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第八十四話 想い

 放課後、一人通学路をのろのろと自転車を漕いでいく。午後も授業はあったはずなのに、何一つとして俺はその内容を覚えていなかった。溝口先生から聞いた話が、ただひたすらに衝撃的だった。正直今も、ちゃんとは受け止めきれていない。


 来世こそ永久に愛を育む――俺たちはあの最期の瞬間、確かに誓い合ったはずだ。それなのに、なぜ――


 理由がわからない。それは俺の一方的な想いだったのか。


 違うはずだ。彼女も同じことを思っていたはず。だからこうしてまた巡り合うことができた。あの日、大きな雑踏の中に、彼女は俺を見つけ出してくれた。


 そこから色々なことがあった。初めこそ、俺はアリスのことを鬱陶しく思って仕方がなかった。けれど、次第に彼女に心惹かれて、そしてまた――いや、()()()()晴れて恋人同士になれた。


 あの夜交わした口づけは、誓いの意味合いが強かった。全てを思い出してもなお――だからこそ、俺はずっとアリスのそばにいる。その決意を固くした。


 ……考えてみれば、とても都合のいい話だ。彼女は初めから前世の出来事を覚えていたというのに、俺はずっと忘れていた。大切な約束を、通い合った心を。それでも彼女は俺のことを想ってくれていた。常にその気持ちをぶつけてきてくれた。


 それは無自覚だったけれど、彼女に甘えていたと言われれば反論はできない。そんな俺に愛想を尽かした、そう考えれば、俺に何も告げずにいなくなったのも――


 だが、学校を辞めるまですることだろうか。結局、原因は彼女にしかわからない。ただ、彼女が俺の前から姿を消そうとしているということだけは確かだ。


 折れるべき道を折れずにそのまま進む。とにかく、アリスに会いたい。会ってわけを聞きたい。せっかく出会たのに、こんな別れは納得できない。


 ほどなくして、アリスの住むマンションについた。いつもの場所に自転車を止めて、エントランスホールへ。インターホンに彼女の部屋番号を打ち込む。


 ………………出ない。無視を決め込んでいるのか、それとも。


 ちらりと、俺は背後を振り向いた。そこには郵便受けが並んでいる。そこへ向かっていくのに、躊躇う理由はなかった。


 ちゃんと番号を確認してから、蓋を軽く持ち上げる。手を突っ込まずとも、郵便物が詰まっているのがわかった。


 アリスが学校を辞めると担任に申し出たのは、学祭の次の日のことだった。後片付けが完全に終わり、校内に残るのが部活をする生徒だけになった頃、ひっそりと彼女はやってきた。


 マンションを離れる時間は十分にある。いくらなんでも急すぎると思うが、アリスの性格上考えられないことじゃない。それほどまでに、俺と離れたかったということか。


 彼女の実家が東京にあることは、俺も知っている。だが、その詳しい住所までは聞いたことがない。もし、すでにここにいないのなら、もう一度会って話をすることなんて――


 失意のまま、俺は帰路についた。ほんのつい数日前まではあんなに楽しかったというのに。今は軽く現実に絶望さえしている。


 自宅が見えてきた時、門の前にうちの高校の制服を着た女子が立っているのが見えた。いや、そればかりか――


「ゆきえ……?」

「やっと帰って来たのね。どこへ行ってたの……って、見たらわかるけど」


 その手前で自転車を降りて、とぼとぼと近づいていく。雪江はただじっとこちらを無表情に眺めてくるだけ。


「何か用か? 悪いけど、今は誰にも会いたくない気分なんだ」

「アリスさんがいなくなったから?」


 本音を突かれて、俺は黙ることしかできなかった。実際、アリスが学校を辞めることは剛たちには話していない。担任に強く口留めされたこともあるが、それがなくたって話す気分にはなれなかった。


 情けないと思いつつ、雪江を軽く睨む。しかし、向こうは全く気にしない。ただひたすらに、真直ぐな視線を送ってくる。


「教えてもらえる、彼女のこと。あなたの幼馴染として、アリスさんの友達として、心配なのよ、二人のことが」


 余計なお世話だ、と思ったが、俺が口に出したのはそれとは真逆の類の言葉だった。


「……上がってけよ」


 剛と学《しんゆう》には決して話さなかった胸の内を、俺は雪江にだけはぶちまけたくなった。それはたぶん、彼女が俺の幼馴染だからだ。




        *




 俺の部屋に雪江がいる、というのはなんだかとても不思議な気分だ。子どもの頃は、よくお互いの家に遊びに行ったものだが。中学以降、そんなことは全くなくなって。話もしなくなって。でも、今はこうやって、少しはまた昔に戻れた。


 アリスに会っていなければ、そんなことはなかったんだろう。俺はきっと、地味で退屈な人生を送っていた。二人の才能ある親友に挟まれながら、日々をなんとなく生きていく。


 それを変えてくれたのは、アリスだった。またしても、彼女に会いたくなる気持ちがぐっと強くなる。


 その気持ちがぐっと噛み締めて、俺は雪江に全てを話すことにした。


「なるほどね。やっとわかった。どうして幸人に、アリスさんがあんなにも執着していたのか」

「……信じてくれるのか」

「ええ。……私にも思うところがないわけじゃないし」

「なんだよ、それ」

「こっちの話よ」


 ()()の中には、俺とアリスの前世からの数奇な宿命も含まれている。誰にも話したことがなかったのに、雪江には説明しておこうと思った。王女と姿がよく似ている彼女には。


「ともかく、東京に戻った可能性が高いってことね」

「知ってたんだな、あいつが東京出身ってこと」

「ええ。――そもそも、転校初日に溝口先生がそう話していたけれど?」


 つくづく、アリスに対して申し訳ない気持ちになる。彼女は自身に関心をよせない、前世の愛する人にどんな気持ちを抱いたのか。もし逆の立場だったら、心は挫ける。その想いを棄ててしまうかもしれない。


 今になって、アリスの一途さを思い知る。これからだったのに。記憶を取り戻して、その気持ちに報いるはずだったのに……。


「一応聞くけど、あいつの出身中学とかは……」

「ごめんなさい。知らないわ。――吉永さんは?」

「そもそも、アリスが学校を辞めるってのを話したのは、雪江が初めてだ」


 雪江は少し驚いた顔をした。目を丸くして、何度か瞬きを繰り返す。そしてどこかぎこちなくはにかんだ。


「――幸人、二週間くらい前、学祭準備の時に手を怪我したわよね」

「いきなりなんだよ」


 突然の話題に困惑しながら、その時のことを思い出す。カッターでの作業中、手元が滑って左手を大きく切ってしまった。


 アリスがどこからかすっ飛んできて手当てをしようとしてくれたのだが、あまりの傷の深さを見かねた保健委員に保健室へと連行された。そして保健室の先生に呆れながら、治療をしてもらったわけである。……教室に戻った瞬間、アリスが半泣きで抱き着いてきたのまではっきりと覚えていた。


「貴方が教室を出た後、私、アリスさんの近くにいたの。そしたら、『やっぱり』って呟いて」

「やっぱり……?」

「私が聞き返すと、ちょっと驚きながらこっちを見た。泣き笑いのような複雑な表情で、私に変なことを聞いてきたの。――幸人のことをどう思ってるかって」


 思わず、せき込んでしまった。それは確かに変なことだ。その辺りの確執はとっくに解消したものと思っていたのに。まああれは、アリスの一方的な嫉妬、というか。


 そおれはそれとして、俺はどうにも気まずくて仕方がない。どうして、雪江がこんな話をぶっこんできたのか、その気持ちがますますわからなくなった。


「別に幼馴染以上の感情はない。むしろ、二人の恋を応援してるって答えたわ」

「はぁ。それは、その、ありがとうございます」


 なんといっていいかわからず、とりあえずお礼の言葉を口にしておいた。 雪江って、こんな奴だったか。困惑はなおも深まるばかり。


「その時はなんとも思わなかったんだけど、今にして思うと、アリスさん何か抱えていたのかもって……考え過ぎかしら」

「どうかな」


 気になる話ではあったけれど、その読み解き方はわからない。なんにせよ、後悔だけが募っていく。俺がもう少し気を付けていれば、何かしらの兆候に気付けたのかもしれない。


 少しの間、部屋の中に沈黙が広がった。向かい合っているのが、気恥ずかしくて俺はつい視線を逸らす。カーペットの一端を見据えながら、ひしひしと無力感を覚えていた、


 ――雪江が突然立ち上がった。俺が顔を上げると、彼女はにっこりとほほ笑んだ。

 

「二人には、幸せになってもらいたいって思ってるんだ。劇でそんな役を演じたせいからかも」

「雪江……」

「探しに行かないの、アリスさんのこと」


 俺は黙って雪江の瞳を見つめるだけ。その言葉はすーっと胸の奥底へと落ちていく。


「アリスさんが見つけ出してくれたから始まったんでしょ。今度はあなたが探し出す番なんじゃない?」


 なおも口を閉ざしていると、雪江が挑むような表情を向けてきた。


「それとも、あなたのアリスさんに対する気持ちはそんなに薄いものだったのかしら」


 それだけ言うと、雪江は帰っていった。それ以上俺に言葉を掛けることも、一瞥をくれることなく。


 一人部屋に残された俺は、ベッドに身体を投げ捨てた。強く目を閉じれば、前世現世問わず、アリスとの思い出が蘇ってくる。その終わりは、二人で花火を見た時の一場面。


 そして、雪江とのさっきの会話を何度も反芻した。ずいぶんと好き勝手言ってくれたものだ。俺の気持ちも知らないで。


 自嘲気味に唇を曲げて、深く息を吐き出す。想いが願いになって、そして決意へと変わっていく。


 …………答えは初めから出ていたのかもしれない。でも、雪江に背中を押されたのは確かだ。彼女のお陰で、強く大きな一歩を踏み出せる。


 ――玄関から扉を開閉する音が聞こえてきて、俺は飛び起きた。そのままの勢いで部屋を飛び出し、階段を駆け下りていく。


「父さん! 頼みがあるんだ」


 父に頼みごとをするなんていつぶりだろうか。ぱっと思い返してみても、ここ数年でその記憶はない。


 内容は、親からしてみればすごくふざけたものだけど、俺はなりふり構っていられなかった。かっこ悪いと自覚しつつも、アリスを探し出す。


 それが、今の俺の全てだった――

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