はじまり、はじまり
初投稿です。
よろしくお願いします
「まぁ、なんて綺麗なのかしら」
幼い少女は、目を爛々と輝かせてその指輪を眺めた。
金細工の細い指輪には、少女と同じ紫色の宝石がついている。作者は不明だが、貴重な魔法石がついているので高価なのだと、指輪を持ってきた商人が言った。
「お母様、この指輪が欲しいわ」
「あなたには、まだ大きいわ。それに、指輪なんて早いわよ」
「お願い、お母様。大事にするから」
他にも宝石があるのに、少女は指輪に強く惹かれてしまう。
――どうしても、欲しい。こんな風に物に執着するのは、初めてだった。
「仕方ないわね。私は今回は良いわ。気に入ったものがないから」
「そうですか。では、お嬢様の指輪だけお売りしますね」
本来なら母親の装飾品を買う予定であったが、今回は少女が欲しがった指輪だけを購入した。
少女は、嬉しかった。自分の手の中にある指輪の入った箱を眺めながら、上機嫌である。
(本当に、綺麗だわ)
しかし、大人になったこの少女がもし過去の自分と話せたならば、殴ってでも指輪の購入を防いだだろう。
何故なら指輪は、この少女の見る世界を「異常」に変えてしまう代物なのだから――。
「うぅっ……くっ……ぐぅ……」
ヴィンタレオーネ帝国の帝都にあるラモンターニュ辺境伯爵の屋敷では、若い娘の苦しげな声が廊下にまで聞こえていた。
「ぬぅぅぅっ……」
呻き声の主は、魔物でも幽霊でもなく辺境伯家の長子であり一人娘のマートル・ラモンターニュだ。
栗色の髪を振り乱し、可愛らしい顔を歪ませながら彼女は己の右手の中指についた金の指輪を外そうとしていた。
「はぁーっ! 無理、無理だわ!!」
ぜぃはぁと息を切らせて、マートルはお手上げだとベッドに倒れ込む。その表情は、苛立ちと絶望が混じっていた。
「お嬢様。もう、諦めたらどうですか?」
呆れたように彼女に近付くのは、マートルの侍女であるディアナだ。
彼女は侍女として非常に優秀であり、マートルにとっては姉のような存在である。ただ、一つだけ欠点があるとすれば、愛想がないというところか。
いつも鉄仮面のように淡々としていて、笑う時も口角が少しだけあがる程度だ。今も主人に呆れているのだが、表情が変わらないので分かりづらい。
「嫌よ! 私、このままだと人間不信になりそう」
マートルは起き上がると、頭を抱えて苦悩の表情を浮かべた。こちらは、顔に出るので分かりやすい。
「そうは申されましても、何をしても外れないじゃないですか」
「だからって、諦められないわ。何事も諦めたらダメだって、先人たちも言っているでしょう!?」
絶対に諦めないと、マートルは鼻息を荒くさせる。――そう、マートルを悩ませる原因は、身につけている指輪にあった。
「呪いの指輪だって知ってたら、つけなかったのに……っ!」
約二年前。当時十ニ歳だったマートルは、幼い頃に買ってもらった指輪をはめてみようと考えた。単純に、あの頃よりも成長もしたし、そろそろ指輪のサイズが指に合うだろうと考えたのである。
初めて指に通したそれは、少し大きくてマートルの中指でももて余した。しかし、ぎらりと魔法石が怪しい光を放った瞬間、縮んでぴったりのサイズになったのだ。
この時、マートルは本能で「あっ、これ普通の指輪じゃないな」と悟った。だが、時すでに遅し。慌てて抜こうともがいたが、後の祭りであった。
「油、洗剤、力任せ……教会にも行ったわ。でも、ダメだった」
滑りを良くしても、教会で呪いを解く為に祈りを捧げても、指輪は未だにマートルの右手の中指にある。指には鬱血などは見られず、マートルの為に作られたかのようにサイズがぴったりだ。
「ですが、お嬢様。教会ではその指輪に呪いのような禍々しい気は感じないと言われているじゃないですか」
「抜けない指輪は、もはや呪いの指輪よ。……私だって、ただの指輪なら良いわよ。綺麗だし、気に入ってるわ。でも――」
――これをつけてから、変なものが見えるのよ。
据わった目でぼそりと呟くマートルに、ディアナはぴくりと眉を動かした。どうやら、主人は相当参っているようだ。
あれは、いつだったか。マートルが血相を変えて「ディアナの体から何か出てきた」と叫んだ事がある。その時から、彼女の見る世界は「普通」ではなくなった。
「お嬢様……今も、見えるのですか?」
「……えぇ、見えるわ」
ちらり、マートルはディアナを見上げる。ポンッポンッと小さな音を立てて、ディアナの体から何かが転がり落ちていた。
それは一口サイズのクッキーほどの大きさで、青い雫の形をした物体だ。物体は床に落ちてしばらく経つと、空気に溶けるように消えていく。
「ディアナは、私が心配なのよね」
マートルは、人の感情が形として見える。青い雫のようなものが出ている時は、悲しかったり心配されている時だ。
未だに消えていない物体にマートルが触れると、脳内にディアナの声が流れる。
『お嬢様、本当に辛そうで可哀想だわ』
――これは、ディアナの想いだ。
人の体から出る感情は色や形は様々だが、不思議なことにマートルには触れる事ができる。流れ込んだ後は、その辺に物体を捨てれば勝手に消えた。
感情を形にしたそれは感触もまちまちで、石のように固い時もあれば焼きたてのパンのように柔らかい時もある。
マートルはそれらを「想いの塊」と呼んでおり、触れると持ち主の感情や想いが否応なしに伝わってくるので、極力触らないようにしていた。
「ディアナ、大丈夫よ。二年も経つと、慣れてきたから」
――嘘である。人の心を覗き見しているようで、まったく慣れなかった。
ディアナはそんなマートルに「お嬢様は、嘘が下手ですね」と口角を少し上げると、気を取り直した様子で腰に手をあてた。
「とりあえず、支度をしましょう。お見合いまで、時間がありませんよ」
「あぁ……忘れてたわ」
マートルは項垂れながら、行きたくないとごねる。
今日は、この国の皇太子とマートルのお見合いが開かれる。わざわざ見合いの為に、半月前から領地を出て帝都までやって来たのだ。
「どうせ、公爵家のご令嬢が婚約者に収まるわよ」
噂では、ラモンターニュ家よりも家格の高い家とも既にお見合いを済ませているらしい。言わばマートルは「候補」の一人に過ぎず、普通に考えれば公爵家の令嬢が皇太子の婚約者に収まるだろうと誰もが思っている。マートル自身も、見合いなど無駄だと思っていた。
「馬鹿な事をおっしゃっていないで、早くしてください」
ディアナはマートルを無理やり、鏡台の前へと座らせる。髪が綺麗に櫛でとかされていく間、マートルはこれからの事を考えた。
(もし誰かと結婚するにしても、私ってちゃんと結婚生活ができるのかしら)
愛のない結婚は、悲惨だ。夫に愛されていないと物理的に知ってしまうし、常に相手が何を考えているのか手に取るように分かってしまうのだから。
仮に恋愛結婚ができたとしても、マートルの能力が知られたら気味が悪いと手のひらを返されるかもしれない。
(かと言って、距離は取れないし)
想いの塊は物理的な距離が開くほど見え辛いのだが、夫婦ともなれば距離を取るのは難しいだろう。例えば、寝室が同じ場合などの理由が挙げられる。
(やっぱり、私には結婚なんて無理よね)
社交界デビューもまだであるマートルは、異性と知り合う機会もなかった為、色恋沙汰とは無縁で生きてきた。だからこそ、余計に自身の結婚生活が想像できないのだ。
「お嬢様。本当にお美しいですよ」
マートルが我に返った頃には、既にドレスまで支度が済んでいた。ディアナの仕事ぶりには、いつも驚かされてばかりだ。
「ありがとう、ディアナ」
全身鏡に映るいつもより着飾った自分を眺めながら、マートルは溜め息を呑み込んでお礼を言った。