第十五話 登校前の……
朝起きた時、あるアプリの通知が大量に溜まっていることに、俺は心底うんざりした。見なかったことにして電源を落とす。
スマホをベッドに捨てて、俺はとりあえず着替えにかかる。のろのろとワイシャツのボタンを閉めながら、俺はカーテンを開けた。昨日の雨なんて嘘のように、空はすっきりと晴れ渡っている。
学校に行く準備を終えて、居間に降りた。母さんは遅番だったらしく、弁当は机の上にない。代わりに、ラップに包まれた目玉焼きとウインナーが置いてあった。
――用意してくれたのは、親父だと思う。その無造作な感じからは男らしさが滲み出ていた。
しばらく親父とは朝会っていない。このところは忙しいらしい。ま、夜も遅いから、ろくな会話をした記憶も最近ないんだが。
ご飯をよそってくると、テレビをつけて、一人食事を始める。あの大学生はまだ寝ているのか。その姿はここにはなかった。――と、思っていたら。
「おはよう、幸人」
少しして、奴は現れた。
「ああ、おはよう。なんか久しぶりにあった気がするわ」
二日ぶりな気がする。とにかく、この女とは生活リズムが合わない。朝まともに起きてくるのは週の半分くらい。サークルやバイトで夜は遅いし、土日も家にいないことが多い。
居候がゆえに気まずいというわけではないみたいだが。俺の両親共に、それなりに仲がいい。まあ、他人じゃなくて親戚なわけだし。
「なに馬鹿なこと言ってんの。あたしの分は?」
彼女は鼻で笑うと、半分ほどになった俺御朝食を指さした。
「あると思ってるところが実に図々しいな」
「そっか、おばさん、遅番か。じゃあしょうがない」
慣れた様子で、従姉は冷蔵庫を漁りにかかる。
まり姉は親父の姉の娘。だからか、親父の彼女に対する扱いは結構雑だった。こうして、俺の分の朝食は用意してくれるが、まり姉の分はあまり見たことない。
朝家を出る前だから、忙しいのだろうが。もしかすると、大学生としての自立を尊重しているのかもしれない。
台所の方から騒がしい音が聞こえてくる。俺は朝の情報番組をぼんやりと見ていた。内容は全く頭に入ってこない。
その時――
「あれ、誰だろ?」
ピンポンとうちのインターホンが鳴った。腰を上げたが、その前にまり姉が出て行った。自分の方が玄関に近かったからか。
パタパタパタ、廊下を少し急ぎ足で駆ける音が聞こえて――
「はーい」
彼女の余所行きの声が小さく聞こえてくる。
「おはようございます。あの、白波さんのお宅でよろしかったでしょうか?」
聞こえてきたのは少し緊張した高い女性の声だ。
どこか聞き覚えがある。嫌な予感がして、俺は残った白飯を一気に掻きこんだ。荷物を持って、慌てて席を立つ。
「はい、そうですけど――って、幸人の高校の制服ね、それ。もしかして、お友達かしら」
「いえ、こいび――」
「やっぱり、お前か!」
ギリギリセーフ! リビングから玄関まで直線で本当によかった。
そこにはやはり、あの女がいた。俺の顔をみとめると、ちょっと首を動かした。そして、輝く表情でこちらに手を振る。
そして、まり姉がこちらを振り向いた。口を半開きにしたキョトンとした顔で。
「あんたの友達?」
「クラスメイト。転校してきたばかりの」
「ああ、そうなんだ。びっくりしたわ、だってドア開けたら、めちゃくちゃ奇麗な子いるんだもの。しっかし、高校生とは思えないスタイルしてるわね~」
まり姉の目線が素早く上下に動いた。
「そうですか? ありがとうございます」
ぺこりと律儀に頭を下げる明城。褒められるとやはり嬉しいのだろうか。ちょっと照れているように見える。
「あの、ユキトさんのお姉さんですか?」
「違うわ、従姉よ、従姉。下宿してんのよ」
「ということで、まり姉。俺もう行くから。食器下げといてもらっていい?」
「仕方ないわね~。貸し二つよ」
一つ目がわからなくて、俺は難しい顔を作って首を傾げた。
「インターホン出たやつよ。アイスでいいわ。高いカップのやつ、二つ。味はあんたに任せる」
「へいへい、わかりましたよ~」
昨日に続いて、また余計な出費が……。こちとら、そっちと違って自由に使える金は少ないんだ、とはとても口には出せなかった。そのまま曖昧に頷く。
黙殺は許されない。その報酬はきっと――いつか見た胴着姿のこの女の像を頭に思い浮かべると、ちょっと身震いがした。
「じゃあ行ってきます」
「失礼いたします」
「はいはーい。彼女さんと仲良くね~」
「は? 違うんだけ――」
ばたん。無情にもドアは閉まった。そして、ガチャリと施錠音が聞こえる。
俺はちょっとの間呆気に取られていた。行き場を失った言葉はすっかり宙に消えてなくなる。
「行きましょう、ユキトさん」
「一つ訊きたいんだが、誰が迎えに来いと頼んだかな?」
「自主的に来ました! その様子だと、メッセージ見てないんですね。未読スルーじゃなくて、ただの無視でしたか……」
明城はあからさまに悲しそうな顔をした。そういう風にされると、俺としても罪悪感を覚えないでもない。
しかし、正直言って、あの量は異常だと思うのだ。改めて、スマホの画面を確認する。見たことないくらいに溜まっている通知の数。観念して開いて、それをざっとスクロールしながら流し見ていく。
『今何してますかー?』
『明日の宿題なんでしたっけー』
『あの、もう寝ちゃいました?』
などなど。どれも些細な内容。そして――
『わたくし、もう怒りました。
これ以上、無視するならこっちにも考えがあります』
怒りマーク満載、そのすぐ後は激怒するウサギの絵が送られてきている。
それがこいつからの最後のメッセージだった。時刻はちょうど俺が起きた頃。
しかし、仕方なかったのだ。こいつの送ってくる内容は取るに足らないものというか。めんどくさいものというか。
初めのうちはスマホが振動するたびに反応していたが、段々とうんざりしてきた。それで通知を切って、俺はスマホを封印。無視して寝る直前まで、世界を救う旅に出ていたわけである。
「さっ、行きましょー」
見ると、彼女は門のところに留めた自転車に跨っていた。入口を塞がれては、観念するしかないか。
ばれないようにため息をついて、俺は自分の自転車の方に近づいていった。こんなことなら、昨日断固として一緒に帰るべきではなかった。後悔先に立たず、その言葉が今にも身に染みたことはない。




