獣人 第五話
本当に唯ちゃんがいるのかなと思っていたんだけど、人懐っこい笑顔は唯ちゃんそのものだった。今でも一緒に遊んでいた時の面影が残る可愛らしい唯ちゃんの笑顔だ。
でも、なんで体が成長しているのよ。私より年下で控えめな体だったと思うんだけど、よくよく見てみたら顔も大人っぽくなってるじゃない。私は何も変わってないのに、なんで唯ちゃんはこんなに成長しているの?
「あれれ、みさき先輩じゃないですか。今日はお兄ちゃんと一緒じゃないんですか?」
「うん、ちょっと一緒に入れない訳があってね」
「もしかして、お兄ちゃんに振られたんですか?」
「そうじゃないけど、まー君と一緒にいると大変なことになっちゃうんだよね」
「ああ、あの話って本当だったんですね。お兄ちゃんとみさき先輩が一緒にいると世界が終わっちゃうってやつ。まじ受けるんですけど」
「そんなに面白いかな。でもさ、どうして唯ちゃんもここにいるの?」
「どうしてって言われても、私だってなんでここにいるのかわからないんですよ。一人取り残されたと思ったらお弁当屋さんが出てきて、気付いたらここにいたんですよね。あ、もしかして、みさき先輩って何も成長してないんじゃないですか?」
「そんな事ないと思うけど、唯ちゃんはなんだか随分とご立派に成長してるんじゃないかな。一体何をしたのかな?」
「えっと、私がしたことと言えば、お弁当を毎日食べてたことくらいですかね。よくわからないんですけど、そのお弁当って特別な奴らしくて、食べると凄く強くなっちゃうらしいんですよ。でも、みさき先輩みたいに相手を殺して強くなる感じじゃなくて良かったなって思いますよ。唯は生き物を殺すのって良くないんじゃないかなって思うんですよね。自分が強くなるために殺すのって、ちょっと猟奇的すぎませんか?」
「私だって好きで殺したりしてるんじゃないのよ。出来ることなら平和に生きたいんだけど、襲われちゃったら仕方ないじゃない。誰だって抵抗くらいするでしょ」
「唯だったら抵抗する前に助けを呼んじゃうかもしれないな。だって、恐い人嫌いなんだもん。みさき先輩って、もしかして唯の事も殺しちゃうんですか?」
「唯ちゃんの事を殺したいなんて思ったことは無いよ。ずっと仲良く一緒にいたいなって思ってるんだけどさ」
「でも、今はそうも言ってられないんですよね。唯はお兄ちゃんとみさき先輩ってすっごくお似合いだと思ってたんですけど、一緒にいれないんじゃお似合いとは言えないですよね。唯はお兄ちゃんに会いに行く前にみさき先輩に会いたいなって思ってたんですけど、その願いが叶って良かったな」
「へえ、そんなに私に会いたかったんだ。何か理由でもあるのかな?」
「あれあれあれ、みさき先輩って何か唯の事警戒してますか?」
「そんな事はないけど、何か理由があるのかなって思っただけだよ」
「みさき先輩はお兄ちゃんよりもっといい人いるって気付いてないのかな。お兄ちゃんは唯に返してもらうね。バイバイ」
言いたいことだけ言っていなくなった感はあるけど、まー君よりふさわしい人って誰の事を言っているんだろう。そんな人いないと思うんだけどな。
そんな事を考えていると、急に体に力が入らなくなってしまった。一体どうしたというのだろうか。全身に全く力が入らなくて、とうとう膝をついてしまい、上半身も力なく地面に倒れこんでしまった。
「あ、ちょっとやりすぎちゃったかもしれない。ごめんごめん。今すぐに解いちゃうから待っててね」
学校に行っていた時はほぼ毎朝聞いていたこの声はお姉ちゃんの友達の愛ちゃん先輩だ。唯ちゃんに続いてなんで愛ちゃん先輩までここにいるのだろう。そう思っていたのだけれど、頭の中がぐるぐると回っていて考えがまとまらなくなっていた。
「ごめんね。みさきタンが逃げちゃいそうだったからちょっとだけ力を使っちゃった。私もこの世界に来て特別な力を手に入れたんだよ。本当は教えちゃ駄目なんだけど、みさきタンなら特別だよね。前の世界では糞虫に邪魔されてみさきタンとのラブラブな時間が無かったんだけど、ここでは邪魔も入らないし、二人だけで一緒に暮らしていこうね」
「ねえ、なんで愛ちゃん先輩がここにいるの?」
「なんでって、みさきタンがいるからだよ。私はみさきタンのためだったらどこにだって駆けつけるからね。それに、唯ちゃんから聞いたんだけど、あの糞虫と一緒にいられなくなったらしいじゃない。もう、それなら私と二人で末永く一緒に暮らすしかないよ。ねえ、どこに住もうか?」
「待ってよ。私は愛ちゃん先輩とは一緒に住むつもりはないよ。それに、質問に答えてないじゃない」
「もう、みさきタンはわがままさんなんだから。特別に教えてあげるけど、私は唯ちゃんに呼ばれてここに来たんだよ。どんな方法なのかは興味無いからわからないけど、唯ちゃんってとんでもないチート能力を手に入れているみたいだよ。みさきタンも凄い能力をもらったみたいだけど、成長力だけだったら唯ちゃんには敵わないんじゃないかな。今だって、唯ちゃんは成長し続けているけどみさきタンは誰も殺していないわけだから成長してないもんね。詳しいことはちゃんと聞いてないんでわからないけど、唯ちゃんって何かを食べると強くなるらしいよ」
「何それ。食べて強くなるなんてわんぱくな子供じゃない」
「でもさ、こんないい方したらみさきタンは傷付くかもしれないけど、体は完全にみさきタンの方がお子様だよね。でも、私はそんなみさきタンが大好きだよ」
「私が幼児体型だとでも言いたいのかな?」
「ううん、違うのよ。みさきタンはみさきタンのままでいいの。私はどんなみさきタンでも変わらずに愛してるからね。そうそう、私の能力を説明するのを忘れていたわね。みさきタンは私の手に入れた能力の事聞きたいかな?」
「そんな風に言われるとあんまり聞きたくないかも。聞いてもいい事なさそうだし」
「もう、そんなこと言っちゃだめだよ。私もみさきタンの役に立てるかもしれないんだからさ。ちなみに、私の能力は、自由自在に毒を作ってプレゼントしちゃう能力だよ。さっきのは致死性の低い麻痺毒だったんだけど、びっくりしたかな?」
「毒って、本気でひくわ。昔からちょっとヤバいかもって思ってたけど、愛ちゃん先輩って本当にヤバい人になっちゃったね」
「もう、そんな目で見つめちゃ悲しくなっちゃうぞ。でもさ、ちゃんと致死量を超えた毒を糞虫にもプレゼントしようかなって思ってるんだよね」
「え、それは本当にやめてよ。そんなことしたらまー君が死んじゃうかもしれないじゃん」
「そうだよね。さすがに知り合いを殺すってのは私も気が重くなっちゃうからやらないけどね。今はちょっとした実験をしている最中なんだけど、なかなかうまく行かないんだよね」
「実験って、人でしてるわけじゃないよね?」
「ん、人だったり獣だったり色々かな。でもさ、私だって黙って殺されてくないし仕方ないじゃない。みさきタンだって殺される前に相手を殺してたりするんでしょ?」
「そうだけど、実験は良くないんじゃないかなって思うな」
「もう、そんないい子ぶってるみさきタンも好きだけど、世の中は綺麗事だけで片付けられない問題もあるんだよ。でもね、私の毒だったら綺麗事だけで行けちゃうかもしれないよ」
「どういうこと?」
「それはね、私の毒を脳の一部にだけ作用するように組み替えて、記憶を操っちゃうの。例えば、糞虫の記憶からみさきタンの事を完全に消しちゃうとかね」
「そんなこと出来るの?」
「今は無理だよ。私が思っているよりも人間の脳って複雑なんだよね。ちょっと間違えただけで完全に動かなくなったりするからさ。ほら、みさきタンと一緒に来たそこの騎士の人みたいにさ」
私は愛ちゃん先輩のその言葉を聞いてノエラさんが一緒にいたことを思い出した。
振り返った私が見たのは、口から泡を吹きながら白目をむいて意識を失っているノエラさんの姿だった。