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トモダチ  作者: うわの空
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01

 2006年 夏


「――修学旅行、行かなくてよかったの?」


 床の上で器用にトランプをきっていた彼女がふいにそう言ったので、クーラーのリモコンをいじっていた私は顔をあげた。人工的な冷気が上下に動き始めて、部屋の温度が少しだけ下がる。クーラーの風向に合わせて、腰近くまである彼女の黒髪がふわりと揺れた。けれど、切り揃えられている前髪は、その下にある黒い瞳は、微塵も動かない。


「あはは、いいのいいの。学校に友達なんていないからさ、行っても楽しくないし」


 私は窓に近寄ると、蒸し暑い夏の空気と蝉の鳴き声を外へと追いやった。この前まで春だと思っていたのに、あっという間に暑くなる。――はやく夏休みになればいいのに。そうすれば、しばらくの間は学校に行かなくていい。

 彼女は「そう」とだけ答えると、トランプの束を机に置いた。話を逸らそうとしたり、笑ってごまかそうとはしない。というか、気遣う様子もない。


「そういうトモちゃんこそ、学校行かなくて大丈夫なわけ?」

「平気」


 相変わらず簡潔な返事をした私の友達は、そのまま黙りこんでしまった。



 トモちゃん、というのは彼女の本当の名前ではない。私が勝手にそう呼んでいるだけだ。本当の名前は、知らない。彼女自身が、もう覚えていないと言ったから。あの日、夕方の公園で。


「五百円くれたら、あたしがあなたのトモダチになってあげる」


 そう言われた私は、ポケットの中に隠し持っていた五百円玉を取り出した。母が毎週くれるおやつ代。今日はたまたま朝に貰って、そのままポケットに入れてきていた。

 五百円の友達。その関係はきっとおかしくて、けれど私は友達が欲しくて、彼女の白い手のひらに五百円玉を落とした。――手が震える。寒いせいじゃない。


「……確かに」


 彼女は私から受け取った五百円玉を握りしめると、無表情のままで呟いた。あの時の彼女がどういう気持ちだったのか、私にはきっと分からない。


「契約成立ね。これで、あたしとあなたは、トモダチ」


 日の暮れかけた暗がりの下で、私と彼女は友達になった。けれどきっと、私と彼女の「ともだち」の定義は、根本的が違っていたんだ。それはもう、決定的に。


「――あたしはあなたのトモダチ、だから」


 手を開き、そこにある五百円玉を再度確認した彼女は顔をあげた。真っ黒な瞳でわたしを見据えて、白い息を吐く。トモダチ、だから。


「対価さえ払ってくれれば、出来得る限り、あなたの言うことには従うわ」



 私は、彼女がどこの学校の生徒なのか知らない。彼女と知り合った当時、私はこの土地に越してきたばかりで、自分の学校とその区域以外は全くと言っていいほど知らなかったからだ。この辺ではあまり見かけない制服だし、もしかしたら私立に通っているのかもしれない。けれど、特別調べようと思わなかった。重要なのは彼女がどこの学校に通っているのかでなく、今日は何をして遊ぼうか、ということだったから。

 彼女はいつだって、私の通っている学校近くの小さな公園にいる。設備の整った大きな公園が近くにあるうえ、滑り台しか設置されていないその公園は不評で、いつも誰もいなかった。彼女以外は。


「……学校、行ってないの?」


 ある日、お腹が痛いと嘘をつき早退した私が公園に行くと、彼女は当然のようにそこにいた。私のように早退でもしない限り、学生は学校に行っている時間なのに。彼女は毎日、制服にしか見えないシャツとスカートを着ている割に、ランドセルを背負っていない。通学していないのか訊くのは、ある意味当然の流れだったと思う。


「行く必要、無いから」


 彼女はそう答えると、近くにあった小石を軽く蹴った。

 ――やっぱり変だ。学校に行かないことも、いつだって同じ格好であることも。

 もしかしたら、彼女は幽霊なのかもしれない。私にしか見えない、友達。


「ねえ。そういえば、名前はなんて言うの?」


 私の言葉に、彼女はほんの少しだけ眉をひそめた。ように見えた。恐らく彼女は表情を変えたりしなかったのだろうけれど。しまったと思った私は、「私の名前は琴葉っていうの」と慌てて付け足した。人に名前を訊くときは、自分から名乗るべきだってこの前テレビでやってたっけ。

 私の名前を知っても、彼女は特に表情を変えなかった。「そう」とだけ答え、


「あたしの名前、ね。もう覚えてない」


 誰もいない滑り台の頂上を見ながら、呟いた。


「……覚えてないって、自分の名前なのに?」

「覚えていない物は覚えていないの。だから、あたしには名前がない」

「それじゃ困るよ」


 私が素直にそう言うと、彼女は滑り台から私へと視線を移した。相変わらずの無表情で、あえて感情を付け加えるとすれば『面倒』とか『理解できない』とか、そういう言葉の似合いそうな顔だった。


「あなたが困る? どうして」


 面倒ではなく、理解できないが正しかったらしい。授業中、機械的に質問をぶつけてくる教師のような口調で、彼女は訊いてきた。トモダチの名前が分からないと、どうして困るの。


「どうしてって……。呼び方が分からないと、困るから」

「トモダチでいいじゃない」

「おかしいよ」

「そう?」


 埒があかなかった。彼女はかたくなに自分の名前を言おうとしない。もしかしたら何か事情があって、本当に忘れているのかもしれない。あるいは、言いづらい理由があるのか。

 私は諦めると、彼女が先ほどそうしていたように、滑り台の頂上を見上げた。


「分かった。じゃあ、今日からトモちゃんって呼んでいい? 友達の、トモちゃん」

「……どうぞ」


 嫌だ、とは言われなかった。



 彼女は決して、私にしか見えない幽霊ではなかった。初めて家に連れて来た時、母は大喜びで二人分のお菓子とジュースを持ってきたし、近所のおばさんにも「今日はお友達と一緒なんだね」と声をかけられた。幽霊かどうかはともかく、彼女の姿は皆にも見えているらしい。同じ学校の生徒でないのは少し残念だけれど、この街に一人だけでも友達ができたのは本当に嬉しかった。私は毎日、二人分のお菓子を用意して公園へと出向いた。

 そうしているうちに、なんとなく気になった。私が遊びに行く度、彼女が言うセリフ。


「遊ぶのなら、百円ね」


 ぽつりと吐き出されるその言葉。そして彼女は、私の持ってきたお菓子の単価を計算して、きっちり百円分だけ食べるのだ。それはまるで、何かの約束みたいに。

 彼女と遊ぶのなら百円、あるいはそれ相応のお菓子。その関係は彼女と出会った時から今日まで続いている。そう、もちろん今日だって例外ではない。



「トモちゃん。ロールケーキあるんだけど食べない?」

「要らない。もう百円分のお菓子は貰ったから」


 ほらやっぱり。……こういう子もいるのかなあ。

 私は内心で苦笑すると、彼女の向かいにぺたりと座った。綺麗に整えられたトランプに目をやる。トモちゃんと遊ぶ時は大抵、神経衰弱やスピードをやることが多い。本当はばば抜きもやりたいけれど、あれは二人だけでやると、どちらがジョーカーを持っているのかはっきりと分かってしまうので面白くない。ついでに言うとトモちゃんはいつだってポーカーフェイスなので、ばば抜きなんかやったら私は断然不利だと思う。


「せめて、もう一人友達がいたらなあ」


 冗談交じりに私が言うと、彼女はふと顔をあげた。待っていた時が来た、そんな感じだった。


「――トモダチ、増やしてあげましょうか」

「へ?」

「あたしのトモダチである、あなたが望むのであれば」


 彼女はそう言うと、トランプの山から一枚だけカードを引き、ゆっくりと裏返してみせた。……ジョーカー。


「さっき言っていたロールケーキをくれたら、あなたのトモダチを増やしてあげる」


 無表情の彼女の代わりに、大きな鎌を持ったピエロが、カードの中で楽しそうに笑っていた。



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