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第八十三話 唐突に

 アリスは俺の前から忽然と姿を消した。


 学祭が終わってからもう三日ほど経つ。振替休日という名の、降って湧いた平日休み。久しぶりに彼女とちゃんとしたデートをしようと思ったのに、全く連絡がつかなかった。


 日曜日に送ったメッセージと併せて、何の反応もなし。心配になって、昨日はとうとう彼女の家に押しかけた。でも、エントランスホールを抜けることはできなかった。いくらインターホンを鳴らしても虚しく呼び出し音が響くだけ。

 

 メッセージが来ないだけなら、スマホが壊れたとか、そういう些細なことが原因かもしれない。でも、あいつの性格上、そんなことになれば真っ先に俺の家を訪れて報告してきそうなものだ。


 尋常ではないことが起こっている。俺にはそう思えてならない。


 まず考えられるのは、彼女が意図的に俺を無視しているということ。そうであれば、その理由はいったいなんだ?

 

 俺に思い当たる節はない。花火の後だって、仲良く彼女と帰宅した。最後、彼女の家の前で別れた時だって、おかしな様子はなかった。


 ……俺が感じていた違和感は正しかったのだろうか。普段とは違う、どこか陰のある雰囲気。やはり、アリスはその心の内に抱えているものがあった。だとしたら、どうして俺に何も言ってくれなかったのか。


 あるいは、俺が指摘していれば違ったのかもしれない。意味のない後悔ばかりが胸に積もっていく。


 ただ、まだそうと決まったわけではない。自惚れかもしれないが、アリスが俺を無視するなんて考えられない。やっとこうして、二人一緒にいられるようになったのに。


 だとすれば、彼女の身に何かが起こった。帰宅してから、次の日俺がメッセージを送るまでの間に。それが何かはやっぱり俺にはわからない。嫌な想像ばかりが頭を過っていく。


 母親やまり姉には、アリスが姿を見せないことを何度か茶化されたものの、俺は本当のことを告げることはしなかった。その事実を俺自身の中で、まだ完全に咀嚼できていなかったから。


 何より、一縷の望みを水曜日――普通に学校がある日に託していた。何事もなかったかのように、ふらっと教室に姿を見せるんじゃないかって。それは俺の心からの願望でしかなかった――


「白波君、ちょっといいかな?」


 一時間目が終わるや否や、吉永が俺の席にやってきた。その顔はかなり強張っている。


 用件は大体察しがついた。むしろ、俺の方から話に行こうとさえ思っていたところだ。ちらりと、空っぽのままのアリスの席に目を配る。


「アリスちゃんと連絡が取れないんだ。白波君、何か知らないかな」

「おい、どういうことだ、幸人?」

 

 吉永の言葉が聞こえていたらしい。剛がこちらを振り向いた。同時に、学もまた身体の向きをこちらに向けてくる。


 俺は力なく首を振った。その答えは俺が最も知りたいものだ。思わず苦い顔をしながら、廊下の方へと視線を動かす。


 そこには、小さな黒板があった。主に連絡事項や行事予定などが記される。そこに生徒の欠席や遅刻の情報も書かれるのだが――


「俺にもわからないんだ」


 そこにも、明城アリスの存在はない。彼女は学校にも姿を現さなかった。


 そして、吉永の様子からすると、誰も彼女に連絡をとれないのかもしれない。アリスにとって、吉永が一番の友人――傍から見てもそう思えたし、他でもない本人が以前そんな風に話していた。


「わからないって……白波君、アリスちゃんの彼氏でしょ? そんな何も知らないなんてことは――」

「実際そうなんだから仕方ないだろ!」


 反射的に大声を出してしまった。おまけに机まで強打して。


 ざわついていた教室内が、一瞬のうちに静まり返る。何事かと、好奇の入り混じった視線がこちらの方に集まってきた。


「ごめん、ついカッとなった」

「う、ううん。私の方こそごめんなさい……」


 一気に場の雰囲気が気まずくなる。穏やかではないものを感じたのか、クラスの沈黙も続く。


 そんな中、いきなり学が立ち上がった。やや大げさにその身体を前に向ける。


「みんな、気にしないで。幸人さ、明城さんがいなくて気が立ってるだけだから」

「お前なぁっ……!」

「幸人、そんなに怒るなんて図星みたいじゃないか」


 そんな軽口の応酬の甲斐があったのか。また室内は騒がしくなり始めた。少しもしないうちに、みんなの注目が俺たちから逸れる。


「――で、幸人。何があったていうのさ?」


 場の雰囲気がかなり落ち着いた頃、再び学がこちらに顔を向けた。彼にしては珍しく、その表情は真剣そのもの。俺はつい、部活を辞めることを伝えた時のことを思い出した。


 俺は学祭が終わってから今日までのことを説明した。と言っても、俺から話せることは多くは無い。いきなり音信不通になって、家に行っても会えなかった。その原因は不明。


 続いて、吉永が付け加えた。彼女は報告したいことがあり、学祭の夜、家に帰ってすぐに彼女にメッセージを送ったらしい。


「寝てるだけかなとも思ったんだけど、いつまでたっても反応がなくて。何送ってもダメで、電話もしてみたんだけど――」

「繋がらない、と。そして今日も、明城は学校に来ていない」

「神隠し、ってやつじゃない、これ」

「そんな大げさな……」

「いや、まさしくそうだろう」


 剛が至極真面目な表情で言い放った。その眉間には深い皺が刻まれている。


「恋人とも親友とも連絡を絶つ。そして、依然として姿を隠したまま。神隠し、というのはあれだが、失踪とか蒸発と呼べる現象だろう」

「えっ! それって、事件じゃないかな、剛君!? どうしよう、すぐに警察に――」

「落ち着け、ゆ……吉永。もしそういう状況ならば、教師連中――担任が大騒ぎするはずだ。なにせ、後片付けの日も休み。すでに連絡は取っているはずだ。なんなら親御さんにも」


 確かにそうか。剛の言う通りだ。朝のホームルームも、溝口先生からアリスについての言及は無かった。その席が空にも関わらず。


 結局、クラスの誰かから指摘はあった。それに対しても、溝口は曖昧な返事をしていた。ああそうだな、と。その時はあの人のいつもの適当さが発揮されたとでも思ったんだが――


「つまり剛は、アリスが意図的に姿を隠している、って言いたいのか? そして、溝口さんは事情を聞いている」

「まあそんなところだ」

「えぇ、どうしてだろう……幸人、何かしたんじゃないの?」

「だから何もしてないって」

「無意識のうちに人を傷つけてるってこともあるかもしれないよ?」

「いや、そう言われてもな。すんなりとキスも――」


 吉永を筆頭に、三人がニヤニヤしているのが目に入って、俺は慌てて言葉をしまった。自分のことながら、何を言っているんだと思う。


 しかし、なおさら謎が深まった気分だ。ひとまず事件に巻き込まれていないようで安心はしたが。自分の意思で拒絶しているとなると、その理由がとても気になる。どうしてアリスは俺に何も教えてくれないのか。


 それこそ、吉永の言葉じゃないが、気づかないうちにアリスに何かしてしまったのか……何してるんだ、俺は。もう二度と、彼女から離れないと誓ったばかりなのに。


「とにかく、だ。俺たちであれこれ言っても仕方ない。すべきことはわかるよな、幸人」

「ああ。後で溝口さんの所に行ってくるよ」


 話し込んでいたせいで、休み時間の終わりは近づいていた。とても担任に会いに行く時間はない。


 気になってもどかしい気持ちを抑え込んで、次の授業の準備を始める。その時、雪江の姿がふと目に入った。かつて見覚えのあるこちらを気遣うような表情――俺にはなぜかその様子が強く印象的に頭の中に残った。




        *




 別に悪いことをしたわけではないのだが、職員室というのはどうも気分が重たくなって仕方がない。


「明城のことを教えろ、ねぇ」

「はい。先生なら、あり――あいつが休んでいる理由知ってるんじゃないかって」

「どうしてお前があいつのことを気にする? 付き合ってるからか?」


 予期せぬ言葉が、教師の口から出て、思わず吹き出しそうになった。顔が赤くなるのを感じなっがら、慌てて周りに視線を巡らせる。


 近くの席は空。一番近い教師は、俺と同じ学年の生徒ととても真剣に話し込んでいる。こちらを気にする様子はまるでない。


「い、いきなりなんなんですか!」

「あれ、違うのか。てっきりそうだと思ったんだが――」


 溝口はそこで悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「学祭の花火が打ちあがってる最中、熱い抱擁を交わしていたよな?」

「な、なんでそれを」

「やっぱりそうか」


 ……どうやら今のはブラフだったらしい。思いっきり引っかかってしまった。


 それにしても、同級生に知られるのはともかく、教師に知られるのは……さっきからどうにも気分が落ち着かなくて仕方がない。というか、これはヤバい案件なんじゃないか。


「もう一度訊くぞ。お前ら付き合ってんのか?」

「それは……そもそも先に質問したのはこっちじゃ」

「いいから答えろよ。もしかして答えられないのか?」


 いやそれもそうだろう、と頭の中で反論をする。俺たちが付き合ってることをはっきりと肯定した時、果たして何が待ち受けているやら。


 俺が言い淀んでいると、担任の顔から次第に笑みが消えていった。いつの間にか、椅子が回転して身体がしっかりとこちらを向いている。


 彼は真摯に俺の顔を見据えていた。普段、雑なところが多いこの教師にしては本当に珍しい。


「大事なことだと思うぞ。そういう関係をはっきりと言葉にするのは――これは教師じゃなく、一人の男として言っておく」

「なんですか、それ……」

「ただのクラスメイトには話せないが、明城の恋人だったら話せる。そういうアレさ」


 そう言われてしまうと、俺としては返す言葉は一つしかない。気恥ずかしさと、ちょっとの不安を感じながら、それをはっきりと口にした。


「ええ付き合ってますよ。アリスは俺の大切な人です」

「ま、だろうな」


 溝口の言葉は拍子抜けしそうなほどあっさりとしていた。どこかおちょくるように、唇を尖らせ肩を竦める、


「だったら、なおさら不思議なんだよなぁ。どうして、お前が知らないのか」

「……もったいつけた言い方ですね」

「こう見えても、国語の教師だから」

「そういうのいいですから。単刀直入に教えてください。アリスに何が起こってるんですか」


 埒が明かなくて、強気に出てみた。弱点をすっかり露呈したことからくる、照れ隠しと開き直りの意味合いが強かった。


 溝口は一つ鼻を鳴らすと、腕組みをして背もたれに大きく身体を預けた。何かを悩むように眉や手を動かし始める。


「…………学校、辞めるんだってさ。親元に戻るんだと」


 一度口を開いて、不自然な間を捕ってから、溝口は告げた。俺には到底、信じられないような言葉を。

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