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外では晶が扉を叩いている。ダンダンダンダンダン。ドカッ。蹴ってもいる。

大きく肩を上下させて息を整える妃穂に、茨木が言った。

「……こんな所にこもってしまって」

その声は非難がましい。

「言わないでちょうだい」

「どうするつもりなんです」

「わ、わたくしも少し失敗したかしらとは思っているわ」

外では尚も晶が扉を叩いている。茨木は大きなため息をついた。

「ため息つかないで! ほんとにあなたってわたくしを甘やかさない人よね」

「そうですか? 甘やかしまくっていますよ」

「どこがよ」

「こうしておそばにいるところがです」

淡々と言うのを聞いて、妃穂は口をつぐんだ。

「甘いことばをかけることだけがやさしさではないですから」

「……それはわかっているわ」

「だったらどうして尾崎さんが怒っているのかもわかりますね」

わかる、と妃穂はうつむいて唇を噛んだ。こらあ妃穂出てきなさい、と外では晶がめげずに扉を叩いている。

「わたくしが、あの子に本音を見せなかったからだわ。……摩擦を避けて、ひとりで気持ちを押さえ込んだから」

「わかっているならなんとかしてください。私は自分のベッドで眠りたく思います」

うううっと妃穂は苦々しいうなり声をあげた。

どうしたんですか、大丈夫ですか。尾崎さんそこでなにしてるんですか。各部屋のドアがあいて人が集まってくる気配がする。妃穂が焦った顔になる。

「いやだ茨木、みんな来ちゃった」

「そりゃ来ますよ。あれだけ大騒ぎすればね。そうでなくてもここ音が響くし。夜ですし」

妃穂!と晶が扉を叩きながら言う。

「あんたね、言いたいことがあるなら言えっていってるでしょう、そうやってひとりで抱え込むなって、いつも、いつも、いつも!」

「なんでもかんでも言えばいいというものではありません!」

妃穂も怒鳴り返した。

「リクエストしてるのに!」

「却下します!」

「このおッ」

更に声を張り上げた晶を、同級生たちが押しとどめた。しーっ尾崎さん、先生が来ちゃいます。静かにして。




妃穂が肩をすぼめてくしゃみをした。裸足の足を重ねてこすり合わせる。寒いですねと茨木が言った。夜の調理室。暖房が入っているはずもない。

「……出て行きづらいわ」

やっとその気になったかと微笑む気持ちは表に出さず、茨木は淡々と言った。自業自得です。

くっと妃穂が奥歯を噛みしめる。

「で? どうするんです」

「待ってちょうだい、今考えているわ。……ああもうどうしてこんなところに逃げ込んじゃったのかしら」

あなたの悪い癖のせいです。茨木はつけつけと言った。

「追い込まれるとつい逃げにまわるのは悪い癖だと思います。踏みとどまる習慣をつけていただかないと」




「どなってごめんね」

晶は扉に口を寄せるようにして、静かに言った。

「さっきは確かにあたしもきつかった。ごめん、妃穂」

返事はない。聞こえてはいるはずだが。

「喧嘩はしたくない。ここあけて」

扉に耳を当てる。かすかに中で人が動きまわる気配。中でなにやってるんだ?と首をかしげたちょうどその時、鼻先に甘い匂いが漂ってきた。カラメルだ。

「……あいつは何をやってんだ、こんな時に」

晶は扉から体をはなして不穏な低い声を出す。


「カラメルの匂い」

誰かが言う。

「仲直りのお菓子ですね」


「そんな悠長な」

口で言やいいんだ口で、と大声を出しかけた晶の口を、同級生数人があわてて押さえた。

「それは言っちゃダメです」

「わざわざ水をさすようなこと」

あのねえと晶が苦い顔をしたが、彼女たちは揃って真剣な顔で首をふった。

「それはデリカシーないです尾崎さん」

「そうです、高橋さんがせっかく」

ふーと晶はため息をついた。納得はしていない。そんな表情ではあるがひとまず大人しくなった。同級生のひとりが言う。


「でも高橋さんは、あなたがあの人のために留学を取りやめたりしていたら、とても怒ったと思いますよ。……そんなこと、あなたはしないでしょうけど」

「うん、しないね。あたしは妃穂のために自分の気持ちを殺すことはしない。自分のやりたいことをやりながら、そのままの自分で妃穂と付き合っていくし、妃穂を大切にしていく」

「だから、高橋さんにも自分を殺して欲しくないんですか?」


「そうそれ!」

晶は手をうって同級生を指差した。

「あいつはたまにあたしのことを、まぶしいような目で見ることがある。自分には手の届かない憧れの象徴をあたしの中に見るみたいに。そんなふうに見られると、傷ついちゃうんだよ」

「尾崎さん……」

「そういう妃穂を見ると、こう言われてるように思える。自分は一生自由になれないから、かわりにあなたがわたくしの分まで自由に生きてちょうだいって。わたくしはそれを見て満足しているからって。そうじゃないんだよって、言いたい。住む場所が離れても立場が違っても、あたしたちはつながってるんだって、言いたい」

晶はそう言うと、ちょっと息を吐いて大きく前髪をかきあげた。それから勢いよく冷たい廊下に座り込んだ。あぐらをかいて、調理室の扉に背中をくっつける。

ごつんと後頭部を扉にもたれさせて、天井を仰いだ。軽く目を閉じて続ける。


「あたしと妃穂とは一緒に生きるんだよ。あたしだけ自由奔放であいつはずっと籠の鳥じゃないんだよ。閉じ込められたラプンツェルじゃないんだよ。自由には、一緒になるんだよ」





一体どれほど待っただろう。

実際それほど時間はかかっていなかったが、明かりの消えたうす寒い廊下でただじっと待っているのは、実際よりもひどく長く感じられた。

ポトン、頭になにか落ちてきた感触で晶は我にかえる。見ると上窓から妃穂が白い指先だけを覗かせて鮮やかな色のなにかを落としていた。

黙って拾い上げる。

紫がかったピンクの包み紙、その中身はお菓子だった。

グラノラトフィーバー。カラメルがまだ熱いうちに市販のグラノラを混ぜて作るお菓子。カラメルの匂いはこれを作ってたからか、と晶は眉間にしわを寄せて包みを開いた。

ワックスペーパーに妃穂の字でなにか書いてあるのを確認して、晶はまた一段と低くかすれた声を出した。

「……おいこら」

こんなことする前にまずすることあるだろ、開けろここを。

とまた大声を出しかける晶を、再び同級生たちが牽制した。

「しーっ、尾崎さん!」

「これって全部食べてからでないと返事したらダメなんだっけ? ……っておい妃穂、全部でいくつ作ったんだっ」

6本よ、と中から返事が聞こえてきて晶は嫌な顔をした。

「全部食べきれると思ってんの? 嫌がらせ?」

「あなたならいけますから」

という声はもう落ち着き払っている。

「……たく」

晶はグラノラトフィーバーを一本頬張りながら思った。なるほど、製菓というのはこういう側面もあるわけか。少なくとも、ヒスを起こしていては作れない。


「おーいこれあったかいんですが。というか、熱い」

「出来たてなんです」

中から茨木が笑い声で返すのを聞いて、晶は思った。

口で言えばすむところをわざわざお菓子で伝えるなんて、正直まどろっこしいと思っていたけどこうしてみるとそうでもないな。

事実、棘々していた心もムードも、今はもうどこかへいってしまっていた。





『応援してる』

『頑張って』

『必ず帰ってきて』

『忘れたらだめよ』

『元気で帰ってきて』

『メールして、電話も』


やっとのことで6本全部飲み下した晶は、ワックスペーパーを一枚一枚目の前に広げて読み上げる。

音読しない!と中から妃穂の怒ったような照れたような声。晶がたずねる。

「これで終わり?」

「どういうこと」

調理室の扉を挟んで顔を寄せ合うようにふたりは会話している。

「もうないの? あとは?」

「おしまいです。なぜ?」

「え、おしまいって、包み紙が? 材料が? 気持ちが?」

「喧嘩売ってるのあなた」

中から妃穂の不穏なかすれ声。

「だって足りないよ?」

「何がですか」

「ここまで書くのに、どうして好きって書いてくれないの? あと『行かないで』とか。一番言いたいのはそこなんじゃないの? どうしてそこを伝えてくれないかなあ」

「あなた、ねえ」

妃穂は腰くだけになって調理室の床に座り込んだ。

「ほんとに……いやもう、この人」

「あたしがいなくなるって実感すると不安で寂しくて、それを隠せなくなっちゃうくらい動揺しちゃうんでしょう。それって、隠さずにはいられないくらい強い気持ちで悲しがってくれてるってことだよね、違うの?」

そうです、と小さな声で妃穂はつぶやいた。

だがそれは小さすぎて、扉の向こうまでは届かなかったようだった。晶が更に続ける。

「ねえどうして? 本当に好きすぎて文字にもできないの? それともわざわざ伝えるまでもないような軽い気持ちだから書かないの?」


「誰がそんなことを言いましたか!」

妃穂のヒステリーが爆発した。

「そこまで言わないとわからないんですかッ」


「あんた前になんてった? 当然わかってくれてるだろうから言わなくていいなんていうのは油断で甘えだって言わなかった?」

「行かないでって言っても行くでしょ!」

「行くともさ」

「だったら言っても意味ないでしょ、あなたのことを困らせるだけでしょ!」

「そんなことないって! 言ってよ」

「いやです、困らせるってわかってるのに」

既にふたりのやり取りは怒鳴りあいに近くなっていた。

「でも今言ったよね」

「たとえばなしです。言ったうちには含めません」

「うへー屁理屈」

「あなたにはこれくらい強引でいいんです」


「盛り上がっておいでのところ大変恐縮ですがみなさん」


その怒鳴りあいを中断させたのは寮監督の先生だった。

ふりむいた晶はげっという顔になる。扉の向こうの妃穂も同様。いつからそこに先生がいたのか、少しも気づかなかった。

見回りにきた寮監督の初老の女教師は険しい顔をつくって言った。

「就寝時間はとうに過ぎていますよ、みなさん。お部屋にお戻りなさい」

静かに諌める口調で言われて、全員、すみやかに撤収した。





翌日、妃穂と茨木は空港で晶を見送った。

なにごともなく別れを終えて、尾崎晶からの手紙に妃穂が気づいたのは寮に帰ってからだった。

白い封筒に白い便箋でインクの色は黒。そっけないくらいシンプルなそれは晶のまっすぐな性格そのまま。

手紙は妃穂の枕の下にそっと忍び込ませてあったので、彼女がそれに気づいたのは寝る寸前のことだった。





高橋妃穂さま。

最後ああ言ってくれて嬉しかった。

最後の最後で本音を見せてくれたあなたに敬意を表して、私もあなたに手紙を書きます。

(多分ずっとメールでのやりとりになっちゃうだろうから、手紙なんてこの一年で最初で最後かもしれないね)

はじめてあなたに会ったときのことをまだ覚えています。

綺麗だけど鼻持ちならない感じがするなというのが正直な感想でした。

むっとする顔が目に見えるようです。

まあまあ。

ちゃんと最後は褒めてしめるから、まあ聞いて。

あたしが転校ばかりしてきたことは話したと思うけど、どこにも一人はいるんだよね、当時のあんたみたいな奴。我がままでプライド高い、女王さま気取りの。

あーわかってる。

だから、あとからちゃんと褒めるってば。

第一印象は最悪でした。ああまたこのタイプの女かと思った。

しかも同室だったしこれからが大変だなって。

でも、第一印象が悪かったにもかかわらず、あなたのことがどうしても気になって気になって仕方なかった。なかなか言わないあなたの本音を引きずり出したかった。

どうしてなんだろう。

考えました。

あなたのことだけなぜ気になるのか。どこに魅力を感じているのか。

少しずつ話をするうちにわかってきました。

今まで見てきた薄っぺらなお嬢さまたち、その高いプライドの割に自分の世界がどんなに狭いか知らない女の子たちとあなたは違った。

あなたは『高橋本家のひとり娘』であり『財閥の跡取り娘』という現実に潰されてはいませんでしたね。

私はそこにあなたのしぶとさや、一筋縄ではいかなさそうな強い個性を感じて仲良くなりたいと思ったのでした。

自分に通じるところがあると思ったのでした。

あなたの素の言葉を聞きたかった。

今回のことに限らず、あんなにしつこく本音を言え、気持ちを隠すなと言い続けたのは、気づいていたでしょうか?あなたにだけです。

あたしの17年間で一番嬉しかった言葉。

それはいつかあなたが言ってくれた『ずっとここにいたらいいわよ』でした。

これからはずっとここにいたらいいと言われて、あたしは故郷にやっと帰ってきた、長かった旅はこれで終わった、そういう気持ちになったのでした。故郷なんて、持ったこともないくせに。

もちろん聖葉は、高校を卒業したら自動的に出て行かなければならない世界なのですが、その時あたしは思ったのでした。

故郷のように、いつでも出て行っていつでも帰ってこられる場所。そんな場所を、あなたとの関係の中につくろうと。

あなたの心の中に、決して取り上げられることのない私のためだけの椅子があること。そしてそれは、お互いにそうであること。

そういうふうになりたかったのでした。

聖葉を卒業したから終わりになるのではなく、大人になるにつれて離れていくのでもなく、そのあともずっと濃密な時間を積み重ねていく。そういうふうになりたかった。

私の強引さに根負けしてくれてありがとう。おかげでこんなに仲良くなれましたね。

どんな形であってもぶつかりあって互いに摩擦を起こすことで、私たちの絆は深まるはずだと思った私の考えは見事に当たっていたわけです。

妃穂、私はあなたが大好きです。

留学を薦められてもしばらく本気で迷ってしまったくらいに。

一年間くらい離れていてもなにも変わらないと、わかっていてもそれでも離れたくないと思ってしまったくらいに。

それでも行ってきます。

そして帰ってきます。

あなたの友人として恥じない自分であり続けようと思う気持ちが、これから行く場所で私を堂々といさせてくれるでしょう。

一年たったら戻ります。そのときまた会いましょう。

愛と友情と尊敬をこめて。


晶。

読んでいただき有り難うございました。

「手紙」というお題が先にあって、50枚程度の読みきり短編をというリクエストで生まれたのがこの話。そのつもりで書いていましたが、50枚には入りきらず、また読み切りにもなりませんでした←

ということで次は、晶が聖葉に来たばかりの頃の話。

早逝した母の顔を知らない晶は、その母校である聖葉にどうしても入りたい理由があった。

50年以上ここにいる初老の女舎監のやさしく平等な厳しさと共に。

「先生のコーヒー」。

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