第三話 自己紹介
「それで、俺に何をして欲しいんだよ?」
アダマスは飯屋に着くなりそう言い放った。
陽も落ちかけてきた夕食時だったので、彼女のほうから食事に誘われたのだ。またここはインフェルノでも美味とされる食事場らしく、アダマスはそれだけで気分が高揚していた。
その一端には、彼女の奢りということも含まれている。
「それよりも、まずは自己紹介をしたほうがいいのではないかえ?」
女の言葉に、一理あるな、とアダマスは頷く。
「……そうだな。俺はアダマスだ。よろしくな」
「妾はロサと言う。こちらもよろしく頼むぞ」
二人は軽く握手を交わし合った。
ふと、アダマスはロサに奇妙な違和感を覚えた。それはまるで、武器屋を目指す前に会った、白いローブを着た者と似たような雰囲気を感じたのだ。だが、あれに比べると酷く弱いものだとも思った。
「――はーい、ご注文の品をお持ちしました!」
その時、ちょうど頼んでいた品が二人に届いた。
アダマスは肉の塊だ。一キロはあるだろう。それに大量の黒パンと色の薄いスープ。当然ながらスープには小さな豆が転がっているだけで、他に野菜はない。
対してロサは小さなハンバーグを頼んだだけだ。付け合せもなく、アダマスと同じスープが小さな器に入っていた。
「で、俺に願いってなんだよ? 面倒なことか?」
アダマスは勿体ぶらず早速本題に入りながら、来た肉にナイフを入れた。
む、とアダマスは唸った。
思ったよりも肉が柔らかい。どうやら良い肉を使っているらしい。アダマスが村にいた頃の肉といえば山にいる野生生物か、家畜としてさんざん畑を耕した後の牛ぐらいのものだった。だからどちらも肉が固い。それに比べると、この肉は非常に柔らかいように感じた。
アダマスは田舎者なのでもちろんナイフとフォークの使い方は下手だ。だから肉を大きくきったまま、フォークで突き刺して、肉を噛みちぎるようにして食べる。
ステーキにかけられた酸味の強いソースが口から入って、鼻へと突き抜けた。
だが、嫌な酸味ではない。
微かに甘く、それでいてフルーティーな酸味はとても甘い油と合っている。
舌の上で旨味が弾けるので、アダマスは恍惚な笑みでステーキを味わっていた。
「妾の願いは唯一つ。お主に――妾とパーティーを組んで欲しいのじゃ」
アダマスとは反対に優雅な所作でハンバーグを切り分けるロサは、淡々と言う。
「……何のためのパーティーだ?」
アダマスは器を掴んでスープを一口飲んで、冷たい目でロサに聞いた。
「無論、ダンジョンを攻略するためのパーティーじゃよ」
「ダンジョンって……俺は初心者だぞ。武器屋に行って自分の武器すらまともに決められないぐらいの」
「そうじゃろうな。妾もお主の名は聞いたことがない。中層に潜って、それなりのカルヴァオンを供給している冒険者だと、噂になるもんじゃ」
ロサはスープを一口飲んでから語った。
「だったら、どうしてあんたが俺を誘うんだ?」
「……なんでじゃろうな。妾にも分からん」
「はあ?」
アダマスの呆気無い声は大きかった。
「本来なら、妾もお主と汲むのは不本意なんじゃよ」
だが、そう語るロサに嫌そうな雰囲気は無かった。
「じゃあどうして俺と組むんだよ?」
「神からのお告げじゃよ」
「神?」
もちろんアダマスもこの国に伝わっている神のことぐらい知っていた。
冒険者はもちろん、一般人にとっても神のことは常識だ。
全部で神は十二柱いるとされ、その御力を人に神の加護という形で与える。その形は神に寄って大きく変わるが、有名なギフトなら火を生み出したり、水を操ったりする事が出来る。
それはダンジョン内での大きな武器となるので、冒険者にとってはギフトを持っているだけで様々なパーティーに誘われることも多いのだと聞く。
「そうじゃ。神じゃ。お主も聞いたことぐらいあろうが。たまに、現世に神が顕現する。それが妾にもあっての。」
「へえ」
「――曰く、武器屋で剣を背負った金の少年の仲間となれ、とのことらしい」
この世界では人の前に偶に神が現れる。
それは十二神のいずれかだ。
それぞれに持っている役割が違うとされているが、共通するのは一つ――神は人に言の葉を残す。内容のほとんどは曖昧なものではなく、具体的な行動とされていて、それに逆らうような者はほぼいないとされている。
「それが俺だと?」
「ああ。そうじゃ。他にめぼしい者もいなかったでのう」
どうやら彼女は神への信仰心が高い信者のようだ。
一つも神の言葉を疑っていないみたいで、素直にその言葉を受け止めている。
「で、俺の仲間になりたいと言うわけか?」
「何を言っておるんじゃ。違うに決まっておるであろう」
「じゃあ、何なんだよ?」
アダマスは勢いよくナイフで切ったステーキにナイフを突き刺して、一口で口の中へと入れた。
「お主の仲間になるのではない。お主が、妾の仲間になれ、と言いたいのじゃ。誰が好き好んでお主みたいなぺーぺーの仲間になりたいと思う。これでも妾は有名な冒険者なのじゃよ」
ロサという女は既に食事を終えており、グラスに入った葡萄酒を嗜んでいた。
それによってか、彼女は上気した顔になっていた。それはまるで頬に紅を塗ったかのようで、元々美しい彼女がより一層麗しくなったようにアダマスは感じていた。
「それじゃあ、つまり、俺がお前のパーティーに入れと?」
最も、アダマスはそんなことよりも目の前にある肉のほうが魅力的に感じていたが。
「うむ」
ロサは小さく頷いた。
「嫌だ」
アダマスはパンを小さく千切って口の中に入れて、スープで流しこみながら言った。
「何故じゃ?」
ロサは首を傾げる。
「特に理由は無いけどな」
「なら、組め。神の思し召しじゃ」
「そう。それだよ。俺が引っかかるのはそれなんだよ」
アダマスは不躾とばかりに、右手に持っているフォークでロサを指した。
「妾が神の言葉を聞いたことが信じられないと?」
「そうじゃないんだ。ただな、俺は今日、その神の言葉に従って、大変な目に会った。だから、決めたんだ。神の声には従わないようにしようってな。だからあんたが聞いたとする神の言葉には従わない事にしようと思う」
「……なんという背信者じゃ」
ロサは頭が痛くなったのか、眉間を片手で押さえた。
「そういうことだ。だから俺はあんたと組む気はない。全くない。ま、根気強く武器屋で条件に合うやつを探せよ」
元より信仰心が低いアダマスは、肉を切りながらついでとばかりに軽く言い捨てる。
神に逆らうことに少しの罪悪感も無かった。あるとすれば、先ほど大変な目に会わせてくれたという恨みだろうか。
「……お主……」
諦めたように溜息をロサは吐いた。
「じゃあな、飯はごちそうさま。美味かったぜ」
アダマスはいつの間にか完食しており、幾ばくかのお金をテーブルに置いてから席から立ち上がった。
流石に彼女の願いまで断って、食事代を請求するほど無神経ではないアダマスはこれが最大の譲歩だった。
顔を伏せていたのでロサの表情は見えなかったが、おそらくこれで納得するだろうとアダマスは考えていたが、それは甘かった。
「……後生じゃ! 後生じゃ! 頼むから、妾を捨てないでたもれ!」
突然、ロサは泣きながら大声で泣きだしたのだ。
アダマスはそれに反応してしまい、振り返ってしまった。
それがが、間違いだったと後に彼は語った。
「……何を……」
だが、言い返そうとしたアダマスの服の袖を、いつのまにか近づいていたロサが掴んだ。
「妾に悪いところがあったのなら、頑張って直すから妾を捨てないで欲しいのじゃ。お主のためならなんだってする。何なら毎日お金を渡してもいいし、妾を馬車馬のごとく働かしても構わん。それにお主のためなら……昨日の夜に嫌がったあれも……受け入れる……ぞ」
ロサは頬を両手で押さえて、恥ずかしそうに目を伏せた。
いたたまれない視線がアダマスに突き刺さる。
更に飯屋にいた様々な人が小声で会話をしだす。よくは聞こえないが、自分に対する悪口ということだけは分かった。
そんな時、ロサがアダマスに小声で話しかけた。
「……知らぬと思うが、妾はこの町でも有名での。もしお主が妾の話を飲まないというのなら、ここで泣き尽くしてあることないこと言ってしまうかもしれんぞ?」
あくどい笑みを浮かべたロサの言葉は新人であるアダマスにとって、死刑宣告にも近い言葉だった。
もし自分に悪い噂が流れれば、この街での冒険者活動が円滑に進まない可能性が出てくる。パーティーすらまともに組めなくなるだろう。今はソロで活動しているが、いずれはパーティーも組んで大きく稼ぎたいアダマスはそれだけは避けたかった。
だから彼は諦めたように溜息をついた。
「……分かったよ」
忌々しげにアダマスは言った。
「お! 妾を捨てないでくれるのか? 流石、妾が選んだお人じゃ!」
泣いて感激するロサに、客は感動して涙をながす人もいた。
アダマスはその様子を冷たい目で眺めながら、言った一言は客の喧騒によって掻き消された。
「女狐め――」