06
トモちゃんの写真を優の家で発見した翌日の放課後、私は公園ではなく、高校近くのコーヒーショップ・スターボックスにいた。薄暗い、けれど温かな照明の下で座っている優は、酷く真剣な顔をしている。その異様な雰囲気は、店内に流れているゆったりとした音楽すらもはねのけていた。参考書に向かい、解けない問題を目の前にしているかのような、そんな緊張感があった。
「……琴葉、もう一度確認する。お前が昨日言ってた女の子、本当にこの子だったのか?」
アルバムから抜き出してきたらしい写真を机に置きながら、優はとんとんと指差した。私は無言で頷く。……見間違えるはずがない。きれいな漆黒の黒髪も、それと同じ色の瞳も、透き通るような肌も、――制服だって一緒なんだ。
私の顔を覗きこんでいた優は、大きなため息をついた。机の端によけていたカフェモカを右手で手繰り寄せながら、左手で頭を抱える。
「だとしたら、それはお前の勘違いだ。お前がこの子を知ってるはずがない」
「……この女の子のこと、お父さんに確認してくれたの?」
「まあな」
どことなく言いにくそうに、その言葉を飲み込むように、優はカフェモカに口をつけた。私は再度、写真の中の少女とトモちゃんの顔を比べる。――間違いなく、トモちゃんだ。違うとすれば、私の知っているトモちゃんは常に無表情、この写真の中の少女は年相応の無邪気な笑顔を浮かべていることくらいだろう。
「私が知っている子は、この女の子の娘さんという可能性は? 優とお父さんだって似てるんだから、この写真の女の子とその子供がそっくりでも不思議じゃない」
「――いるはずがない、その子に。子供なんて」
優はそう言い捨てると、私の見ていた写真の上に黄ばんだ紙を載せた。写真よりも若干小さいそれは、週刊誌の切り抜きを折り畳んだものだった。
「なに……?」
破れないよう慎重にそれを開き、見出しを見た私は目を見開いた。
「その切り抜き、親父が大事に取ってたんだ。クラスメイトでそんなことになったのは、その子くらいだったからって。けれどその事件の後も、その子の目撃情報が度々出てきて、一時期噂になったらしい。……その子が悪霊にでもなったんじゃないかって」
記事を読んでいる私に、優は話しかける。丁寧に、心配して、けれども釘をさすように。
「琴葉。お前の知ってる子は、きっとその子じゃない。その子の子供でもない。見間違いか、他人の空似だ。だから……」
最後まで話を聞かずに、私は立ちあがった。これ借りるねとだけ言って写真を手に取り、週刊誌の切り抜きは綺麗に折り畳んでポケットに入れる。
「琴葉!」
優の制止を振り切って、私は外に飛び出した。目的地は、決まってる。
『あたしはあなたのトモダチだから、対価さえ払ってくれれば出来得る限り、あなたの言うことには従うわ――』
水のような彼女の声が、耳の中で響いて消えた。
誰もいない冬の公園は、冷たくて寂しい。空気は透き通っているけれど薄く、周囲は水中のように静かで、自分は独りだということを思い知らされる。
トモちゃんはそんな場所で、何を考えていたのだろう。
「……トモちゃん」
私が声をかけると、滑り台に腰掛けて砂をいじっていたトモちゃんは顔をあげた。眩しそうにこちらを見上げて、それから私の手元に目を移して、「ああ」という顔をする。それは「ああ、あなたか」という意味でもあるし、「ああ、ばれたのか」という意味でもあった。
トモちゃんは土のついた手をパンパンと叩くと、両ひざに手を添えて立ちあがった。それでも彼女は見上げるようにしないと私の顔を、目を見れない。
「よくそんな古い写真見つけたわね。調べたの?」
あなたは本当に変わってるわ。――大して驚いた様子も呆れた風でもなく、トモちゃんは淡々と言う。あなたならいつか、そこに辿り着くんじゃないかと思っていた。だから嫌だったのに。あなたは本当に――。
あなたなら、あなたは。
「……何万円払ったら、私の名前を呼んでくれる?」
思わず発した私の言葉で、何かの電源が落ちたかのようにトモちゃんの動きが止まった。それに構わず私は続ける。続けたというよりも、言葉が次々と溢れ出たと言った方が正しいかもしれない。
「何十万払ったら、本当の名前を教えてくれる?」
――違う。本当はこんなこと言いたくない。本当に言いたかったのは、こんなことじゃないのに。
ポケットの中に手を入れて握り締める、彼女の過去。トモダチという言葉に固執するようになった、その理由。
「何百万払ったら、この写真みたいに笑ってくれる? 何千万払ったら感情を取り戻してくれる? 何億、――何億円払ったら!」
生温かい私の頬を、トモちゃんが見つめている。きっと私は今、ポケットの中の週刊誌のように顔をぐしゃぐしゃにして泣いているんだろう。初めて会った、あの日のように。
「……何億円払ったら、あなたを助けられるの……?」
私の言葉はきっと、誰にも響かない。昔も、今も。
ねえ、私が望んだのは、そんな『ともだち』じゃなかったんだ。
私があの日、欲しくてたまらなかった、それはそんな関係じゃないんだよ。
『友達のせいだという遺書三枚 ××区で一家心中(昭和○○年七月二十四日)
七月二十三日午後七時ごろ、××区にあるアパートの一室で母子二名の遺体が発見された。遺体は腐敗が進んでおり、死亡推定時刻は七月二十一日午後十時頃とみられている。
遺体の身元は同アパートの住人、――――さん(34)と、その娘である――――ちゃん(10)。――――さんの遺体の傍らには出刃包丁と、遺書らしき便箋が三枚あり、「娘を殺して私も死ぬ」と書かれていた。また、――――ちゃんの遺体には無数の切り傷と刺し傷があり、母親に包丁で刺されたものとみられている。
遺書によると、――――さんは二年前、高校時代の友人に助けを求められ連帯保証人になっていた。しかし、今年の春にその友人が失踪。借金はすべて――――さんが肩代わりすることになったという。近隣の住人は「春先から妙にやつれていたが、助けを求めるような態度はなかった」、「子供(――――ちゃん)の泣き声が酷い時もあり、虐待かと思っていた」と述べている。以下、遺書から抜粋。
「こんなことになって、娘には本当に申し訳ない。けれど私はもう耐えられない。今から娘を殺して、私も死ぬ。(中略)毎日毎日、取り立て屋が家に来る。自分の借金でもないのに、返済を迫られる。友達だから助けてあげたいなんて思った私が馬鹿だったのだと、世間は笑うだろう。世間は冷たい。友達も冷たい。(中略)友達なんてしょせん、他人なのだ。不幸を押し付けても、なんの罪悪感もないのだろう。許さない。私が、私達がこうなったのは友達のせいだ。友達なんて、(遺書はここで途切れている)」
友達のあり方を考えさせられる、非常に痛ましい事件である。
――――さんと――――ちゃんのご冥福を祈るばかりだ』