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ADAMAS  作者: 乙黒
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閑話 琥珀

 深い闇の底。死を誘う混沌が渦巻き、血の匂いがそこを地獄だと錯覚させる。

 男はそんな場所にいた。

 辺りには死人がひしめき、人のようで人でない者が闊歩している。さらにそれを倒す存在である冒険者も加わっている。彼らの鉄と肉は躍動しあい、新たな混乱を生み出す。地獄は今日も賑わっていた。

 そこはトロというダンジョンだった。

 そこで、男は死んだ。

 

 ――死んだはずだった。


 ダンジョンという場所で。

 モンスターに斬られて。

 絶望と苦しみの中で。

 後悔だけが残って。

 確かに自分は死んだはずだった。

 だけど、と男は意識がはっきりとしていた。

 死んだはずなのに、生きている。

 いや、これは生きていると言っていいのだろうか。

 明らかに自分は“人”ではなかった。

 確かに自分は人型を取っている。四肢はいずれも欠けていなく、五本の指も存在している。かといって瞳がずれ落ちているわけでもない。両手で閉じながら確認するが、視界は二つ確保されていた。

 だが、視界に入る皮膚は明らかに人の“それ”ではなかった。

 灰色の皮膚はところどころ肌から腐れ落ちて、骨や神経がはみ出ているのだ。生前の記憶だと自分はもっと肉付きが良かったはずなのに、今では乾いたように痩せ細っている。さらに身体に熱はなく、石で出来た床を冷たいとも感じなかった。

 さらに胸元には心臓の代わりだろうか、大きく光るカルヴァオンが剥き出しのまま埋まってあった。色は黒で、一つの淀みもないほど澄んでいて、大きさが拳二つ分ほどの真珠のようであった。

 それはまるで人ではなく、死人のようで。

 もっと言えば、周りに溢れかえるモンスターのようで。


 だけども男は、その状況を素直に受け入れていた。

 拒絶しなかった。

 生前の記憶が欠けていたからかもしれない。

 昔の姿を覚えていないからかもしれない。

 生前の姿に靄がかかる。

 髪は何色で、目は何色だったか覚えていない。自分が筋肉質だったのか、それともふくよかな体をしていたのか、細身だったのかもわからない。

 おそらく男だろうとは思う。布切れのようなぼろぼろになったズボンを捲ると、萎んだ男性器らしき棒があったからだ。ミイラ状になっているからか、小指ほどの大きさまで縮んでいた。

 それに記憶があるといっても、常識だけだ。水は冷たく、火は熱い。昼は太陽が照らし、夜には月が輝くといったことから、数学や時間の概念。それに数多くの武器と、モンスターへの対処の方法。知識は冒険者関連に偏っていた。

 だが、親しい友人や家族、それに自分の住んでいた街などは一切覚えていない。

 さらに服もぼろぼろで、布切れのようなズボンを穿いているだけだった。上は何も着けず、剥き出しのままだ。さらに手元にある剣はお世辞にも名剣とは言いがたく、先端が欠けていて、さらに罅も入っている最低の代物だ。どうしてこれを持っているのかも、男には分からなかった。

 全てに霧がかかって、これまでの自分は喪失し、新しい自分が生まれたようであった。

 あるのといえば、首にかかっている錆びたネックレスだけ。胸元に黄色を帯びた飴色の石が輝くが、この石にも亀裂が入っており、輝きは鈍っている。

 このネックレスについても、どんな経緯で手に入れたのか、どうしてこれを付けているのか、全く記憶になかった。

 だが、この石を灰色の手で握ると、何故か温かいように感じた。

 ――自分には、もはや温度など分からないはずなのに。

 男は今の状況に不満はなかった。

 自我がある。

 動ける体がある。

 そして何より――あの日に届かなかった “高み”へと目指せる。

 それだけで満足していた。



 ◆◆◆


 

「このアンデッドは何なんだよ! どうして――どうしてこんなに早いんだよ!!」


 唾を撒き散らしながら叫ぶ男は、必死に剣を振っていた。

 その剣は使い込まれて鍔のメッキが剥がれているツーハンデッドソードで、それを両手に持っている。鱗のあるモンスターの革で作られたスケイルアーマーを着込んだ彼は、なんとかその死人の体を剣で捉えようとした。

 だが、それは叶わない。

 何故なら目の前にいる死人は、男の常識に当てはまっていなかった。

 その死人は、死人にしては――あまりにも早かったのだ。

 持っている剣は上等なツヴァイヘンダーだ。

 全長が二メートルほどもあって、その内、刀身は一メートル半もあるだろう。もちろん鋼で出来ているので、重さもそれなりにある。

 ツヴァイヘンダーの特徴と言えば、刀身の根元に“リカッソ”と呼ばれる刃のついていない革で覆われた部分があってこの部分を持って振り回すことも出来るのだが、目の前の死人は律儀にも柄を両手で握っていた。

 本来なら人でも重量と長さを持て余すそれを、目の前の死人はショートソードのように軽やかに操る。

 鎧こそ身に付けないで、布を身体に巻いた姿は他の死人と一緒だが、持っている剣を引きずることもなければ、移動が遅れているわけでもない。

 まるで人のように体を使い、冒険者のように剣を操る。

 それも、一流の腕前で。


「何なんだよ! 何なんだよ! 何なんだよっ!


 男は仲間と迷宮に潜っていた。

 冒険者としての経歴も長く、組合に行けば初心者などからパーティーに誘われる実力はある。俗に言うベテランであり、その経験の多さと剣の腕前からパーティーのリーダーとして抜擢されることも多い。

今回もそうだった。

 たかだか死人の一人程度、部下の一人に任せて大丈夫な筈だった。

 だが、それらは過去の話である。


 ――今では、辺りに冒険者の死体が転がっていた。


 その全てが仲間だったものだ。


「お前は何なんだよっ!!」


 男は必死になってツーハンデッドソードで死体を斬ろうとする。

 だが、寸のところで逃げられる。捕まえきれない。

 死人の動きは早い。距離を詰めてツーハンデッドソードを振ると、バックステップで逃げられる。相手の重たいツヴァイヘンダーを逸らすように受けて、剣で突こうとすると体を捻られて当たらない。

 いかに死人の中で動きが早いといっても、ツヴァイヘンダーの動きは男の剣の振りよりも若干早い程度だ。男もなんとか対処できる。力と早さは死人にしては脅威だが、人に照らし合わせるとそうでもないのだ。

 けれども、死人の剣は、確実に、男を削っていく。

 

「こいつはっ! “はぐれ”かっ! ならどうしてなんで――」


 モンスターの中には、“はぐれ”と呼ばれるものがある。

 “はぐれ”とは通常なら深い階層で出る強力なモンスターが、浅い階層に徘徊することである。

 この事は別に珍しくない。

 冒険者の中では常識だ。もちろん浅い階層で強いモンスターを倒せると喜ぶ者もいれば、その恐ろしさに怯える者もいるが、対処さえ怠らなければ死に関わるものではない。かなわなければ逃げればいいし、称賛があるのなら戦えばいいだけのこと。

 パーティーのリーダーだった男は、目の前のモンスターに対して、勝てると思って戦いを仕掛けた。

 早さも力も死人にしては強いが、ポディエに出るミノタウロスやオークと比べるとそうでもない。そもそも死人の脅威とはその数だ。多ければ多いほど強敵となるのだから、たかだか一匹の死人など、恐るるに足らずと考えていた。


 だが――違った。


 死人は動きが繊細で、剣の理に適っていて。

 目の前の死人はモンスターではないようで。

 まるで。

 まるで。


「――どうして、あんたは人のようなんだ!」


 男には、そのモンスターが“人“に見えた。

 それも、一流の戦士だ。

 自分とは違い、中堅から抜けた存在。

 何故か殺されかけているのに、男は斬り合っている死人に憧れを抱いた。


「何なんだよ! 何がどうなっているんだよ!」


 男の口からは悲鳴しか出ない。

 幾つかの鞍上が交じり合い、それでも剣を振っていた。

 ――からからと、死人は歯をかち合わせて音を鳴らす。

 それは人が喋っているようで。

 酷く不気味だった。

 それと同時に、これまで忙しくあたりを駆け巡っていた死人が止まる。

 ツヴァイヘンダーを脇構えにした。

 刀身の長さを灰色の体で隠すように。

 男の呼吸が止まった。

 死人というのは思考というものがなく、剣を振り回すことしか知らない存在だ。

 そういうものだと、思っていた。

 だが、違う。

 目の前の死人はそういうのではない。

 人であり、剣士だった。

 既に色彩を失った黒いまなこは一点を集中しておらず、男を含めた空間の全てを把握していた。そこに男はかつて師事していた今の自分よりも圧倒的に強かった師匠と同様の鋭さを感じる。


「………………くそったれ!」


 まるで師と相対しているような圧力に、男は背筋が寒くなった。


「……あっ……」


 そんな時、男は死人の向こう側に新たなモンスターの瞳を見つけた。

 それは橙色をしていた。

 男はそのモンスターのことを当然ながら知っていた。

 骨の騎士だ。

 名を、スケレトゥス・エクエスという。

 橙色の目をして、全身をプレートアーマーに包んだ騎士。その騎士は細いながら もミノタウロス以上の膂力と、狼以上の早さを持っており、また白銀に輝く鋼のクレイモアはカミソリのように鋭い。並みの冒険者なら十秒と持たず、殺されるようなモンスターだ。

 こちらも本来なら、こんな浅い階層に出るようなモンスターではない。

 はぐれであった。


「くっ……」


 男は正気を保とうとする。

 腰を抜かしそうになるこの場面で、冷静にジリジリと後退し始めた。

 逃げる気であった。

 だが、そんな男の足も止まって、目を愕然と見開いた。

 信じられない光景が起こった。


 ――死人が、骨の騎士に気付いて後ろを向いた。


 騎士の瞳が死人を一瞥した。

 それが戦闘の合図だった。

 死人は体勢を低くして、ツヴァイヘンダーを騎士へと伸ばした。クレイモアによって防がれる。だが、その刃の上をツヴァイヘンダーが滑って、クレイモアも死人へ到達する。

 そしてクレイモアは死人の胸元を切り裂いて、ツヴァイヘンダーが鎧のない首元を断ち切った。

 兜を被った髑髏が、宙を舞った。

 騎士はすぐに体が崩れるように地面へと落ちて、骨がばらばらになった。

 殺したのである。

 モンスターが、モンスターを。


「あれは何だよ! 何が起こっているんだよ!!」


 男はその瞬間には逃げ出していたが、心臓は激しく動いていた。

 見たことがなかった。

 モンスターが、モンスターを襲うなんて。

 まるであれでは、死人が冒険者のようだった。

 それにクレイモアが服を切り裂いた時に見えた大きな黒色のカルヴァオンも。

 かたかた、と死人は笑う。

 それは遠くへと逃げ出した男にも届いた。

 死のソナタに聞こえた。

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