走れ! つむる
星屑による星屑のような童話。よろしければ、お読みくださるとうれしいです。
ひだまり童話館第3回企画「のんびりな話」参加作品です。
人間の住むところから、はるか遠くのそのまた遠く。
そんな場所にある草と木ばかりの森に「つむる」という名の一匹のカタツムリが、住んでいました。
つむるのおうちは、そのあたりでは一番背の高い「ふき」の葉っぱの、その上にあります。つむるは、そのおうちが、大のお気に入り。
なぜって、雨がしとしと降ったあとに空に現れる、あの食べかけのドーナッツみたいな色とりどりの虹を、日が暮れるまでじっとずっと、ながめていることができたからです。
そんなのんびりさんにも、自慢のものが一つだけありました。それは、背中にある、きりりと黒茶色の筋が入った、渦巻みたいにねじれた殻でした。
きゅんと「とんがった」その渦巻の山は、横から見ると、まるで美しい火山のような形をしていて、鏡にうつしてずっとながめていても、あきないほど。
つむるは、外に出るときには、森の動物たちにそれを見てもらえるように、わざと体をゆらして歩いていました。
――そんな森にも、毎年毎年、雨の季節がやって来ます。そして、ちょうど今は、その季節。
ここ数日も雨ばかりで、どんよりした灰色の雲が、毎日毎日、空のそこかしこに「はびこって」いました。
そんな、ある昼下がり。
じとじとじっとりの季節を「待ってました!」とばかり、つむるは、ウキウキ気分の鼻歌まじり。
水浴びでもしようと、その細長い目を力いっぱい突き出しながら、「ふき」の葉っぱのおうちから、のそのそ歩きだしました。
と、そのとき、スズメの郵便屋さんが、ふきの葉の根元にある小さな郵便受けに、一通の手紙を入れようとしているのを、見つけたつむる。
「あ、スズメさん! 私あての郵便ですか? 今、取りに行きます!」
けれど、そこはやっぱり、カタツムリです。
その歩みの「のんびりさ」にスズメはしびれを切らし、直接つむるのところにやってきて、手紙を渡しました。
「じゃあ確かに、お届けしましたよ」
スズメの郵便配達さんは、キビキビとした動きで、次の配達先へと飛び立ちました。
「スズメの配達員さん、どうもありがとうございまぁす!」
どんなときでも感謝の言葉を忘れない、つむる――つむるは、封筒をひっくり返して、手紙の送り主がだれか、確かめました。
「ああ……幼なじみの、マイコさんからだ」
つむるは、「ひだひだぬめぬめ」の足を器用に使い、よいしょよいしょと、その封筒を開けにかかりました。
けれど、あまりにのんびりだったので、その封筒が開いたときにはもう、カラスがそこかしこで「かあかあ」鳴き始める、夕方。
「なになに? えーっ! 『次の日曜日にパーティーを開きます。ぜひ来てください』だってぇ? 大変だあ! もう、あと三日しかないよ!」
きっと、マイコさんも郵便を出すまでに数日かかってしまって、手紙の着くのが遅くなってしまったのに違いない――つむるは、そう思いました。
ふきの葉の家に、のそのそ戻ったつむる。
葉っぱのすみに立て掛けてあったカタツムリ用の地図を持ち出して、マイコさんの家がどのくらい遠いか、調べてみました。
「うわ、なんてこと! 遠すぎる!」
それは、人間たちのいう100メートルくらいの距離。つむるから見れば、宇宙の端から端くらいに遠い、そんな距離なのです。
だって、カタツムリの一生の間には、普通に暮らしていれば、だいたい30メートルくらいしか移動しないのですから――
でも、つむるは一大決心。
なにせ、大事な友達、幼なじみのマイコさんからのお誘いです。つむるは、何とか間に合うようにと、すぐに旅の支度にとりかかりました。
とはいっても、やっぱりそこは、カタツムリ。結局、支度が出来たのは、真夜中でした。つむるは眠い目をこすり、マイコさんのおうちを目指して、のっそりゆっくり、その旅を始めたのです。
真っ暗な闇。月明かりでさえ、その木々の葉でさえぎられてしまうその中を、必死の形相で、突き進む、つむる。
夜に外を出歩くのが初めてのつむるは、ぬめぬめひだひだの足の下のヒンヤリとした感触に戸惑いながら、とにかく、前へと進んでいきました。
もう少しで夜が明ける、という頃でしょうか。つむるは、穴の開いた風船のように、体の力が「しゅうしゅう」と抜けていくような、そんな感じになってしまったのです。
(だ、だめだ! もう、体の水分がもたないぞ! で、でも負けるもんか!)
つむるは、半分気を失いながら、それでも走り続けました。そのとき、つむるが足の下に感じた、不思議な感覚。それは、先ほどまでの冷たい土の感触ではなく、なんだかふわふわやさしい感触でした。
(も、もしかして、天国に行くときって、こんなふわふわになるのかな)
それでも、何とか走り続ける、つむる。
がんばりにがんばったつむるでしたが、それからしばらくして、つむるは気を失ってしまったのでした。
☆
――それから、何時間かが、たちました。あたりは、もうすっかり、昼。
ぽちょん……ぽちょん……
それは、水のしずくが、つむるの頬に当たる音でした。まさしく、天からの恵み。
つむるは、その音と頬から伝わる冷たさで、目を覚ましました。
「ああ、葉っぱにたまった夜露が、落ちてきてたんだ――ひからびずにすんで、助かったよ」
つむるが、ふと見上げると、ちょうどつむるに覆いかぶさるように、一枚の「ふき」の葉っぱがありました。しずくは、そのさきっちょから、ぽたりぽたり、と落ちていたのです。
「一晩中、あれだけ走ったんだもの。きっともう、だいぶ先まで来れたよね」
けれど、辺りを見回したつむるは、自分の目を疑いました。だって、つい、数メートル先に、自分の住む、あの見慣れたふきの葉っぱのおうちが見えたからです。
「う、うそだ! あれだけ頑張ったのに!」
くらくらと目まいがして倒れそうになったつむるは、そのとき、自分の足元が普段と違うことに気づきました。
茶色い毛のびっしりと生えた、ふんわりと温かい不思議な地面――どうやら、つむるは自分よりもだいぶ大きな動物の背中にいるようなのです。
と、そのとき、茶色の地面の先から聞こえた、寝ぼけ声。
「あれ? 誰か、ボクの背中にいるの? いま声が聞こえた気がしたけど……」
大きな黒目玉に、ふごふご動く鼻。それは、まだ子どものカピバラさんでした。
(はっ! そうだったのか)
このとき、つむるはわかったのです。
暗闇の中で一晩中、自分はカピバラさんの体を、一生懸命にぬめぬめひだひだと走り回っていただけだったということを。
あまりの出来事に、目の前が真っ暗になった、つむる。けれど、そこでつむるは、ひらめきました。
――このままカピバラさんの背中に乗って、マイコさんのおうちまで連れていってもらおう――
「……こんにちは。私、カタツムリのつむるといいます。ところで、カピバラさんに、一つ、お願いがあるのですが――」
つむるは、昨日、幼なじみの「マイコさん」から手紙が来たこと、あさってにマイコさんの家でパーティーがあること、そして、昨日の夜は一生懸命に走ったのだけれど、道だと思っていたところが実はカピバラさんの体で、全然進めなかったことを、順を追って、のんびりゆっくり、話しました。
「ということでして、できれば、私をマイコさんのおうちまで連れて行っていただけるとうれしいのですが……」
カピバラさんの返事を待つ、つむる。けれど、そのカピバラさんはただ鼻のあたりをモヒモヒと動かしただけで、ぼーっとしています。
のんびり屋のつむるもさすがにしびれを切らしそうになったときでした。突然、そのカピバラさんが口を開いたのです。
「うん……わかった……じゃあ、ボクが連れて行ってあげるね……あ、そうそう、ボクの名前は、バラン。よろしく……」
――こんな、のんびりした二人の会話です。
話が済んだ時には、もうすでにお昼もだいぶ過ぎて、夕方近くでした。
「ああ、でもごめん! ボクの、お昼寝の時間とっくにすぎちゃってたよ。寝るねっ」
そう言って、バランは突然、ふごっ、といびきをかいたかと思うと、遅い昼寝を始めてしまいました。
「バラン、バランってばっ! 頼むから、起きてよっ!」
あせった、つむる。
殻のとんがりでバランの鼻をつんつくしてみたり、渦巻の筋をバランの目の前でぐるぐる回したりしてバランの目を覚まさせようとしたのですが、びくともしません。ますますいびきを大きくして、バランは昼寝を続けています。
「困ったな……」
すでに、日も暮れかけてきました。それでも、一向に目を覚まさない、バラン。
結局その日は、バランは夜になっても眠り続け、起きることはありませんでした。
「仕方ないな……朝からバランにちゃんと歩いてもらえれば、明日中には、マイコさんのところには着くだろうし」
その晩、つむるは昨晩の疲れをいやすように、バランのふかふかほんわりしたその背中で眠ることにしました。
☆
次の日の朝。木々の隙間から見える空は、まさしく晴れ渡った青空でした。
ぱりぱりと体の渇くような感じがして、つむるが、目を覚ましました。
ふと見ると、バランは、まだ鼻ちょーちんをぷかりぷかりと出しながら、気持ちよく寝続けているではありませんか!
(……。本当にのんびり屋さんなんだな。全然、私なんて、かなわないや)
仕方なく、つむるがバランを起こしにかかります。
「もう、朝だよ! バラン、起きて!」
「ああ? うーん……え? もう朝なの? いやあ、寝すぎちゃったなぁ」
やっとのことで目を開けたバランは、一度大きなあくびをした後、
「じゃあ、出発するね! つむるさん」
といって、つむるを背中に乗せながら、のそのそと歩き出したのでした。
といっても、やっぱりそこは、カピバラ。
今が見どころと咲きほこる花々や、かぐわしい香りのする果物に惑わされ、あっちへふらふら、こっちへふらふら。寄り道ばかり。
ちょっと前に進んだなと思ったら、こんどは「おなかがすいた」と言い出し、道ばたの細長い緑の草を、むしゃむしゃのんびり、ほおばり始めてしまう始末です。
――ちっとも、前に進みません。
「た、頼むよバラン、真っ直ぐに歩いてよ! パーティーは、明日。できれば、今日中に着きたいんだ!」
「……ああ。わかってますってば。ほら、ちゃんと歩いてるじゃありませんか」
バランはそう言いますが、でもやっぱり、朝からほとんど進みませんでした。たちまち時間が過ぎて、もう、夕方に。
(ああ、もう間に合わないかも)
そう、つむるが、あきらめかけたときでした。
「ぐわ、ふふっ……うははははっ!」
突然、バランが奇妙な声をあげて、走り出したのです。
「だ、大丈夫、バラン? どうしたの?」
振り落とされないように、背中で必死にへばりつく、つむる。
笑いの止まらない中、バランが答えます。
「いやあ、おとといキミが夜中じゅうボクの背中を歩き回っただろ? たぶん、そのときのが今、すんごく、くすぐったくて!」
なんとバランは、数日前にくすぐられた背中が、今になってくすぐったくなったといい出したのです。
「ええ? 今頃になってぇ?」
つむるは、あまりの「のんびりな話」に、吹き出しました。
でも、そのかいあって、バランはよそ見もせずに走り、あっという間に、目的地のマイコさんのおうちにたどりつくことができたのでした。
☆
「それはそれは大変でしたね。バランさん、本当にありがとうございました」
つむるから話を聞いたマイコさんが、バランに、お礼をいいました。
「いやあ、それほどでもないんですよ……はっはっは」
バランが、笑いながら、照れています。
「でもね、これ……去年に出したパーティーの招待状なのよ。どうせまた、スズメの郵便屋さんが忘れてたのね……本当、あのスズメさん、のんびりさんなんだから……」
「ええっ?」
すまなそうな顔をする、マイコさん。つむるとバランは、口をあんぐり。
どうやら、一番のんびりしていたのは、あの、キビキビしているように見えた、スズメの郵便屋さんだったみたいです。
「ボクたちより、もっとのんびり屋さんがいたなんて! そりゃ、おかしいや。あははははっ」
バラン、つむるにマイコさん……みんなの笑い声が、あたりに響きました。
――それでも次の日、マイコさんはつむるとバランのために、盛大なパーティーを開いてくれました。
それはそれは、楽しい時間。
もちろんバランは、その間ずっと笑いっぱなしでしたけどね!
おしまい