第一話 カルヴァオン
初めての迷宮探索を終えたアダマスは、ほとんど死に体だった。
もちろん回復薬などは持ち込んでおらず、飲水と旅の時に使った干し肉や堅パンなどの携帯食料だけでダンジョンに挑んだのだ。さらに頭の中の声に従うと、片足を切断した強敵ともであった。肋骨は折れて、腹には痣もできている。それに加えて帰り道は折れたクレイモアでモンスターに挑んだのだ。
声に従ったのは得だったのか、それとも損だったのか、無知なアダマスには分からない。
だが、今の所持金だけでは心もとないアダマスは、早速カルヴァオンの換金所に向かった。
と言っても、どこに換金所があるのか分からないアダマスは適当な町人に聞いて、案内された所に着いた。
そこは街の一角。端っこだった。トロからはとても遠い場所だ。さらに石を積んだ建物の最上階に位置していた。もちろん中には寂れた一つの狭い部屋しかなく、中には濃い紫色の外套で全身を隠していた者がしゃがれた声を上げた。
「いらっしゃい……冒険者かい?」
その者は、まるで魔女のようだった。
机を挟んだ奥にある座敷に座っている。どうやらそこには椅子もないようで、アダマスの立っているところとは一段高い木で出来た床に座っていた。
「そうだ」
アダマスは頷いた。
「金髪が栄えるなかなかの色男だねえ。さぞかしモテるだろうに――」
魔女は怪しく笑っていた。
「残念ながら田舎にいたからな。そんなことも無かったよ。それより、俺はモテるのか。いい事を聞いたな」
アダマスはしたり顔で無精髭の生えた顎を撫でた。
「……お世辞だよ」
魔女はつまらなそうに言った。
「なんだよ。期待して損したじゃねえか」
アダマスは口を尖らせる。
「まあ、何でもいいさ。それより、ここに来たってことはあれかい? カルヴァオンの換金に来たのかい?」
「そうなんだよ。これを換金してくれよ」
アダマスは腰のポーチの中から一つ一つ丁寧にカルヴァオンを取り出した。
取り出されたものを見る度に、魔女の顔は渋くなる。何故ならそのどれもが小さく豆ほどの大きさで、色もくすんでいるからだ。そのどれもが並みの冒険者なら持ち帰らない殆ど価値のカルヴァオンなのだから。
机の上に屑石を並べると、アダマスは興奮した表情で「これでどれくらいになる?」と魔女に聞いた。
魔女は溜息をついた。
「……銅貨三枚だよ」
机の上に散らばるように魔女は銅貨を投げた。
「なんかしけてねえか?」
アダマスはその銅貨に不満がいっぱいだった。
何故ならどうか三枚など一日の宿泊料にもならない。せいぜい一食分のパンが二つほど買えるかどうかの金額なのだ。
「あのねえ! あんたのこれは低階層で仕留めたモンスターだろう?」
魔女はアダマスへと鬱陶しそうに言った。
その中には新人に迷宮のいろはを伝える教官のような気持ちも含まれていた。
「うん」
アダマスは元気よく頷いた。
「基本的にね、低階層にいるモンスターは弱いんだよ。価値の高いカルヴァオンを持っているのは、強いモンスターだ。あんたのこれはこれで妥当。なんなら他の換金所に持って行ってくれても構わないよ。あたしの手間が減るだけだからね」
魔女は無知なアダマスに簡単に冒険者の常識を説明した。
カルヴァオンの価値とはどれだけ長く燃焼できるか、もしくはどれだけ高い火力を生むかだ。アダマスが机の上に置いたカルヴァオンはどれもその平均にすら大きくお取り、市場では価値のないゴミに等しい物だった。ちょっとお高く気取っている換金所では引き取ってもらえないぐらいの。
そんな基礎常識を知って、アダマスは感心しながら机の上に置いた自分のカルヴァオンを指で弄っていた。
まさかこれがそんなに安いものだとはと少し気落ちしながら、また初めての戦果に満足する気持ちもあって複雑だった。
そんなアダマスを見て、魔女は一言言った。
「……遊ぶんなら帰ってもらいたいん……」
魔女が言いかけたその時、新たな客が部屋に入ってきた。
男が、一人。
旅人のような服装をしているアダマスとは違い、その男はいかにも冒険者らしい格好をしていた。金属製の具足と手甲。上半身は青い鱗のスケイルアーマーで、腰から下はまた違う動物の毛皮をひざ下まで越首のように巻いていた。
さらに手には大槍がぶら下げてあった。
色は鉄特有の白銀色であった。
「邪魔するぜ――」
「なんだい。あんたかい?」
魔女は、ひひっ、と笑った。
「ああ。換金に来た」
男はアダマスの避けた先を進んで、机の上にあったアダマスのカルヴァオンを手で払うようにして退けると、自分の採ってきたカルヴァオンの入った袋を逆さまにしてごろごろと置いた。
「おい。人のに何するんだよ?」
アダマスが自分の採ってきたカルヴァオンが下に落されたことに怒りを表すと、男はニヤニヤしながら床に落ちたカルヴァオンとアダマスを何度も見比べた。
「あれか? これはお前の取ったものなのか?」
「そうだけど――」
アダマスは頷いた。
魔女は男に食って掛かる姿を見て、「そいつは強いから止めといたほうがいいよ」と忠告するがアダマスに忠告するが、聞く耳を持たなかった。
男はアダマスを頭の先から足までジロジロと見ると、大きく笑い出した。
「初心者がオレに食って掛かっているんじゃねえよ!」
男はアダマスの方を押して、壁へと押し付けた。大きな音が鳴って、店が少しだけ揺れる。
その時、魔女から「店内では止めとくれよ」と男に対して注意したが、本格的に止める気はないらしく小さな虫眼鏡で男の持ってきたカルヴァオンを鑑定し始めた。
「よく見ると、お前、綺麗な顔をしているな。何なら銀貨三枚で買ってやろうか? お前の稼ぎよりも多いぞ――」
男は整ったアダマスの顔を掴みながら言った。
アダマスの顔は汗と土で汚れていて髭まで生えているが、男としては非常に美しい顔をしている。鼻は筋が通っていて、目は猫のようなぱっちり二重だ。さらに薄い唇には色香があって、男性特有の角ばった感じがしないのである。
「あ?」
アダマスは男の手を払いながら睨みつけた。
「ふん。冗談だよ。ま、買ってほしかったら、いつでも言えよ。お前ほど綺麗な顔をしているんだったら、冒険者より男娼のほうが似合っているぜ」
男の言葉に酷く侮辱されたアダマスは、右の拳を強く握った。
その時、魔女の声が飛んだ。
「――喧嘩なら他所でやってもらいたいね。それに誘うのも、ね。あんたも、あんたもだよ。じゃないと、二度とここの敷居は跨がせないよ」
魔女はアダマスと男を順番に睨みつけて、叱咤した。
「わかったよ。オレもここが使えなくなるのは辛いからな。それより、金は出来たか?」
魔女は男に金の入った巾着を渡した。
「あんたはどうすんだい?」
魔女の目は次に血気盛んで今にも柄に手をかけそうなアダマスへと向いた。
アダマスはその時に、まだポーチの中にカルヴァオンが残っていることを思い出したのだ。先程は珍しいものだと思い手元に残しておこうと思ったのだが、一日の稼ぎが銅貨三枚となると、新しい剣も買えないので諦めた。
「じゃあ、これも鑑定してくれるか?」
アダマスは、ポーチからカルヴァオンを取り出した。
その瞬間、男と魔女の目が見開かれた。何故ならアダマスのカルヴァオンは男が持ってきたどのそれよりも大きく、色が濃いものだったのだ。
◆◆◆
「あー、どこかなあ?」
アダマスは大金を手にして換金所から抜けると、今度は武器屋を探し始めた。
何故なら背中にあるクレイモアは刀身が中程から完全に折れていて、武器としては殆ど使い物にならない。次の武器は今持っているクレイモアを打ち直すのがいいか、それとも新しい武器に買い換えるか悩みながら先を進む。
武器屋を二つほど覗いてみたが、アダマスの気に入る剣は置いてなかった。安い剣は鋼が甘く、高い剣は無駄に装飾が成されていてどちらも武器としては微妙な出来のものしか置いてなかったのだ。
対人戦ならあれでもいいのかも知れないが、今日出会ったような人型の化け物となると心もとない。
できれば装飾なんぞ無骨でいいから、剣として立派なものをアダマスは求めていた。
「そこの男前で金髪のあんちゃん! うちの串焼きは美味しいよ!」
アダマスが町の大通りを歩いていると、露天の主人から声をかけられた。
売っているものはケバブだ。四角く切った肉を木製の串に差して、下からカルヴァオンで炙る料理である。もちろん肉には辛めに香辛料がまぶされており、また焼いている途中に何度もタレを塗る料理だ。
その過程で出る芳醇な香りには、町を歩いていても鼻に入り足も自然と引き寄せられる。
「一つ頂戴!」
もちろん、アダマスもその一人だった。
まんまと露天の主人に引っかかって、ケバブを一つ買った。
そして長い串を片手で持って、肉を串からずらすようにして食べる。甘いタレが舌の上で踊った。
そして噛めば噛むほど香辛料と油の旨味がマッチした肉汁が溢れ出て、いつまでも口の中で弾けた旨味が広がる。
それはまさに絶品だった。
「あんちゃん、どうだい? うちのは。美味しいだろ?」
主人は肉を回しながら言った。
「ああ。こんな美味しいのは初めて食ったよ」
アダマスは故郷ではなかった料理を口にして興奮しながら言った。
「あんちゃん、いい舌しているね~」
「だろう。それよりさ、実は俺は最近この辺りに来たばっかでさ、この辺りにいい武器屋知らない?」
「あ~、あったような気もするけど、すまんねえ。あんまり思い出せないよ……」
主人は空を仰ぎながら言う。
アダマスはその白々しい演技に舌打ちを一つ打った。そして急いで手に持っていた串焼きを食べ終えて、ゴミを主人に渡すとそのまま財布の中から新しいお金を取り出した。
「じゃあさ、もう一つ串焼きくれたら思い出すか?」
「まいどありー。おっちゃんが知っている腕の良い武器屋はそこの通りを真っすぐ行って、二つ目の角を右に曲がったとこだよ。看板に剣と盾が書かれているからすぐにわかると思うよ」
アダマスは新しい串焼きとともに、武器屋の情報も手に入れてまた大通りを進み始めた。
串焼きを頬張りながら歩き、露天の主人に教えられた道を歩こうとした所、誰かとすれ違った。
顔は見ていない。
汚れ一つ無い白色の外套に包まれた者であった。
その後姿はすぐに人混みに塗れ、見えなくなった。
それからアダマスはまた肉を口に入れてから、武器屋を目指したのだった。
◆◆◆
「リュンクス様、どうかなされましたか?」
くるぶしまであるゆったりとしたローブ状のトゥニカを着た従者は、前にいる全身を白い外套で隠した者に言った。
リュンクスと呼ばれた者が町中で急に足を止めて振り返ったのを不思議に思ったのだ。
「いえ……今、とてつもなく強い神気を纏わせたお方に会ったような気がしたのです。私が畏れるほど、強く神から愛された者なのだと……」
リュンクスは、鈴を転がしたような声で言う。
「気のせいではありませんか? ここパライゾで最も強い神の加護を持つのは間違いなくリュンクス様です。それが恐れ慄くような人など、コルヌ様ぐらいでしょう。コルヌ様は現在王都で執務中です。ここにいるのはありえませんってば」
従者はてっきりリュンクスが冗談を言ったかと思い、笑いながら現国王コルヌの所在を告げた。
もちろんリュンクスもそれは知っている。だが、彼女の表情は晴れない。
「いえ、あれは……コルヌ様よりも……」
そう言いかけて、止めたリュンクス。
あの時に感じた気は従者が言ったとおり気のせいということにして、考えないようにまた道を進むのだった。