第十四話 鉄枷
アダマスにとって“神”とは何かと聞かれれば、おそらくこう答えるだろう。
――呪い、と。
呪いの正体、だと。
アダマスは物心ついた時から神の声を聞いていた。小さい頃は頻度も少なく、微かに風の音のように聞こえたり、夢の中でお告げがあっただけだったが、大きくなると次第に声ははっきりしてきた。
不思議と、その声を不快に思ったことはなかった。
聞き慣れていたからであろうか?
その答えはアダマスにもはっきりとしない。
だが、確かに言えることは、神によって人生が決められたのは確かである。
幼い頃から聞いている――ダンジョンに挑みなさい、というお告げ。もしこのお告げが無かったら、自分は剣を学んでいないだろうし、インフェルノにも来ていないなと考えたことはあった。
もちろん、農家の三男坊であるアダマスにとって、食い扶持のために冒険者となることはそれほど悪い選択肢ではないだろうが、ふと、考えることはあった。冒険者になっていなければ、自分はどうなっていただろう、と。
だが、そんな疑問もとうの昔に解消した。
考えても仕方がない。
今の自分は冒険者なのだ。
後悔しても、この道が嫌になっても、自分は冒険者として生きるのだと。
しかし、神の声は――未だ聞こえている。
自分についている神は、ダンジョンに挑むだけでは足りないというばかりに。
「――神の愛子?」
アダマスはリュンクスからそう言われると、ふとそんなことを考えたていたが、すぐにそれをかき消した。
「はい。私はですね、あなたとお話したかったのです」
アダマスはリュンクスを警戒しながら見ていると、向こうはそれに気づかないように無垢な笑顔を向けてくる。
「話? 俺と?」
ふとこの子は俺を誘っているのだろうか、という考えにアダマスは達するが、この国の修道女は貞操観念を守る傾向にあるという。
すぐにその選択肢は消した。
「はい。あなたほど、神気が強い人を私は初めてみたのです。ですから、是非、お話を――」
「その神気、ってなんなんだ?」
アダマスは聞き覚えのない言葉を問う。
「神気とは、そうですね。簡単に言えば、我らが神がどれだけその者を愛しているかでしょうか?」
「愛している? 神が? 人を?」
「はい。だからあなただって神様から授かっているでしょう。神の加護を――」
アダマスはもう一度よく考えてみるが、ギフトなど持っていない。
そもそもそんなものを持っていたら、既に迷宮探索で使っているはずなのだ。
ロサからギフトに目覚める時について聞いたことはあるが、授かれば自然と使えるようになると言われた。他のギフト使いと迷宮を潜ることもあったので聞いてみたが、返って来たのは同じ答えだった。
そのギフトをもらえるタイミングだが、大体は迷宮に潜って一年か二年で、“ダンジョン”の中で、の声を聞いて与えられるのだが、アダマスはまだそんな傾向はない。だから、自分はギフトをもらえないか、もしくはもう少し経てばギフトがもらえるのだろうかと思っていたところだった。
「いや、俺はギフトを持ってねえよ」
アダマスは正直に言った。
「嘘です……よね?」
リュンクスは驚きで目が見開いていた。
「嘘じゃねえよ」
「……珍しいこともあるのですね。あなたのような人が、ギフトをもらっていないなんて」
アダマスはその発言に引っかかりを覚えた。
そもそも、神気という言葉に馴染みが無かった。
アダマスの知っている冒険者の中で、他人がギフトを持っているかどうか判断できる人などいない。そもそも、神気という言葉自体冒険者の中では無い言葉なのだ。
「なあ、聞きたいんだけどさ、神気、っていうのを持っているのとギフトがどう繋がるんだよ?」
アダマスの言葉を聞いて、リュンクスはきょとんとした。
「ギフトを持っている方は、皆さん、神から愛されています。だって、神に愛されなければギフトは授かりませんから。そして神から愛されると、神気を神から沢山与えられるのです!」
「で、俺も神から愛されていると?」
「はい! あなたほど強く愛されている方は初めてです!」
力強く断言するリュンクスに、アダマスは小さくため息を吐く。
「で、その神気って言うのは、どうやって感じるんだ? そんな話、俺は聞いたことがねえぞ――」
「そうなのですか?」
彼女は小首を傾げた。
「ああ」
「変ですね。私は当然ながら弱くてもギフト持ちなら感じますし、コルヌ様も少なからず他人の神気は感じると聞きます。あなただって、きっと感じられるはずです」
リュンクスの言葉に従ってアダマスも神気を感じようと身体に力を入れるが、感じるのは夜風の冷たさだけだった。
目の前にいるリュンクスから神々しさも感じなければ、畏れも抱かない。
「気のせいじゃねえの?」
思わず、そう声に出してしまうほどアダマスは素っ気なかった。
「まあ!」
リュンクスは驚きのあまり開けた口を片手で隠した
「あー、もう。いいや。あんた――リュンクスのことは、何か変な奴に絡まれたと思うことにするよ。もう眠いからな。俺もそろそろ宿に戻りたい」
その言葉を聞いて、リュンクスは無理にアダマスを引き止めようとはしない。
悲しそうにアダマスの背中を見つめる。
「……分かりました。ですが、最後に一つだけ聞いてよろしいでしょうか?」
「何だよ?」
「名前を……あなたの名前を教えて下さい。縁があれば、きっと神が私とあなたを巡りあわせるでしょう。名前はきっとその時の手助けになるはずです――」
リュンクスの断言に、アダマスは頭を少しだけかいた。
美しい女であったが、変わった女だな、という感想しか抱かない。
けれども、どこか彼女の言葉には説得力を感じた。
神気、などない。
彼女からは、何そういったものを感じない。
だが、確実にまた会うような予感がするのも確かだった。
「――アダマスだ。俺の名前はアダマス。ただのアダマスだ」
だからこそ、素直に名前を告げる。
「アダマス……ですか。いい名ですね」
リュンクスはまた美しい声を奏でた。
「それじゃあ、またな――」
「はい。お元気で。アダマス様――」
アダマスは振り返らず、リュンクスはアダマスの後ろ姿をずっと見つめながら二人の二度目の邂逅は終わった。
◆◆◆
リュンクスと別れて、宿屋に戻ろうとするアダマス。
だが、彼の足はまっすぐと宿屋に向かっていない。
頭を抑えながら千鳥足で大通りを歩く。
がんがんと、まるで耳の中を石で叩かれるような衝撃が、彼へと襲っていた。それに必死になりながら耐えるが、痛みは増すばかり。奥歯を噛み締めて、顔をしかめながら近くにある壁によりかかるようにアダマスは倒れこんだ。
「くっそ……」
最近、こんな痛みが彼を襲っている。
酷い耳鳴りだった。
さらに不幸なことに、この耳鳴りは時と場所は選ばない。
モンスターと戦っている時に突如このような痛みを感じることもあれば、インフェルノで飯を食べている時にこういう痛みを感じることもある。また夢にもこの痛みは現れるから深く眠れないので、最近は寝不足が多い。
アダマスは必死になりながら頭を抑えるが、その痛みが収まることはなかった。
また当然のように耳鳴りとともに――“声”も聞こえていた。
迷宮に潜りなさい、と。
トロに潜りなさい、と。
あの骸骨を倒しなさい、と。
物心ついた時から聞こえる神と呼ばれる声も、耳鳴りと一緒に頭の中で鳴っている。
最初は、頭痛なんて起きなかった。
神の声を聞いても何ともなかった。
風に紛れるような小さな声で、注意しなければ聞き漏らしてしまうような本当に微かな声だったのだ。
だが、三ヶ月前のあの日――モンスターを殺す骸骨を見てから、あの時に神の声を聞いて死の恐怖を体験してから、逃げるようにこの声も無視し始めた。耳元に囁くように現れる命令を、自分を縛り付ける言霊へと抗うように生きてきた。
この声に関わっていたら死ぬ、と。いつかきっと自分はこの声に殺される。分不相応なモンスターと戦い、その中で生命を失うと。そう思えばこそ、あれだけ体が震えたのだ。今でもあの時の衝撃は生きている。恐怖はこびり付いている。まるで重たい鉄球を引きずっている気分だった。
今でも、あの骸骨は思い出すだけで体が震えるのだ。
アダマスは両腕で体を抱え込んだ。
耳鳴りの痛みを消すほど、体は恐怖でがたついた。
だが、神の声は消えない。
痛みと共に、自分を縛ろうとする。
迷宮に潜りなさい。
トロに潜りなさい。
あの骸骨を倒しなさい。
最深部へと行きなさい。
その声は全く小さくなることがなく、むしろ徐々に大きくなっていった。
特にリュンクスと会ってから、彼女の中に眠る“ナニカ”に感化されるように急速的に声は大きくなってくる。
昨日まではここまで大きくはなかったのに。日常生活や迷宮探索は行える範囲だったのに。
今となっては、歩くことすらままならない。
地獄だった。
耳鳴りと共に頭は朦朧とし始め、まともな判断が出来なくなってくる。
今、いるのはどこなのだろうか。
トロ、なのではないか?
骸骨が目の前にいるのではないか?
という錯覚まで浮かんできた。
天地が逆になり、目の前の光は閉ざされ、生きているかどうかも怪しくなる。
けれども、あの骸骨の恐怖は、また新たな鉄球として鎖に繋がれる。
骸骨の持っている酷く、昏く、黒色の瞳で自分は蛇に睨まれたように動かなくなり、一歩ずつ骨の足で歩まれる度に自分の頭が垂れていき、大きなツヴァイヘンダーで首を刈り取られるような幻想を見る気がする。
アダマスは生きようと、もがこうと必死に剣を振るうが、絶対にその剣は当たらない。
何度振っても、袈裟に振ろうが、縦に振ろうが、横に振ろうが、どれも寸で避けられるような気がする。そして骸骨の銀色は煌き、自分の命を奪おうとと処刑人のようにまっすぐ剣を払った。
そして、それとともにあの声も聞こえた。
迷宮に潜りなさい。
トロに潜りなさい。
あの骸骨を倒しなさい。
最深部へと行きなさい。
殺されると分かっているのに、声は自分を処刑台へと追いやろうとする。
呪い、だと。
アダマスは、神も、神の声も、自分を殺す呪いだと思っていた。
だが、それらを振りほどこうとしても、自分を雁字搦めにして動けなくする。手を縛り、足を縛り、首輪を繋いで自分を神の人形のように動かそうとする。
ああ、ここはどこなのだろうか?
そう考えていると、目の前に光を感じた。
ゆっくりと瞳を開けると――太陽が見えた。
朝日だった。
どうやらアダマスは大通りの隅で眠っていたらしい。
体調も回復し、耳鳴りもある程度は収まり、先程までの恐怖も感じにくくなるが。
神の声は、消えない。
迷宮に潜りなさい。
トロに潜りなさい。
あの骸骨を倒しなさい。
最深部へと行きなさい。
もううんざりだ。
アダマスは思った。
神の声も、骸骨への恐怖も、自分を縛り付けようとする全てに、アダマスはうんざいした。
だから。
アダマスは上体だけを起こして、これまで溜まった鬱憤を吐き出すかのように自分に降りかかる災いを精算しようと――吠えた。
「ああ! 殺しに行くさ! 俺はあの骸骨を、あのモンスターを、殺しに行くさ!」
それは天へと向かうように。
まだ見たことすらない、自分を死地へと追いやる神へと反抗するように大声を出した。
確かにこの時、アダマスは全ての鎖を断ち切っていた。
「だがな! それはあんたのためじゃねえ。俺が骸骨を殺すのはあんたのためじゃねえ。俺のためだ! 俺のためにモンスターを殺しに行くんだ! あの日の恐怖を払拭するために! 稼ぎを得るために! 俺は神の使徒じゃない! 俺はあんたの奴隷じゃない! 俺は冒険者だ! 冒険者として、俺はモンスターを殺してやる!」
息を切らしながら言った大声は、空へと吸い込まれるように消えていった。
アダマスがこれまで溜まった全ての感情を吐き出すと、信じられないぐらいに頭は軽くなった。
神の声は消え、耳鳴りも消え、恐怖も消え、むしろあのモンスターへと立ち向かう勇気が湧いてきた。
「やってやる――」
アダマスの誓いは、誰にも聞こえなかった。
「俺はやってやるぞ。あのモンスターを――殺してやる」
アダマスはゆっくりと立ち上がると、先程までとは考えられないぐらい軽い足取りで宿へと戻って行くのだった。




