第2話 『私の秘密』
「今愛乃がインフルにでもかかってみろ。それこそ大変だろう。だから、部屋の中で暖かくしてる方がいい」
廉治が私にそう言った。突き放されているような気がして、心の中に寂しさが波紋して広がっていく。
ダメだ。これ以上廉治に心配をかけてはいけない。もっと一緒にいたいと思うのはきっとお互い様だから。だったら私も我慢しないと。
私はうなずいた。最近、ポーカーフェイスが下手になっている気がする。寂しさの制御が効かない。
廉治は「また明日」と言って踵を返した。廉治には見えていないだろうが、私は手を振って見送ることしかできなかった。
廉治が階段を降りて、姿が見えなくなって。
廉治と離れたくない。傍にいたい。甘えたい。もっと一緒にいたい──
そんなわがままが容赦なく心の中を蹂躙していった。
少し私、井原愛乃の話をしよう。
私には、お母さんにも廉治にも、もちろん学校のみんなにも話していないことがある。それは、頭痛や脚気の原因に心当たりがあるということだ。
あれは確か11月の中旬くらいからだっただろうか、誰かが私の心に囁きかけてくるような錯覚を覚え始めた。
初めは気のせいだと思って気にしないようにしていた。でも、その声が気のせいじゃないと気づくのに大して時間はかからなかった。そして、その声の存在を認めた時から、どうしよもない不安と寂しさが私の心を満たすようになった。何を言っているかは分からないけれど、囁かれている途中、聞こえなくなってからおよそ1時間はその不安感と寂しさに襲われる。
もちろん、みんなに心配もかけられなかったし、幻聴が聞こえると言ったところで誰も信じてくれないし、誰にもどうこうできる話じゃない。だから私は必死に取り繕って笑顔を絶やさない努力をした。よく写真を撮る時にうまく笑えなくて口元がひきつる人がいるけど、それをもっとましにしたような感じだった、と思う。
笑顔の努力をしたのは初めての経験だった。そして、それだけみんなに心配も迷惑もかけたくないのだということを再認識した。
私はきっと失望されたくなかったのだと思う。小学生の頃からテストはいつも100点、通知表の成績は全部最高評価。運動でもいろいろな大会で最優秀賞を取っていたから。
でも、そんな我慢は長く続くことはなかった。廉治は異変にいち早く気づいた。いつから気づいていたのかは分からないけれど、とても早くから「大丈夫か?」と言われていたと思う。それから次第に学校のみんなも気づいたらしく、私の席を囲んでおしゃべりするのは1、3、5時間目の休み時間になっていた。ちなみに、これまでは毎時間の休み時間、私は人の壁に囲まれていた。
そして、今幻聴について分かっていることは、「お」「え」「ど」「だ」という4文字を発音していること。1文字理解するごとに寒気や脚気、頭痛は激しさを増している。このまま全部を理解してしまったら私は私でなくなる気がしてとても怖い。でも、廉治といる時には不思議と安心感がある。四六時中一緒にいたいと思うのは私のわがまま。
「お、えは、……ど、だ……」
「やめて……やめてっ!!」
寂しさが心の中に広がってゆく。どうしよもない悲しさで満たされていく。
頭痛がして、寒気がしてきて、足ががくがくする。いつもの症状だ。そして、意識を失って、起きたら怠さで数時間動けなくなる。
廉治が帰って少しすると、必ず幻聴が聞こえて症状が出る。いつものことだ。
「愛乃! 大丈夫だからね! 愛乃……愛乃!」
「おかあ、さん……」
ああ、今日も新しい1文字を理解してしまった。これでまた心の浸食が加速していく──
そんなことを考えながら、私は痛みに耐えかねて意識を失った。