聖騎士の息子 第一話
覚えたての魔法でみさきの居所を探ってみたのだけれど、僕は上手く魔法を使うことが出来なかった。そもそも、僕は魔法の使い方をちゃんと理解していなかったのだ。誰か魔法について教えてくれる人がいればいいのだけれど、そんなに都合よく教えてくれる人は現れなかった。というよりも、僕は見覚えの全くない森の中で一人途方に暮れていたのである。
持っているものを確認してみても、身に着けている服以外は何もないのだった。ポケットの中にコインの一枚も無く、文字通りに無一文な状態であった。しかし、そんな僕でも無一文から少しだけお金を手に入れることが出来そうなチャンスが巡ってきた。どこの誰かは知らないけれど、ちょっと離れた木の枝に吊るされている人達がたくさんいたのだ。あれだけの人がいれば少しくらいはお金を持っているのではないかと目星をつけていた。現金を持ち歩いていなかったとしても、身に着けている武器なんかを売りさばいてしまえば多少のお金にはなるだろう。そんな考えで不用意に近づいてしまったのだが、何らかのトラップが仕掛けてあったらしく、僕も他の人たちと同じように木に吊るされてしまった。
粘着質の糸のようなものが体中に巻き付いていて気持ち悪いのだけれど、自分が思った通りに力が入らないのは何とももどかしいものである。僕よりも体の大きい人たちも吊るされているところを見ると、僕程度の重さではこの糸を斬ることは難しいのだと簡単に見て取れた。ただ、それは己の力だけで糸に挑んだ時の話である。僕には強力な魔法がついているのだ。その魔法にかかればこんな糸なんてあっという間にごみくず同然になるのだ。そう思っているのだけれど、僕は相変わらず魔法の使い方をちゃんと把握していないのだ。我ながら、困ったものである。
「おや、誰かがかかったと思って見に来てみたら、今度は雄人間の子供か。雄人間は力が多少強いだけで旨味もないし、魔力の貯蔵量も僅かだからあまり嬉しくないんだよな。それにしても、馬鹿みたいに暴れているのはどうしてなんだろう? この糸に触れた人間がちゃんと自我を保ててるなんて不思議だぞ。もしかして、君は魔法が使えるのかな?」
糸に絡まった僕を見に来たのはいかにも僕を救いに来た正義のヒーローではなく、いかにも悪の幹部と言った風貌の蜘蛛のような魔物だった。
顔もそうなのだけれど、無数に生えている腕が気持ち悪さを増大させていた。僕は虫は苦手ではないのだけれど、虫が苦手な人が見たら悲鳴をあげる前に気絶してしまうんじゃないかと思った。それくらい、気持ち悪い見た目をしているのだ。
魔物は先ほどと同じようなセリフを繰り返しているのだけれど、僕がそれに反応していないためか、何度も何度もそれを繰り返していた。いい加減面倒になってきた僕は少しだけ反応してみることにした。
「僕に言っているのか?」
「そうだよ。君に言っているんだ。この糸は触れた相手の神経に作用して身動きが取れなくなるんだけど、君はさっきから馬鹿みたいに暴れているけど、一体何者なんだい?」
「何者って言われても、ごく普通の一般男子だと思うけど」
「そんなわけないだろ。見てごらんよ。君の周りで吊るされている人達をさ。そいつらは僕を退治しに来たって言ってたけど、何も出来ずに宙に吊るされているだけの物になっちゃったね。ま、君もそうなんだけどね。で、君は一体ここに何しに来たのかな?」
「何しに来たって言われても、気付いたらあの辺にいたし、ここがどこかもわかってないんだよね」
「そうなんだ。そうなんだ。君は何も知らずに僕の支配領域にやってきたんだね。何も知らなかったのなら仕方ないね。でもさ、勝手に入ってきて手ぶらで返すのも悪いし、君みたいに僕の糸に耐性がある人を野放しにするのも迷惑な話だからさ、いったん死んでもらってその後ゆっくり食べさせてもらう事にするよ」
「いや、そんな事を言われてもさ。僕は死ぬわけにはいかないんだよね」
「そうだろうそうだろう。誰だって死ぬわけにはいかないんだよ。でもね、君は僕の糸に触れた瞬間にその命を失ったと思っていいんじゃないかな。どうやったって助からないでしょ。だからさ、君みたいなイレギュラーな存在は真っ先に殺しちゃうべきだよね。悪いとは思わないけど、せめて楽に殺してあげるよ。ただでさえマズい雄人間が苦しんで死んだとしたら、そのマズさは飲み込むのを拒否するレベルまで上がってしまうからね。この場合は下がってしまうのが正しいのかもしれないけどさ。そんなのはどっちだっていいね。じゃあ、君は特別に僕がこの手で楽にしてあげるよ」
「ちょっと待ってもらってもいいかな?」
「何かな?」
「僕を殺した後に食べようとしているだろ?」
「そうだけどさ、それがどうかした?」
「いや、僕を食べようとする前に、お前の後ろで威嚇している大きいクマをどうにかした方がいいんじゃないか?」
「僕の後ろにクマがいるだって?」
蜘蛛男の後ろに立っている熊は人間二人分くらいはありそうな身長で、うなり声をあげながら蜘蛛男を威嚇していた。
振り返った蜘蛛男は一瞬驚いていたようだけれど、熊が動く前にどこから出したのかわからない糸を熊の体に巻き付けていた。しかし、その熊に糸が絡みつくことは無く、放出されたいとはそのまま勢いを失って地面へと落下していた。熊は相変わらず威嚇をしているのだけれど、何か攻撃をする様子も無かった。
ただ単に威嚇をしているだけの熊なのだ。蜘蛛男も恐る恐る近付いてみたりしていたのだけれど、一向に熊が襲いだす様子も無かったので、蜘蛛男は延々と威嚇を続けている熊を無視して僕に狙いを定めてきたのだ。
「あの熊が何なのかわかりかねるが、それは君を食べてからでもいいんじゃないかと思ってきたんだよね。ここに熊がいるのは不自然だし、襲ってこないのもおかしな話だ。じゃあ、話を戻そうね。君はどんな死に方がいいかな?」
「どんなって言われても、僕は死ぬつもりはないんだけどね。僕の代わりに君が死んだら万事解決なんじゃないかな?」
「凄いね。この状況でもまさかの返答。命乞いをしてくれるような奴だったらもう少し遊んであげようかとも思ったけど、君みたいな勇敢な人には敬意を払わないとね。苦しまないように生きたまま飲み込んであげるよ」
「それも気持ち悪いんだけど、ちょっと試したいことがあって、それだけ試させてもらってもいいかな?」
「あんまり無理難題は言わないでね。少しくらいなら君の最後の願いを聞いてあげるからね」
「良かった。じゃあ、お前は焼かれて死ね」
僕の言葉に蜘蛛男が反応してくれたのか、僕の言葉が魔法の発動条件になっているのか。おそらく後者だと思うのだが、先ほどの熊と同様に僕が言ったことが魔法として発動しているのだ。魔法を使うのにカッコいい呪文や魔法陣を少しだけ期待していたのだけれど、この方が手軽に使えていいのだと思う。
僕は体を包んでいて身動きが取れない原因になっている糸を魔法で斬り刻むと、僕以外に吊るされていた人たちも糸から解放されていた。まだ、誰も目覚めてはいないのだけれど、動きだせるようになるまでどうしたものかと蜘蛛男の死体で遊ぶくらいしか時間を潰せそうな行動はとれなかった。
「あれ、蜘蛛の魔物が倒されている」
「本当ですか。それだとしたら、誰が蜘蛛を倒したんでしょうね?」
「私達の同志ではないことは確かなのだが、見慣れぬ子どもが一人いるな。何か知っているかもしれないので尋ねてみることにするか」
いかにも偉い人ですよと言った甲冑を身に纏っている騎士が僕に向かってまっすぐ歩いてきた。歩いてきた道すがらには、さっきまで蜘蛛男だった煤が散らばっていたのだけれど、誰もそれに気付かないようだった。どうでもいい事だから言う必要も無いのだろう。
「こんな場所に子供が一人でいるのは危険だから家まで連れて行ってあげるよ。君の住んでいる家はどこにあるのかな?」
「家ですか。家と言われても、僕はこの世界に来てまだ一時間も建っていないんで家なんてないですね。どこかに住めそうな場所はありませんかね?」
「そう言われてもな。君に剣の才能があれば私のもとで修練に励んでもらう事も出来るのだが、君のその華奢な体ではそれは期待できないであろう。それ以外に特技があればそれでもいいのだけれど、何か一つくらいは特技が無いかね?」
「僕の特技ですか。しいて言えば魔法が使えるってことくらいですかね」
「魔法だって?」
「はい、魔法です。魔法で蜘蛛も退治したし、ここに吊るされていた人たちも下におろすことが出来ました。それくらいですかね」
「おいおい、君が魔法を使えるだって。そんなはずがないだろう。魔法ってのはね、女性なら君くらいの年齢で使いこなせるものもいるかもしれないが、男性になると話は別だよ。魔法を使うことが出来ない我々だって一般教養として知っているんだが、男が魔法を使うためには長い時間をかけて修行をすることと、魔法を使えるものと契約を結ぶことってなってるからね。私の息子とそれほど年齢も変わらなそうな君が魔法を使えるなんて、世界中探したってそんな子供は見た事ないね」
この人はきっといい人なのだろう。先ほどの特技が無いか聞かれたときに感じていたのだが、何でもいいから特技を言えば何日か泊めてくれたのだとは思う。ただ、その特技の選択に魔法と答えたのは唯一の失敗だったのだと思う。彼だけではなく、その周りにいる大人し目の甲冑を身に着けている人達も笑っていたりするし。
こうなったら、うまく行くかわからないけれど、僕は再び魔法を使ってみることにした。でも、今この状況で何の魔法を使うのがいいのか迷ってしまう。僕はどんな魔法を使えばいいのか悩んでいたのだけれど、甲冑を身に着けている人達が全員武器を構えると僕をじっと見ている。いや、僕の後ろを凝視しているのだ。
その視線を追ってみると、僕の後ろにはどこにでもいそうな見るからにボスといった感じの魔獣がこちらを見つめていた。四足歩行の獣にも見えるけれど、今の時点でも僕の三倍はありそうな体高で、その口からはかすかに稲妻のようなものが見えていた。
「畜生。相手は蜘蛛だと思ってやってきたのは失敗だったか。雷獣を相手に出来る装備の物は誰かいないのか?」
「団長殿。我々一同は団長殿と同じく蜘蛛用の装備で参りました。それゆえに、雷獣と戦うことが出来るものはおりません」
「このまま撤退するにも骨が折れるぞ。申し訳ないが、君を守ることは難しくなってしまった。もしも、君と私が無事に生き残ることが出来たのなら、しばらくの間は私の家で過ごすと言い。もちろん、私が無事でなかったとしても、君が無事なら私の家を訪ねてくれ。この魔除けを持っていれば暖かく迎えてもらえるはずだ」
僕は団長と呼ばれた騎士からお守りらしきコインを受け取った。団長は僕がコインをしまったのを見届けると、仲間の騎士たちを鼓舞しつつも攻撃のタイミングを計っているようだった。雷獣の弱点が何なのか全く分からないけれど、攻撃が通れば何でもいいんだと思った。雷獣と言えども獣には違いないだろうし、炎か冷気に弱いのだろう。雷と熱は近そうだし、ここは一つ冷気に賭けてみようかな。
「一つ確認なんですが、雷獣の弱点って何ですか?」
「さあ、我々は雷獣に対して有効な手段を持っていないんだ。電気を通さない服とかはあるのだけれど、攻撃となると何が有効なのか見当もつかないのだ。申し訳ないが、君のその質問には答えを持ち合わせていないのだよ」
「そうなんですか。じゃあ、見るからに冬に弱そうなんで、大人しく凍り付いてくれ」
僕の言葉をトリガーにして発動した魔法は、一瞬のうちに雷獣を氷漬けにしていた。何が起こったのかわかっていない騎士たちは戸惑っていたのだが、氷に包まれて動かなくなった雷獣を前にして少しずつ歓声をあげていた。
「君、本当に魔法を使えるんだな。是非とも我が家に来てくれ。それとだ、君さえよければ我々聖騎士団に力を貸していただけないだろうか?」
「家に呼んでいただけるのはありがたいのですが、聖騎士団ってのは何をしているのですか?」
「我々の任務は二つなのだ。今回は君が手柄をあげたわけだが、蜘蛛男や雷獣と言った人に害をなすものを退治することだな。もう一つは、聖国臣民を守ることだ。どちらかと言えば、守ることに重きを置いているのだよ。今回は蜘蛛男にとらえられている仲間を救うためにやってきたのだからな。このような救出任務は年に一度か二度ある程度だよ。どうだね。君も我々に力を貸してくれないかな?」
「僕の彼女が見つかるまででしたら協力しますよ」
「そうか、君は彼女を探しているのか。ちなみに、どんな子がタイプなのかな?」
「彼女を探していると言っても、彼女を作りたいって意味じゃなくて、離れ離れになった彼女を探しているってことなんですよ」
「それは失敬した。今は離れ離れになっている君の彼女を探すのも手伝うことにしよう。我々聖騎士団の名に懸けて君の彼女も見つけ出して見せよう」
僕は何となく魔法の使い方を覚えただけではなく、しばらくの間寝泊まりできる場所を確保できたようだ。それと、みさきを探してくれる協力者を得ることも出来たのだ。
みさきと会ってしまうと世界が消滅するみたいなことを言っていた気がするけれど、そんなのはどうとでもなるだろう。前の世界が消滅したとしても、こうして僕は生きているのだからね。




