07
「お願い助けてよ、私達友達でしょう? ――……あたしの母が、『友達』に言われた言葉よ」
トモちゃんの言葉にあわせて、強い風が流れる様に吹いた。なびいた長髪を耳にかけながら、トモちゃんは俯く。
「友達が困っているのに見捨てるわけにはいかない。父と離婚した時の慰謝料で多少余裕のあった母は、いとも簡単に捺印した。きっとその時、『友達』は内心でほくそ笑んでいたでしょうね。全てをなすりつけられる相手ができたのだから。そしてその『友達』はあたしの母をダシに、更に借金を膨らませて失踪した」
そういうものなの、とトモちゃんは諦めたように言う。そういうものなの、友達は。
「あたしの母にお金がなかったら、きっとその『友達』は母の元へは来なかったと思う。――……暇な時間を一緒に潰し、お金がないと繋げられない関係。逆に言うなら、お金があればいつまでも繋がる関係。それがきっとトモダチなんだって、あたしはその時やっと気付いた」
だから、トモちゃんはこだわり続けたんだ。トモダチになるのも、遊ぶのも、誰かを助けるのにも、それ相応の対価が必要だと。
お金のやり取りがなければ、トモダチは成立しないから。
トモちゃんはもう一度滑り台に腰を下ろすと、私とは目を合わせないようにした。
「それにしたって、あなたが初めてだったわね」
「え……?」
「……母もいなくなってあたしは一人になって、それから色んな人とトモダチになった。相応の対価を受け取れば、トモダチは何でもする。それを知った人間は、次々と欲望をぶつけてきた。金持ちになりたい、結婚したい、あいつをこらしめたい、――殺してくれ。利己的なお願いばかりで、他人の不幸なんて考えもしない。あたしのことを使えるだけ使って、払えるだけのお金を払ったらバイバイする。あるいは、いつまで経っても同じ容姿のあたしをバケモノ扱いして離れてく。そんなのばっかりだった。今までのトモダチはみーんな」
バケモノって言うのはあながち間違いではないんだけどね、と彼女は言った。バケモノじゃなくて、悪魔の方が正しいのだけれど。その言葉に、私は首を振る。
「そんなことっ……」
「あなたがどう反論しようと、そうなの。あたしは悪魔に魂を売った。悪魔の仲間になった。だからこうして、いつまでも同じ姿でここにいる」
悪魔が嫌なら、幽霊でも何でもいい。いずれにせよあたしは人間じゃない。少なくとも、あなたと同じ舞台にはいない。
「そんなことない!」
私が声を荒げると、トモちゃんはようやく私へと顔を向けた。いつもと同じ『水の色』をした顔は、けれど濁っている。私は鞄にしまい込んでいた茶色のマフラーを取りだすと、トモちゃんへと近づいた。砂を踏む音が不必要にはっきりと聞こえるくらい、ここは静かだ。
「……トモちゃんがこのまま大人にならなくても、トモちゃんは私の友達だよ。それはきっと、トモちゃんが思ってるトモダチとは違う」
私が近づいても、トモちゃんは逃げようとしない。私はマフラーを両手に持ち、ふわりとトモちゃんの首に巻きつけた。これで少しでも、温かくなればいいのに。
「お金がなくても助けあえて、笑いあえて、一緒に悩んで、繋がっていて。――トモちゃんと初めて出会った時、私はそういう友達になりたかった」
そういう私も、何度かトモちゃんに対価を渡して『お願い』してしまったけれど。私が謝ると、トモちゃんは空を、そこにいる誰かを見上げるようにした。私の巻いたマフラーに、片手を置きながら。
「――電車って、不思議な感じがしない?」
あまりにも唐突に話題を変えられ、ついていけない私は「でんしゃ?」と首を傾げた。トモちゃんは続ける。
「皆で同じ乗り物に乗って、皆で同じ方向に進んでいるのに、それぞれ目的地が違う。降りる駅も違うし、乗車後に進む道も違う。終着点まで一緒だった乗客ですら、最終的な目的地は違う。……人生もそう。皆、『死』という方向に進んでいるのは一緒なのに、目的地や経緯はまったく異なる。同じ車両の人間と仲良くなったり、寄り道したりして、人生をまっとうする」
もちろん、あなただって例外じゃない。トモちゃんはマフラーを握り締めるようにした。
「あなたの乗っている車両には、乗客が増えていく。私以外の『ともだち』やクラスメイト、教師、恋人。それはこれからもどんどん増えて、窓から見える景色だって変わっていく。……だけどあたしの車両には、いつだって二人しかいない」
あたしと、トモダチ。トモちゃんは私の方を向いた。
「……あたしとトモダチの、二人きり。それがあたしの世界の全てで、これからもずっとそう。トモダチが降車しても、あたしはいつまでも同じ車両に乗り続けなければならない。景色も変わらない。制服も変わらない。……あたしね、あなたと同じ小学校に通ってたのよ。二十年以上前に今の制服に変更されたから、今でも昔の制服を着ているのはあたしくらいだけど」
「トモちゃん……?」
「あなたとあたしが出会ったのは、きっと間違いだったの」
これ以上ないくらいに、はっきりとした口調だった。間違いだったと繰り返すその顔は、口調と同じくらいにはっきりと歪んでいる。私の前で彼女が表情を変えたのは、これが初めてだった。
「――対価で繋がり、対価次第で何でもする。そういうトモダチしか、あたしは知らない。あなたの望むような友達に、あたしはなれない。対価の要らない関係があなたの望みだとしても、あたしには叶えられない」
否定文を重ねるだけ重ね、彼女は私の顔を見る。私を試すわけでも挑発するわけでもない。その顔には、諦めしかなかった。長い年月を重ね、彼女の得た感情。
「あたしはいつだって、最後は一人なの。お金だけで繋がり、嫌なものをお互いになすりつける。あたしの知ってるトモダチなんて、そういうものだから。……だから、あなたとあたしは出会うべきではなかった」
そう言って、トモちゃんは人差し指をすっと立てた。
「……一円。あなたが、あたしとの『契約を破棄』するために必要な対価」
眉をひそめる私に、トモちゃんは静かに言う。
「金の切れ目が縁の切れ目。言うでしょう? ……契約の破棄は、あたしからはできない。けれどトモダチであるあなたが契約の破棄を宣言し、一円をくれればそれを実行できる。契約が破棄されればあたし達は『絶交』、――つまり、トモダチではなくなる」
トモダチでは、なくなる。その言葉に私はごくりと唾を飲み込んだ。
釘をさすようにトモちゃんは繰り返す。あたしにとってトモダチは、お金でしか繋げられない関係。対価がないと途切れる関係。一円で終わる関係。だからあたしは、あなたの望むようなトモダチにはなれない。
「あたしとあなたは、出会うべきではなかった。トモダチになるべきでは、なかった」
――――トモちゃんは、ぶれない。
私はマフラーを入れていたのと同じ鞄をゆっくりと探り、財布を取り出した。