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第八十二話 誓い

 アリスが勢いよく、俺に向かって突進しできた。そのまま彼女と共に、大きく後ろの方に倒れ込む。


 ガシャンーー間髪入れずに、壮絶な落下音が辺りに響く。遅れて、甲高い悲鳴。


 これをまさに九死に一生を得た、というのだろう。視線の先――先ほどまで俺が立っていた場所には半壊した重厚な照明。辺りに散らばる破片が、衝撃の大きさを物語っていた。

  

 アリスが助けてくれなければ……今も心臓は激しく脈打ったまま。冷汗は絶え間なく流れ続けている。口の中がひたすらに乾いて仕方がない。


「大丈夫ですか、幸人さん! お怪我はありませんか」

「ああ、平気だ。アリスのお陰さ、ありがとう」


 覆いかぶさっていたアリスが身体を起こした。その大きな瞳を一層開いて、不安そうにこちらを見てくる。憔悴しきった表情、呼吸はかなり荒い。


 ややばつの悪さを感じながら、俺も起き上がった。そしてぐるりと視線を巡らせる。


 雪江と剛は無事なようだった。巻き込まれずに済んだのは、掛け声が間に合ったから。さらに、二人のいた場所が落下地点と微妙にずれていたこともあったかもしれない。


「よかった、本当によかった。もし幸人さんに何かあったらわたくし……」


 アリスは顔をぐしゃぐしゃに歪めて抱き着いてくる。痛いくらいに力強く。程なくして、すすり泣く音まで聞こえてきた。


 大げさだ、とはとても言えなかった。あとちょっとでも遅かったら取り返しのつかないことになっていた。それは俺もよくわかっている。あらためてぞっとした。


 俺もまた彼女の背中に腕を回した。片方の手は彼女の後頭部へ。彼女を落ち着かせるように、手触りのいい銀髪を撫でていく。柔らかで滑らかな彼女の髪に触れていると、安心感が沸き上がってきた。


 講堂の中は騒然としていた。慌ただしく動き回る観客、そして様々な喧騒。次第に混乱は大きくなっていく。


 確かに一つわかることは、俺たちがあれだけ時間をかけて準備した劇が、唐突にその幕を下ろすことになったことだけ。あの時とは違う結末を、披露することなく……


 その後、駆け付けた教師陣により避難が始まった。講堂は完全閉鎖。演劇部を含め、学生たちのステージパフォーマンスは全て中止になった。

 

 ステージ上にいた俺たち四人は保健室で手当てを受けることに。誰一人として無傷だったのは不幸中の幸いだったといえる。


 そんな大事件がありながらも、学祭自体が取りやめになることはなかった。予定通りに一般公開が進み閉会式を迎え、そして――


「わあっ、奇麗ですね」


 またしても夜空に色鮮やかな光の輪が広がる。それを見て、歓喜の声を上げたのはアリスだけではなかった。この場にいる誰もが、この迫力のある光景に目を奪われていた。


 学祭のメインイベント、フィナーレを飾る打ち上げ花火。俺とアリスがいるのは、人気の少ない木陰。


 アリスは屈託のない笑顔を浮かべている。それは一見するといつもと変わらないようだが、俺にはどこか含みが感じられた。


 それは今に限った話ではない。あの事故の後から、どうにも彼女はぎこちない。一緒に過ごしていても、何か無理をしているというか……


「また上がりました! あと何発あるんでしょうか……?」

「さあな。去年も観たはずだけど、いまいち覚えてないな」

「ふふっ、幸人さんらしいですね」

「そうか?」


 答えの代わりに、また微笑みが返ってきた。その姿は完全にいつも通り。なのに俺は、やはり違和感がぬぐえないでいた。何かが違う……儚さというか、触れれば消えてしまうような脆さを、彼女に対して感じてしまう。


 それは感覚的なもので、言葉にするのは難しい。たぶん、誰に言っても理解してもらえない。でも、俺は心の端でひっかかりを覚えている。


「こうして一緒に花火を見られたってことは、わたくしたち、ずっと一緒にいられますね」

「……なんだよ、いきなり」

「ふと、そう思っただけです」


 学祭準備の時、吉永たちと話していたアレか。学祭の花火を一緒に見たカップルは永遠に別れない、みたいな。俺もその噂については耳にしたことがある。


 今の俺にしてみれば、そんなジンクスはとてもちっぽけなものに思えた。そんなものがなくても、俺はアリスとずっと一緒にいる。今度こそ、やり遂げる――


「ど、どうしたんですか。こんなところで、その周りにも人がたくさんいるし」


 自然と、アリスの身体を抱きしめていた。愛おしくて仕方がなかった。


 狼狽える彼女が少し面白い。いつもはそっちから、意味ありげな行動をしてくるのに。変なところで純情だよなぁ、と思わされる。


「大丈夫だ、アリス。俺たちはずっと一緒だ。もう二度と、お前と離れない」

「幸人さん、もしかして――」


 その続きが紡がれることはなかった。その前に、俺がアリスの唇にキスをしたからだ。


 それは今までの人生の中で、最も幸せなひと時だった――




        *




 目が覚めた時、ひどい気怠さを感じた。このまま起き上がる気にはなれない。横着して、横になったまま枕元の置き時計を手繰り寄せる。


 日曜日の七時半は、起床するには早すぎる。瞼を閉じて、二度寝を決め込もうか。……それは、普段ならば、という条件がつくが。


 あいにく今日は登校日だ。学祭の後片付けをしなければならない。代わりに、明日と明後日が振替休日。トータルで見れば、休める日数は変わってない。


 とはいうものの、休日に登校するというのは、どうにも損したような気分になるのは否めない。気だるさが一向に増した気がする。


 それでも、俺が取るべき選択肢は一つなだけで


「おはよう」

「おはよう――って、あら、幸人。今日は早いのね」


 着替えを済ませてリビングに降りると、母が朝食の用意をしている最中だった。ちょうどこちらに背を向けている。


「登校日だからな」


 それは前もって話していたはずだが、母はすっかり忘れていた。そのせいで、もう一度同じ話をすることに。


「ま、そうじゃなきゃ、あんたが休みの日にこんな時間に起きてこないか」

「すみませんね、いつも遅くまで寝ていて!」

「あら、わかってんなら改善しなさい。食卓、片付かなくて困るのよ」


 皮肉を返したら、見事に受け止められてしまった。確かに、母の言うことにも一理ある。しかし、まり姉もまた寝坊癖があるわけだし、俺だけが悪いわけじゃないと思う。


「しかし、アリスちゃんとのデートかと思ったのに。ドキドキを返してもらいたいわねぇ」

「何を言ってるんですかね、このおばさんは……」


 聞こえないように悪態をつきながら、食卓へ。そもそもこの制服姿を見ればそうじゃないことくらいわかるだろうに。スマホを弄りながら朝食が出来上がるのを待つ。


 そのうちに父が起きだしてきた。これで残るはまり姉だけ。食卓に朝食が並んでいく……一人分を除いて。


 会話らしい会話はなかった。それでも以前よりも気まずさは薄れた気がする。もっともそれは、こちらが一方的に感じていたものなんだけど。アリスのお陰で、俺の内面も少し変わったということか。


「今日はアリスちゃん、迎えに来ないの?」

「……さあ? 別にいつも頼んでるわけじゃないしな」

「幸人、連絡してみたらどうだ」


 なぜか父から言われてしまった。アリスが頻繁に訪れてくることについて、我が家に批判的な人間は誰もいない。


 残った朝飯をかきこんで、俺はメッセージアプリを起動した。アリスに『今日は来ないのか?』と送る。我ながら、色気のない文章だ。


 いつもならばすぐつくはずの既読マークは、ちょっと待ってみてもつく気配はない。食卓に着いたまま、しばらくスマホと睨めっこをする。


 まだ寝ているのだろうか。しかし、今まで一度たりともアリスが寝坊する、なんてことはなかった。俺の方はと言えば、たびたび寝坊を……でも、彼女はいつも笑って許してくれた。


 時間は容赦なく流れていく。そろそろ家を出ないと遅刻する。未だリビングに潜む両親を横目に、俺は家を出ることにした。


『そろそろ出るな』


 またしても素っ気ないメッセージを彼女に送りながら。


 家を出た時、外はよく晴れていた。日差しがちょっと眩しい。いつもは二人で通る門扉を、俺は一人でくぐった。


 自転車を漕いでいる時も、駐輪場から校舎に向かって歩いている時も、心にぽっかりと穴が空いたまま。アリスと出会う前は当たり前だったというのに。今ではぎこちなさを覚えて仕方がない。


「おう、幸人。今日は一人なんだな」

「まあな」


 席に着くなり、剛が話しかけてきた。俺とアリスがいつも一緒なのは、周囲にとっても変わらない事実ということらしい。


「喧嘩でもしたのか?」

「まさかそんな――」

「わけないよな。お前ら二人に限って」


 ははっ、と剛が豪快に笑い飛ばした。ちょっとおちょくっているように感じたが、事実なので反論のしようがない。


 しかし、もしかしたら先に来ているとでも思ったが、やはりアリスはいないのか。やや不安を感じながらも、それをかき消すように剛と雑談を始める。


 やがて続々とクラスメイト達が登校してきた。こんな日でも朝練があるのか、学が時間ギリギリにやってきた。そして、剛と同じように俺が一人なことをイジってくる。


 結局、アリスが登校してくることはなかった。後片付けが全て終わっても、彼女の席は依然として空のままだった――

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