その時はほかの人や場所を紹介してやるよ。だから、今日のところはもう帰れ」
「ありがとう、ディック。ためになる話だったわ」




