第十七話 記憶
ガイルとロサは同じ地方の出身で、インフェルノの生まれではなく、ここより遥か東方に位置する小国に生まれた。
二人がインフェルノに来た理由としては、ガイルの冒険者になりたいという夢を果たすためにインフェルノへ来たのだ。ガイルは父と同じ職業である冒険者に憧れて、幼少期からの夢だったが、ロサはそうではなく、ガイルに引っ張られるように冒険者へとなった。
もちろん、二人の故郷にもダンジョンはあるが、規模も小さく、冒険者の質や量などは大都市であるインフェルノのほうが上だ。待遇や生活の保証についても、二人の故郷と比べると段違いである。
二人はインフェルノへ着くと、どこかに徒弟に入ることもなく、故郷で教わった武技などを駆使して冒険者としての下積みを徐々にこなし、ポディエの迷宮の階層を1つずつ丁寧に攻略していった。もちろん、二人だけでは危うい場面もあったが、それも苦労しながら越えて行くと、徐々に頭角を表し始めてきた。
才能が、あったのだろう。
ロサは冒険者を続けて半年もかからずにギフトに目覚め、ガイルは生まれ持った大きな力と類まれな身体能力によって大剣を軽々と使いこなして敵を倒して行った。その実力は迷宮都市であるインフェルノでも上位にまで上り詰めていった。
その間に様々なことがあったのを二人は覚えている。
下に潜っていく毎に二人ではだんだんつらくなり、新たにパーティーメンバーを引き入れた時の考えの食い違い。竹馬の友であるガイルとロサはお互いのことを知っていたが、新たなパーティーメンダーだとそうは行かない。ことあるごとに意見が衝突し、ガイルは悩み、ロサはそれを助けながら二人は個人としてではなく、一つのパーティーであるアクアヴィテとしても仲間と一緒に成長していた。
その仲間は、ガイルとロサの間でもかけがいのない存在だった。
最初にアクアヴィテに入った仲間の――クルクスは男の冒険者で、少しお調子者なのが傷だったが、槍を扱う腕は大したもので、ガイルと同程度の実力を持っていた。その力は迷宮でも活躍し、前衛として敵を蹴散らしたり足止めしたり、と前衛でガイルと常に守るように戦っていたので、ガイルの右腕とも言える存在だった。
次に入った仲間は――セーラという名前の女の冒険者だ。彼女は元々ガイツに憧れてアクアヴィテに入ったので、当初はロサがセーラのガイルに対する感情にやきもきしたり、はたまたその逆もあったり、もしくは二人で対立したこともあったが、冒険を進めていくにつれ互いを認め合い、ロサとしてはインフェルノで初めて出来た。
その後も、続々と新たなパーティーメンバーがアクアヴィテに加入していった。
力自慢で身長よりも大きい大槌を使いこなし、パーティーの殿として常にギフト使いであるロサやセーラを守りぬいていたウィレス。
罠を発見するのが得意で、短刀を二本も使って前衛にも後衛にも鼻が利き、状況に応じて戦う場所を決めてくれるチームに絶対にいなくてはならないラトロ。
アクアヴィテの正規メンバーは以上の六人だが、他にも時や場合によって八人もの非常勤パーティーメンバーがいた。彼らは得意分野が傑出しているため、潜る迷宮に合わせてアクアヴィテを補佐し続けた。
インフェルノで苦節十年。
二人は新たな仲間を得て、まだ二十代前半ながらと、順調にインフェルノの中でも上位パーティーとしての地位に輝きながら、全員で一丸となって迷宮に潜るという理想的なパーティーを構築していた。
その頃には既にガイルとロサは男女の関係であった。
もちろん、その際にも問題は生まれた。互いに美男美女であったガイルとロサは実力も相まってか、インフェルノでも人気が高く彼らに特別な感情を持つ者が多かったが、それすらも二人で乗り越え、まさに人生の絶頂にいた。
そんな二人の冒険者としても、大人としても、脂が乗っている時期、アダマスとロサが出会う一年ほど前に――事件は起こった。
その日の光景を、ロサは今でも忘れられない。
今でも悪夢に見るほどなのだ。
その一日はいつもと同じように始まった。空は快晴で、朝はまだ肌寒かったがロサはそんな中を同じベッドで寝ているガイルを尻目に少し早く起きて朝食を作り、それから彼を起こす。二人は一緒に朝食を今日の冒険の予定を話しながら食べ、他のメンバーより早く二人は腕を組みながらインフェルノ内にあるアクアヴィテ専用の家へと向かった。
インフェルノでも一流のパーティーであるアクアヴィテも資産は、仲間の武器や薬、それにそれぞれの生活費を省いてもあり余るほどのお金を稼いでいた。従って、インフェルノにもう一部屋借りることなど簡単なことだったのだ。
彼らはその家に装備を置いて、ダンジョン攻略に向けての会合や準備を行う。二人がそこに早く向かっていたのは、アクアヴィテ専用の家の鍵を握っているのがリーダーであるガイルだったのだ。
すぐに仲間たちはその部屋に集まった。
正規メンバーの他の四人に比べて、非常勤パーティーメンバーも。合計十四人がその家にある部屋に集まり、今日の冒険の予定を話し始めていた。
そこで出た案というのが――トロにおいて新しく発見された新たな道。そこを攻略しようということだった。三日前の内部変動でこれまでには無かった道が開通したという情報を、仲間の一人であるラトロが手に入れたのだ。
迷宮には、聖剣などと呼ばれる特別な武器が出ることは、冒険者にとっての常識の一つだ。
そこに行くまでには通るだけで困難な道のりと、筆舌に尽くしがたい凶悪なモンスターがいる危険性もあるが、それらを考慮した上でも迷宮から発掘される武器には図りし得ない魅力がある。
もちろん、そういう場所には初心者などが避けるべきは当然のことだが――アクアヴィテは迷宮の下層を突破している強者の冒険者が揃った一流のパーティーだ。もちろん個人だけを見れば、ガイルやロサよりも強い冒険者などインフェルノには多くはないが、それなりにいる。
だが、それを差し置いたとしても、アクアヴィテはインフェルノでも最高のパーティーの一つに数えられるようなパーティーだった。
誰が反対するわけでもなく、アクアヴィテ全員がトロ最深部攻略に賛成した。
その探索は出来るだけ早いほうがいいと明日に決まり、トロに行く際の選出メンバーも決まった。
今回は未知な部分を行くため、安定した実力を誇るメンバーが選出された。
それがアクアヴィテ正規メンバーであるガイルとロサはもちろんこと、それに加えて、クルクス、セーラ、ウィレス、ラトロの六人だった。
もちろん非常勤メンバーも実力自体は正規メンバーと変わらないのだが、能力が一つに特出している分、何が起こるか分からない場所だと、戦闘力の無さだったり、活躍のない場が無い可能性もある。
その点、正規メンバーの六人は全員が武力を持っている。
迷宮を攻略するにあたって一番必要なのが、モンスターに対向するための武力だ。もしそれだけで先が突破できないと判断した時には、一度地上に戻って突破できるようなメンバーを連れて行けばいいだけなのだ。
そして各自が迷宮に潜るための準備が行われた次の日、アクアヴィテの六人はトロの攻略に出かけた。
その日のトロは賑わっていた。
様々な冒険者が甘い汁に誘われるようにトロの攻略を進める。
もちろん、アクアヴィテもそんな冒険者を奥へと潜っていく毎に見ていた。だが、そのどれもが途中でモンスターに喰われるか、もしくは何らかの原因――例えばメンバーの死亡や大怪我、などで元へと帰っていく者も多かった。それは奥へ進むにつれて減っていき、やがてトロの最深部へ潜っていたのはアクアヴィテとなった。
もちろん、アクアヴィテは誰も脱落していない。
そもそもここまでの道は、普段の冒険で慣れた道だったのだ。
だからこそ、六人は安定した実力で先を進んでいた。その途中には、他の冒険者を助ける余裕さえあった。
また、新たな道の攻略も、一歩一歩慎重なものだったが、問題もそれほど起きなかった。
確かにモンスターの実力は下へと潜っていく毎に強くなっていったが、原型は浅い層にいるモンスターと何ら変わりは無かった。
既にこのパーティーでトロを百も超える回数も潜っている六人は、少し姿が変わろうと、少し強くなろうと、長年で培った連携と、それぞれが持つ実力によって安定して進んでいたのだ。
――そこに着くまでは。
そこは、開けた空間だった。
これまで何度もそんな空間には出くわしたことがあるが、そこは綺麗にドーム状に広がった空間で、半円構造であった。
天井には蜘蛛の巣が張っているかのようにひび割れが入っており、上からは多数の骸骨や死人が吊るされてあった。十や百では数えられないような様々な骸骨が吊るされていて、部屋のあちこちに髑髏や骨が落ちている。
さらに明かりは髑髏の瞳で、それぞれが違う色に強く輝いており、眩しいぐらいでもあった。
「何、これ――」
それは誰のセリフだったのか、ガイルもロサも覚えていない
だが、抱いた感想はおそらくパーティーメンバーで共有していたと思う。
この場は――不気味だと。
確かに、トロは死人で埋め尽くされたダンジョンだ。
骸骨たちが揺れ動き、死骸が剣を振るう。死人にも色々と種類があり、本当に骨だけのものから、腐った肉がついた死人。その肉のレアさもモンスターによっては違い、気持ち悪い、とトロを避ける冒険者も多くはない。
だが、モンスターではなく、ただの“死骸”がここまでの数が集まっているのをアクアヴィテの冒険者達は見たことが無かった。
まるで誰かの趣味で、このように吊り下げているような。
奇妙な嫌悪感を抱く。
そして、奥から、ぬっ、と一体の死人が現れた。
それは大きかった。
体長が三メートル近くあった。
死人の中でも巨大だ。
だが、普通の死人とは違い、全身を黒いローブで覆っている。見えるのは顔だけで、その顔は骨であったが、嘲笑っているような印象を受けた。
武器として持っていたのは――大鎌。血のような赤と、死骸を燃やした後に残る灰色のコントラストの大鎌だった。
すぐにアクアヴィテはその死人と戦った。
――蹂躙された。
ロサも、ガイルも、その時の記憶は人生で一番強烈だった。
あの死人は、ギフトのような奇妙な黒い波動を用いた。それは死人の周りで変幻自在に姿を変えて、アクアヴィテの全員に襲いかかった。武器、ではなかった。不定形だった。それなのに、黒い波動に当たると、槌で殴られたような感触で遠くまで吹き飛ばされた。
その波動は大鎌にまとわりつくと、大鎌の早さや威力も底上げした。
まるで――アンラマンユのギフトのように。
熟練の冒険者であるアクアヴィテのメンバーも姿形を変えるその黒い波動の軌道が読めず、一人、また一人と波動に嬲られながら大鎌で首を跳ね飛ばされたのを覚えている。
ロサは、怯えた表情で語る
「あやつはまさしく死神のような奴じゃった。普通のモンスターのようにただ冒険者を殺すのではなく、冒険者をいたぶり、絶望の顔を見てから殺すような。そんな嫌悪感を抱くような戦い方をしおる。仲間たちはそれで殺された。その顔は……未だに忘れられん」
ガイルは、忌々しそうに呟いた。
「あのモンスターは“はぐれ”だ。まさしく、モンスターから外れている。あれは獣じゃない。人のように残酷で、人のように猟奇的なモンスターだ」
ロサはガイルの必死の援護を受けて、何とかその場から逃げ出すことが出来た。
あの黒い波動は、身体に縄のようにまとわりつくと動きを制限されるのだ。それで、冒険者は逃げられなくなる。
そう思えば、天井から連れ下がっている死体も、同じような色の“ナニカ”だったと、ロサは今になって思うようになっていた。
ロサは、ガイルの死に様を見ていない。
死ぬ前に、あの場から逃げ出したからだ。
いや、ガイルがロサを逃した、と言っていいだろう。
ロサは今でも、あの死人から逃げる時に見たガイルの最後の笑顔を忘れられない。大丈夫だよ、すぐに後を追う、と安心するような笑顔が。
今でもそれは脳裏に焼き付いている。
あの笑顔を思い出す度にまた近くにガイルが現れるような錯覚を覚えるが、少し考えるとあの場で逃げ出した自分が凄く憎くなる。
あの場でとどまればガイルや仲間が助かる道があったのではないか?
何故、自分だけが五体満足で助かった?
それを思い出す度に、ロサは悲痛に苦しんでいた。
しかし、あの時の笑顔を見ると、またガイルに会えるような気がするのも確かで、それだけがロサの心の拠り所だった時期もあった。
自分の中で感情が堂々めぐりし、狂いそうになる時期もあった。
それらを乗り越えて、今、ロサは今冒険者を続けている。
――だが、ガイルと再開することは無く、その頃には事実上、アクアヴィテは崩壊していた。
◆◆◆
「――妾はあの場から逃げ出した後、組合で遠征を組んでまたあの最深部を目指したのじゃが、既に内部変動があったね。残念ながら二度と同じ場所に辿り着くことは無かった。何故、ガイルがモンスターの姿でいるのかは分からん。じゃが――あの場で、妾が逃げ出した後、何かが起こったことは事実じゃ」
ロサは暗い顔をしながら語る。
だが、アダマスにとってはそんなのは戯言に等しい。
ロサの思い出にひたることもなく、すぐにバッソへと振り向いた。
「で、バッソ、あんたは俺にロサの過去を聞かせて何が言いたかったんだ?」
バッソはアダマスの質問に、口を濁す。
「ん? いや……君があの骸骨と戦うとして……」
「俺はあの骸骨と戦うのを止めねえぞ――」
その言葉を聞いて、ロサとバッソは唖然とした。
アダマスは毅然とした態度で話を続けた。
「たとえ、あいつが元人間だろうが、ロサの恋人だった奴が、俺にとっては関係がない。今のあいつはモンスターで、俺は冒険者だ。倒す理由はそれだけで十分だろ? それに――」
「それに?」
「俺はあいつに“借り”がある。今回の戦いは、その、雪辱戦だ。どうだ、止めるか?」
アダマスは薄ら笑いを浮かべながらロサに聞いた。
「む、いや……それは……」
その質問に、ロサは上手く答えられない。口ごもるだけだった。ロサの中でも、まだガイルに恋愛感情を抱いているのかは分からない。あの時、逃げ出してから一ヶ月の間の捜索で何も手がかりを得られなかった時に、ガイルのこともかつてのアクアヴィテのメンバーのことも全員を諦めたのだ。
ロサの中で、ガイルは既に過去の人になっているが、それでも、どんな形でも生きていると分かると未練が残っているのは確かだ。
例えそれが、自分のことを覚えていなくても。
獣のような感情に支配されていたとしても。
「まあ、いいや。で、バッソ。道を教えてくれよ。約束だろ――」
「いいよ。アダマス君がそういう選択を選ぶことはこの病室に来た時から分かっていた。そんな眼をしていた。だけど――ロサはどうするんだ?」
バッソは未だに答えの出ていないロサに目をやった。
「妾……が?」
「ロサは行くのかい? あの骸骨に会いに?」
バッソの質問に、ロサは答えられなかった。
――怖かった。
純粋に。
あの日のことを責められるのではないかと。
逃げ出したことを、助けに戻らなかったことを責められるのではないかと。
もちろん、もう一度ガイルと会いたいのも事実だ。あの日に、未だしこりの残っているあの日の出来事に、決着をつけたいのも確かだった。
あの骸骨と開口したことはアダマスと迷宮に潜っている時に一度あるが、あれは再会とは言わないと思っている。
だが、と足が竦む。
もし本当にあの骸骨がガイルだったらと思うと、どんな言葉を言えばいいか、どんな言葉を言われるか、それに怖がって身が縮こまりそうになる。
「――行っておいで、ロサ」
そんなロサに、バッソはベッドの上から優しく言った。
「アダマス君と一緒に、あの骸骨の元へ。オレはあいつの親友だから、今でもそう思っているから、きっとあいつは敵を取りに行くはずだ。迷宮の最深部へ行くはずだ。今回、新しく見つけた道が、あの日にロサが通った道かは分からない。だけど――行かないよりいいはずだ」
「じゃが――」
「アダマス君と一緒なら、どんな選択でも、あの骸骨の前でどんな選択を選んでもきっと大丈夫だ。後悔はしない。だから――行くんだ。本当の意味で、あの日に蹴りをつけてきたらいい。あの骸骨が本当にガイルとしても、そうじゃないとしても」
ロサはその言葉を聞いて、暫しの間目を見開いて時が止まったように動かなかった。
そして暫し経ったあと、隣にいた不出来な弟子のような存在であるアダマスを見た。本当に彼を一人で行かせていいのか、自分が行かなくて、全く関係がない弟子にあの日のことを任せていいのかと思うと、答えは一つだった。
「――分かった」
「なら――!」
「妾も行く。妾も、あの骸骨に会いに行く。それがどんな結果になろうとも」
ロサは強く決意した。
「ロサ、あんたが止めようと、俺の選択は変わらないぜ?」
そんなロサにアダマスは強く言った。
「ふん。妾の選択にも、お主の邪魔はさせんつもりじゃ。……まだ決まってはいないがの」
ロサもアダマスへと強く返した。
そんな二人に、バッソはやさしく笑いながら言った。
「アダマス君、ロサにはすでに最深部までの道を教えている。それで行けばいい。ロサ、頑張るんだよ――」
「ああ。とびっきりの成果を楽しみにしておけよな――」
「うむ。何も心配はいらぬ――」
そうすると、二人は他の冒険者に邪魔されないようにすぐに行動をし始めようと、バッソに別れを言って病室を出て行った。
おそらく、すぐにトロに潜るための準備をし始めるのだろうとバッソは思った。
そんな彼らの後ろ姿を見送ると、少しだけ自分の足を見て寂しそうな顔をしながらバッソは呟いた。
「出来るなら、出来ることなら、ロサと一緒に行くのがオレなら良かったのに――」
その呟きは、窓から入ってくる強い春風によって流された。
もう少しで夏が来そうにバッソは感じていたのだった。




