04
放課後、私はまっすぐ公園へと向かった。小学生の頃から愛用している貯金箱と財布を、鞄に入れて。雨は昼過ぎに上がったけれど、地面はいまだにぐちゃぐちゃだ。さすがにその地面に座るのは嫌だったのか、トモちゃんは滑り台の支柱に身体を預けて立っていた。
「――どうしたの、怖い顔して」
怖くない顔で、何もない顔で、トモちゃんは言う。私は財布を握り締めた。
間違えてるのか、間違えてないのか。テストみたいに答案用紙のある問題じゃない。……分からない。
「トモちゃん。みーちゃんを助けて」
緊張していたせいか、低く唸るような声が出た。慌てて咳払いする私を見て、トモちゃんは無表情のまま首を傾げる。
「なんで」
「なんでって……。トモちゃんも、みーちゃんの友達でしょ!? いつも一緒に遊んでたじゃない!」
「あたしはあの子とトモダチにはなれないって、最初に言ったはずだけれど」
分かってた。そう言われるって思ってた。何故か知らないけれど、トモちゃんはいつだってその言葉にこだわる。
あたしとあなたはトモダチ、他の人はトモダチじゃない。そして、
「……ただ、トモダチであるあなたがそれを望むのであれば、従うわ」
そう。友達である私の頼みなら、聴いてくれる。どんな方法を使っているのか知らないけれど、難しいことでもすんなりと。「もう一人友達がいたら」とトモちゃんに言った次の日、みーちゃんと知り合えたのもきっと偶然じゃない。もちろん、テストの答案用紙のことだって。
トモちゃんが私に半歩近づく。長い黒髪が若干揺れて、足元ではぐちゃりと粘着質な音がした。
「――排除するのは何人?」
「え?」
「あの子がこれ以上いじめられないようにするには、何人排除すればいいかって訊いてるの」
いじめられないようにするには? 私は一瞬耳を疑った。
まだ言ってない。みーちゃんを助けてとは言ったけれど、みーちゃんがいじめられてることは話していない。私が知ったのだって、今日なのに。
――だけどトモちゃんは知ってたんだ。みーちゃんの現状を。
見て見ぬふりしてたの? とトモちゃんに問いただしたかった。けれどやめた。きっと言われてしまうから。「あたしとあの子はトモダチじゃないから」って。
私は息を吸い込むと、呼気に言葉を乗せた。排除、するのなら。
「景ちゃんから聞いた話だと主犯格は三年の先輩と、その先輩にひっついてる同級生二人。残りは便乗してるだけだって……。だから、その三人を、でも」
ハイジョ。それは何を指すの。
私の質問には答えず、トモちゃんはため息をついた。
「狙いは主犯のみ、ね。クラス丸ごと、もしくは学校の人間全員を排除してほしいって言ってくるのかと思っていたのに」
それから何かを計算して、トモちゃんは私に向かって手のひらを突きだした。
「対価は一人五百円。だから、三人だと千五百円」
「え……」
「持っていないのなら、その望みは聞きいれられない。出直してきて」
……千五百円くらいなら持ってる。むしろその対価は、思っていたよりも安い。けれどだからこそ、私は戸惑った。安いから、簡単だからこそ、怖かった。
三人を『排除』する。排除してもらう。千五百円、たったそれだけの対価で。
本当に、これでいいのか。
「……あたし達はトモダチだから、あなたの望みには出来る限り従う。けれどあたし達はトモダチだから、――――――――――」
突風とも言えるような、枯れ葉を巻きこんだ秋風が、トモちゃんの言葉をかき消した。その言葉の続きをもう一度訊き直すべきだったのかは、分からない。だけど私は、私は。
「私はトモちゃんとも、……みーちゃんとも友達だから。だから、みーちゃんのあんな姿、もう見たくない。助けたいの」
財布から取り出した冷たい五百円玉と千円札を、私はトモちゃんに差し出した。自分の手が震えていることに、気付いていないふりをする。あの時と一緒だ、と思う。この公園で、トモちゃんと友達になったあの時と。
「――確かに」
トモちゃんはお金を受け取ると、私の目を見据えて言った。いや、
「安心して。あたしは踏み倒したりしないから」
目はこちらを見ているのに、彼女自身は違う物を見ているようだった。
翌日、劇的に何かが変わったようには見えなかった。景ちゃんは相変わらずみーちゃんに対してよそよそしいし、主犯格の三人は何事もなく学校に居座っているし、みーちゃんはびくびくしながら学校に来ている。
けれど、遠目からでは分からなかった間違い探しは、日を追うごとにはっきりと、輪郭の違いをあらわし始めた。
みーちゃんは学校で少しずつ笑うようになったし、景ちゃんはみーちゃんに話しかけるようになった。景ちゃんだけではなく、他のクラスメイトも。主犯格だと言っていた三人は相変わらず学校にいるけれど、特にみーちゃんに絡んでいる様子はなさそうだ。
「……排除」
私がトモちゃんに依頼した三人は、『転校』することもなく学校にいる。だとすれば、トモちゃんの言っていたあれは何を指したのか。
「あ、琴葉ちゃーん!」
トモちゃんが私に向かって、笑顔で手を振ってくる。手を振り返しながら、安心しながら、心の奥に重たいものが引っ掛かっているのを感じていた。
恐ろしく冷たい、五百円玉。
本当に、これでよかったのか。
「あなたの望む通りにやったつもりだったんだけれど。不満だった?」
休日ですら誰もいない公園で、ぶっきらぼうに座っている私を見てトモちゃんは首を傾げた。私はトモちゃんの方へ顔を向け、それから体育座りをして膝の間に顔をうずめた。確かに、トモちゃんは『何か』をしてくれた。
「……排除、って言ってたよね。あれはどういう意味だったの?」
彼女の方を向かないまま、私は尋ねた。彼女の顔を見ていられなかった。例え彼女が、いつも通りの無表情なのだとしても。
一瞬の沈黙の後、彼女は静かな声で、けれど私の耳にもちゃんと聞こえる透き通った声で、質問に答えはじめた。
「――あなたのトモダチをいじめているという三人から、『南部美由紀をいじめている』という記憶のみを排除した。そうすればあの三人にとって、南部美由紀は大して仲良くもないただのクラスメイト、もしくはただの後輩となる。よって、南部美由紀が三人からいじめられることはなくなり、あなたの望み通り『南部美由紀を助ける』ことに繋がる。……あたしは何か間違えていた?」
南部美由紀のいじめを認知している人間全員から記憶を排除すればもっと早かったのだけれど、とトモちゃんは付け加えた。主犯格三人の記憶操作のみだと当然、他の人間の記憶は残る。だからしばらくは『しこり』のようなものが取れなかったはずだと。ああ、だからかと納得した。トモちゃんにお願いした次の日から、例の三人はみーちゃんをいじめなくなったけれど、友人であるはずの景ちゃんはしばらく警戒しているようだった。きっと、いじめの記憶がある景ちゃんは、『本当にいじめが無くなったのかどうか』を確認していたんだ。
「……何のことだと思った?」
ふいにトモちゃんに質問されて、私は顔をあげた。やっぱりトモちゃんの顔は変わらない。成長しないという意味でも、表情を変えないという意味でも。
「排除する、の意味。――あたしがその三人を殺すとでも思った?」
返答に困った私が黙りこむと、トモちゃんは頬杖をついた。それからしばらく無音状態が続いて、そうね、と切り出したのはトモちゃんだった。
「あなたが『三人を殺す』のを望むのであれば、あたしはそれに従う。ただしその時は、中学生のあなたでは用意できないくらいの対価が必要となる。だから、今は誰も殺せない」
「……もしも私がお金を用意してきたら、その時は殺しでもやるの……?」
「もちろん」
彼女の返事には、何のためらいも感じられなかった。それが単なる冗談ではないことが、私にも分かる。トモちゃんが嘘をついたことは一度もない。
「あたしはあなたのトモダチだから、あなたが望むのであれば、――……対価さえ払ってくれれば殺しだってやるわ。けれどあたし達はトモダチだから、対価がないと動けない。トモダチは対価があって初めて、成立する関係なの」
――対価がないと成立しない関係。
違う、そんなの。彼女と初めて出会ったあの日、私はそんなこと望んでなかった。
だけど私はトモちゃんを、トモダチという関係を『利用』した。私はいつだって揺れていて、最低で、それでもトモちゃんとトモダチでいる。
トモちゃんはいつだってぶれていない。
容姿も、表情も、主張も。何もかも。