番外編:恋は盲目と言いますが③
「……まぁ、フェルマ様。こんな所で、奇遇ですわね」
――できれば、こんな光景は見たくはなかったけれど。ヴィオラは漏れそうな本音を呑み込みながら、己のこめかみ辺りの血管がピクピクと動くのを感じた。
「本当だね、ヴィオちゃん」
目の前には、着飾った女性を連れたフェルマがいる。
場所は、首都にある貴族御用達の洋服店。護衛の従者と共に店を訪れたヴィオラと彼らが、鉢合わせをしたのが数分前だ。
店主の計らいで、今は服屋にある奥の個室で三人は向かい合っていた。因みに、ヴィオラの従者は部屋の外で待機をしている。
(この方、どこかで見たわ)
ヴィオラは、フェルマの隣にいる女性へと目を向ける。
歳は、フェルマより少しだけ上か。将来は妖艶な美女になりそうなヴィオラとは違い、すらりとした長身に中性的な顔立ち、長い黒髪が印象的な女性だ。
(……あっ、思い出した)
この間、約五秒。ヴィオラは、この女性が十二歳の頃に参加した茶会で、フェルマと親しげに話していた人物だと気付いた。
忘れもしない、十二歳の夏。城で行われた皇后主催の茶会で、彼女はいた。
庭園の片隅で、仲睦まじく話をする男女。見たことのない愛しそうな表情を見せるフェルマの顔――までを思い出したヴィオラは、眉間に皺を刻んだ。
「ヴィオちゃんは、服を見に来たの? 僕は、今日は付き添いなんだ」
「そ、うですか」
ニコニコと笑顔で話しかけてきたフェルマに反して、ヴィオラの表情は暗い。心なしか、目も死んでいた。
その間も隣にいた令嬢の紹介をされるが、気が遠くなりそうなヴィオラが理解できたのは、フェルマがわざわざ赤の他人である女性に付き添っているという事実だけだ。
「だから彼女は――って、ヴィオちゃん聞いてる?」
「はっ、申し訳ありません。少し考え事をしておりました」
ヴィオラは、フェルマの話を殆んど聞いていなかった。慌てて謝罪をすると、フェルマは具合でも悪いのかと心配そうに顔を近付ける。
――近すぎる。ヴィオラの頬が、気恥ずかしさで朱に染まった。
「ふふふっ、可愛らしい方ね」
すると、その様子を見ていた女性が小さく笑う。小馬鹿にするでもなく、素直な感想を述べているようだ。しかし、彼女の次の行動にヴィオラは目を疑う。
「フェルマ。あなた、罪な男だわ」
フェルマの腕に手を絡め、女性は愉快そうに彼へ体を寄せた。
「なっ……!」
呼び捨て。密着。何だか親しげ。あまりの出来事に、ヴィオラは思わず白目を剥きそうになる。
触らないでと言いたいが、ヴィオラの立場では何も言えない。婚約者でもなければ恋人でもなく、ただの幼馴染みなのだから。
「フェ……随……」
気力が残っているいつものヴィオラならば、相手に「フェルマ様。随分と彼女と親しげですね。もしかして、特別な方って彼女の事ですか?」と聞けたただろう。
しかし、今はまともな言葉すら出ない。はくはくと、口を動かすだけだ。
(もしかして、フェルマ様は彼女と将来的に結婚をするつもりなのかしら?)
――それは、嫌だ。うるりっ、ヴィオラの涙腺が緩んだ。自分じゃない相手が隣にいると想像するだけで、何だか吐きそうである。
「えっ。ヴィオちゃん?」
戸惑ったような表情を浮かべる、フェルマ。ヴィオラは、そんな彼と女性の間に割り込んだ。
もしも二人が恋人同士ならば、ヴィオラは邪魔者である。しかし、譲れないものは譲れないのだ。
「わ、私、フェルマ様を想う気持ちだけは、負けません!!」
顔を真っ赤にさせて、ヴィオラはフェルマの腕にしがみついた。女性を威嚇するその姿は、子猫が怒っているようにしか見えない。
「あなた、フェルマが好きなの?」
女性は目を丸くさせた後、余裕のある笑みを浮かべた。それが余計に、ヴィオラの神経を逆撫でした。
「好きですけど、何か? こっちは、片想いの年季が違うんですからね! 私がもう少し成長すれば、大人の色気でフェルマ様をメロメロに――……」
最後まで言い終わらない内に、ヴィオラは冷静になる。――違う、こんな風に告白をするつもりはなかったのに。
(最悪だわ)
ヴィオラは、後悔する。綺麗な景色を背景に告白をして、もし振られてもそれを思い出として胸に仕舞うつもりだった。
(でも、まぁ……この際、良いわ)
しかし、言ってしまったなら仕方がないとヴィオラは開き直る。半ば、やけくそだった。
「フェルマ様。私、フェルマ様が好きなんです。今までは恥ずかしくて素直になれませんでしたが、この気持ちだけは誰にも負けません」
「ヴィオちゃん……」
「でも、あなたには幸せになってほしいから……だから――」
――今ここで、私を振ってください。
フェルマの目を真っ直ぐ見つめ、ヴィオラは懇願した。「私を選んで」「本当に好きなの」という気持ちは、呑み込む。
「……へっ? 何で!?」
何とも間抜けな声を出し、フェルマはヴィオラの肩を両手で掴む。ゆっさ、ゆっさ、と揺らされながら、ヴィオラは泣きそうになる。
「だって、フェルマ様には特別な方がいらっしゃるのでしょう?」
「いや、まぁ……いるけども」
「やっぱり! えぇ、えぇ、もう覚悟はしております。この方が、あなたの特別なのでしょう? フェルマ様との綺麗な思い出と共に、私は他国にでも嫁ぎます」
「待って、待って、待って、ヴィオちゃん。それが自分だって考えたことないの?」
フェルマの言葉に、今度はヴィオラが目を丸くさせる。流れる沈黙、見つめ合う二人。
「……あー、フェルマ。服選びは、後日にしようか?」
先に沈黙を破ったのは、二人を見守っていた女性だ。わざとらしく咳払いをすると、苦笑いを浮かべる。先ほどと違い、女性にしては低い声だった。
「助かる。でも、その前に誤解を解いてくれないかな。ヴィオラ、こいつは――」
「ヴィアラクテア嬢、悪ふざけが過ぎたよ。すまないね、俺はフェルマとは何でもないから」
悪びれた様子で、女性がフェルマの言葉を遮った。「俺」という一人称に、ヴィオラは目を見開く。
「お、男の方なのですか?」
信じられないと、ヴィオラは相手を凝視する。言われてみれば確かにそんな気もしなくはないが、化粧のせいか女性にしか見えないのだ。
「あぁ。俺は、バオム・ディエーリヴァ。これでも、皇帝直属の魔法使いなんだ」
「何故、女性の格好を?」
「茶会や夜会の時、護衛として紛れ込んでるんだよ。女性なら、警戒されにくいからね。今日は、今度あるパーティーで着るドレスを選びに、フェルマに付き添ってもらったんだよ。ほら、流行も押さえないと話題にも困るしね」
(じゃぁ……あの時も)
ヴィオラが十二歳の時に目撃した時も、彼は護衛の任務についていたのだろうか。
まじまじと不躾に見つめるヴィオラに、バオムは「良いことを教えてあげよう」と顔を近付けた。至近距離で交わる黒い瞳に、ヴィオラは息を呑む。
「フェルマは君の話をする時、いつも顔が緩んでいるんだよ」
息がかかる距離。ヴィオラの脳裏に、十二歳のあの日のフェルマの顔が過る。まさか、もしかして――。
(私の話をしていたの?)
「ちょっと、ヴィオちゃんから離れてくれないかな。口説いて良いとは言ってないんだけど」
ヴィオラの背後から、手が伸びる。そのまま守るようにヴィオラを背中を隠したフェルマは、不機嫌そうに眉を寄せた。
「口説いてはないよ。でも、男の嫉妬は見苦しいぞ」
バオムはからかうように笑いながらも、邪魔者は退散すると言って出ていった。
残されたヴィオラは、恥ずかしいやら嬉しいやらで感情がぐちゃぐちゃである。