1(ジェームス)
(side ジェームス)
「殿下、ご婚約者のいる身でこれはさすがにいかがなものかと存じます」
彼に最後に伝えた忠言はそれだった。
その言葉を聞いた、殿下、この国の第一王子であるクリストファー様は眉をひそめた。
それから、「お前は、私に対して何か物申せるような立場か?」とクリストファー様は言った。
俺はその瞬間、何も言葉が出てこなかった。
言い返せなかった俺にクリストファー様はため息をつく。
他の取り巻きはやれやれといった調子で俺を嘲笑するような態度で見てくる。
「お前の顔はしばらく見たくもない。下がれ」
クリストファー様はそう言った。
俺は会釈をしてその場を辞するしかなかった。
家に帰って父親には今日の顛末を話した。
父親はため息をついて「もっと上手くやれないのか」と言った。
その日、とても遠回しな側近を外すという通告が宮殿から届いた。
ずいぶんと手回しの早いことだとその時は思った。
けれど、それは正式なものではないと父は言った。
だから、なんとか殿下の信頼を回復するのだと言われた。
信頼を回復するのだ。と言われてもどうしたらいいのかは分からなかった。
けれど、もっと積極的にあの殿下にべたべたとする令嬢を何とかしなければならなかったのだ。
ことがおきたのは学園主催のパーティでのことだった。
「カトリーヌ、そなたとの婚姻を破棄する!」
場違いな声が響く。
それがクリストファー様だと気が付いた俺は息を飲む。
婚約破棄をするにしたってこんな場所で怒鳴りつけるのは明らかに王族としての品位に欠く。
あの人はそんなことすら分からなくなってしまったのか。
クリストファー様の婚約者たるカトリーヌ様は、扇をさっと口元にあてた後、観察するようにクリストファー様を見ていた。
その後の彼の醜態は酷かった。
集まった同学年や下級生の貴族たちもひそひそと囁き合う。
それから、カトリーヌ様はあらかじめ準備してあったように宮殿の近衛騎士を呼び、クリストファー様と浮気相手である令嬢、それから取り巻き達を連れ出した。
まるで流れる様な一幕だった。
これで、クリストファー様の失脚は決まってしまったのかもしれない。
何故ならばカトリーヌ様はこの国で最も力のある公爵家の令嬢だからだ。
その高貴なる令嬢に失礼を働いた人間は王族であれ許されないだろう。
そう考えていると、カトリーヌ様と目が合う。
それからカトリーヌ様はこちらに向かって歩いてこられた。
軽く会釈をするとカトリーヌ様は美しい笑みを浮かべた。
「何故、忠臣たる動きをせねばならない身のあなたが、殿下のおそばではなくこんなところにいるのです?」
それは疑問ではないことはすぐにわかった。
彼女は俺に対して職務放棄をして、何故こんなところに一人でいるのか聞いているのだ。
彼女のいう殿下に外されたのだ。と声を大にして言いたいが、そんな言い訳を聞いてもらえるような関係ではない。
「あなたも宮殿へ行って沙汰を待つべきよねえ」
にっこり、といった言葉がぴったりなおっとりとした笑みを浮かべるカトリーヌは事態をわかって俺に最後通告をしている。
彼女に頭を下げてそれから宮殿にむかった。
下された沙汰は厳しいものだった。
両親からは学園を卒業するまでは親の責任として養育するがその後は自分ひとりで何とかしてほしいと言われた。
当たり前だ。俺が家に残れば第二王子派からずっと目をつけられたままになってしまう。
家門を守るためには仕方がないことだとは知っている。
唯々諾々と第一王子のいう事に従った馬鹿な取り巻きだという話を覆すことはできなかった。
実際俺は第一王子の側近候補だったし、学園に入学するまでは仲が良かった。
あの令嬢に近づきすぎない方がいいと言ったときのやり方が下手くそだったのがいけない。
何度考え直しても答えはでない。
俺にも婚約者というやつがいた。それも向こうから婚約の白紙をという申し出があった。うちとしては了承するしかなかったらしい。
しかも俺だけあの婚約破棄騒動よりかなり前から行動を共にすることを第一王子から許されていなかったため、処罰が俺だけ軽いことで他の取り巻き達やその家族からは恨まれているらしい。
恨むならあの王子を恨めというのは不敬すぎて口にできない。
唯一あの婚約破棄騒動で被害者だったと言える公爵令嬢だけは、完全に俺をいないものとして扱っているだけでそれ以外の手出しは何もしてこない。
どちらにせよ将来有望だと言われていた人間が一夜にして人生の落伍者になってしまったのだ。
* * *
「あの!」
校舎から離れた庭園のすみっこで一人で昼食をとろうとしていたところ声をかけられる。
制服の胸元には家門を模したエンブレムの刺繍があるのが基本だ。
目の前の少女にはそれが無い。
それで彼女が平民なのだと分かる。
短い赤毛が印象的な小柄な女の子だ。
顔を見た覚えはない。
今まで話したこともない少女だった。
「なにか?」
俺がそう言った次の瞬間、少しだけショックを受けたような表情をその少女はした。
けれどすぐに気を取り直したようで、じっとこちらを見る。
「ぶしつけなお話ではございますが。
是非私の婿になってくださいませ!」
と言って頭を下げた。
その姿勢が平民にしてはやけに様になっていて、一瞬何を言われたのか理解が遅れた。
「は? 婿?」
言われた意味がわからず思わずオウム返しの様に言葉を繰り返す。
「何故、俺が平民の婿に?」
俺がそう言うと、少女はやや驚いた様な顔をした後、少しだけ考える様に瞼を伏せた。
「三年、いえ二年待ってください。
必ず男爵位を買いますから!」
赤毛の平民の少女はそう言って俺にむかって笑みを浮かべた。
その時はこの少女が俺のことを馬鹿にしているのだと思った。
だから、「俺を馬鹿にしているのか?」と聞いてしまったのは仕方がないことだと思う。