第零話 プロローグ
それはまだ、殆どの者が自らの腕のみで、『迷宮』を攻略していた黎明期の話。
辺鄙な村から一介の風来坊が国へ降りてきた。
インフェルノと呼ばれる国であった。
風来坊の名は――アダマス。
顔は見えない。全身を灰色のマントで隠していたためだ。だが、体躯は太い。身長は百七十後半ほどしかないが、肩幅は広く、マントの隙間から見える手はまるで岩のようであった。
そんなアダマスの背中には大剣が背負われていた。クレイモアと呼ばれる剣だった。それは両手持ちにも、片手持ちにも出来る剣で、長さは百二十センチほどある。通常の剣より幅広に作られているので、若干重たいのも特徴だ。
だが、上等な剣ではない。ところどころ刃が欠けていた。
アダマスが村から離れた理由としては、身を立てるためでもある。
アダマス自身はただの農民の三男だったが、村にいた傭兵出身の者から剣術を習い、腕試しの場としてダンジョンを紹介されたのだ。もちろんその理由としてはアダマスがいた村が小さい村だったので、奉公先も少なく、剣が使えるアダマスは人減らしとしてダンジョンに送られたというのも理由の一つだ。
しかし、もう一つの理由があった。
――ダンジョンに、挑みなさい。
時々、アダマスには不思議な夢が聴こえることがあった。
もちろんいつも同じ夢だった。
その夢ではアダマスは空ほど高い樹の下で眠っており、頭元から小鳥のさえずりのように美しい声が聞こえるのだ。
それも、いつも同じ内容を繰り返していた。
このことを村にいた唯一の聖職者に聞くと、神からの託宣と言われた。元より信仰心が高くないアダマスは半信半疑だったが、その聖職者の強い後押しもあって、ダンジョンへと行くことになった。
村からインフェルノまでの旅路はそれほど困難なものではなかった。
普段から農業を手伝い、山で獣や魚を勝って、その間に剣を習っていたアダマスにとって、平坦な道のりは逆に退屈だった。
だが、初めてインフェルノについたアダマスはその大きさに圧倒された。恐ろしくもなるほど大きな都市だった。
何故ならインフェルノは大きな城壁に囲まれている。
それは巨大な山のようであった。
さらに村の元傭兵から貰った紹介状をもらって中に入ると、身長より少し高い民家が二十ほどしかない村に住んでいたアダマスにとっては驚くべき光景が広がっていた。そこは見上げるほど高い建物が等間隔に並んでいる。どれも白い石で積み立てられた建物だった。
さらに地面は石畳で綺麗に整えられている。
大雨などによってすぐ形を変える村の土や砂の道しか見たことがないアダマスにとっては、衝撃的だった。
さらに街道には人ごった返していて、出店なども出ていた。
アダマスはそれを口を開けてみて、辺りをキョロキョロ目が泳いでいた。
もちろんフードを被っていたのもあり、インフェルノの人はアダマスのことを見ていた人が多かった。
アダマスはそれから少しすると、すぐに村の者から助言を受けたとおりに行動した。
まずは宿屋を取る。そのためのお金は持っていた。
それが終わり、宿に旅の装備を全部置くと、今度は戦闘用の装備に切り替えた。防具は薄い皮でできた胸当てと薄い手袋だけ。他には何もなかった。腰横にカルヴァオンを入れるための皮製のポーチをつけると、その上からマントを羽織って、また背中には抜き身の大剣を背中につけた。
フードはもうつけていない。
そこから見える顔は無愛想だった。細い眉と大きな目が獣のようだが、どこか凛々しく整っている。長い金髪は後ろで一つにまとめているが、その輝きは土埃などで既にくすんでいた。
それからアダマスは宿を出た。
この町には冒険者組合というのもあって、幾ばくかのお金を払うと様々なサービスを受けられるのだが、そんな余裕のないアダマスはすぐにダンジョンに潜る。
この時代、ダンジョンに入るのにややこしい手続きはいらない。
カルヴァオンを売る場所もあちこちに存在している。
アダマスが入ったのは――トロであった。
◆◆◆
アダマスは初めてのダンジョンに緊張しながらトロに入った。そこは地面に開いた大きな階段状の穴だった。それを少し続いて地面に降り立つと、まずは死臭が鼻についた。
臭い。
眉をひそめた。
それに反応して大剣を手に取る。
ダンジョン内は暗かった。青く、弱い炎があちこちに浮いている。アダマスはそれに怯えながらも右手で触れてみるが、不思議と熱さはなかった。
剣を構えて進むと精神的にも肉体的にも疲れるので、肩に乗せながら先へと進んだ。切れ味は悪いので、肩は切れなかった。
入ってまだ十分ほどしか経っていないが、すれ違う冒険者は何人かいた。
誰もが傷つき、血にまみれていた。
そんな冒険者は生きているが、死臭が鼻についた。
アダマスは先にどんな危険があるのか分からないながらも、注意しながら一歩ずつ歩む。
すると――足音が聞こえた。
片足を引きずっている。
一匹、いや一人か。
そして、それは現れた。
言うなれば、人のなりそこない。
死人だろうか。
右足が膝から折れていた。
灰色の皮膚はところどころ肌から腐れ落ちて、骨や神経がはみ出ている。瞳は片方が空洞だった。腰巻きのような最低限の服を纏っているだけで、右手にあるショートソードは引きずるように持っていた。
「……何だ、あれ?」
アダマスは目の前のモンスターか、それとも人か、分からないものに凄く戸惑った。
だが、その死人は自分に敵意を持っているように見えた。
だから、大剣を両手で構えて、移動スピードが遅いそれに突っ込んだ。
横から通り過ぎるように胴を一閃。手応えはあまりなかった。簡単に死人は真っ二つによって崩れ落ちた。
アダマスはその死体となった死人を見るのも嫌だったが、念のため大剣で突きながら中を探ると、濁った小さな石が出てきた。
おそらく、これが――カルヴァオン。
カルヴァオンとはモンスターの核とも言える物質で、薪のような燃料になるのだ。それも薪などとは比べ物にならないほど長持ちし、大きな火力を生む。
また、それを町の機関に持って行くと金に変わるので、冒険者はこれを目当てにダンジョンに潜っていると言ってもいい。
アダマスはんな物質を腰のポーチに入れた。
それからアダマスは数々の死人と出会った。もちろん一体一体特徴は違う。持っている武器や身体の大きさ、それに戦い方など、共通点といえば脆いことと行動が遅いことだろうか。倒すのはそれほど難しいことではない。
厄介なことと言えば人数ぐらいだろうか。
奥に入れば入るほど、彼らは群れることが多かった。
数が多ければそれだけ体力は消費して、一戦ごとに体が重くなる。戦い続けるのは容易ではなかった。
そしてアダマスの持っているポーチが重たくなり、そろそろ帰ろうかなと思った時、先の道が二股に別れていた。
――右に、進みなさい。
頭の中で声が聞こえた。
いつも夢の中で聞こえる美しい女声の声だった。
アダマスは右の道に引き寄せられるように足が動いた。それが自分の意志だったかは分からない。
けれども、足は確実にそちらに向かっていた。
◆◆◆
出た先は広い部屋だろう。
広さまではわからない。
何故なら中に光がないからだ。
アダマスは暗闇の中にいた。
すると――暗闇の中に炎が生まれた。
ぽつ。ぽつ。ぽつ。
青い炎や、緑の炎、さらには橙色の炎など、様々な多数の炎が空中に浮かび出した。すると、部屋内が見渡せた。
天井はこれまでの何処よりも高く、そしてドーム状に広がっている。
そして――部屋の中央に一体の死人がいた。
これまでのどの死人よりも大きかった。身長にして六メートルはあるだろう。体は細い。肉が老人のように引き締まっていた。体色は黒色で、肩までの長い髪は白色。顔は色がなくしわくちゃで、目があるところは両方とも空洞だ。さらにはむき出しとなった歯は何本か折れている。
さらには両手には、一本の巨大な剣を持っていた。
三メートルほどあるだろうか。幅広に作られている。まるで、アダマスが持っているクレイモアと形が非常に似ていた。
また死人は座ったまま右足に足輪をつけており、その鎖は部屋の中央に埋め込まれた杭から伸びている。
ゆっくりと立ち上がった。
死人は、叫んだ。
喉から捻り出すような声だった。
次の瞬間、死人は自分の足を大剣で切って、足輪から抜けた。
また、叫んだ。
それと同時に、別の声も聞こえた。
――殺しなさい。
いつもの声だ。
不可解に思って、すぐに逃げ出そうとするが、その瞬間、地響きが鳴った。
上から大岩が落ちてきて、入り口が閉ざされた。
出口は他にどこにもない。
アダマスはその状況に戸惑いながら、片方の足首が無い状態で引きずりながら歩く死人に注意を向ける。
死人は、アダマスに向かって大剣を落とした。
「……っ!」
アダマスはその攻撃を転がりながら避けた。
死人の大剣は地面に轟音を立てた。
アダマスはすぐに死人へと距離を近づこうとするが、それよりも早く死人が大剣でなぎ払う。クレイモアで何とか防ぐが、体ごと吹っ飛んで、壁へと叩きつけられた。
アダマスは肺が萎縮し、呼吸が数瞬止まった。
その間、動きも止まる。
だが、幸いにも片足を引きずる死人の動きは遅い。
その間に体勢と息を整える。
「はっ!」
さらにアダマスは身体に気合を入れた。
死人はそんなアダマスへ両手をおもいっきり伸ばして、また大剣を叩きつけた。
アダマスはそれを横に避けて、距離を詰める。
だが、それよりも早く死人の右足が飛んだ。
足首が無い足だ。
そのまま、アダマスを蹴ろうとする。
アダマスはクレイモアを横にして防いだ。
足が止まる。
その時にはもう頭上に大剣が迫っていた。
避けきれない、とアダマスの焦り。
――瞬間、アダマスの周りの炎がかき消されて、その姿は見えなくなった。すぐに炎はまた生み出て、アダマスの姿が見える。
「へへっ……」
アダマスは笑っていた。
なんとか先程の攻撃にクレイモアを横にして合わせて防いだのだ。大剣をそれによって軌道がずれて、アダマスの横の地面に埋まっている。
だが、その代償は大きい。クレイモアは先端の三十センチほどの部分が砕けていた。さらに大剣には罅も入っている。
アダマスはすぐに倒れこむように死人へ近づいた。
もう同じような失態はしない。
死人はまたも右足を振り回した。どれも一撃一撃が、人のみであるアダマスにとって必殺となる。
だが、その全てをアダマスは寸を見極めていた。
何故なら大振りで、隙も大きい。
左はベタ足にして地面から動かず、腰を起点にして、がむしゃらに振っているような足を受けながら、距離を詰める。ジャストミートしていないため、あたっても骨が折れて、身体に痣がつくだけだ。命よりかは惜しくない。
そしてアダマスはやっと死人に剣が届く範囲まで近づけた。
狙うは残る最後の一本の足。あれがなくなれば相手は動くことが出来ないと踏んだのだ。
一閃。
腱は切ったが、切断までにはいかない。
すぐに死人は大剣を薙ぎ払って、アダマスを引かせようとする。
だが、アダマスは決してその圧力に負けない。
地面とほぼ平行になるまで体を倒し、大剣を掻い潜るようにして斬撃を避ける。
二閃。
まだ、切れない。
三閃。
四閃。
やっと、足が切れた。
死人は頭から地面に倒れて、砂浜に上がった魚となった。
アダマスは足を踏みながら腰へと上がり、背中を駆け巡って、死人へと跳躍した。
そして、折れた刃を下に向けながら、死人の心臓を突き刺した。
死人は絶叫しながら暴れて、アダマスも振り落とす。
やがて死人は力尽きて、灰とって崩れ落ちた。
その瞬間、出口を塞いでいた岩も灰となって崩れ落ちた。
アダマスはなんとか起き上がって、灰の中に手を伸ばす。
すると、中から黒く濁ったカルヴァオンを手にとった。まるでそれは手に収まれ切れないくらい大きかった。
「……やったぜ」
アダマスはもう頭の中から声も聞こえない。
そして今日の戦果に満足しながら、帰り道を目指した。
腰のポーチには滅多に現れないはぐれモンスターのカルヴァオンが入っていた。新人には大きすぎる獲物が潜んでいた。
――それは、まだ、アダマスのパーティーメンバーが手記にも書いていない英雄の起源。
ダンジョンに龍の足跡を残すこともなければ、仲間もいない頃の話。
何事にも屈しない石ころの輝きは、全てここから始まった。