side Karen - 41
「ごめん、着いたら一番に言おうと思ってたのに忘れてた」
どうも怒ってるっぽい浅倉にとりあえず謝る。
「いや、永野が謝ることじゃ……」
そこへ突然、ケータイの着信音が聞こえて来た。
昔の黒電話の音だ。私の着信音じゃない。
浅倉が顔を上げて、ポケットからケータイを取り出した。そして、ディスプレイを見て一瞬顔を顰めるとすぐに耳に当てた。
「……なんだよ、元気じゃねーか」
浅倉の口調からして、多分、河合君だ。そっか、元気なんだ。病状はひどくないのかな。よかった。
浅倉が私の方をちらりと見て、手で合図して少し離れる。待ってろって意味らしい。
何だろう? 聞かれたくない話でもするのかしら?
セミの声に、時折大きくなる浅倉の声が混じるのを聞きながら、私は木陰に入った。
浅倉の電話が終わったら出発かな。着くのにどれくらい時間かかるかなぁ?
それにしても、河合君も真由子も来れないって言うんじゃ、私と浅倉の2人っきり…じゃ…ない……
――えぇっ? ちょっと待って! 今日から3日間、私、浅倉と2人っきりなの?!
今更その事実に気がついて、落ち着かなくなる。
同時に、向こうで電話してる浅倉のことが急に気になり始めた。
この1週間、浅倉と本当に何もなかったけど。それでも先週末、私は浅倉に好きって言っちゃったし、浅倉も……。それに、一応、私、浅倉の…彼女……になったらしいから。いや、でも、ペンションは2部屋予約してるはずだし。まぁ、そんなの関係ないと言えば関係ないんだけど。
うわ、ヤダ、私、なんか、顔が赤くなってそうだ。何か、他のこと考えなきゃ……。
私は気を紛らわせるために、翔からもらった紙袋を開けることにした。翔には向こうに着いてからって釘を刺されてるけど、でも、何かしてないと、本当にヤバい。お酒も飲んでないのに顔が赤いなんて、浅倉に変に思われそうだし。
私は封をしているシールを丁寧に剥がし、紙袋の口を開けて中を覗いてみた。
中に入っていたのは、黒いレースでできた、お揃いのショーツとブラジャー……
ちょっと、翔っ!! 何考えてんのよっ!!!
私は危うく紙袋を落としそうになるのを何とか堪える。下手に落として、中身が出ちゃったりしたら、サイアクどころの騒ぎじゃない。
もぉ、どうしようもないくらい顔が熱い……。
「――おいっ!」
浅倉の大きな声に、身体がびくんとなる。
声のしたの方を振り返ると、浅倉が電話を切ったところだった。
ため息をついてこちらを見た浅倉と目が合う。
私は多分、茹でダコなんて比じゃないくらいに真っ赤になってるんだろうけど、浅倉も少し赤くなってる気がする。
「永野、どうかしたのか?」
浅倉がケータイをポケットにしまいながら近づいて来た。
「う、ううんっ。なんでもない……」
慌ててそう言い、紙袋の口をぐしゃっと握り締めた。こんなの持ってるところなんて見せられないし。
「それよりも、河合君。何だって? 体調は大丈夫なの?」
浅倉は少し眉を上げた。
「あぁ、正紀なら大丈夫。すんげぇ元気そうだったし」
そう言って浅倉はまたため息をついた。そして顔を上げるとまっすぐに私の方を向く。少し頬を染めて、でも、すごく真面目な顔で。
「永野は、オレのこと、どう思う?」
浅倉の質問の意図が全然わからなくて、私は浅倉を見つめ返した。浅倉がゆっくりした口調で先を続ける。
「正紀が、さ。ペンションの部屋、1つ、キャンセルしたって」
つまり、今予約されてるペンションの部屋は1つ。女子部屋と男子部屋っていう計算で2部屋予約してたけど、1部屋キャンセルしたってことは、私と浅倉が同じ部屋になるってことだ。
ようやく、浅倉の言ってる意味がわかった。
つまり、自分と、そーいう関係になってもいいかって聞いてくれてる……らしい。
「オレ、さ。永野のこと、マジで好きだよ。先週言ってくれたこと、頷いてくれたの、あれ、本当だよな?」
浅倉の表情はあまりにも真剣で。言葉が出てこない。
私は、こくんと頷くことしかできなかった。
ようやく、浅倉が表情を崩した。
その瞳は、あのときと同じで、私を安心させてくれる。
自然と私も微笑み返した。浅倉が腕を伸ばして私の腕を取る。あっと声を上げる間もなく、浅倉に抱き寄せられた。私と浅倉とに挟まれて手にしていた紙袋が潰れた。
「あ……」
ぺしゃんこの紙袋に目を落とした私の顎に浅倉の指が触れ、優しい力で上へと持ち上げられる。
そして、私の唇を、浅倉のそれが塞いだ。
初めは軽く触れるように、そして、何度も啄むように。
こっ、こんなところで……ッ! 休日出勤してる人がいるかもしれないのに!
私は身体を離そうとしたけど、浅倉の腕がきつく私を捕らえて動けない。いつの間にか私の頭の後ろに浅倉の手が回されていた。
キスは次第に深くなり、思わず声が漏れる――。
それが聞こえたのか、浅倉が止まる。
既に私の吐く息は熱くて、なんだか自分の足も少し頼りなくなっていた。
キスって、こんな風になるものだったっけ?
見上げると、浅倉と一瞬だけ目が合った。でも、すぐ逸れる。
「んじゃ、そろそろ行くか」
浅倉はそう言って、名残惜しそうに私を抱きしめていた腕を解く。
同時に、2人の間にあった紙袋が地面に落ちた。慌てて取ろうとした私よりも早く、浅倉がそれを拾う。
「何、これ?」
「いいの! 見ないで!」
もぉ、翔のバカ……。
私は浅倉から紙袋を奪い取った。でも足に力が入らなくて、少しバランスを崩す。浅倉の腕が私の背中の下に入り、支えてくれた。
「あっぶねぇなぁ」
浅倉が私を咎めるように言った。
「誰のせいよ?」
私が浅倉を軽く睨むと、浅倉は悪戯っぽく笑った。
「そーいう顔されると、またキスしたくなる」
そう言うが早いか、浅倉はまた私にキスをした。今度は軽く、1回だけ。
そして浅倉は私をちゃんと立たせると、車のキーを取り出した。
「じゃ、ホントに行くか。結構遠いからな、覚悟しとけよ?」
浅倉が助手席のドアを開けてくれた。私は未だふら付く脚を叱咤して、何とか車に乗り込む。
浅倉は、車の前の方を回って運転席に乗り込んだ。キーを差し込むとエンジンをかける。そして前を向いたまま、ぶっきらぼうに言った。
「そんなにじっと見んな。照れる」
言われて初めて、私はずっと浅倉のことを見つめていたことに気付いた。慌ててシートベルトのバックルを手に取って誤魔化す。
「みっ…、見てない」
私がシートベルトを締め終わっても車は動かなかった。
浅倉の視線を感じて、顔をそちらの方へ向ける。浅倉は私を見てくつくつと笑っていた。
「何よ?」
「何でもねぇよ」浅倉はいったんそう言ったけど、思い出したように付け加えた。「あー……何でもあるかも」
そして素早く私に覆い被さると、またキスをする。
――浅倉って、もしかして、キス魔?
何度かのキスの後、私はちょっと身を引いた。
「ちょっと、待って。ねぇ、ホント、そろそろ行かない?」
窺うように浅倉に聞く。浅倉は私におでこをくっつけた。
「そうだな。このままだと今日中にペンションに着けなくなっちまう」
そして、もう一度キスし、私から離れる前に浅倉が耳元でささやいた。
「ホント、覚悟しとけよ?」




