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*5 一人の時間

「お、まだいたのか?」

 

 不意に頭の上から渋めの低い声が降ってきた。

 

慌ててモニターに向いていた顔を上げて、声の主を見上げる。

 

 すでにに30代後半に差し掛かっているはずなのに、それを感じさせない優しげな顔立ち。

 

その甘い顔立ちとそれを裏切らない温和な人柄、お腹に響くような低い声が主に女学生に人気の工学部建築学科准教授・蓮見 和尚(はすみ かずなお)先生がいた。

 

この春からのあたしの担当教官である。

 

「まだ帰らないのかい? もう結構いい時間だよ?」

 

「あれ、ほんとだ」

 

 言われて壁に掛かっている時計を見上げれば、すでに19時を回っている。

 

忙しい時期ならともかく、いつもならとっくに帰宅している時間だ。

 

「明かりがついてるからおかしいとは思ったんだ」

 

 蓮見先生はそばのデスクに持っていたファイルを置くと、窓の鍵の確認を始めた。

 

あたしの帰る準備が出来るまで待ってくれるつもりなのだろう。

 

「先生は、会議か何かだったんですか?」

 

「うん。さっき終わって戻ってきたところ」

 

「お疲れ様です」

 

「学生にお疲れ様と言われる程の仕事はしてないよ。会議なんて退屈なだけだし」

 

 先生の口から『退屈』なんて言葉が出るのは珍しいな。

 

いつもニコニコしていることが多いし。

 

「……? 何?」

 

「……いやぁ、先生の口から退屈なんて言葉が出るのは珍しいと思って」

 

「ははっ。僕だって人間だし。つい、口が滑ることもあるさ」

 

 困ったように笑う顔がなんだか幼くて。

 

女学生に人気があるのもわかるなぁ、なんて思ってしまう。

 

「支度は出来た?」


 戸締まりを確認し終えた先生が、ファイルを取りに戻って来る。


「あ、はい」


 慌ててバッグを拾い上げる。


「それじゃ、気をつけて帰りなさい」


 その大きな手で頭をくしゃっと撫でられた。


先生にとってはなんでもないことなんだろうけど、思わず勘違いしてしまいそう。


「……はぁい。先生、それセクハラですよ~?」


「あ、そっか。すまんすまん、佐伯。気をつけて帰りなさい」


「はぁい」


 あたしに指摘されて慌てて引っ込めたその手が行き場なく。


そんな先生の様子がなんだかおかしくて。


ちょっと面白かった。

 

 

 大学を後にしたあたしは、藤原くんのお店に足を向ける。


真っ直ぐ帰っても市田はアルバイトだし。


料理のあまり得意でないあたしは、藤原くんのところで夕飯を済ませてしまおうという魂胆だったりする。


 ビルの古さにイコールするだろう古くて重たいドアを開く。


カララン、というドアベルの軽い音がした。


ベルの音で店主があたしに気付く。


「いらっしゃい、佐伯」


 この愛想のかけらもない店主が藤原 璋吾(ふじわら しょうご)くん。


中学生の頃からの友人だ。


「今日は市田は?」


「アルバイトだって。後で来るんじゃないかな」


「そうだったか」


「うん。藤原くんこそ。雪野ちゃんは?」


 軽~くからかってみる。

 

「……今日は来てない」


「ふぅん」


 雪野ちゃんは、やっぱり中学生の頃からの友人の妹で、藤原くんとは多分相思相愛のもどかしい間柄の子だったりする。


「それで、何にする?」


「じゃ、いつものとカルボナーラで」


「わかった。ちょっと待ってて」


 藤原くんが冷蔵庫からグラスを取り出す。


グラス一杯に氷を入れて、スコッチウィスキーを。


そこに炭酸水を注いで軽くステアする。


その琥珀色の飲み物をあたしの前に置いた。


 パチパチと弾ける泡。


店内の押さえた明かりにきらきらと光る。


「……どうかした?」


 グラスに手を付けずに眺めていたあたしを、訝し気に見る。


「なんでもないよ? ただ見てただけ」


「……ならいいが、大丈夫か?」


「? 何が?」


 藤原くんが作ってくれたパスタをフォークに絡めながら聞き返す。


「……いや、なんか今日は大人しいから……」


「とくに何もないよ?」


 そんなにあたしが大人しいのはおかしいのだろうか?


もしかして、市田と喧嘩したとか思われてる?


「……ならいいんだ」


 藤原くんの表情が安堵したように見えた。

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