ひとのおうらみもあるまじ
「ライゾン」
「おっと。姫様。驚きました」
急に背後から女に声をかけられ、訓練服から着替えをしていたライゾンがびくりと振り向く。
「ごめんなさい。いい薬をつくったから早く傷に塗ってあげたいと思って……」
鉢に入れた天緑を抱えながら女はうっすらと微笑んだ。
「ありがとうございます。俺の為にわざわざ」
慌てたようにライゾンが口角を上げる。
「いいのよ」
ゆっくりと近づいた女がはらりとライゾンの上着を脱がした。触れた女の手の冷たさにライゾンが身震いする。
「んっ」
「染みて?ライゾン」
「いえ、大丈夫です」
けれど女の笑顔、声、そして己に塗りこめられる薬にライゾンはいつもと違うものを嗅ぎとった。
「なんか、いつもの薬と匂いが違う気がします」
「……さすがね」
長い睫の下、女の眸が暗く揺れる。
「今日の薬は特製なの。不死の呪いをこめたのよ」
「不死の呪い……?」
聞き慣れない言葉にライゾンは首を捻る。
「天緑を潰した薬に美しい乙女の血を混ぜると不死の薬になるの。聞いたことない?……下界の者にとっては、の話だけど」
「下界の者……ってそれは!!」
女の言葉の意味に気づいたライゾンが目を見開き、女の手を振り払う。
腰にかけた剣に手を伸ばそうとした途端、ぐらりと視界が歪み、ライゾンは膝をついた。
「うっ……」
薬を塗りこまれた腕を中心にどくどくと身体中が脈打つ。一気に体中が焼けつくように熱くなった。
「あっ……うぁ」
身体が思うように動かない。手足が痺れて、感覚がなくなっていく。腕が、喉が、頭が、胸が、熱くて、痛い。
「嫌だ……なんで、こんな……姫、様」
地べたに這い蹲りながら、ライゾンが必死に女を見上げた。どうして、とその目が問うている。
下界の者に薬になるものは上界のものには毒になる。薬の知識がない者でもこればかりは誰もが知っていることだった。下界の者にとっての不死の薬はライゾンにとって致死の薬。女はライゾンに自らの手で毒を塗ったのだ。
「私を裏切ったわね。ライゾン」
ライゾンを見下ろしながら女が泣いているとも笑っているともわからない顔で言った。
「私の心を掻き乱して貢物を絞りとるのは楽しかった?甘い言葉を囁いて私を思い通りに動かすのは面白かった?ずっとずっと私を騙して、満足していた?それはきっととても気持ちのいいことだったんでしょうね」
「何を、言って、俺は姫様のこと、本当に、愛して」
死の熱に浮かされながらもライゾンは必死で言葉を紡いだ。徐々に血の気を失っていく褐色の腕が女に向かって差し出される。
そんなライゾンを冷たい瞳で見下ろしながら女がモローワカの毛皮をライゾンに向けて投げ捨てた。所々に赤い液体がこびりついた毛皮をみて、ライゾンの顔が歪む。
「そ、れは」
「いいのよ。ライゾン。言い訳はいらないわ。聞くつもりもない」
女は優しげな口調で呟いた。片膝をつき、差し出されたライゾンの手をそっと握る。
「これ以上私に嘘の言葉を吐かないで」
「姫、様……助けっ」
女の手に必死で縋りつきながらライゾンは言った。色を失った唇を女の冷たい手に這わせる。
「許して、下さい……助けて」
そんなライゾンの白い髪を撫でながら、女は言った。
「赦してあげるわ、ライゾン」
女の言葉にライゾンの瞳が僅かに希望を取り戻す。その瞳を真っ直ぐに見つめながら、女は優しく微笑んだ。
「貴方が私の手で死んだ、そのずっと後に。いつかきっと赦してあげる」