第十話 アフタースクールタイム
帰りのホームルームが終わった。遅れて、最後のチャイムが鳴る。それは高校生を退屈な義務から解放する癒しの鐘の音でもあった……ちょっと芝居がかりすぎだな。俺は心の中でちょっと自嘲した。
とにかく、俺はこれで晴れて自由の身になったわけだ。なんだか、一日がとても長い様に感じた。本当にくたびれた。さっさと帰って、ベッドにダイブしたい。
特に午後の授業は、まったく集中できなかった。嫌でも、隣に座るあの女のことを意識せざるを得なかった。俺はどぎまぎしていたのに、あいつは平然としているし。
ノートは取ってあるものの、残念ながらその内容は少しも頭に残っていないレベルだ。こういう時に限って、移動教室がないのが恨めしい。
俺はため息交じりに、机の中のものをテキパキと鞄に詰めていく。明日使う且つ宿題になってないものについては、置いていくことにした。この先の帰宅部活動についてこれそうもないから……どこぞの武闘家みたいなことを思いつつ、胸の内で掃除係にしっかりと謝罪をする。
ひとまずバッグををどかっと机上に乗せた。そしてぱっと席を立ったのだが――
「ユキトさん! 一緒に帰りましょー」
座ったままの明城が俺を見上げてきた。いつもニコニコしてんな、こいつ。
「拒否で。つよ――」
「さてと、俺はさっさと帰りますかね」
無下にして右斜め前の共に手を伸ばしかけたら、届く前に彼は勢い良く立ち上がった。そのまま、自分の荷物を持って教室を出て行こうとする。
「待てよ、おい! 置いてくなよ」
反射的にその肩を掴んだ。だが、奴は俺をちらりとも見ない。構わず前に進もうとする。
「お前には明城さんがいるだろ! 彼女と帰ればいい。俺は一人寂しく帰路に就くさ」
「ほら、この方もこう言ってますし。行きましょ、ユキトさん」
すると、女も立ち上がった。左肩に鞄を提げて、右手を俺の左腕に絡ませてきた。そして、さっと自らの身体を近づけてくる。
「おおっ、面白いことになってんね~」
一人関係ない学はげらげらと腹の底から笑い声をあげている。お前はさっさと部活に行け。心の中で、文句を言っておく。
傍から見れば、明城が俺の腕を捕らえ、そこから逃れる様にして俺が剛の肩を掴み、先頭の剛は前傾姿勢で今から歩き出そうとしている構図。俺も当事者じゃなければ、なにやってんだ、あいつら、と呆れかえることだろう。
「明城さん、離してくれませんか?」
「またお逃げになるでしょう?」
「ほら、幸人。お前の方こそ、俺を解放しろ」
見事な均衡状態が出来上がっていた。剛は嫌々ながらも、この茶番に付き合ってくれているのがなんとなくわかる。
しかし、明城は、意外にも絡みつく力が強かった。さらに無理矢理振りほどこうとすると、変なところに触り兼ねない。それで中々抜け出せずにいた。
まずい状況なのはわかっている。わかってはいたのだが――
「おい、白波! なにしてんだ!」
ほら、やっぱり。柳井一味のお出ましだ。どうせこのまま街に繰り出すとかで、明城のことを誘いに来たんだろう。
もはやなりふり構っている暇はなかった。こいつらに目を付けられるのは嫌だし、これ以上、無為な時間を過ごしたくもない。
俺は力業で明城の手を引き剥がした。そして、そのまま流れるように、机の上の鞄をがっと掴み取る。
「いや、今から帰るところだから――」
俺はどさくさに紛れる様にして、そのまま出口の方へ一歩大きく踏み出した。
「ほら、行くぞ、剛!」
「は? あ、ああ。いいけどよ――」
「お待ちください、ユキトさん!」
彼女が俺を呼ぶ声が聞こえたが、面倒なことはごめんだ。そのまま聞こえない振りをして、俺は教室を出た。
彼女のことはしっかりとリア充グループがエスコートしてくれるだろう。そっちの方が、あいつにはよく似合っている。
早いところ、俺のことなんて忘れてくれると助かるのだが。願わくは、柳井君がしっかりとアピールに成功してくれれば、という感じである。
*
「おい、いいのかよ、幸人?」
「何が?」
自転車のペダルを軽快に漕ぎながら、剛の言葉に応じる。言わんとすることはわかっていたが、あえて知らない振りをしてみた。
俺の住んでいる地域は、高校から自転車で十分ほどのところにある。当然、剛や、今頃部活に励んでいる学も近いところに住んでいる。
「明城さんのことだよ。お前と帰りたがってたじゃないか」
「それは向こうの事情だろ? 俺は早く帰りたかったんだ」
「ひゅーっ! クールだねぇ、幸人さん!」
俺は無視して、ペダルを踏む力を強めた。遠くの信号はまだ青、急げば間に合うはず……。スピードが上がるにつれて、前の籠に入れた鞄がごとごとと音を立てて揺れる。
キキーッ! ブレーキが甲高い悲鳴を上げて、俺の愛車は信号機の手前のところで、上手く停車した。ほぼ同時に、目の前を車が行き交う。
「なんで、俺が見知らぬ転入生と帰らなきゃならないんだ」
「さあ? でもいいじゃん。向こうが折角好意を持ってくれてんだろ?」
「あのなぁ、見知らぬ他人にいきなり言い寄られるって結構、恐怖だぜ? しかも、相手は前世云々とか言う、オカルトじみた理論を操ってくる」
「でも、めちゃくちゃ可愛いぞ? たぶん、クラス一……いや、学年一、校内一かも」
「お前も女に興味あったんだな」
「……怒るぞ、幸人?」
脅かしめいた言い方をする剛。
タイミングよく信号が青になったので、俺はすかさず自転車を走らせた。
真っ直ぐに延びる幹線道路に沿って、軽快に風を切って進む。よく晴れていて、全身で春の心地良さを感じていた。
「どうだった、昼休み?」
後ろから友人の声が聞こえてくる。
「いつもより窮屈だったよ」
「そうじゃなくて。転校生様とずいぶん長く席外してたじゃないか。血相変えて時間ギリギリに戻ってきやがって」
「ああ、それか。ただコクられただけだ」
「はあっ! コクられた!?」
今度は剛の自転車が甲高い悲鳴を上げた。それで、俺も仕方なく一度止まって、うんざりしながら奴の方を振り返る。
彼は口をあんぐりと開けていた。さすがに今の発言には面食らったらしい。まばたきの数は尋常でなく多い。
「…………それで、どうしたんだよ?」
「どうもこうもないさ。今、こうしてお前と一緒にいるのが答えだ」
「――悪いが、俺にそっちの気はないぞ」
「そっちじゃねえよ! 冗談でも止めてくれ、気持ち悪い……」
「そうだな、悪かった。さすがに俺も反省した」
居た堪れない空気が俺と奴の間に漂う。
「理由は?」
何事もなかったように、彼は話を切り出した。
「だって、前世を持ち出してくるような女だぞ? まともに付き合ってられるか」
「あーあ、もったいないことしたなぁ。胡散臭いかもしれんが、お前のことが好きなのは事実だろ? さっきも一緒に帰りたがってたし」
「……いや、それはまあ、その。でも、それは向こうが勝手にこっちが前世の恋人だって、思い込んでるだけさ。俺のことが好きなわけじゃない」
「そうかもしれないけどよ。しかし、あんな美少女と付き合ったら、キミも一躍有名人だ!」
「なんのキャッチコピーだ、それは……速く走れる靴みたいな。別にいいよ、目立つのは――嫌いだ」
俺は吐き捨てるように言って、前を向いた。軸にした片足を地面から離して、ペダルを漕ぎにかかる。
というよりも、今までの人生において、目立った例はない。俺はそんな素晴らしい人間じゃない。どこにでもいるような、高校生活が過ごせばそれでいい。
自分のことはよくわかってる。ささやかに慎ましく分相応に――言い訳する様に謎のモットーを頭の中に浮かべていく。
「でもよ、あの様子じゃ、彼女まだ諦めていないみたいだぜ?」
すぐさま追いかけてくる剛。冷やかすような口ぶりだった。
「……それが厄介なんだよ」
俺はちらと天を仰いだ。今頃、あいつ何しているだろうか。是非とも、イケイケキラキラなアフタースクールを送っていますように。
それは、とても切実で真に迫った願いだった――




