第五話『私が君のおかあさん』
「アイリオ、おいで」
此方に、大きなドラゴン──アイリオの鳴き声は、言葉としては伝わらないけれど、それでもアイリオは私の言葉を理解してくれているようで、そうやって私がつけた名前を呼び掛ければ「ぴい」と可愛らしい鳴き声と共に此方へと大きな身体を寄せて来る。
相変わらず、ミルクを欲しがる赤ちゃんだったけれど、本当に随分と大きくなった。
前のように私は抱っこ出来なくなってしまったけれど、それでも身を寄せて甘えて来る姿は小さいときから何も変わってない。
ご飯だってミルクのままだし。
傍に寄ると、ずっとその匂いが鼻に届いている。
甘くて可愛い匂い。
そうやって、此処まで一緒に過ごしていると流石に愛着は湧いてくるもので、この子が将来魔王という存在になろうとも、もう自分にとってはどうでもいいことだった。
魔王となったこの子が何をするのか、私には分からない。
ただ、このまま元気に育ってほしい。
相手はドラゴンという自分とは違う存在で、私がお腹を痛めて産んだ子どもというわけではないけれど、それでも私のなかには確かな母性が芽生えていた。
我ながらなんとも単純だと思うが、此処に来て──というよりは多分、連れて来られてからまぁまぁそれなりの時間をこの子とだけ過ごしているとそうなるのも仕方ないだろう。
なにせ相手は本当に自分を『母』として慕ってくれているのだし。
今だって呼び掛けたら嬉しそうに赤い瞳を緩めて、猫のようにゴロゴロと喉を鳴らして擦り寄って来る。
前は膝の上にも乗せられていたけれど、今では精々頭を乗せることしか出来ない。
それほどに大きくなった私の赤ちゃん。
ああ、本当に、このまま大きく、健やかに育ってほしい。
大きくなった頭をそんな想いを込めて撫でていると、赤い瞳が縦に何度か瞬いた。
ドラゴンの生態なんて私は全く知らないけれど、こういう仕草は爬虫類に近いのかな、なんて思う。
もっとそういう知識があれば役に立ったのかな、とか。
どうせだったらあの神様とやらもドラゴンの教育本とか置いてくれれば良かったのに、とか。
そんな、どうでもいいことをつらつらと考えていたときだった。
不意に大きな口がもごもごと動いて赤い舌が、鋭い牙の隙間から覗く。
この口を怖い、と思っていたのももう随分昔のような気がした。
「おか、あ、さん」
そうして、見た目とはあまりにも裏腹な、可愛らしい声でその子は確かにそう、呟いた。
普段はぴい、と小さな鳴き声を出すだけだったのに。
おかあさん。
本当に小さな声、だったけれど、その子は間違いなくそう言った。
「……うん、そうだよ。私は、君のお母さん」
ずっと母親として振舞っていたし、頑張って来たけど。
自分にも、この子にも言い聞かせるように繰り返してきたけれど。
そう呼ばれて余計にその事実を実感できて、胸の奥が大きく高鳴った。
嬉しい。
本当に突然のことで、自分が何故、いずれ魔王になるこの子の母親として選ばれたのかなんてまだ分かってないけれど、それでも私はこの子の母親になれて良かったと思う。
実際に私が生んだ子どもではないけれど。
私は間違いなく、この子のお母さんなのだと思えた。
やっと、そう心の底から思えた。
「アイリオ。……大好きだよ」
私は、君のお母さんとして、君を愛してる。
ようやくそう思えたことが自分でも嬉しくて、もう頭しか辛うじて抱き締められないぐらいに大きくなったその子を、そっと抱き締めた。
ゴロゴロと心地よさそうな喉の音が耳元で聞こえる。
この子も喜んでくれているのかな。
私の言葉とか、想いが伝わってくれてるといいな。
「おか、あさ、ん」
「うん」
「おかあ、さ」
「うん」
たどたどしい言葉だったけれど、何度も呼び掛けられるその声に胸がいっぱいになる。
それが余計に嬉しくて、堪らなくなってその頭を抱き締めると、アイリオの喉の鳴り声は余計に大きくなって響いていた。
だから私も、それに応えるように何度も抱き締めたまま、頭を撫でて、笑う。
「おかあさん」
そうだよ、と頷きながら。
それはしつこいぐらいだったかもしれないけれど、アイリオも確かに何度だって私を呼んでくれたから。
私だって何度もその声に答えて、頭を撫で続けた。
きっとそれが、本当の意味で私がアイリオの母親になれた日だったんだと、あとで振り返ることになる。
私と、後に魔王になる彼の、最初の大切な思い出の日。