第二十八話 初デート そのさん
俺たちが通されたのは奥の方の二人掛けの席だった。オープンしたばかりの店内は、あちこち真新しくてピカピカだ。
俺たちは、おススメだというパンケーキのセットを頼んだ。果たして、ホットケーキと何が違うのだろうか。明城もそれについては知らないらしい。まあ美味しかったからなんでもいいか。
今はすっかり食べ終えて、ちょっと一息ついている。混雑してるから早く出ないととは思うが、カップの中のまだ半分くらいのところで、漆黒の液体が揺らいでいる。
「本当に夢みたいです。こんな穏やかな雰囲気で、ユキトさんと過ごせて」
「大げさ……でもないのか。前世からの約束だったもんな」
「もしかして、ユキトさんも思い出したんですか?」
「いや、全く」
俺は素っ気なく答えて、残ったコーヒーを啜った。さすが専門店、香りは豊潤、深みのある味、それでいて後味はすっきり。これだったら毎日飲みたいくらい……資金的に無理な話だが。
財布の中身はすっかり寂しくなってしまった。この間のハンバーガー屋の件といい、今月のお小遣いは着実に減っている。
その答えに、彼女はなぜか安堵したような表情を浮かべる。そういえば、この間も俺に思い出さなくていいみたいなことを言っていたけど。
前世で何があったのか。前世の俺――ユキト様とはいったいどういう人物なのか。確かめなくてもいいことかもしれない。俺は俺だし、明城は明城。
大事なのはこうしている今この瞬間……それはわかっているが、明城アリスという人間を理解するには避けては通れない道だ。彼女はそこに固執しているのだから。
「やっぱり前世でのことは教えてくれないのか?」
俺はちょっと声を低くして、周りに気遣うように言葉を吐いた。ほぼ満員状態の店内は喧騒に満ちているから、誰も俺たち二人の会話なんて気にしないだろうが。
明城は珍しく顔を強張らせた。眉間にはちょっと皺が寄って、目線はやや下の辺り。唇をピタッと閉じて、顎を軽く引いている。
「どうしても言わないとダメですか?」
「だって今の状態はフェアじゃないだろ。お前が前世のことを理由に俺のことが好きだって言うんなら、俺にはそのことを知る権利がある……と思う」
「それは……確かにそうかもしれませんけど」
なんとなく俺たちはぎこちなく言葉をぶつけあう。
彼女はまだ言いにくそうにしている。その奇麗な唇に少しばかり力が入っているようだ。よほどなにかとんでもないことがあるのか。
俺はまたカップを持ち上げた。問い詰めることはしない。しかし、無かったことにもしない。話題にしたのは俺だから。できることは、彼女から言葉が紡ぎ出されるのを静かに待つことだけ。
周りは賑やかなのに、俺たちだけ別の世界にいるように静かだ。ほんのついさっきまで、俺たちも他愛ない会話をしていたのが嘘みたいなほど、空気は冷めている。
相変わらず、憂えた顔をする明城。伏せた睫毛が微かに揺れる。その心の中でははどんな思いが渦巻いているのか。そんな物思いに耽る姿さえ、様になっている。
やがて、彼女は一つそっと目を閉じた。その肩や胸が微かに隆起を繰り返したかと思うと、ゆっくりと顔を上げた。再び開いた目は、真直ぐに俺を射抜いている。どこか悲壮ともいえる面持ちだった。
「――ユキト様とわたくしは、身分があまりにも違い過ぎておりました。あれは本来、成就するはずのない恋。そもそも、わたくしたちは初めから惹かれあっていたわけでもなくて……」
彼女はおずおずと語りだす。その口ぶりは未だ重くたどたどしい。
「しかし、わたくしは段々、ユキト様のそのひたむきで懸命なお姿を愛しく思ってしまったのです。初めての恋でした。それでも叶うことはないと思って、その想いを胸に秘めて陰ながらお慕いすることにしたのです」
ひたむきで懸命……ねえ。俺とは真逆だ。俺は、すぐに投げ出すし飽きっぽい。すぐに楽な方に逃げるというか、自分の限界をわかっているから無理はしない。
……我がことながら、とんでもないな。つくづく嫌になる。本当にそれが自分の前世なのか、と信じられない気持ちでいっぱいだ。
「ユキト様は優しいからこんなわたくしめのことも気にかけてくださって、いつしか二人の心は近づいていきました。そして、どちらともなく思ってしまったのです。このまま永久に、わたくしたちだけの時間を過ごしたいと」
彼女の表情が初めて和らいだ気がした。何か昔を懐かしんでいるような目つき。穏やかで優しげな雰囲気は、本来の明城アリスの姿だ……少なくとも、俺が知っている中では。
しかし、すぐに沈痛な面持ちに戻る。一瞬天を仰いだかと思うと、戻した時には少し顔を斜めにしながら――
「わかってはいたのです。その恋が実を結ぶことがないことは。終わりは呆気なかった。わたくしとユキト様はあえなくその命を散らしました。もし、生まれ変わることがるならば、今度こそ一緒になろうと、そう約束を交わして……」
彼女はぎゅっと目を閉じる。何かに想いを馳せるように。
肝心なところははぐらかされているが、彼女の切なる想いは伝わってきた。表情や些細な仕草が、言葉以上のものを持っていた。
悲恋……それはわかったような言葉選びだけれど。とにかく、そんな儚い結末だったからこそ、彼女はユキト様のことが愛しくて仕方がないのだろう。生まれ変わった今も、その幻影に囚われるほどに。
少しは普段の行動の理由が理解できた。それほどまでに素敵な思い出だったのだろう。それほどまでに、素晴らしい人間だったんだろう、ユキト様とやらは。
俺もいつか思い出すのだろうか。こいつのように。そうすれば、彼女の想いを素直に受け止めることができのだろうか。
「わたくしが話せることは以上です。納得いただければ、幸いなのですが……」
「お前はそれをいつから知っているんだ?」
「小さい頃から時々夢に見ました。過去の出来事らしき風景を。完全に思い出したのは、去年の今頃でしょうか……それからずっと、ユキト様の生まれ変わりを探してきたのです。あらゆる手を使って」
彼女は自らのカップを持ち上げた。そこにはミルクティーが注がれている。今、どれだけ残っているかは知らないが。
そんな所作さえ、上品……きっと彼女の方が身分が高かったんだろう。時代背景はわからないけど、俺は農民とかだったんだろうな。そいつも平凡だったに違いない。今がそうだし。
彼女は全く音を立てずにカップを机に戻した。ちらりと視線をやると空っぽ。俺の方も空である。いいタイミングだと思った。
「そろそろ出ようか?」
「混んでますしね」
俺たちはそっと立ち上がった。そのまま出口へ向かう。
外に出た時、日差しが一層眩しく感じた。
「どっか行くか、それとも帰るか?」
入り口から少しずれたところで、彼女の顔を見ずに尋ねた。
「わたくし、この街のことあまりよく知らないんです。だから、色々観てたいなぁと思ったり……」
背後から、躊躇いがちに答えが返ってきた。
「あと、もっと今の貴方様のこと知りたいです!」
今度は力強い声。
「……とりあえず適当に歩くか?」
「はい――!」
振り向くと、眩い笑顔を浮かべた明城の顔がそこにあった。




