恋は落ちたら転がるだけ
あわわ、評価をされている……っ。
ありがとうございます。ブクマも感謝です。
皇室御用達の茶葉ともなれば、高級で香りも良い。――はずなのだが、マートルには味が分からなかった。
もはや水にしか感じられてない紅茶を胃袋へと流し込みながら、いかに今の状況を打破するか頭を巡らせる。
「ラモンターニュ嬢は、甘い物が好きだろうか?」
「えぇ、そうですね。人並みには……」
「そうか。なら、今度会う時までに菓子作りが得意な職人を探しておこう」
「そんな、勿体ないお言葉ですわ。おほほほ……」
――また会う気なのか。マートルの笑顔が一瞬だけ引きつる。
向かい合うシャノワールとなるべく会話が盛り上がらないようにしているのだが、何故か質問に答える度にピンクのハートが転がり落ちた。何が皇太子のツボを刺激しているのか、マートルには見当もつかない。
(まずいわ。このままだと、婚約させられるかも……)
マートルは、真剣に悩む。
皇宮なんて明らかに愛憎の巣窟と言っても過言ではない環境に身を置けば、知りたくもない闇まで知り尽くしそうだ。それより、自然に囲まれてのびのびと暮らしたい。
「……あの、殿下。一つ聞いてもよろしいでしょうか」
「あぁ。私が答えられる範囲なら、何でも聞いてくれ」
「ありがとうございます。……殿下は、馬に乗る女性はどう思われますか?」
「馬?」
「はい。私、領地で馬を乗り回しますし、湖で魚釣りなどを嗜んでおります。刺繍や読書よりも、山などの自然を散策する方が好きなのです」
淑女らしくないと分かれば、多少なりとも幻滅をするだろうとマートルは考えた。
貴族の令嬢の趣味と言えば、読書や刺繍などの家の中で出来る大人しいものが多い。野生児と婚約しても利点はない事を気付いてくれと、マートルは願った。
「……そうか。なら、今度は一緒に遠乗りをしよう」
予想外の返事に、マートルは目を瞬かせる。
「えっ!? あの、本気ですか?」
「あぁ。君なら、私の愛馬とも打ち解けられるかもしれないな。それに、君と一緒なら楽しそうだ」
百点満点の微笑みで、シャノワールはマートルを見つめる。ころんっと、またピンク色のハートが落ちた。
(意味が分からない……)
マートルは、テーブルの上に転がった想いの塊を見つめた。――何故、彼はここまで好意的なのだろうか。
その答えを確かめようと、マートルは初めてハートへと手を伸ばした。指先に、むにゅっと柔らかい感触が伝わる。
『可愛らしい外見とは裏腹に、馬に乗るのか。馬に乗るラモンターニュ嬢……いや、もう何をしても可愛いな』
――ベタ惚れである。
マートルは、知らなかった。恋は盲目であり、そういう状態の人間に何をしても無駄だという事を。
何だかこっちが恥ずかしいと、マートルは思わず赤面をする。誰だって、見目の良い異性から「可愛い」と言われれば嬉しいものだ。
すると、そんなマートルの様子を見てシャノワールからまたハートが落ちた。コロリ、コロリとテーブルの上に落ちていく。
(……落ち着くのよ、私。まだ、選ばれるとは限らないわ)
貴族の結婚は、家同士の繋がりだとよく言う。マートルよりも条件の良い娘はいるので、皇太子個人がマートルを気に入ろうが通らない可能性だってある。いや、そもそも見合いの場を設けられた時点で婚約の可能性は高いのだが、望みは捨てたくはない。
そこに賭けようと、マートルは思考を放棄した。何をしても好意的に捉えられるのならば、無駄なあがきだと思ったのだ。
*
結局、マートルは当たり障りのない会話だけをして見合いを終わらせた。相手は終始好意的だったが、マートルには都合が悪いので記憶から消すことにする。
(何だか疲れたわ)
城の入り口まで送ると言ったシャノワールの善意を断り、マートルは廊下を歩いていた。もうすぐ出口に差し掛かったところで、前方から歩いて来る人影に気付く。
(あれは……)
マートルと、同い年くらいだろうか。淡いピンクの髪を揺らし、意志の強そうな青々とした瞳。左目尻にある泣き黒子が魅力的な少女が歩いていた。
何よりマートルがつい目がいったのは、魅惑的なその体だろうか。――色気がすごいな。と、同性だが見惚れた。
「……あら?」
向こうも、マートルに気づいたようだ。
マートルが軽く会釈をすると、少女は目を細めて立ち止まる。何だか威圧感があり、恐縮してしまいそうだった。
「あなた、シャノワール様のお見合い相手ね」
「あっ、はい。ラモンターニュ辺境伯爵の娘、マートル・ラモンターニュと申します」
「私はヴィアラクテア公爵の娘、ヴィオラ・ヴィアラクテアよ」
ヴィアラクテア公爵と言えば、建国から続く名家だ。そして、恐らく彼女が婚約者候補の筆頭である。
「……ヴィオラ様は、殿下に会いにいらっしゃったのですか?」
何となく、マートルはそう思った。女の勘というやつかもしれない。
「え、えぇ。まぁ……シャノワール様に用があって」
歯切れの悪さが少し引っ掛かったものの、マートルはヴィオラからはピンクのハートがひとつ転がり落ちたのを見逃さなかった。
(あぁ、この人……)
――彼女は皇太子に恋をしている。想いの塊に触れてはいないが、状況からしてマートルは何となくそう考えた。
「ねぇ、あなた」
不意に呼ばれ、マートルは肩を揺らす。自分は、皇子の見合い相手であり、不本意だが彼女からすれば邪魔な存在だ。もし牽制された場合、どう返すのが正解なのかと頭を回転させる。
「クッキーはお好き?」
「へ? あ、はい……」
予想外の質問に、つい間抜けな声がでた。
「良ければ、少し貰ってくださらない? 作りすぎてしまって、困っているのよ」
ヴィオラは、持っていたカゴから綺麗に包装されたクッキーを取り出す。まさか手作りクッキーが出てくるとは思わなかったマートルは、思わず二度見をしてしまった。
その視線に気づいたヴィオラが、小さく笑う。妖艶な雰囲気のある少女は、笑うと年相応で愛らしかった。
「意外だと思ったのでしょう? 私も前まで厨房に入るなんて、考えたことがなかったもの」
「そうなのですか?」
「えぇ。でも、好きな方が甘い物に目がなくて。それに、男は胃袋から掴むと良いと聞いたから実践あるのみだと思ったの」
最初は失敗ばかりだったが、今ではお菓子作りが趣味になったとヴィオラはころころと笑った。
(可愛らしい方だな……)
マートルは、素直にヴィオラが素敵だと思った。ポロポロと落ちていくハートの中には、楽しさを表す黄色い音符も混じっている。
(こんなに想われて、殿下は幸せ者だわ)
マートルはクッキーを見下ろしながら、何とも言えない気持ちになった。こんな美少女から健気に愛情を注がれているのに、シャノワールが靡かない謎。
押しすぎるのがダメなのか、はたまた好みではないのか。どちらにしても、同じ女としてマートルはヴィオラに同情してしまう。
「ヴィオラ様。私、切に……切にあなたを応援致します」
思わずヴィオラの両手を握りしめ、マートルは力強く言った。結婚してから芽生える情もあると聞くので、是非ともシャノワールには公爵家と縁を結んでいただきたいものだ。
「まぁ、マートル様。それは、本当に?」
ヴィオラは、長い睫毛を揺らした。マートルも「はい」と頷く。
「嬉しいわ。ありがとう」
花が綻ぶとは、まさにこの事だろう。嬉しそうに笑うヴィオラからは、友愛の意味を持つ想いの塊――オレンジ色のハート――がポンポン出てきた。
「今度、うちに招待するわね」
「楽しみにしています」
ヴィオラは話してみると、とても気さくで裏表がない人間であった。歳も同じという事もあり、短い時間ではあったが二人はすっかり意気投合をしたのだ。
(ヴィオラ様、いい人だったな)
出口へと向かいながら、マートルはそっと目を閉じる。願うはただひとつ。
――私が婚約者に選ばれて、修羅場になりませんように。