距離感バグってるのか
流行りの服や化粧品、素敵な殿方の話に誰かの悪口。令嬢や夫人たちの話を右から左へ聞き流しながら、マートルは少し冷めた紅茶を飲む。
(帰りたい)
うっかり口から出そうになった言葉をつぐみ、マートルは目線を周囲へと向けた。
今日は皇后主催の茶会であり、招待を受けた顔ぶれは帝都に住む令嬢や子息、その親たちだ。
各々が楽しげに談笑をしている中、マートルは手持ち無沙汰に目の前の菓子へと手を伸ばす。
(ヴィオラがいればな……)
本来ならヴィオラも来るはずなのだが、今日は体調が悪くて欠席らしい。
その報せをヴィオラの手紙で知ったマートルは、心配と同時に少しだけ安堵してしまった。今回の茶会にはシャノワールも参加するので、三人が鉢合わせた時に非常に気まずい。
「皆様、シャノワール皇太子殿下がいらっしゃいましたわ」
色めき立った令嬢の声に、マートルは顔をあげる。遅れて登場したシャノワールは、あっと言う間に数名の令嬢たちに囲まれてしまった。
(すごいな……)
令嬢たちの目は肉食獣のようにギラギラとしており、マートルは呆気に取られながらその様子を眺めていた。正直、近付きたくない。
離れているおかげで、想いの塊は見えなかった。もし見えていたら、令嬢たちの嫉妬や相手を蹴落とすドロドロとした何かが見えていただろう。
今日はシャノワールと話す機会はなさそうだと、マートルは考えた。少しだけ残念な気持ちがあるのは、きっと気のせいだ。
「君は、行かなくて良いの?」
不意に、背後から声がかかった。びくり、肩を震わせたマートルは、おずおずと振り返る。
(えっ、誰?)
そこにいたのは、一人の青年だった。
少し癖のある栗毛に琥珀色の瞳をした青年は、マートルを見て目を丸くする。シャノワールが甘いマスクの美青年なら、こちらは爽やかな好青年といったところか。こちらも、女性には人気がありそうである。
「君、マートル嬢だよね? ヴィオちゃんとシャノから君の話は聞いてるよ」
人懐っこい笑みを浮かべ、青年はマートルの手を握った。ぶんぶんっと振られる己の手を眺めながら、マートルは戸惑う。
「は、はい。マートル・ラモンターニュと申します」
「会えて嬉しいよ。僕はメンセクォタリー公爵の長子、フェルマ・メンセクォタリーだ」
「えっ」
驚いたように、マートルは微かに目を見開く。
メンセクォタリー公爵と言えば、帝国内外でも知らない者はいない。この一族は精霊に愛されており、良くも悪くもその影響力は計り知れないと噂だ。
「おや? 君のその指輪……妖精の気配がするね」
フェルマは、不意にマートルの指輪へと視線を向けた。
「良い指輪だね。持ち主を守ろうとしてる」
「分かるのですか?」
「僕は、良いものも悪いものも『見える』からね」
マートルは、シャノワールが言っていた「妖精が見える者」がフェルマだと察した。愛称で呼んでいるくらいなのだから、シャノワールとは仲が良いのだろう。
「あの、この指輪は守ってくれているのですか?」
マートルは、ずっと呪いの指輪だと思っていた。外れない上に知りたくもない他人の心を見せるので、そう考えても仕方がない気もするが。
「守ってるよ。だって君には、悪意を持った人間が近づけないはずだから」
「え?」
「この指輪は、元々は主人を守護する為に作られたんじゃないかな。何らかの形で、君に教えているはずだよ」
マートルは、フェルマの話にハッとする。よくよく思い返してみれば、指輪をつけてから悪意や下心がある人間には近付かないようにしていた。――だって、相手の心が見えていたから。
「心当たりがあるみたいだね。逆に指輪が警告しない人間は、君にとって良い縁なんだよ。だから、大事にした方が良い」
「あ、の……」
マートルは、言葉を詰まらせた。聞きたい事は山ほどあるのに、うまく声に出せない。そして同時に、ある事に気付いた。
(公子からは、何も出てない)
手を握られているので、距離は近い。いつもなら何かしら出ている想いの塊は、フェルマからは一切出ていなかった。――こんな事は、初めてだ。
「あの、公子――」
「おい、フェルマ。勝手に触るな」
低く冷たい声が、辺りに響いた。そして、マートルの足元に丸っこくて赤黒い、トゲトゲした物体――先端は尖ってなくて丸い――が転がり込んでくる。
この色は、嫉妬だ。トゲトゲした形は、怒りである。
マートルが声の主へと視線を向けると、不機嫌そうなシャノワールと目が合った。
「マートル嬢。すまない、挨拶をしていて君の所に来るのが遅れてしまった」
しかし、彼はマートルを見るなりピンクのハートをポポンっと出す。心なしか、表情も嬉しそうだ。
「何だよ、シャノ。挨拶ぐらいさせてよ。親友じゃないか」
「私の親友は、ついさっき死んだ」
「いや、生きてるから! がっつり目が合ってるじゃん!!」
気心の知れたやり取りに、マートルは思わず「ふふっ」と笑ってしまった。シャノワールが辛辣な言葉を吐く姿は、初めて見たかもしれない。
「おい、フェルマ。今すぐ目を閉じるか潰せ。マートル嬢が減る」
「いや、無理だから。減るって何、この子消耗品なの?」
「お前が見ると減る」
「理不尽すぎない? でも、まぁ……あのシャノが女の子に惚れ込むなんて、めでたいよ。マートル孃、シャノの事は君に任せたからね」
有無を言わせぬ笑顔の圧力に、マートルは顔を引つらせた。どうやら彼は、シャノワールの恋を全力で応援しているようだ。
「は、ははっ。善処いたします……」
マートルはちらりと、周りを見た。先ほどから、チクチクと令嬢たちからの視線が突き刺さっている。想いの塊を見ずとも分かる、現在進行形で妬まれているのだ。心なしか、ひそひそ話も聞こえる。
「……あ、の。申し訳ありません。私、ちょっと気分が悪くて」
いたたまれない気持ちになり、マートルは逃げる選択をした。人気のない場所で気持ちを切り替えねば、この会場の空気に精神的に殺られてしまいそうだ。
「大丈夫か? 部屋で休むなら手配をしよう。何なら、私が付き添うが」
「いえ、殿下。私は、一人で大丈夫です。少し静かな場所で休みますね」
主催者ではないが、来たばかりのシャノワールが抜けるのはまずいだろう。それに、マートルがシャノワールと消えてしまうのは、燃え盛る火に燃料を更に投下するような行為である。
マートルはできるだけ笑顔を貼り付けたまま、そそくさと会場から離れた。