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*17 冷たく、揺らぐ

 市田のそれとは違う、力強い手に撫でられ、肩を揺すられる。

 

その感触にどろどろとしたまどろみから、現実へと引き戻される。

 

下腹部の鈍痛に意識がはっきりとしてくる。

 

──……痛い。

 

「起きて、佐伯さん。部屋に着いたよ」

 

 ──糸屋くんの声がした。

 

これは糸屋くんの手なんだ。

 

「……ん」

 

「起きられる? 歩けないなら部屋まで連れてく」

 

 首を横に振る。

 

とてもじゃないが、立てそうにはない。

 

このまま、ここにうずくまって寝てしまいたいくらい。

 

 その矢先、肩を支えられて体を起こされる。

 

「……ごめん。嫌かもしれないけど、我慢して」

 

 体がふわっと浮く。

 

その慣れない感触に、目の前にあるものにしがみついた。

 

……怖い。

 

自分の意志に反して、地に足がつかないのは怖い。

 

「……お、おろして! 歩けるよ!」

 

 今の状況が、俗に言うお姫様抱っこ状態だと気付いて、懇願する。

 

「まともに立ってられないのに?」

 

 ……返す言葉もない。

 

その言い方は卑怯だ。

 

まるで、市田のよう。

 

きっとあいつみたいに、言い返せないあたしを見て口元を歪めてるに違いない。

 

「何階?」

 

「3階の304」

 

「了解」

 

 糸屋くんはあたしを抱き上げたまま、器用にエレベーターのパネルを操作する。

 

あたしは、目の前にある糸屋くんの胸元にしがみつくのが精一杯だった。

 

ぐるぐると回って極端に視野の狭くなった状態じゃ、他人に見られたらどう思われるかとか気にする余裕なんてなかった。

 

「鍵は? バッグの中?」

 

「うん」

 

 ──……カチャリ

 

 鍵の開く音が響く。

 

履いていたミュールが脱がされる。

 

まるで壊れ物を扱うかのように、丁寧につま先から抜ける。


「部屋は? それともリビングのソファ?」

 

 『どこに下ろせば良い?』と聞いているのだろう。

 

「部屋で。ソファの後ろに」

 

「わかったよ」

 

 最近はずっと自分の部屋で寝ていた。

 

市田の邪魔にならないように。

 

というか、それが当たり前ではあるのだけど。

 

「下ろすよ」

 

 壊れ物を扱うみたいにゆっくりとベッドの上に下ろされる。

 

……荷物のように投げられても嫌だけど。

 

ギシ、とベッドが軋む。

 

「コート、脱がすから」

 

 いちいち声を掛けるのは彼なりの優しさなのか。

 

軽くうなづくと、上半身を起こされコートを脱がしてくれた。

 

横たえた体に、たたんであったタオルケットをかけてくれた。

 

「……食べたい物とか、して欲しいことはある?」

 

 髪を撫でられる。

 

髪に差し込まれた指に心地よさを感じながらも、首を横に振る。

 

 今はただ、ひたすら眠りたい。

 

この具合の悪さがなくなるまで。

 

それがあたしの中での最優先だった。

 

 ベッドのきしみで、すぐそばに糸屋くんが座ったことはわかっていた。

 

だけど、糸屋くんがいることに対して回せる余裕なんてカケラも残されてなんていなかった。

 

 

 

 ──……。

 

目が覚めた。

 

何時間くらい眠っていたんだろう。

 

枕元に、手の届くところにおいてあったミネラルウォーターのペットボトルに手を伸ばす。

 

水滴を纏った少し温くなった水を、上半身を少しだけ起こして喉に流し込む。

 

 ペットボトルのあった場所には、水滴がその痕跡を示す。

 

その痕跡の横にはゼリー飲料とヨーグルト。

 

きっと、糸屋くんが買ってきてくれたのだろう。

 

 ──明日、お礼を言わないと。

 

お礼だけじゃ足りないほど迷惑かけてるけど。

 

文句ひとつ言わないのだから彼は優しい。

 

その優しさに甘えてしまっているのは重々承知しているが。

 

 ベッドサイドのチェストに置いてあった携帯を開いて時刻を見る。

 

もうすぐ真夜中の時刻。

 

かなりいい時間寝てしまったようだ。

 

同居人の彼は戻っているのだろうか?

 

ここからではわからない。

 

 完全には締め切らずに薄く開いた自室のドアの隙間から、リビングの明かりが細く伸びている。

 

糸屋くんが気を効かせて明かりをつけていったのかもしれないし、市田が戻ってきたのかもしれない。

 

そのどちらもベッドの上からでは確かめようがない。

 

 そろり、とベッドの上から足を下ろす。

 

冷えたフローリングの感覚に肩を竦めた。

 

ひたひたと足音を立てずに部屋を横切り、リビングへのドアを押し開く。

 

──……誰の姿もなかった。

 

ほっとしたような、哀しいような。

 

少しは心配して欲しいけど、心配掛けたくないっていう。

 

 市田の部屋のドアに手を掛けた。

 

……でも、開けない。

 

カチャカチャというキーボードの音が漏れ聞こえたから。

 

 ──……帰って来てはいるんだ?

 

 市田の部屋のドアにもたれ掛かり、そのままズルズルと床に座り込む。

 

背中越しに市田のキーボードの音を聞く。

 

膝の間に頭を抱えるようにして。

 

 弱っているせいもあるのか、つい、愚痴っぽくなってしまう。

 

 ──帰ってるなら声くらい掛けてくれたっていいじゃないか。

 

これじゃ、何のために一緒にいるのかさえわからなくなる。

 

そんなマイナーな気持ちに視界を揺らいだ。

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