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トモダチ  作者: うわの空
4/9

03

 2008年 秋


 何かがズレ始めた。恐らくそれは、大人に相談したら笑われてしまうような現実味のないことで、だけど実際に起こっている。荒唐無稽、けれど確実なのだ。


「トモちゃん」


 いつもの公園。季節によって変わる花々とその色、空気の暖かさと冷たさ。それ以外、ここは何も変わらない。公園の広さも、滑り台の位置もその高さも、――トモちゃんすらも。

 いつもと同じ制服で、いつもと同じ髪型で、いつもと同じ身長で、いつもと同じ体型で、いつもと同じ声で、いつもと同じ顔で。私がランドセルを背負わなくなっても、制服が新しくなっても、一年生から二年生になっても、トモちゃんは何も変わらない。言い方を変えるのならば、成長していない。

 それについて、彼女は何も言わない。私も何も言えなくて、けれど私たちは『友達』のままだった。

 そうして私は彼女の秘密に、気付き始めた。



「――トモちゃん」


 私がもう一度声をかけると、彼女はようやく顔をあげた。


「……早いわね、部活は?」

「サボっちゃった。それよりトモちゃん、これ」


 私は学生鞄からプリントを二枚取り出し、トモちゃんにも見えやすい位置に置いた。一枚は、今日返却されてきたテスト。もう一枚は、トモちゃんがくれたプリント。

 トモちゃんはテストの方に目をやってから、興味のなさそうな声で呟いた。


「百点だったの。よかったじゃない」

「そういう問題じゃないよ。ねえ、どうして?」


 私はトモちゃんのくれたプリントを手に取る。はいこれ、約束の分。そう言って、彼女が私にくれた藁半紙わらばんし。先生しか知らないはずのそれを、トモちゃんが知っているはずも、持っているはずもない。なのに、


「どうしてトモちゃんが、テストの答案用紙を持ってたの……!?」


 先生の作った答案用紙に、先生がPCで打ち込んだのであろう答え。私の回答用紙とそれを見比べていたトモちゃんは、何でもないように言った。


「あなたがそれを望んだ。対価をくれた。だからよ」


 その言葉を聞いて、私は思いだした。

 今から一週間ほど前、テストが目前に迫り、部活もテスト休みに入った頃のことだ。夕方の、影が伸びた公園。根っからの文系である私は数学がどうしても理解できなくて、泣きそうになっていた。やがて、問題集の上にシャープペンシルとさじを投げると、隣にいるトモちゃんに嘆いた。


「あーあ、なんで数学っていちいち応用問題とか出してくるんだろ。テストの回答を全部暗記できたら楽勝なのになー」


 私の言葉を聞いた彼女は、ふっと顔をあげた。名前を呼ばれた猫みたいに。


「――あなたが望むのであれば」


 私が勉強する様子を黙って見ていたトモちゃんがふいに口を開いたので、私は問題集からトモちゃんへと目を移す。夕陽に染まった彼女は、頬杖をついてこちらを見ていた。


「トモダチであるあなたが望むのであれば、それを用意する」

「それって……?」


 あの時、『それ』が何を示しているのか、トモちゃんは何も言わなかった。

その日私は、少しでも勉強した自分へのご褒美に、公園近くのコンビニで、市販のアイスにしては高級な『ハーゲンボーデン』のマロングラッセ味を買った。勉強に付き合ってくれた、トモちゃんの分も。

 あの日トモちゃんは、三百円近いそのアイスを拒否せず素直に受け取った。



「――遊ぶのなら、百円。それ以外のことは、それ相応のもの……?」


 私が呟くと、トモちゃんは答案用紙を小さくちぎり始めた。冷たい秋風に吹かれて、答案用紙だったものが宙を舞う。紙吹雪で一瞬見えなくなった彼女の表情は、それでも容易に想像できた。――無表情、だ。


「……トモちゃん、なんで? なんでこんな」

「なんでなんでって、うるさい」


 学芸会のような棒読みの口調。それでも、私を黙らせるのには十分な迫力があった。足元を這うように移動する紙片に目をやりながら、彼女は囁く。秋風にも運ばれないような、私にしか聞こえない小さな声で。


「なんで? ――あなたがあたしの『トモダチ』だから。それ以上でも以下でもない」


 彼女の素顔を隠すかのように、足元でざわめいていた紙片が再び空へと舞った。



 翌日、私はビニール傘の中で、雨粒が伝い落ちる様子を眺めながら通学路を歩いていた。急に降り始めた雨は学校に着くまでに……いや、一瞬で制服を濡らしてしまいそうだ。おかげで、折り畳み傘も持っていなかった私はコンビニに立ち寄り、透明のビニール傘を購入するはめになった。百均でも売っていそうなビニール傘が、コンビニでは五百円もするのはどうかと思う。

 ……五百円。彼女にとってそれは、私と友達になるのと同価値なんだ。

 一瞬だけ脳裏をかすめたそれは、ビニール傘の向こうに見える人影によって塗りつぶされた。 


「みーちゃん、おはよー。みーちゃんも傘持ってきてなかったんだ、一緒に入る?」


 ビニール傘の向こうに見えた人影、――南部さみーちゃんに話しかけた私は、笑顔のまま凝り固まってしまった。作為的に汚された制服も、カッターか何かで傷つけられた学生鞄も、虚ろな瞳も。私はそのすべてを知っていたし、そこから導き出される答えも、分かっていた。

 中学一年生、つまり去年は同じクラスだったけれど、その時に彼女のこんな姿を見たことはない。二年になってクラスが離れて、それからあまり会わなくなった。というよりも、みーちゃんの方から避けられていた気がする。部活が忙しいとか言われて。だから私は学校では、みーちゃん経由で知り合った友達や、新しいクラスメイトと遊んだり話したりして過ごしていた。

 何も、知らなかった。


「私に話しかけちゃ、だめだよ」


 卑屈な、卑下したような笑みを浮かべる。彼女のこんな顔も、知らなかった。


「琴葉ちゃんも、『ストレス発散の道具』にされちゃうから」


 じゃあね、と言い残してずぶ濡れの彼女は走っていく。私は何も言えなくて、何もできなくて、私の代わりに傘が涙を流した。



 学生にとって、どうして学校はああも『世界の中心』のようになってしまうんだろう。家が自分の世界そのものなら、学校はきっとその中心にある。だから絶対にそこからはみ出てはいけないし、はみ出てしまったら人生そのものが終わったかのような気分を味わう。外に出れば、他の世界なんていくらでも転がっているのに。視野が狭いと言われてしまえばそれまでで、けれどその時の私達はその世界しか知らないのだ。


「みーちゃん? ……ああ、美由紀ね」


 休憩時間、小学生の時からみーちゃんと仲の良かったけいちゃんにそれとなく尋ねると、都市伝説でも話すかのように声のトーンを落とした。ちなみに景ちゃんは今、みーちゃんと同じクラスにいる。


「部活での嫌がらせがクラスにまで蔓延しててさ。私も美由紀に近づいたら標的にされちゃうから、その……」

「――誰か、みーちゃんと話してる人は?」

「いないよそんな人。クラス全員で無視だよ。ほんと、美由紀には悪いけど……」


 景ちゃんはそこまで言うと、私に向かって両手を合わせた。


「ね、今の話、私から聞いたって絶対に言わないで! ていうか本当に悪いんだけどさ、あんたも美由紀を庇ったりしないでほしいんだ。今の状態がクラスにとって、一番バランスいいと思うんだよ」

「……なんでそんなこと言うの? だってみーちゃんは」

「結局自分が可愛いんだよ。私も、皆も」


 景ちゃんは諦めたようにため息をつくと、踵を返しつつ手を振った。


「言っとくけどさ。琴葉が頑張ってもどうにもなんないと思うよ。教師にチクったら余計に悪化するだろうし」


 クラス替えか、卒業まで我慢すれば済む話なんだからさ。そう言いながら、景ちゃんは自分の教室に向かって歩き出す。その背中を見ながら、私は呟いた。


「……卒業まで、まだ一年半近くあるのに」


 棺桶のような教室で過ごす時間がどれだけ長いのか、景ちゃんはきっと知らないんだ。



 脳内で再生される音声。


「――あたしはあなたのトモダチだから、対価さえ払ってくれれば出来得る限り、あなたの言うことには従うの」


 私がみーちゃんを救う、方法。



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