05
2012年 冬
中学卒業後、みーちゃんは学区内で一番頭の良い公立高校に進学し、偏差値だけで言うなら中の上程度の学校に進学した私とは離ればなれになってしまった。それでも休みの日はたまに待ち合わせしたりして、一緒に遊んだ。その時、トモちゃんは誘わないようになっていた。
高校は、小・中学校の時に比べれば拘束が緩い。ただし、学校特有の淀みはあると思う。私はその波に流されて、なんとなく高校生として過ごして、いつの間にか彼氏まで出来て、そうこうしているうちに三年生になった。内申の良かった私は推薦入試で進学先を決めたので、イルミネーションが目立つようになる季節には受験戦争から離脱していた。
ひゅうっと吹いた風が、マフラーを揺らす。私は隙間のないようきっちりとマフラーを巻き直し、いつもの公園へと向かった。
色んなことがあった。なのに私はいまだに、彼女のことをほとんど何も知らない。
それでもトモちゃんは私の友達なのだと、信じていた。
「彼氏は?」
開口一番。茶化す風でもなく、いつもの口調でトモちゃんは言った。小学生にしか見えないトモちゃんと、高校生の私。他人から見れば、どういう関係に見えるだろう。……姉妹、だろうか。
「優は受験勉強で忙しいから」
「ふーん。受験生も大変ね」
私と同い年の彼氏、優はトモちゃんと会ったことがない。優にトモちゃんの話をしたことも、ない。会ったらどんな反応をするだろう。優も、トモちゃんも。
トモちゃんは私の隣にすっと並ぶと、空を飛んでいる鳥でも見るようかのように、私の瞳を見た。
年々、彼女の背は小さくなっていく。それは決して彼女の背が縮んだからではない。私が大きくなったから。そして、彼女は変わらないから。
「それで? 今日もあたしと遊ぶつもり?」
無言で頷き百円分のお菓子を渡すと、トモちゃんはふいっと横を向いた。その先には、少しずつ汚れていく滑り台。
「……あなたは本当に変わってる。こんなトモダチは初めてかも」
トモちゃんの言葉に、私は驚いた。
「私以外にも友達がいるの?」
言ってから、失礼なことを言ったと反省した。けれど以前、「契約できるのは一人だけ」と言っていたのはトモちゃん自身だ。トモちゃんの言う契約が、友達になることを指すのであれば、トモちゃんの友達は私一人だけのはずなのに。
トモちゃんは私の方を向き、さっきの私のように無言で頷いた。私の失礼な言葉に腹を立てたということはなさそうだ。
「いるというか、いたの。昔にね。……他のトモダチは、もっと違うことばかり言ってきた。頼んできたというか」
「――例えば?」
「あいつを殺してくれ、とか」
息を詰める私の代わりに、トモちゃんが息を吐きだした。挑発的な沈黙が重たい。何か、何か言わなきゃ。
「……それで、殺したの?」
何か言おうと思った私の口から飛び出した言葉は、ある意味で最低だった。それでもトモちゃんは律儀に答える。いや、明確な答えは言わなかった。けれどその言葉は、答えに等しかった。
「対価を貰ったから、ね」
たった一言。なのにその言葉が、私の胸にずしりと居座った。どこの誰だか分からないトモちゃんの友達を、責める道理なんて私にはない。
だって私も、その人たちと何ら変わりないのだから。
一週間後、優から『今日、俺の家にでも遊びに来る?』というメールが来た。私は一瞬戸惑い、自分のつけている下着のことを考えながらメール画面をスクロールし、『言っとくけど、えっちなことする気はないんだからね!』という最後の一文を見て吹いてしまった。よくよく聞いてみると、優のお母さんが家にいるうえ、私は特にお泊まりするわけでもないらしい。なんだびっくりしたと思いつつ、『いいよ』とだけ返信した。
優はいい奴だ。それはいい意味でも、悪い意味でも。いい意味で言うなら、友達や恋人を裏切ることなんてできない性格。悪い意味で言うなら、とにかくお調子者。同じクラスにいた優を見た第一印象はそれで、付き合って二年たった今でもその調子だった。
「よ、琴葉」
彼の家のインターホンを押すと、すぐさま優が出てきた。どうも、室内飼いの犬よろしく玄関先で私のことを待っていたらしい。私は苦笑した。
「勉強はよかったの?」
「たまには息抜きしないと死んじまうからな。まあ上がれよ。あっ、アタシのこと襲っちゃ嫌なんだからね!」
「それはこっちのセリフだから」
お邪魔しますと言いながら靴を脱ぐと、優のお母さんがひょこっと顔を出した。たれ目で常に口角が上がっていて、温和そうな顔が優そっくりだと思う。
「あら、琴葉ちゃん久しぶり。ゆっくりしていってね。後でお茶とお菓子持っていくから」
「ありがとうございます、おばさん」
私は丁寧にお辞儀して、優の部屋へと向かった。優の後に続いて扉をくぐり、ため息をつく。優の部屋はいつも、適当に片づけたと言わんばかりに参考書や漫画本なんかがそこら中に散らかっているのだ。まったく、
「レディを部屋にあげる時くらい、もうちょっと綺麗に片づけなさいよ」
私はブチブチいながら、参考書を次々と拾い上げた。数学の参考書と英単語帳が、これでもかというくらいに乱雑に積み上がっている。それらを綺麗に整理しようとした時、下敷きになっている古ぼけたアルバムを見つけた。年季が入っているが、丁寧に扱われていたのが分かる。
「何これ。すごく黄ばんでるけど、優のアルバム?」
「まっさか。親父のだよ」
私が片づける様子をボーっと見つめていた優は首を振った。
「母さんが、あんたとお父さんそっくりなのよーとかなんとか言って持ってきたんだ」
お母さんも大抵似てると思うけど、お父さんもそっくりなのか。私は笑った。
「これ、見ていい?」
「ああ」
優の返事を確認し、私はアルバムを開いた。色の薄い写真の中で、四歳くらいの男の子が笑っている。少し細い目で、心の底から嬉しそうで、けれど静かな笑顔。
「……ほんとに似てるね」
「まあな、親子だし?」
優はそこら辺にあった漫画本を片づけながら、照れ臭そうに笑った。写真、……特に小さい頃のアルバムには、人を笑わせる力がある。私は優と一緒に笑いながら、パラパラとページをめくった。めくるごとに、写真の中の男の子、優のお父さんは大きくなっていく。幼稚園の入園式、泥んこになった写真、卒園式、小学校の入学式……。
アルバムの最後あたりになって、私はふと手を止めた。
それは、大きなコピー用紙に『再生紙ができるまで』の過程を書き、皆の前で発表している写真だった。いわゆる学習発表会というやつで、優のお父さんがつけている名札には三年二組と書かれている。
いや、問題はそこじゃない。優のお父さんと一緒に発表している、男女六人。一番端に立っている女の子を、私は知っていた。
「……優」
私はその少女を指差し、顔をあげた。
「この子、誰なのか分かる?」
「んー?」
私の指先をまじまじと見て、優は首を振った。
「知らない。てか、これ俺じゃなくて親父の写真だから! 俺が親父のクラスメイトを一から十まで知ってるわけないだろ。卒業アルバムは婆ちゃんの家に置きっぱなしみたいだし」
「……それじゃ、お父さんに訊けば分かる?」
その言葉に、優は眉をひそめた。分かるかもしれないけど……と呟きながら、私の顔をまじまじと見つめる。
「なんかお前、変だぞ。その子がどうしたんだよ」
言われて、私は写真に目を落とした。見たことない表情で、けれど確かに見たことのある顔。私の知っている、けれど知らない彼女。私は再び、優へと視線を移した。この子は、
「この子は、私の友達なんだ」
写真の中のトモちゃんにも宣言するかのように、はっきりと私は言った。