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ADAMAS  作者: 乙黒
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閑話 琥珀Ⅱ

 火球が明かりとなっているお化け屋敷のような迷宮内でイモータルとなって目覚めた時、死人の心の中には渇望があった。

 力を、求めていた。

 だが、そこに自己というものはない。

 何故、がいつも付きまとった。

 そもそも力を求めているという理由が分からなかった。過去という厚みがないからだ。本来、人が生きてきて自然と獲得するであろう、親、名前、出身地、友人、先生、恋人、経歴、趣味、夢、喜び、悲しみ、怒り、などのバックボーンが死人には一切存在しなかった。

 どうして自分が生まれて、何故自分が生きているのかが分からない。要するにアイデンティティーというのを達成していない状態と一緒なのだ。確かに常識はあるが、それは外付けされた知識と同意だった。自分は何者であり、何をなすべきかという個人の心の中に保持される概念が、死人にはなかった。

 あるのは、力への欲だけだった。それもどうすれば強くなるかが分からないから不明確なままだった。体を鍛えて筋肉が増えるかも分からないし、今は師事する者もいない。力への欲だけで確立しようとしていた自己が、歪になっていくのを死人は感じていた。

 だから、自己同一性は達成されない。

 自分が何者か分からない。

 自己が拡散していた。

 狂いそうにもなった。

 殺しという安寧に身を任せて、この濁流に飲まれてしまえば楽なのか、とも死人は考えるようになった。実際にそのように行動していた。骨の騎士を倒す前の死人は、目の前にいる敵を全て殺すキリングマシーンだった。理性など殆どなかった。強くなるという目的すらも排除して、ただ殺すのだ。目的と、手段が入れ替わり、手段が目的となっていた。


 持っていた剣は素振りするだけで刃が砕けたので、最初は素手で戦った。素手で、四肢が半分も欠けた骸骨を斃した。簡単だった。敵の片目に宿ったカルヴァオンを両手で引きずりだして、そのまま握り潰したのだ。呆気無いものだった。声帯がない骸骨は悲鳴すら出さない。ガラスのように砕けたカルヴァオンが虚しく鳴っただけだ。死人は同類を殺したというのに、意外にも、何も感じなかった。叫び声を聞けば、少しは何かが変わるのだろうかとも考えるが、そんな思考も骨が崩れる音とともに消えた。


 次に倒したのはまだ鎧が身体に合っていない弱そうな冒険者だった。足音を殺して近づき、背後から襲って首を締めながらじわじわと殺した。冒険者は脱糞しながら泣き叫んでいたが、死人は何の感慨も覚えなかった。それが例えかつての同種であろうと。自分もあのように死んだのかと想像するが、全くの無意味だった。自分の死にすら感動を覚えない死人は、他人を殺すことにも感動を抱けなかった。


 だが、いかに死人であろうと、素手で冒険者やモンスターに勝つのは難しい。

 だから、殺した獲物から武器を剥ぎ取った。

 最初は殺した冒険者から剣を奪った。

 殺すのが簡単になった。

 武器を手に入れただけで世界が変わったように感じた。

 これまで苦戦していた敵も手数を掛けずに殺せるようになった。素手であれば断ち切れない固い骨も、剣ならば傷を残したり、折ったりすることが出来た。冒険者の場合はこれまで掻い潜って攻撃するしか無かった剣を防いだり、木製も盾を貫いたりもした。

 もしかしたら、強い武器を手に入れることが強さへの近道なのか、と死人は思ったが、そんな考えは泡末に消えた。

 何故なら既に強くなるという目的よりも、殺しという手段に死人は思考を委ねていたのだから。


 死人は目の前に現れた敵は一つ残らず倒して行く機械となり始めていた。

 もちろん、そこにモンスターや冒険者という区別はない。あるのは、己か、敵かという二択だった。

 それを繰り返していると、いつの間にか気付いていた事があった。

 モンスターや人を倒せば倒すほど、動きに繊細さが戻ってくるのだ。詳しく言えば、剣の軌道が少しずつぶれなくなり、足捌きが少しずつ早くなった。

 まるで生前みたいに。

 それと同時に、胸に埋め込まれたカルヴァオンの色が少しずつ剥がれて白色に戻っていく。

 そんな死人が自己を確立したのは、おそらく骨の騎士―――スケレトゥス・エクエスを倒した時だろう。


 骨の騎士を倒した時――記憶が戻ったのだ。


 死人は自らの名前を思い出した。

 ガイル、だ。

 どうやら動きが生きていた時と同じようになっていたのは、記憶を徐々に取り戻しているということみたいだ。

 名前を取り戻したことで、ガイルは歓喜した。

 自分を取り戻したように感じたのだ。

 死人になる前の自分だ。

 既に記憶はほぼないが、その欠片を取り戻した。もしかしたら、この先カルヴァオンの色が少しずつ白に戻っていけば、もっと記憶を取り戻すことが出来るかも知れないという喜びに繋がった。

 自己を、達成したのである。

 あやふやだった自分が固定させられたように思えた。

 これまでは有象無象の死人の一人でしかなかった自分が、ガイルという一つの概念になった。自分というのが確立した。

 自分がどうやって生きていたのか、それを取り戻すためにこれからの生を捧げようとガイルは決意した。

 それからガイルは、強くなるという欲望と記憶を取り戻すという喜びのためにより一層、モンスター殺しと冒険者殺しに励むようになった。



 ◆◆◆



 自分という宝物を見つけたガイルは、モンスターや冒険者をこれまでよりも注意深く、そしてより確実に殺すようになった。

 生前からかは分からないが、死人になったガイルは深く考えるのは苦手だった。考えれば考える程、自分というるつぼに嵌って、狂いそうになるのだ。

 だが、名前を取り戻してから、自分がガイルだということをはっきりと認識している。

 だから思考力も段々と生前並みに戻ってきた。


 ガイルは今いる迷宮を、トロ、と認識している。

 それは自分が死んだ迷宮を思い出したのではなく、出てくるモンスターや地形、それに明かりが火の玉ということと、様々な生前の迷宮の知識という記憶を総合して、そう結論づけたのだ。


 ガイルの記憶では、トロという迷宮の特徴はモンスターに生者がいないことだと記憶している。

 出てくるモンスターは、全てが不死者なのだ。

 その一端が自分のような死人であり、また別の一端がこの前倒した骨の騎士であるスケレトゥス・エクエスだ。

 モンスターの形は色々とあるが、ミノタウロスや蜘蛛型のモンスターであるアラニャなどは存在しない。生きた血肉をつけたモンスターはこのダンジョンにはおらず、それゆえにトロのモンスターは他のダンジョンに比べて強くないが、殺しにくいという状況を生んでいる。

 何故なら体が干上がって細い分、筋肉や体重などが減るため、パワーやスピードは落ちるのだ。実際にガイルの身体も微かに取り戻した生前の動きと比べてみると、運動能力が遥かに落ちているといえる。おそらくは少なく見積もっても半分は落ちた。

 その代わりに睡眠や食事が必要ないというのは便利だったが、モンスターになったという不便さもあった。


 それが――カルヴァオンだ。

 冒険者時代では自分の生活を支える食い扶持だったが、今となっては心臓であり、脳である。モンスターにとってこれを取られることは死に繋がる。他のモンスターのように体内に隠しておけばいいのだろうが、何故かガイルのカルヴァオンは胸元に剥き出しのまま存在していた。これはまずい。自分にとっての最大の弱点がまったくもって隠されていないのだ。モンスターは違うが、冒険者はカルヴァオンを見つけるとすぐにそこを狙って攻撃を仕掛けてくる。特に自分のカルヴァオンは他のモンスターとくらべても大きいのに、姿形は最下級のモンスターである死人の一種であるゾンビと一緒だ。腕や足は腐り落ちていないものの、普通の冒険者なら極上の獲物であることは間違いないだろう。

 少しの自衛のために布は巻いているが、隙間からはやはりカルヴァオンが垣間見える。どうにかしなくては、とも考えるが、最近は冒険者をあまり狩っていないことに気付いた。モンスターばかりを倒していたのだ。鎧を付けている死人もいるが、ガイルにとってそんな腐った装備など身につける気など全く起きない。


 なら、と考えると、ガイルは浅い階層に行こうと思った。

 これまでは強いモンスターや冒険者を倒すために探出来るだけ深層へ潜ろうとしていた。深くなればなるほど、強さの香りは濃くなり、無意識の中の欲望が満たされていたのだが、今はしっかりと自立して動いている。目的のためなら遠回りすることも許容できた。

 トロの浅層まで浮上すると、ガイルは改めて死人共の多さを知る。

 深層とは違い、浅層ではモンスターは個ではなく、群の力で戦う。と言っても、数十の的に囲まれることは少なく、多くとも四体ほどだ。それ以上の数はよっぽどの愚行を起こさない限り会うことはない。


 ガイルは未だ生前のことは朧気だったが、どうやらふがいない冒険者ではないらしく、それなりの実力があったようだ。記憶が失っても、モンスターの対処法は体が覚えている。自分の深層意識に身を任せていると、それほど危険な目に会うことはなかった。

 あるとすれば、モンスターを倒すごとに――モンスターから“狙われやすく”なっているように感じる。

 迷宮で目覚めた当初の自分は、モンスターから攻撃を受けることは少しもなかった。敵も無警戒だった。こちらが攻撃をすれば自衛のために襲ってくることはあったが、あちらが先に攻撃をするということは全くなかった。いつもこちらが有利な状況をとれたので勝てる、ということが多かった。

 それがいつからだっただろうか。

 少しずつ、あちらが先制をしてくるようになったのだ。あの時は何も考えていなかったが、明らかにモンスターが敵意を持って攻撃をしてきたことがあった。と言っても、敵が四体いたら一体いるかどうかだ。それが時が経つにつれ、戦意を持ったモンスターの割合が増えているように感じた。


 敵が変わったのか、とも今では考えるが、おそらくは違うと直感している。

 自分が、変わったのだ。

 モンスターを倒せば倒すほど、記憶を取り戻せば取り戻すほど、自分がモンスターという“器“から外れているように思えた。

 虚ろ気な存在へと変わって行く。

 人ではなく、だからと言ってモンスターとも外れた存在に。

 まるで、まるで――

 そこでガイルは思考を止めた。

 獲物が、見えた。

 先に四人。

 冒険者だった。



 ◆◆◆



 ガイルがいたのは大部屋から通じる一つの小路だった。そこから大部屋でモンスターを狩っている四人の冒険者を見つめる。一人がギフト使いで、残りの三人が戦士だ。一人が槍を携え、もう二人はロングソードだろうか。それなりに長く薄い剣を振るっていた。

 相手は死人だ。おそらくその強さのランクは低いだろう。どれもこれも破損が酷く、四肢を欠けているものが多い。死人の基本的な強さの基準は、体の破損具合だ。体が完全であればあるほど、強いモンスターといえる。四肢が欠けていてもケンタウロスのような体つきをしていたり、尻尾が伸びていた場合はそれも強いモンスターに分類されるのだが、彼らの戦っているモンスターはどれも純粋な人型だ。強いとは言いがたかった。


 死人になった瞳は生前とは違い、色褪せていた。風景に色彩がつかない。見えるのは灰色の風景だ。それでも、夜目が利いた。何で感じているのかは分からないが、モンスターと比べて冒険者はとても白く瞳に映る。まるで発光しているように。周りの炎とそれは似ていた。


 流石にモンスターを狩っている冒険者に手を出す気にはなれないガイル。

 何故なら、自分はモンスターの敵でもある。あの中になだれ込んだら、最悪のケースとして冒険者は狩れたがモンスターは殺せきれず折角の装備を見逃してしまうかもしれないからだ。

 だから狙うとすれば――モンスターを殺し終えた瞬間だ。

 戦いの間は神経を尖らせる冒険者も、戦いの句切れにほんの少しだけ集中が途切れるのをガイルは“経験”で知っていた。自分を幾度と無く死地へ追いやった原因の一つだ。

 そこを今回は逆に付け狙おうと思った。


 見る限り、彼らのパーティーはベテランとは言いがたい。

 何故なら未だに戦っているからだ。

 冒険者は常に素早くモンスターを倒し、迅速にカルヴァオンを集めることを必須としている。何故なら一つの場所にとどまればとどまるほど、モンスターは音と血の匂いに引き寄せられる。

 それをふさぐように冒険者は行動しなければならない。

 だが、彼らは大きな雄叫びを上げながら、元気よくモンスターを倒していた。少年少女らしく活気がいいといえば聞こえは良いが、もしガイルが彼らの教官なら叱りつけている所だろうと考える。

 ほら。

 と、ガイルには死人の軍靴の足音が聞こえた。

 新たな敵は続々登場する。

 それは自分も含めて。

 そして、冒険者たちはモンスターを殺し終える。

 カルヴァオンの剥ぎ取りに移ろうとした時、ガイルは自らの目的へと沿う行動を取った。


 が、がが、がー、ががが、がーがー。


 だが、ガイルは足を止めた。

 大部屋には出なかった。

 頭のなかにノイズが生まれた。

 ノイズは血の流れに合わせて全身を駆け巡り、まるで稲妻が奔ったように体が痺れて動かない。疲労も、痛みも感じない死人の体のはずなのに。

 ガイルは頭を両手で押さえるように、その場で蹲った。

 呻き声を出そうとするが、残念がら声帯も舌もない体では歯をかちかちと鳴らせるので精一杯だ。

 ノイズは段々と大きくなり、それが頂点へと上がると逆に痺れは無くなって。

 頭を埋め尽くしていた痛みが無くなったことにより、思考が白く染まって。

 その瞬間、確かに自分は無心になれた。

 だから――神の声が鮮明に、より深く、はっきりと、まるで幼子のような自分の心の中へ浸透した。


 ――我が声を受け入れなさい、愛しき仔よ。

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