第六話 組合Ⅲ
パーティーとアダマスの登録が終わると、出口に近い所でロサがこう言った。
「ダンジョンに潜るのは明日のほうがいいかのう」
それはロサの個人的な事情ではなく、アダマスが昨日迷宮に潜ったからである。
冒険者は、体が資本の商売だ。
だから怪我や病気などには他のどの職業よりも、注意しながら暮らさなければならない。何故なら迷宮内では一歩間違えるだけで、死につながることが多い。
事実、初心者は無茶な冒険日程を立てて、一日も二日も連続して迷宮に潜ることがあるという。その結果、目には見えない疲れがダンジョンに潜っている時に現れ、モンスターを適切に対処できずに死ぬことが多々あるみたいだ。
だからこそ、冒険者は一日冒険をすれば、二日ほど休むことが多い。
遠征などの長い攻略にあたった場合には、一週間などの日を欠けて休むことになる。
もちろん熟練者の中には毎日のように潜る者もいるが、そういった者は一日の時間がとても短いと相場が決まっている。
またロサが聞いた話では、アダマスは最初に迷宮に潜った時に難敵に会ったというではないか。怪我こそしていないものの、体ががたついているというのが、彼女の判断だった。
それでも迷宮に潜ろうとすれば、いくらロサが付いていようと彼の足が救われる可能性があると思ったのだ。
特にロサの印象では、アダマスを無鉄砲な若者だと見ている。
「分かった――」
アダマスは何の不満もなく頷いた。
「それで、これからお主はどうするのじゃ? まだ日は高いぞい?」
「どうしようかな? 適当に町を巡ってみることにするよ」
「そうかえ。それじゃあ、次に妾らが迷宮に潜るのはいつにするかの。明日……いや、念の為に明後日にしようかの」
「分かった。明後日だな」
アダマスはロサへと今後の予定を確認して、ロサから離れようとした。
「いや、少し待つのじゃ」
だが、ロサが暫し悩んでから止めた。
「何だよ?」
「お主、初心者だったな?」
「ああ」
「ダンジョンにどれぐらい挑んだ?」
「一回だな」
アダマスの返答にロサは顎をさすりながら言った。
「……一回、のう」
「何か文句あるのか?」
「いや、本当に素人なんじゃな、と思ったのじゃ」
「へえ」
「それなら、明日は一回集まろうかのう」
「どうしてだ?」
アダマスの質問にロサは眉を潜める。
「お主、冒険者が迷宮に潜る際に何が必要か知っているのかえ?」
「武器だろ」
アダマスは自信満々に断言した。
「後は何じゃ?」
「気合と、根性だろ?」
自信満々に答えるアダマスに、ロサはぼそりと呟いた。
「バカ者……」
「バカって何だよ」
「お主、本当に何も知らないんじゃな? 妾はお主に呆れたぞ。どんな初心者であろうと、冒険者になる者ならもう少しは常識を持っているというのに――」
そこまで言って、ロサはアダマスの右手を捻り上げた。
そしてまじまじと彼の右手のついた剣ダコを見た。
そこには確かに、長い間剣を振った者しかついていないタコが硬化し、とても固くなっている。
「何だよ?」
「――その実力で、頭がないのが非常に惜しいのう」
ロサはアダマスの戦う姿を見たことが無いが、実力は認めていた。
先程の男を片手で掴んだこともそうだが、初めての迷宮探索で目立った怪我をすることはないのは見事と言える。常人なら雑魚一匹を倒すのにもたつき、怪我をすることも少なくはない。
実際にロサもその一人だった。
その時は仲間が助けてくれたが、アダマスは一人だという。
どんな失敗も、自分で挽回しなければならない。
それがどれだけ難しいことかは経験で知っていた。
倒せないモンスターにもたついている間に、徐々に聞こえてくる他のモンスターの咆哮。それによって焦る気持ちが剣に伝わり、より一層、モンスターを倒すのが遅れる。仲間にも焦りが伝達し、一方的にモンスターに負ける状況へと陥るのだ。
それを打開するのは、やはり仲間との強い絆か、優秀なリーダー、もしくは一芸を持ったパーティーメンバーだと思っている。
だが、そのいずれもアダマスは持っていない。
それなのに、アダマスは平然と冒険を終えている。
もしも本当に彼が新人だというのなら誰もが素直に称賛することだろう。
「頭はきちんとついているぞ。しかも、この頭は固いぞ。兜が必要ないぐらいにな――」
アダマスはとんとんと頭を指差した。
ロサは溜息をつく。
「本当にお主は何というか、バカというしかないではないか――」
「何だよ、それ――」
アダマスが唇を尖らしていると、遠くから一人の男がやって来た。
「ロサ! こんな所にいたのか! 探したぞ!」
その男は、アダマスよりも大きな男だった。
まず、身長が高い百九十は軽くあるだろう。
それに体全てが悠久の年月を経た大木のように太かった。
まず首周りは顔ほどの太さがあり、ロサの胴体を超えるような二の腕はおそらくどんな得物でも楽に扱うだろう。太ももから足首にかけては故郷で見た牛のように太く、胸板から胴体にかけては筋肉の鎧のように、分厚い肉を身に付けている。
さらに背中に吊るしているのは、男の身長より僅かに短い――方天画戟だ。
方天画戟とは、長柄武器の一種だ。普通の槍のようにある短剣のような刃の他に、三日月状の“月牙”と呼ばれる横刃が、穂先に片方だけに付いている武器だ。
もちろんそれらの刃は通常よりも、太く、大きく、まるでそれは兵器のようで。
刃が銀色のように美しき輝き、また柄に傷ひとつ無いので、おそらくは、最近作られたものなのだろう。
「何だ、バッソか。何のようじゃ?」
ロサは走って近づいてきたバッソという方天画戟を背負った男に、冷たい言葉を返した。
「今、話は大丈夫か?」
バッソはロサの隣にいたアダマスに向けた。
「うむ。別によいぞ」
「なら、本題だ。そろそろ、オレのパーティーに入る気になったんじゃないかと思ってな。声を掛けてみたんだ」
バッソは眉も瞳も太かったが、中々に男らしい顔をしていた。
「すまんが、断る」
ロサはきっぱりと言った。
「どうしてだ? そろそろ、ロサの中でも踏ん切りが付いたんじゃないか? もう一年だろう?」
バッソはロサに詰め寄るが、ロサはそれに動じていなかった。
むしろ、一歩離れて、きちんとバッソとは一線を分けていた。
「…………確かに、妾ももうあの件には踏ん切りがついた」
ロサは胸の中にしまっていた黄色を帯びた飴色の石のペンダントを取り出して強く握った。
そこには、蜘蛛のような虫の影が見えた。
「なら――」
「じゃが、妾は最近弟子ができてしまってのう。もうパーティーも組んだのじゃ。こいつがそのバカ弟子じゃ。のう、アダマス?」
ロサは自分よりか背の高いアダマスの頭を強引に掴んで、糸のようにさらさらとした彼の金髪を撫でた。
「へ?」
その頃、アダマスは自分とは関係のない話なので、欠伸をしながら明後日を見ていた。またそろそろお腹が空いてきたので、持っていた携帯食料である乾燥した赤くて甘い木の実を食べていたのである。
もちろんこれは、地元から持ってきたものだ。
アダマスの実家には昼食という概念がなく、お腹が空けば山に生えているものを取って勝手に食べる習性が彼にはあったのだ。
だからこそ、ロサの話に反応が遅れて、呆気無い声しか出なかった。
また、ロサから乱暴に撫でられたので、床に口に入れようとしていた木の実が一つ落ちた。
「妾と違って出来が悪くてのう、こやつは手のかかる弟子じゃから、バッソのパーティーには入れん。そうじゃのう、バカ弟子?」
「誰が、バカ弟子だよ。俺はあんたの弟子になった覚えはねえよ。てか、離せよ」
アダマスは頭を撫でられたのが気に入らないので、素早く手で払う。
「こういう可愛げのない奴なのじゃ」
ロサがバッソにアダマスを簡単に紹介した。
「ということは、ロサは第一線から身を引くのか? あのロサが、冒険者を半ば辞めるのか?」
信じられないような顔をバッソがする。
「……そうとも言えるし、違うとも言えるな。妾はあくまでこやつの師匠らしい。だから、こやつのために動くつもりじゃ」
「別に、俺はそいつのパーティーに入ってもらってもいいんだけど。別にあんたのパーティーに入りたい、って言ったわけじゃないからな」
アダマスはまた木の実を口に入れて、勢いよく噛んだ。
そんな態度の悪いアダマスを見て、バッソが目を細める。
「本当にこんな少女でいいのか、ロサ? おそらくだけど、こいつはとんでもない子供かも知れないぞ?」
「……かも知れんな」
ロサはアダマスの反応を予想していたとはいえ、頭痛がした。
「誰がとんでもないガキだよ。それに、勘違いするんじゃねえよ。俺はれっきとした男だぞ」
不満そうにロサとバッソの両名をアダマスは睨みつける。
「分かったよ。アダマス君。改めて自己紹介をしようか。オレはバッソだ。『天穿つ槍』というパーティーのリーダーをしている」
バッソはアダマスに右手を出した
「……アダマスだ」
アダマスは嫌そうにしながら、自分よりも一回り大きいバッソの手を握った。もちろんそれは、これまで触れてきたどんな手よりも岩のように固い手だった。
また握手を終えると、アダマスのためにロサが簡単な紹介をした。
「フルグルはの、ここでもトップパーティーの一つじゃ。功績は数あれ、幾つかのはぐれの討伐や、階層を占めるボスの討伐なども幾つかしておる。今ではトーへの攻略に全力を注いでいる数少ないぱーてぃーでの、それはそれは、偉大なパーティーの一つなのじゃ」
「へえー」
アダマスはロサの説明を受けてから、バッソを上から舌まで見渡したが、どうにも興味が沸かなかった。
そんなアダマスにバッソは苦笑いしてから――
「じゃあ、ロサ。ぜひともパーティーの件、もう一度考えておいてくれ。君のための椅子はいつてもフルグルには開けておく。君のためなら、融通してもいいことは沢山ある。もしも悩んでいるなら、一度フルグルに顔を出してくれるとオレも助かるよ」
真摯にロサのことを見つめた。
「……まあ、気が向いたらの」
「ありがとう。それじゃあ、アダマス君、君の今後の冒険者人生に幸あることを祈るよ――」
そう言って、忙しくバッソは三階に登って行った。
それを見送った二人は顔を見合わせて、何ともいえない苦い顔をした。
「お主は、あまりあやつのことは気にしなくていいぞい。あれはあくまで、妾に関することじゃからな」
「最初から気にしてねえよ。それより、あんたもあっちのパーティーに入りたかったら、いつでも解散していいんだぜ?」
「バカ者。誰がするか。全ては神の思し召しじゃ。妾があっちのパーティーに入らんのも、お主を弟子にするのもな――」
「神が言ったのは、俺を弟子にすることじゃなくてパーティーに入ることだろうが」
いつのまにか話がすり替わっていたロサに、アダマスは肩をがっくりと落とした。
そしてロサがアダマスに明日は朝早くから集まることを念入りに彼へと告げてから、別れようとした。
うきうきとした足並みでロサに少しだけ金を借りて組合を出ようとするアダマスに、少しだけロサは違和感を覚えた。
「ところで、バカ弟子。お主は町のどこに行くつもりなのじゃ?」
「え、西にある遊郭だけど。詳しくは知らないけどな、何か楽しい場所だって、近くにいた冒険者が話していたんだ。俺も都会に出たのは初めてだからな。そういう場所にも行きたくなって……」
そこまで言いかけたアダマスを、ロサは目を細めて睨むようにして言った。
「バカ弟子よ……」
「な、何だよ?」
剣呑な空気がロサから流れる。
「遊郭に行くのは止めるのじゃ。これは師匠としての命令じゃ」
「何でだよ?」
アダマスは首を傾げた。
「何でもじゃ。いいから止めろ。さもなければ、すぐに金は返してもらうぞ」
アダマスは今日の晩飯のことも考えると、流石にお金は返したくなかったのか素直に頷いた。
ロサは素直になったアダマスに表情を緩ませ、顎を掴んで振り向かせた。
「……ところで、楽しいところなら、明日に妾が教えてやる。だから今日のところは宿に戻って、しっかりと体を休めるのだ。よいな?」
「わ、分かったよ。そうするよ」
「よいな? 絶対に今日は宿に大人しく帰るのじゃよ」
アダマスはロサの念押しに負けて、この日は宿に戻って早く寝た。
新しい環境に疲れていたこともあり、いつもよりかぐっすりと眠れたのであった。