第8話 『岐路』
おばさんの特製カレーをいただき、一度愛乃の部屋に戻る。
すると、俺の手を引いて部屋に入った愛乃が唐突に振り向いた。
「今日はまだ帰らなくてもいいの?」
「ああ。今日は8時まではいいって」
「そうなんだ。それじゃ、ちょっとシャワー浴びてきてもいいかな?」
「……? 別にいいけど……」
「ありがと。それじゃ適当に勉強でもやっといてね」
愛乃は適当に下着などを持って、部屋を出て行った。
俺は極力愛乃の方を向かないよう、ささっと机に数学の問題集を広げた。
愛乃の言動にまた疑問を抱かなくもなかったが、考える時間が与えられたのはありがたい。今日こそ愛乃に聞かなければならないことがある。
それは、何かを隠していることはないか、ということだ。愛乃が頭痛に呻いているところに遭遇したあの日以来、明らかに明るくなって、さらに俺への好意を積極的に向けるようになった。
これまでの愛乃は、絶対に自分の気持ちを押し通すような真似をしたことはない。常に他人を気遣い、自分の感情を表に出すようなやつじゃなかった。
今のシャワー発言も不可解だ。愛乃は今日の昼間に確かに「俺といられる時間は一瞬でも長く一緒にいたい」と言っていた。にもかかわらずこの行動。
一体何を考えているんだ──そんなことを思っていると、ドアが開いた。
「おう、愛乃。随分早かったな──ってお前、なんて格好してるんだよ」
愛乃は、下着の上に学校指定のブラウスを着た格好でドアの前に佇んでいた。
「そんな薄着じゃ風邪ひくだろうが。早く何か厚手のものを──」
「廉治」
後ろからぎゅっと抱きしめられて、いつぞやみたいに背中に圧倒的な存在感を放つ胸を押し付けてくる。
「何考えてるんだ」
「私は廉治のことだけ考えてるの」
「そうじゃない。なんでいきなりこんな扇情的な格好してるんだと聞いてる」
「それは当然、廉治が喜ぶかと思って」
愛乃はさらに抱き着く力を強め、体を密着させてくる。
「愛乃。お前に聞きたいことがある」
「なぁに?」
「お前、この症状に心当たりがあるんじゃないのか?」
「…………ただじゃ教えないよ」
「じゃあどうすればいい」
「私を愛して……」
あくまで教えないつもりかこいつは。
俺は考える。解決の糸口を探るためにここで俺の信念を裏切るか、否かを。
今の愛乃は俺の知っている愛乃ではない。こんなに不誠実なやつが愛乃のはずがないからだ。
確かに昨晩、明日聞いてみようと決意した。だが、愛乃が道を踏み外しそうになったら必ず止めるとも決意した。
俺はどちらの感情を優先させればいい。考えろ豊橋廉治。
仮に今聞けなかったとして、まだチャンスはあるのではないか。しかし、愛乃は元気になったと言い張っているが、すでにいろいろとおかしい。実はこれも症状の一環である可能性もある。
対して、今彼女の要求を呑んでしまった場合はどうか。俺も愛乃もきっと取り戻せない何かを失うことになる。だとすれば、俺の信念に反するし、何より俺が今後これまで通りに愛乃に接することができない気がする。幻滅、というやつだ。
「どうするか早く決めないと8時になっちゃう。それとも、このまま今日は泊まってく?」
愛乃が催促してくるが、「ちょっと待って」と言い──そして結論を告げる。
「愛乃、俺は──」