第十九話 因縁
少し前に一体の骸骨が通った道を、二人の冒険者が歩む。
一人は男だった。
アダマスだ。
紅に輝く剣を背負っていた。クレイモアと呼ばれる剣だった。それは両手持ちにも、片手持ちにも出来る剣で、長さは百二十センチほど。通常の剣より幅広に作られているので、若干重たいのも特徴だが、何よりも血よりも濃い赤の色の刀身が目につくだろう。
それにレザーアーマーをつけている。だが、その革はただの革ではなく、蛇のようだが、一つ一つの直径が一センチを超えるほどの大きさを持つ鱗がびっしりとついている。そんな素材で、上半身を覆うところから、手甲、さらには具足、さらには腰巻きまで同じ素材で作られていた。
どちらの装備もここに潜る前にロサから受け取ったものだった。かつてロサの恋人であるガイルが着ていたものらしく、これまでアダマスが使っていたどんな装備よりも一流の物だった。どうやらアクアヴィテのメンバーの装備はダンジョンごとに変えていたため、今でも彼らの遺品は数多く残っていて、アダマスが身に付けているのはその一部だった。
そしてもう一人の冒険者は当然ながらロサだ。
故郷の戦闘衣装である巫女装束に、武器は神木を使った木槍だ。アダマスももう何度も彼女と潜っているから知っているが、あの木製の薙刀と彼女のギフトの使い方はモンスター相手に有効だということはその身で分かっていた。
事実、ここに来るまでの戦闘において、ロサは無類の力を発揮していた。近くにいる敵は持っている武器に炎を纏って焼き切り、遠くにいる敵は火の玉で焼き尽くす。純粋な殲滅力だけならアダマスよりも数段上だった。
そんな彼女は気難しい顔をしながらバッソに教えられた道を歩む。
――見覚えが、あった。
この道に。
一年ほど前に絶望を味わった道に似ている気がする。
いや、確かにこの道だった。
自分がかつて通った道は、とロサは確信していた。
一年前に一体の死人に蹂躙された記憶が蘇り、ロサは足が竦んだ。
また、失うのだろうか。
そんな恐怖が彼女を押し潰し、足が進もうとしない。
「どうしたんだ、ロサ――」
いつの間にか、ロサより数メートル先に行ったアダマスが付いてこない彼女を不思議に思って振り返った。
「……いや、何でもない。なんでも無いのじゃ」
絶望を味わってからあれから数多くの冒険者を雇い、かなりの資産を賭けてこの道を探したが、見つからなかった道を今、自分が歩いている。
もちろんその事に妙な嬉しさも感じるロサだったが、それ以上の不安を抱えているのは確かだった。
だが、どんな結果が待っていようと、この道を進むと決めたロサ。
引きずりながらでも足を前に持っていく。
例え、そこにどんな未来が待っていようとも――。
その時――二人の足元が揺れ始めた。
「内部変動か――」
アダマスが冷静に告げた。
冒険者として迷宮に潜っている以上、内部変動に出くわすことはそう珍しいことではない。
だからそう戸惑うこともなく、その場に座って揺れが治まるのを二人は待つ。
すぐにそれは治まった。
そして、幸いなことに先の道が閉じることも無ければ、新しい道がひらけることも無かった。
アダマス達のいる道には何の変化も無い。
まるで――先へ進むことを迷宮が願っているような。
以前にロサがこの先を再度探した時とは違い、先はアダマスとロサを拒んでいないかのような。
二人は揺れが治まると、すぐに先へと進む。
その道の途中に、二人を阻む障害は全くなかった。
◆◆◆
程なくして、アダマスとロサはドーム状の開けた場所に辿り着く。
だが、そこは既にロサの記憶にあった場所ではなかった。
一変していた。
確かに天井に蜘蛛の巣のようなひび割れが張っているのは以前と同じだが、悪趣味なインテリアのようなものが天井を埋め尽くしていた光景は今も忘れられないが、それら全ては無かった。
地に堕ちていたのだ。
全ての死体が。
さらにその死体を埋め尽くすように泥と小石が部屋内を埋め尽くし、地面から骸骨の顔や手、さらには剣や鎧など様々なものがはみ出ていて、軽い丘になっている。
いや、巨大な共同墓地と言ったほうがいいだろうか。
そして、その上に一体の男が立っていた。
懐かしい顔だった。
鼻筋が通った端正な顔立ちと、烏の濡羽色のような黒髪。強い意志を覗かせる黒真珠のような瞳にも変わりはなく、一緒に迷宮に潜った時にできた右頬にできた大きな十字の傷跡も変わらずある。あの日と変わらない姿だった。
手には藍色のツヴァイヘンダーを持ち、簡単な布の服を着ている。上半身も下半身もサイズが合わないのか少し大きめの服だった。
さらには胸元には――ロサと同じ琥珀のネックレスが未だに輝いている。
ガイル、であった。
「あ……あ……!!」
ガイルの姿が目に入ったと同時にロサの目から涙がぽろぽろと溢れでて、声にならない嗚咽が出た。
手でどれだけ涙を拭いても、拭ききれないばかりに涙が出てくる。
何度この再会を願ったのだろうか?
何度、もう一度彼と出会うことを夢見たのだろうか?
何故生きているのか、骸骨の姿ではないのは何故なのか、またここにいたあのグフとのような力を操る死人はどこに行ったのか?
聞きたいことは沢山ある。
だが、今は――。
すぐにロサはガイルの元へ抱きつこうと、駆け寄った。
「誰が客として来たのかと思ったが……まさかロサか――」
だが、生前では考えられないような冷たい声を放つガイルの下で、ロサは――信じられないものを見た。
かつての仲間であるクルクス、セーラ、ウィレス、ラトロと思わしき死体を踏みつけながら立っているのだ。
特にセーラに至ってはその顔面を踏んでいた。
あの崩れた顔がセーラだとはロサも信じたくない。足に踏まれて殆ど見えなかったので、別の人の顔だと思いたかった。
だが、彼女の栗毛は未だにロサの頭にこびりついている。
信じたくは無かった。
しかし、と思うと、ロサの足が止まった。
「ガイル、その足元にあるのは……」
ロサは唖然とした表情で聞いた。
「ああ。これか?」
ガイルは氷のような冷たい薄ら笑いを浮かべながら、足を退けた。
それはやはりどう見ても、セーラだった。
ガイルの表情が移ったかのようにロサの顔が凍りついた。
「そ、それは……!」
「ああ。そうだった。これはセーラだったな。こっちには――クルクス達の顔面もあるが、ま、ただの死体だ。気にすることも無いだろう。それより、ロサ、また、会えて嬉しいよ。まさか君と再開できるなんて思わなかった」
ガイルはクルクスの顔面をボールのように蹴りながらロサへ喋りかけた。
その姿は人というより、モンスターに近いようにアダマスとロサの二人は感じた。
玩具のように人の死体を弄ぶなんて、それもかつての仲間の死体をボールのように蹴り飛ばすなんて、仲間を大切にしていた以前のガイルとは姿形が同じだけの別の“ナニカ”にしか見えないロサ。
両手を大きく広げて待つガイルに薄ら寒さしか感じなかった。
「いや、それよりも……どうして仲間を……」
ロサはアクアヴィテのメンバーの首が跳ねられる場面を確かに目にしたが、死体を見るとその悲しみがまた沸々と湧き上がる。
それも彼らは痛ましい姿なのだからより感じた。
生前はどんな恐怖を浮かんだのだろうか、もしくは死後死体がどのような扱いを受けたのか、それを考えるだけでロサは自分のことのように心が傷んだ。
いや、ガイルもその筈だと信じたい。
「仲間? ただの死体だろう? こんな物に何を感じると言うんだ?」
だが、別の死体の頭蓋を踏みつぶす今のガイルはどう見ても、そのように思っているようにはロサには見えなかった。
「あんた、その姿はまるで獣みたいだな。いや、もっと性質の悪いものか? 今のあんたは獣にも劣る畜生に似ているぜ――」
アダマスは微かにガイルを嗤いながら指さしながら告げた。
「何――?」
すぐにガイルの視線が、ロサからアダマスへと移る。
「アダマス、またお主は……」
会っていきなり喧嘩を売ったアダマスにロサが注意しようとするが、それよりも前にガイルは表情が変わらずアダマスへと言った。
「ふん。お前こそ、人の装備をよくもまあ平気な顔で身に付けられているな――」
「これか?」
アダマスは背中の剣を手にとって、ガイルへと刃先を向ける。
「ああ。それは本来、オレの物だ。お前のような矮小な冒険者が……ロサもオレの代わりにそんな冒険者に目をつけたのか? まあ、目論見外れだ――」
ガイルは淡々と言った。
「あんたの話はどうでもいい。それより、あんたが冒険者を斬った骸骨か?」
アダマスはガイルの言葉に怒ることもなく、知りたかったことを直接聞いた。
「そうだ。オレは冒険者を斬ったこともある骸骨だ――」
ガイルは頷いた。
「へえ。じゃあ、あんたは人からモンスターになったのか――」
アダマスは驚いた顔をする。
バッソとロサの話を聞いていたが、人がモンスターになるなんてにわかにも信じられない話だったのだ。
それも、今の姿は人だ。
ということは、目の前にいるガイルは人からモンスターになり、また人になった存在である。珍しいどころの話ではなく、アダマスの知識ではその前例も聞いたことがない。
ロサも同じくはっとした顔をしていて、どうやらベテランの冒険者であるロサでもそのような話は聞いたことがないらしい。
「ああ――」
バッソは淡々と言う。
「じゃあさ、ロサから聞いたんだが、ここにいた“はぐれ”はどうしたんだ?」
アダマスはトロに潜った時から骸骨と戦うことを覚悟していたが、それと同時にかつてロサとその仲間が負けたモンスターとも戦うことを覚悟していた。
「オレが斬った――」
「へえ――」
「ロサ、オレはやったぞ。かつての宿敵をこの手で斬ったんだ。こんなに嬉しいことはない」
ガイルは初めて感情を表したかのように、ふふふ、と表情がゆるやかになった。
だが、ロサはその姿に嬉しさよりも、悲しさを感じる。仲間の死体を弄ぶことに悲しみを感じないのに、モンスターを斬ったことに愉悦を覚えるガイル。以前の優しいガイルはどこに行ったのだろうか、とロサは以前のガイルが自分の前から消えたようで、一抹の寂しさを胸に抱いた。
「そして、また人に戻ることも出来た。オレは“オレ”を取り戻したんだ――」
ガイルは嬉しさが込み上がるような表情だった。
「人? あんたが?」
だが、アダマスはそんなガイルの言葉を鼻で笑う。
「何がおかしい?」
「いや、あんたは人に戻ったと思っているんだろうけど、俺には今のあんたは薄汚いモンスターにしか見えない。いや、“怪物”か?」
アダマスの知る人は、かつての仲間の死体を、それも大切に思っていたであろう存在の死体を無表情で蹴ったり踏んだりするような存在ではない。
もちろん憎しみの対象に死体を切り刻むことはそれはそれで人らしいが、ただの死体に何も感じないなんてそれはアダマスの知っている人ではない。
「俺が“怪物”か――」
だが、ガイルはそんなアダマスの話を聞いて、逆に嬉しそうに笑い出した。
不気味だった。
どこに喜ぶポイントがあるのかアダマスにも、ロサにも分からない。
「――そうだ。オレは“怪物”かも知れない。その通りだ。やはりオレはそう見えるのか」
「じゃあ、ちょうど都合がいいな――」
アダマスは剣を両手で下段に構えて、足を肩幅に開いた。
「何が、だ?」
「あんたを斬る理由さ――」
アダマスの目的は最初から変わっていない。
神の声に抗った時から、トロに潜ると決めた時から、以前に自分が負けた骸骨は切ると決めていた。
確かにその骸骨は人になっていたが、アダマスにとっては些細な違いだった。
「アダマス!」
ロサはそんなアダマスに怒鳴った。
これは冒険者の暗黙の了解であり、絶対的なルールの一つに人を切ってはならないとある。それは冒険者を続けて行く中でも最大のタブーとされている。
そんなことをすれば、冒険者として続けていくのは難しい。
何故なら人を斬るような冒険者を信頼するような冒険者など、どこにもいないからだ。
冒険者はモンスターしか切ってはならないなど、冒険者の常識の前に当たり前のことだ。
「何?」
ガイルの顔色が変わる。
「昔から怪物を殺すのは人と決まっているだろう?」
「そうかも知れないが、お前は人を切れるのか?」
「それをあんたが言うのか?」
アダマスは骸骨の話を思い出す。
骸骨は、数多くの冒険者を――人を斬った。その張本人であるガイルが、人を斬ることを非難することなどアダマスには滑稽にしか思えない。
「いや、まあいい。それよりもオレを斬るのか。まあ、いい。どれ? お前のような無鉄砲な若者の名前を聞いてやろう。斬ってしまっては、名前の聞けないからな――」
「――アダマス。アダマスだ。オレの名前はアダマスだ」
「アダマス。アダ……マス。そうか……お前が、あの……!!」
今度のガイルは高笑いをしだした。
どうやらアダマスの名前を聞いて聞き覚えがあるのか、徐々に徐々に笑い声が大きくなる。
「俺の名前を知っているのか?」
アダマスは怪訝そうに聞く。
「ああ。知っているぞ。お前の名前は神から聞いてある。そうか……お前が……! ――ならばお前を斬ろう。オレの命を救った神への義理だ」
ガイルもゆっくりと剣をアダマスへと向けて構え出した。
それは中段だった。
剣において最も普遍的な構えであり、万能の構えである正眼の構えだった。
二人の瞳と、剣が、邂逅し、すぐに火花が落とされようとした時、既に戦う気で溢れている二人に――ロサが大声を放った。
「待て! 待つのじゃ! アダマス、辞めるのじゃ。ガイルは人じゃ。戦ってはならん! ガイルも止めようではないか? 妾と一緒にインフェルノへ、故郷へ戻ろうではないか。あの時から随分と時間が経ったが、きっとあの時のように妾達は幸せに暮らせるはずじゃ。そうでなくとも、冒険者じゃなくとも平穏な未来を歩めるはずじゃ! なあ、妾と一緒に帰ろう……」
縋るような、ロサの悲しみが入り混じった声。
ロサはどんなガイルでも受け入れようと決めていた。
例え心が変わったガイルでも、時間をかければ元のように同じ幸せを分かち合い、同じ苦労を分かち合うかつてと同じ生活を行えると。
ロサはそう思っていた。
「――ロサ、邪魔をするのならあんたも斬るぜ?」
だが、アダマスはガイルを見ながら剣をロサへ向ける。
「――ロサ、オレは、今のオレはそういうのは望んでいない」
ガイルもロサへと剣を向けた。
そしてまた叫びだそうとしたロサは――床から突如起き上がった骸骨に四肢を壁へと押さえられた。さらに口も幾つもの骨の手で抑えられる。動けなかった。ギフトも発動しようとするが、神はロサの期待に答えてくれず、一向に火が発生することも無い。
「んーー! んーー!」
ロサは全身を使ってその場から抜けだそうとするが、残念ながら体が動くことは無かった。
「神も粋なことをする――」
屍に捕まって身動きが取れないロサに、ガイルは淡々と告げる。そして最早彼女に用も無くなったのか、視線から外した。
その時、ロサはここでガイルと別れた時以上の寂しさを感じていた。
「ま、ゆっくりとそこで見とけよ――」
ロサの様子を見る限り、骸骨たちには拘束されているだけで殺される心配は無さそうと判断したアダマスは、彼女を助けるようなことはしなかった。
それよりも、目の前にいる“敵”に集中する。
「そう言えば、オレが人とロサは言っていたな――」
ガイルは思い出したようにアダマスへと言った。
「それで?」
「これを見よ――」
ガイルは自分の胸元を開けた。
そこには――黒真珠のような黒いものが左胸に埋まってあった。
アダマスにも、ロサにも、それはモンスターの持つカルヴァオンに見えた。
「それは――」
「おそらくこれはカルヴァオンだ。オレの“心臓”だよ。さて、これを見てアダマスがどう思うのかは知らないが、これで斬るという愁いは無くなるだろう?」
余裕綽々にガイルは言った。
「それはいい。あんたを斬る理由がまた出来た」
アダマスは感謝すると、剣越しにガイルを見据えた。
そして――二人はぶつかりあった。




