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内側の世界と外側の世界

 自身が耕す土の音を聞きながら、マリはたまらなく懐かしい気持ちに浸っていた。


 尖った石を適当にあしらわれた棒を、鍬と呼んで渡してきたカリドに呆然とし、いつ壊れるんじゃ無いかと内心ドキドキしながらも、一回、また一回と石付き棒を振るう。

 農作業とは切っても切り離せないその影を、どうしても探してしまっている自分がいる事に嫌悪感を抱きながら、かき消す様にまた振るう。

 そして、気が付けば頬がまた緩んでしまっている。

 この感覚は行き過ぎている。マリは、己自身に対し、焦燥感の様なものを感じていた。


「あぁ、また、求めてしまっている。過去には……あの子にはもう囚われないと決めたはずなのに。あれは、もう美しい思い出として私の中で昇華しているはずなのに」


 マリの中の、魔女の部分が過去の幻影に強くこだわらせている。

 ただ、自分が欲しいものの為に動き出してしまいたい。幸せだったあの人との時間が欲しい。

 そんな欲望の塊ともいえる衝動が、こんな陳腐な懐旧の情にさえ現れてしまう己の魔女たりえる部分を、マリはひどく憎たらしく思った。

 ただ、懐かしむだけじゃ足りない。あの場に戻りたい。

 懐かしさが、魔女としての本能に強く呼び掛けている。

 どうしようもないはずなのに、本気で求めてしまっている。

 昨日、一昨日と、強く思い出に触れすぎてしまったせいだろうか。過去と現実がないまぜになるような感覚まで起こっている様な気がした。


「あぁ、醜い……なんて醜態でしょう」


 雲一つない快晴が、マリの体温をじりじりと上げていく。

 見てくれと言わんばかりの誇らしげな太陽にも、マリは憎らしく思う気持ちを抑えられなかった。


「はぁ……暑いですね」


 一息吐いて、石付き棒を置き、額の汗を拭う。視線の先には、畑の反対側で真剣に石付き棒を振るい続けるカリドの姿があった。

 サクサクと、いとも容易く地面を耕していくその姿は、誰がどう見ても農家のそれだった。


「様になってますね。元衛兵って言うのは嘘なんじゃないですかね。それにあれ本当に私と同じ石付き棒ですか? 実は、ちゃんとした鍬隠し持ってたんじゃ……」


 しばらく見ていても、石付き棒を振るうスピードが、落ちることはなかった。

 カリドは相当な苦労をしてきただろう。

 きっと、一筋縄ではいかなかったはずだ。こんな、何もない土地を畑に変えるなんて無謀もいいとこだ。

 何度も逃げ出したいと思っただろう。妻を凄惨な形で亡くし、積み上げてきたものを一瞬で奪われ、それでも生きてゆくために、絶望的な状況から、もがかなければならない。

 それでもカリドは、ヘナンド村の人々は、やり遂げた。

 やり遂げられた理由は恐らくただ一つだろう。

 少なくとも、マリはそれしか思い浮かばなかった。


「愛する人の為……ですか」


 一向に、作業の手を止める気配がないカリドに対し、マリは強い羨望の念が湧いた。

 無念の中に死した妻の為に、妻から託された子供の為に。

 マリは、なんだか急にカリドを見ることが躊躇われる様に感じ、逃げる様に再び石付き棒を地面に突き刺した。


「あぁ、人間はやはり美しい」


 マリは、乾いた声でぽつりと呟いた。


 気合をつけて、石付き棒を振るう。

 刺さりが悪いが、全くできないわけでは無い。

 もうひと頑張りしよう。マリは柄にもなく己を鼓舞した。


「なんだか、ジーナに会いたくなってきました。レヌスさんのおうちに向かった後、少し学校の様子でも見に行きましょうかね。昨日の事も気になりますし」


 マリは、過去の衝動に抗いつつ、畑を耕し続けた。

 どうしても負けそうなときは、ジーナの事を思い出して頬を紅潮させ、時にはアリスの顔を思い浮かべ、冷静になることで全てにおいてなんとか耐えた。


 しかし、いくら気合をつけようが、衝動に勝ろうが、体力が増えるわけでは無かった。


「あぁ、もうだめだ。もたない」


 やはり、マリに農作業は重労働だった。

 ふらふらと、畑の外に出て、そっと腰を下ろす。

 まるで、最初から自分の体は地面に生えていたかと錯覚する程に、座った体勢は恐ろしく心地が良かった。


「マリさん、大丈夫かい?」


 カリドが明るく声を掛けた。

 明らかにマリよりもハードな労働をしていたはずなのに、けろっとした顔で話しかけているカリドを見て、マリは、より疲労感が増した様な気がした。


「えぇ、大丈夫です。これしきの事、キャヌンの森の木漏れ日です」

「はは! それにしては、ガレイドの川下りの様になっているじゃないか!」

「気のせいですよ、私はまだまだやれますから」


 強がって立ち上がるが、足が小鹿の様に小刻みに震えるのを抑えきれなかった。

 ただでさえ悪い目つきがさらに険しくなっていっている事にも気がつかないくらい、マリは疲弊していた。


「ふふっ、足が震えてるぜ? 強がりもいいが、あんまり無理はしないでくれよ、体は財産なんだからな!」


 カリドは、マリに微笑むと、地面にどかりと座り休憩を始めた。

 マリも、それを見て震える足をゆっくりと折り曲げ、なるべく、疲れてないアピールをしながら、何事もないかの様にカリドの横に腰かけた。


「体が財産ですか」

「あぁ、二人の子を持ちながら旅をしているマリさんならよく分かっているだろう?」

「えぇ、まぁ……」


 歯切れの悪い返事しかすることが出来なかった。

 一人は勝手に着いて来ているだけだし、普段は魔法を使う為、体の出番は無いから分からないなどとは、口が裂けても言えなかった。

 それに、もし体を使っていたとしても、マリには、己の魔女の肉体に財産と呼べる程の価値を感じる事がどうしても出来なかった。


「やはり、健康あっての物種だしな! それに、俺がダウンしたらティリアが悲しむ」

「そうですね、カリドさんは、健康に生きるべきです。そして、幸せになっていいと私は思います」


 最愛の人を亡くす不幸にあったのだから、それくらいの幸せを手にしてもいいはずだ。

 マリは純朴にそう思った。

 しかし、一瞥をくれたカリドの顔はどこか浮かない顔だった。


「はは、あいつを置いて俺だけが幸せに……か、ティリアを俺が独り占めしているだけでもあいつに申し訳ないのに、これ以上の幸せなんかないさ」


 マリは、カリドの言葉を聞いて強く己に対する嫌悪感を抱いた。

 マリは、忘れていた。人は、他者の幸せをも、自分の幸せに変えられるのだという事を。

 少し考えれば、カリドがこんな顔をする事は分かったはずだったのに、あくまで、カリド本人単体としての幸せしか考えられない様な矮小な考え方をしてしまった事が許せなかった。

 これ以上の幸せなんかない。言葉だけを聞けばいい言葉のはずなのに、その言葉に内包された、過去に対する郷愁の様な念と、それを割り切って次に踏み出そうともがく人間らしさを、マリはことごとく持ち合わせていなかった。

 それどころか、自分は叶わぬ願いに身をやつし、焦がれ続けている。

 マリは、人間の美しさを強く感じると共に、己の稚拙さを強く露呈させられた様でたまらなく嫌になった。

 そして、やはりこれらを考える上で、カリドの感情など二の次で、自分の内側にしか思考が向いていない魔女的な思考をする自分に気づき、それが何よりも許せなかった。


 こんな己にやはり価値など無い。そう結論づけてやりたい程に、マリは自身が嫌いだった。

 小さくうずくまり、そっと左目を隠した髪をなぞった。


「それになんだか、他人事に聞こえるな。幸せにならなきゃいけないのはマリさんの方だぜ?」

「えっ?」


 マリは、予期せぬ言葉に思わず問い返す。


「そりゃそうだろう、マリさんが倒れたらジーナ嬢ちゃんや、アリス嬢ちゃんが悲しむぜ?」


「……」


 カリドからの言葉を頭の中に巡らせ、深く考えてみる。

 自分が失われた時、ジーナはどんな思いをするか。

 恐らく、あの時マリが味わった絶望と、無気力感を強く与えてしまう事になるのかもしれない。


 手にべっとりとついた血の生々しい感触が、ついさっきの事の様に思い出される。


「そうですね、子供の為にも、健康でいなければいけませんね」

「あぁ、お互い元気で頑張ろうな! 約束な!」

「約束…‥ですか」

「あぁ! すまない! いつもティリアにはこうやって言い聞かせてんだ。ごめんごめん、つい癖で」


 やっちまったと頭をかくカリドを見て、マリは少し微笑んだ。


「いいですよ。約束しましょう」


 そういうと、カリドもにこりと笑って嬉しそうに「あぁ」と返事をし、再び農作業へと、繰り出した。

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